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第九章 復讐の舞台から
第二百二話 復讐の舞台から(16)
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ほぅとエリッツは息をついてお茶のカップに口をつける。マリルがこんなに話をしてくれるのはめずらしい。お茶はすっかり冷めている。そういえばマリルに飲まれてしまったので半分も残ってなかった。
両親を失ったジルという少女が演劇場の雑用から有名な役者になってゆく話は本の中の成功物語みたいでつい聞き入ってしまった。
「でももう引退しちゃったんですよね。ちょっと見てみたかったな」
きっと子供の頃から才能があったのだろう。偶然見出されたとはいえ、その後もずっと人気が続いたのだから、本物だったに違いない。特に特筆すべき特技を持ち合わせていないエリッツなどは羨ましく感じてしまう。
そういえばマリルは自分の話をあまりしないイメージだったが、きょうは大盤振る舞いといった感じだ。マリルの話というよりはジルの話なのだが、親しい人の話をするのも初めて聞いた。ジルはマリルのお姉さんのような存在だったのだろうか。
「それでさ。これはどうしたの? なかなか手に入らない物だよ?」
マリルは例のジルの映術のカードを指先でつまんで見せた。
『え?』
ゼインとエリッツの声が重なる。
確かゼインはポケットに入れていたはずなのにいつの間にとったんだろう。
「べ、別にそんなことどうでもいいでしょう。こんなのただの趣味ですから」
ゼインは妙にバツの悪そうな顔をしている。その話題には触れてほしくないようだ。今日ははじめから様子がおかしかった。間違いなく何かを隠している。
不穏な沈黙が続く。
だんっと大きな音がしてエリッツは一瞬目をつぶった。目を開けると、ほっそりとしたナイフがテーブルに突き立っている。見覚えがあった。暗殺に使うやつだ。
「私がこの長い話をした理由がわかる? あなたの趣味友達にはそっとしておいてと伝えて」
それだけいうと、手にしていたカードをぴんっとテーブルにはね飛ばして席を立つ。ゼインは微動だにしない。そしてそのまま出ていくのかと思われたマリルが不意に振りかえった。
「これだからマニア連中は油断ならないね。でも見つけだすなんて、さすが私の部下ってとこかな」
声は笑いを含んでいるが、目つきが鋭い。
「ゼイン?」
マリルはゼインの反応を待つように首をかしげてこちらを見ている。ゼインがこわごわといった様子で視線を向けると、今度こそマリルは微笑んだ。
「お仕事もがんばってね」
そのまま「じゃあ」と片手をあげて出て行ってしまう。なぜか牛柄の猫が舎弟のようにマリルを追っていった。
しんと家の中が静まり返る。
「ゼインさん、何をやらかしたんですか?」
沈黙に耐えかねてエリッツは口を開いた。
「いや、ちょっと待て」
めずらしく頭を抱えている。
「まさかマリルさんとジルがつながっているとは――。いや、実は途中から嫌な予感がしてた、というか最終的に確信するとこまできた。この案件は手を出すべきじゃなかったな」
ゼインは誰かに頼まれて、すでに引退した役者のジルを探していたのだろう。しかしジルを騒がしいファンたちからかくまっていたのは、マリルだったという話か。それはあまりに不運な偶然としかいいようがない。マリルは大切な人のために動いただけだし、ゼインは趣味の活動の一環としてその人を探していただけだ。まったく仕事にかかわりのないプライベートなトラブルだと考えると、状況を忘れてほほえましいような気分にすらなってしまった。
「でもちょっと褒められてたじゃないですか」
あのマリルがかくまった人を探し出すなんて結構すごいことじゃないのか。エリッツは呆然としているゼインにそう声をかけたが、冷たい視線を向けられただけだった。
「お前は本当に前向きだな」
ゼインは顔をしかめて穴の開いたテーブルをなで「修繕が面倒だ」とつぶやいた。それから例の映術のカードに手を伸ばしてから首をかしげる。
「なんだ? これ」
カードの下には折りたたまれた紙が隠れていた。ずいぶんと上等な紙である。ゼインはいぶかしげな表情でそれを開いた。
「――多少、報われた」
短い文章だったらしく、すぐに紙を元のように折りたたんでカードと一緒にポケットにしまってしまう。
「何が書いてあったんですか? ――というか、最初から何があったのか知りたいです」
エリッツはマリルの話の続きを聞けそうな予感がしてテーブルに体をのりだした。
「お前は始終ほわほわした顔しやがって。こっちはマリルさんが話してる間、冷汗がとまらなかったっての」
八つ当たりされている。
ゼインはぐいっとその場で伸びをしてから席を立つ。教えてくれないのかとしょんぼりしたエリッツだったが、ゼインは「のどが渇いた」とお茶を淹れなおしてくれる。どうやらまだ話をしてくれるようだ。
「マリルさんの話は俺に忠告するためだったとしか思えない。ジルの背後にはサティエル・ルアホルン、ゲラルド・アルジャーが父親か兄さんみたいについているってのを、えらい強調してきただろ」
「そういえば、何者なんですか? その人たち」
ゼインは少し口をつぐむ。今さら話過ぎたとでも思ったのだろうか。
「サティエル・ルアホルンはマリルさんの前任だ」
今度はエリッツの方が口をつぐむ。
「え! 指揮官!」
「ベタな反応をするな。今何をしているのかとかそういうことは聞くんじゃないぞ。ゲラルド・アルジャーはサティエルの片腕で、マリルさんの話ぶりだとおそらく親友みたいな感じだったんだろうな。よくわからんが」
ゼインでもよくわからないことがあるらしい。それともエリッツに詳しく話せないのでとぼけているのか。
「後はマリルさんのおっしゃる通りだ」
ゼインは大げさに肩をすくめて見せた。
「すみません。まったくわかりません」
またいつも通り小馬鹿にされるかと思ったが、ゼインはちらりとエリッツを見ると「これは俺の趣味の話だからな」と口を開く。
「長くレジスの劇場に通っていたりすると、情報交換なんかをする知り合いができるわけなんだよな。これはリグロフィス候にもらった」
そういって先ほどの映術のカードを見せた。リグロフィス候というとジルをはじめに評価した裕福な演劇マニアではなかったか。
「それから今回のことはルーサス・ミリルディアから頼まれた。似たような知り合いでおおよそ演劇ファンって感じの兄ちゃんじゃないんだがな。おそろしく頭の切れる男で金も人望もある。そいつが『あんたならジルを見つけられるだろう?』って、こう来た。言っとくが俺はヘマをした覚えはないぞ」
でもそれはバレているのではないか。ゼインの素性を見抜くなんて相当に観察力のある人なのだろう。
「マリルさんのさっきの話を聞いて納得したよ。別に演劇が好きなんじゃなくてジルを追いかけていたんだな。そんでもって間諜組織にも接触した経験があった、と。つまり、ていよく利用されちまったわけだ」
ゼインは肩をすくめてため息をつく。さほどこたえているという様子には見えない。
「ジルほど演劇を愛している役者が若くして引退するわけがないと、リグロフィス候も金持ちには見えないような格好で酒飲みながらまくしたてるし、俺自身も早すぎる引退がもったいないと思ってた。そりゃ、まぁ、居所を探して無事を確認することくらいやぶさかではないわけだ」
経緯が見えてきた。本当にゼインはただ趣味の領域でジルを探し出したに過ぎなかった。しかも何かをしようとしたわけではなくて、ただ突然の引退を不審に感じ、ちょっと調べてみるくらいの軽いノリだったのだろう。ただかくまったのがマリルだったので大変な目に遭ったのだ。
しかしマリルの方も「やめろ」と一言おどせば済んだだろうに、丁寧に事情を説明してくれたのだからゼインのことを大切には感じているらしい。
エリッツは暗殺用のナイフが突き立っていたテーブルの穴から目をそらした。
とにかくマリルの話をかんがみるに、ジルの引退は父親のことなどが関係しているに違いない。そうなるともうファンといえども邪魔立てすることはできないだろう。
「それで、さっきの紙にはなんて書いてあったんですか?」
ゼインは少しめんどくさそうな顔をしながらも、ポケットに手をつっこむ。
「私信を勝手に見るもんじゃないが、こんなとこに適当に置いてったのはマリルさんだからな」
エリッツは受け取った紙をそっと広げてみる。
『ボタンはお望みの形でお返しします。ジル』
そう書いてあった。
意味を理解するのに結構かかってしまった。
「――いい話ですね」
「最後までほわほわした顔しやがって」
今回は散々な目に遭ってしまったゼインの舌打ちが聞こえた。
両親を失ったジルという少女が演劇場の雑用から有名な役者になってゆく話は本の中の成功物語みたいでつい聞き入ってしまった。
「でももう引退しちゃったんですよね。ちょっと見てみたかったな」
きっと子供の頃から才能があったのだろう。偶然見出されたとはいえ、その後もずっと人気が続いたのだから、本物だったに違いない。特に特筆すべき特技を持ち合わせていないエリッツなどは羨ましく感じてしまう。
そういえばマリルは自分の話をあまりしないイメージだったが、きょうは大盤振る舞いといった感じだ。マリルの話というよりはジルの話なのだが、親しい人の話をするのも初めて聞いた。ジルはマリルのお姉さんのような存在だったのだろうか。
「それでさ。これはどうしたの? なかなか手に入らない物だよ?」
マリルは例のジルの映術のカードを指先でつまんで見せた。
『え?』
ゼインとエリッツの声が重なる。
確かゼインはポケットに入れていたはずなのにいつの間にとったんだろう。
「べ、別にそんなことどうでもいいでしょう。こんなのただの趣味ですから」
ゼインは妙にバツの悪そうな顔をしている。その話題には触れてほしくないようだ。今日ははじめから様子がおかしかった。間違いなく何かを隠している。
不穏な沈黙が続く。
だんっと大きな音がしてエリッツは一瞬目をつぶった。目を開けると、ほっそりとしたナイフがテーブルに突き立っている。見覚えがあった。暗殺に使うやつだ。
「私がこの長い話をした理由がわかる? あなたの趣味友達にはそっとしておいてと伝えて」
それだけいうと、手にしていたカードをぴんっとテーブルにはね飛ばして席を立つ。ゼインは微動だにしない。そしてそのまま出ていくのかと思われたマリルが不意に振りかえった。
「これだからマニア連中は油断ならないね。でも見つけだすなんて、さすが私の部下ってとこかな」
声は笑いを含んでいるが、目つきが鋭い。
「ゼイン?」
マリルはゼインの反応を待つように首をかしげてこちらを見ている。ゼインがこわごわといった様子で視線を向けると、今度こそマリルは微笑んだ。
「お仕事もがんばってね」
そのまま「じゃあ」と片手をあげて出て行ってしまう。なぜか牛柄の猫が舎弟のようにマリルを追っていった。
しんと家の中が静まり返る。
「ゼインさん、何をやらかしたんですか?」
沈黙に耐えかねてエリッツは口を開いた。
「いや、ちょっと待て」
めずらしく頭を抱えている。
「まさかマリルさんとジルがつながっているとは――。いや、実は途中から嫌な予感がしてた、というか最終的に確信するとこまできた。この案件は手を出すべきじゃなかったな」
ゼインは誰かに頼まれて、すでに引退した役者のジルを探していたのだろう。しかしジルを騒がしいファンたちからかくまっていたのは、マリルだったという話か。それはあまりに不運な偶然としかいいようがない。マリルは大切な人のために動いただけだし、ゼインは趣味の活動の一環としてその人を探していただけだ。まったく仕事にかかわりのないプライベートなトラブルだと考えると、状況を忘れてほほえましいような気分にすらなってしまった。
「でもちょっと褒められてたじゃないですか」
あのマリルがかくまった人を探し出すなんて結構すごいことじゃないのか。エリッツは呆然としているゼインにそう声をかけたが、冷たい視線を向けられただけだった。
「お前は本当に前向きだな」
ゼインは顔をしかめて穴の開いたテーブルをなで「修繕が面倒だ」とつぶやいた。それから例の映術のカードに手を伸ばしてから首をかしげる。
「なんだ? これ」
カードの下には折りたたまれた紙が隠れていた。ずいぶんと上等な紙である。ゼインはいぶかしげな表情でそれを開いた。
「――多少、報われた」
短い文章だったらしく、すぐに紙を元のように折りたたんでカードと一緒にポケットにしまってしまう。
「何が書いてあったんですか? ――というか、最初から何があったのか知りたいです」
エリッツはマリルの話の続きを聞けそうな予感がしてテーブルに体をのりだした。
「お前は始終ほわほわした顔しやがって。こっちはマリルさんが話してる間、冷汗がとまらなかったっての」
八つ当たりされている。
ゼインはぐいっとその場で伸びをしてから席を立つ。教えてくれないのかとしょんぼりしたエリッツだったが、ゼインは「のどが渇いた」とお茶を淹れなおしてくれる。どうやらまだ話をしてくれるようだ。
「マリルさんの話は俺に忠告するためだったとしか思えない。ジルの背後にはサティエル・ルアホルン、ゲラルド・アルジャーが父親か兄さんみたいについているってのを、えらい強調してきただろ」
「そういえば、何者なんですか? その人たち」
ゼインは少し口をつぐむ。今さら話過ぎたとでも思ったのだろうか。
「サティエル・ルアホルンはマリルさんの前任だ」
今度はエリッツの方が口をつぐむ。
「え! 指揮官!」
「ベタな反応をするな。今何をしているのかとかそういうことは聞くんじゃないぞ。ゲラルド・アルジャーはサティエルの片腕で、マリルさんの話ぶりだとおそらく親友みたいな感じだったんだろうな。よくわからんが」
ゼインでもよくわからないことがあるらしい。それともエリッツに詳しく話せないのでとぼけているのか。
「後はマリルさんのおっしゃる通りだ」
ゼインは大げさに肩をすくめて見せた。
「すみません。まったくわかりません」
またいつも通り小馬鹿にされるかと思ったが、ゼインはちらりとエリッツを見ると「これは俺の趣味の話だからな」と口を開く。
「長くレジスの劇場に通っていたりすると、情報交換なんかをする知り合いができるわけなんだよな。これはリグロフィス候にもらった」
そういって先ほどの映術のカードを見せた。リグロフィス候というとジルをはじめに評価した裕福な演劇マニアではなかったか。
「それから今回のことはルーサス・ミリルディアから頼まれた。似たような知り合いでおおよそ演劇ファンって感じの兄ちゃんじゃないんだがな。おそろしく頭の切れる男で金も人望もある。そいつが『あんたならジルを見つけられるだろう?』って、こう来た。言っとくが俺はヘマをした覚えはないぞ」
でもそれはバレているのではないか。ゼインの素性を見抜くなんて相当に観察力のある人なのだろう。
「マリルさんのさっきの話を聞いて納得したよ。別に演劇が好きなんじゃなくてジルを追いかけていたんだな。そんでもって間諜組織にも接触した経験があった、と。つまり、ていよく利用されちまったわけだ」
ゼインは肩をすくめてため息をつく。さほどこたえているという様子には見えない。
「ジルほど演劇を愛している役者が若くして引退するわけがないと、リグロフィス候も金持ちには見えないような格好で酒飲みながらまくしたてるし、俺自身も早すぎる引退がもったいないと思ってた。そりゃ、まぁ、居所を探して無事を確認することくらいやぶさかではないわけだ」
経緯が見えてきた。本当にゼインはただ趣味の領域でジルを探し出したに過ぎなかった。しかも何かをしようとしたわけではなくて、ただ突然の引退を不審に感じ、ちょっと調べてみるくらいの軽いノリだったのだろう。ただかくまったのがマリルだったので大変な目に遭ったのだ。
しかしマリルの方も「やめろ」と一言おどせば済んだだろうに、丁寧に事情を説明してくれたのだからゼインのことを大切には感じているらしい。
エリッツは暗殺用のナイフが突き立っていたテーブルの穴から目をそらした。
とにかくマリルの話をかんがみるに、ジルの引退は父親のことなどが関係しているに違いない。そうなるともうファンといえども邪魔立てすることはできないだろう。
「それで、さっきの紙にはなんて書いてあったんですか?」
ゼインは少しめんどくさそうな顔をしながらも、ポケットに手をつっこむ。
「私信を勝手に見るもんじゃないが、こんなとこに適当に置いてったのはマリルさんだからな」
エリッツは受け取った紙をそっと広げてみる。
『ボタンはお望みの形でお返しします。ジル』
そう書いてあった。
意味を理解するのに結構かかってしまった。
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