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第八章 とある一日
第百八十二話 とある一日(3)
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「乾杯!」
パーシーは掲げた木のカップを勢いよくジェフとザグリーのカップにぶつける。
場所はいつもの通りイゴルデである。
「いやー、まさかお前に先を越されるとはな」
ジェフは早速ソーセージにかぶりつく。
「ほんとだよ。よく報告書とか真っ白のままぼんやりしてたくせに」
ザグリーも骨付きの鶏肉に手を伸ばした。
三人ともめずらしくきちんと制服を着ている。いつもきちんとしていないわけではないが、ちょっとした式の際は薄手ではあるものの礼服に当たる上着を着て来ることになっている。今日はそのちょっとした式であった。本当にちょっとしたもので、通常業務の間にさしはさまれるような形である。それはパーシーを含む昇進者たちの任命式だった。
パーシーは出世したのだ。――とはいえ、実はさほど待遇が変わるわけではない。「取りまとめ役」という地味な役職である。何を取りまとめるのかというと――わからない。シフトは役所の所長が管理するので見回り役人の取りまとめ役という意味ではない。かつて何らかの取りまとめを任されたのであろう役職が形骸化したものと思われる。そもそも「取りまとめ役」という役職はパーシーたちが所属している役所に十数人いる。ちょっと長くこの仕事をしていれば、自動的にそうなるというような感じだろうか。この三人の中でもパーシーが一番古参といえなくもない(ほんの少しの差だが)。もちろん郷里のみんなが期待していたようなお城の大臣にはスサリオ山の尾根より遠い。それにこの昇進はパーシー自身の手柄ではないものが加味されている可能性もある。
少し前の武器の密売事件に思いを馳せそうになり、あわてて頭をふる。せっかくジェフとザグリーが祝ってくれるというのだから、とりあえず今日のところは面倒なことを考えるのをやめよう。そうはいっても二人は夜勤が入っているらしいので、ほんのわずかな憩いの時間である。
「なんでこういうの、夏に多いんだろうな。昇進とかそういう系のイベントとか」
仲間二人にひとしきりお祝いの言葉をもらい落ち着いた後、ふっとジェフが口を開いた。薄手とはいえ上着は暑くて邪魔なので、みな早々に脱いでいる。
「レジスは国で決まった宗教はないけど、太陽神の信者が多いからな」
ザグリーが当たり前のようにさらりと口にした。パーシーの故郷も土地は畑がほとんどで例にもれず太陽神を信仰している。だからなんとなく肌感覚で理解できた。
「どういうことだよ」
二人が当たり前のような顔をしているのが気に食わないのか、ジェフは少しむっとする。
「さすが街生まれの街育ち、都会の男」
ザグリーの故郷もパーシーと似たような片田舎だ。ジェフだけが、レジス城下の生まれである。
「太陽神の祝福を受けるためだ。夏が一番太陽の力が強いと考えられている。こう暑くちゃそう考えるのは自然だな」
ザグリーは言いながら早くも腕をまくっている。
この時期、畑の作物も夏の日差しを浴びてすくすくと伸びてゆく。太陽神の祝福という概念はそれを見ながら育ったパーシーにとって身近なものであった。田舎でも夏は太陽神関係の祭事をたくさん行う。パーシー自身も村にいた頃は毎日きちんと太陽神にお祈りをして祭事にも積極的に参加していた。しかし街に出て土を触る生活から離れてしまうと、そういった習慣も遠く感じる。
「あ、そういえばこの間さ、座敷犬くん来てたよ」
「えっ! どこに? どうして?」
パーシーは思わず立ち上がる。
「おい、なにやってんだ」
ジェフが倒れそうになった自身のカップを持ち上げて避難させた。
「役所に。人を探してたみたいだったな」
「僕を?」
「いや。なんでだよ」
座敷犬さんは前の武器密輸事件で知り合った人だが、実のところ何者なのかはよく知らない。ただ、いい人であることは確かでパーシーは探すともなく探していた。また一緒にゲームをしたり、話をしたりしてみたい。あれから暇な時はここでダウレを観戦したりして、少しずつだがパーシーも強くなっている――気がするのだ。
「そういや、エリッツって名前らしいよ。座敷犬くん」
名前がわかってもこの広いレジスで探すことは困難だ。共通の友達であるゼインにそれとなくつないでもらえるよう頼んでいたがいまだ反応がない。
「他には何か言ってた?」
そのとき辺りの空気がざわりとわき立った。みな密かに戸口の方を気にしている。そちらへ目をやるとおしゃれな感じの男性二人が入店してきた。パーシーなんかはよくわからないほど洗練されている。一見してただものではない。
「おい、あれ」
「久々に見たな。市街警備軍の……」
「しっ、聞こえるぞ」
それからふわっと深みのある魚のにおいがただよってくる。なんなんだ一体。
「どこかで見たことあると思ったらやっぱり」
ザグリーが慎重に声をひそめる。
「ああ。私服だからよくわからなかったけど、やっぱそうだよな」
ジェフもうなずいている。市街警備軍といえば、町役人はよく知っている。見回り中の手に負えない、主に刃傷系のトラブルは軍に通報と決まっているからだ。だが市街警備軍の詰所にあんなスマートな雰囲気の男性たちがいただろうか。
「えーっと……」
パーシーだけがピンと来ていないようだ。
「普通の通報くらいじゃ見かけることはないかもしれんな。俺も見かけたのは偶然の一回だけだ」
「ああ。俺も似たようなもんだ。知らない町役人がいても不思議じゃない。手前の人はなんだかわからないが、奥のシュッとした感じのお方は市街警備軍の司令塔だ」
パーシーは驚いてもう一度戸口の方へ目をやる。イゴルデはいつも通り「いらっしゃい」と、気負った様子は皆無だが、周りの視線がすごい。なぜか軍服の男が荷物をいっぱいに抱えて付き従うように入ってくる。また魚のにおいがした。
「なんであんな大量にススウオなんて。あと、アレは米か?」
ススウオは石のように固くなるまで乾燥させて保存食として利用したり、削り出して煮物などに魚の風味をつけたりするのに使う、らしい。家主のおばさんにそう聞いたことがある。あんなにたくさん買ってぱくぱく食べるような代物ではないはずだ。
米はパーシーの故郷のラフタルでもよくとれた。しかしレジス城下ではあまりメインで食べる文化はない。蒸したものを付け合わせにしたり、家畜やペットの飼料としてつかわれる。
しかしなんでそんなものを大量に担いだ軍人を従えてイゴルデに来ているのだろう。仕事中という感じでもないし、休日のショッピングというにはあまりにも所帯染みた買い物だ。
「何なんだろうな」
ジェフもザグリーもパーシー同様に首を傾げていた。
しかし軍人というのは汗臭いイメージだったが、異様なまでにスタイリッシュだ。パーシーはファッションの知識が皆無で、何がどうとかは説明できない。黒っぽい色でそろえたらしい薄手の上下に袖口からのぞく淡いブルーのシャツが涼やかだ。胸元のポケットからは同色のチーフがのぞいているが、あえてそうしているのか無造作である。アクセサリー類をつけているわけではないのになんとなく華やかな感じがすると思ったら、銀色のカフスボタンだ。ペアであることは間違いないが、左右のデザインが違っている。
なんだかよくわからないが、とにかくおしゃれなのは確かだった。上半身裸かそれに近い格好をしているこの店の客の中では異様なまでにういている。
目立つ二人は空いている席に腰かけ、ダウレの盤を出してもらっていた。どうやらゲームをはじめるようだ。遠巻きに見守っていた客たちが、めずらしく遠慮がちな様子で二人の周りに集まり、当たり前のように観戦する雰囲気になっている。いつものようにやいやい騒ぎ出さないので、別の店に来ているかのようだ。
「聞いた話だと、ものすごく強いらしいよ」
ザグリーがぽつりとつぶやくように言った。
「見に行ってもいいかな」
パーシーは勢いよく席を立つ。
「こんなチャンスないもんな」
ジェフもカップを持って立ち上がり、ザグリーもそれにならった。
実はパーシーの勧めで二人ともダウレをやりはじめていた。みんなかろうじてルールがわかるところからのスタートである。強い人たちのゲームを観戦するのは上達のヒントになるに違いない。
パーシーは掲げた木のカップを勢いよくジェフとザグリーのカップにぶつける。
場所はいつもの通りイゴルデである。
「いやー、まさかお前に先を越されるとはな」
ジェフは早速ソーセージにかぶりつく。
「ほんとだよ。よく報告書とか真っ白のままぼんやりしてたくせに」
ザグリーも骨付きの鶏肉に手を伸ばした。
三人ともめずらしくきちんと制服を着ている。いつもきちんとしていないわけではないが、ちょっとした式の際は薄手ではあるものの礼服に当たる上着を着て来ることになっている。今日はそのちょっとした式であった。本当にちょっとしたもので、通常業務の間にさしはさまれるような形である。それはパーシーを含む昇進者たちの任命式だった。
パーシーは出世したのだ。――とはいえ、実はさほど待遇が変わるわけではない。「取りまとめ役」という地味な役職である。何を取りまとめるのかというと――わからない。シフトは役所の所長が管理するので見回り役人の取りまとめ役という意味ではない。かつて何らかの取りまとめを任されたのであろう役職が形骸化したものと思われる。そもそも「取りまとめ役」という役職はパーシーたちが所属している役所に十数人いる。ちょっと長くこの仕事をしていれば、自動的にそうなるというような感じだろうか。この三人の中でもパーシーが一番古参といえなくもない(ほんの少しの差だが)。もちろん郷里のみんなが期待していたようなお城の大臣にはスサリオ山の尾根より遠い。それにこの昇進はパーシー自身の手柄ではないものが加味されている可能性もある。
少し前の武器の密売事件に思いを馳せそうになり、あわてて頭をふる。せっかくジェフとザグリーが祝ってくれるというのだから、とりあえず今日のところは面倒なことを考えるのをやめよう。そうはいっても二人は夜勤が入っているらしいので、ほんのわずかな憩いの時間である。
「なんでこういうの、夏に多いんだろうな。昇進とかそういう系のイベントとか」
仲間二人にひとしきりお祝いの言葉をもらい落ち着いた後、ふっとジェフが口を開いた。薄手とはいえ上着は暑くて邪魔なので、みな早々に脱いでいる。
「レジスは国で決まった宗教はないけど、太陽神の信者が多いからな」
ザグリーが当たり前のようにさらりと口にした。パーシーの故郷も土地は畑がほとんどで例にもれず太陽神を信仰している。だからなんとなく肌感覚で理解できた。
「どういうことだよ」
二人が当たり前のような顔をしているのが気に食わないのか、ジェフは少しむっとする。
「さすが街生まれの街育ち、都会の男」
ザグリーの故郷もパーシーと似たような片田舎だ。ジェフだけが、レジス城下の生まれである。
「太陽神の祝福を受けるためだ。夏が一番太陽の力が強いと考えられている。こう暑くちゃそう考えるのは自然だな」
ザグリーは言いながら早くも腕をまくっている。
この時期、畑の作物も夏の日差しを浴びてすくすくと伸びてゆく。太陽神の祝福という概念はそれを見ながら育ったパーシーにとって身近なものであった。田舎でも夏は太陽神関係の祭事をたくさん行う。パーシー自身も村にいた頃は毎日きちんと太陽神にお祈りをして祭事にも積極的に参加していた。しかし街に出て土を触る生活から離れてしまうと、そういった習慣も遠く感じる。
「あ、そういえばこの間さ、座敷犬くん来てたよ」
「えっ! どこに? どうして?」
パーシーは思わず立ち上がる。
「おい、なにやってんだ」
ジェフが倒れそうになった自身のカップを持ち上げて避難させた。
「役所に。人を探してたみたいだったな」
「僕を?」
「いや。なんでだよ」
座敷犬さんは前の武器密輸事件で知り合った人だが、実のところ何者なのかはよく知らない。ただ、いい人であることは確かでパーシーは探すともなく探していた。また一緒にゲームをしたり、話をしたりしてみたい。あれから暇な時はここでダウレを観戦したりして、少しずつだがパーシーも強くなっている――気がするのだ。
「そういや、エリッツって名前らしいよ。座敷犬くん」
名前がわかってもこの広いレジスで探すことは困難だ。共通の友達であるゼインにそれとなくつないでもらえるよう頼んでいたがいまだ反応がない。
「他には何か言ってた?」
そのとき辺りの空気がざわりとわき立った。みな密かに戸口の方を気にしている。そちらへ目をやるとおしゃれな感じの男性二人が入店してきた。パーシーなんかはよくわからないほど洗練されている。一見してただものではない。
「おい、あれ」
「久々に見たな。市街警備軍の……」
「しっ、聞こえるぞ」
それからふわっと深みのある魚のにおいがただよってくる。なんなんだ一体。
「どこかで見たことあると思ったらやっぱり」
ザグリーが慎重に声をひそめる。
「ああ。私服だからよくわからなかったけど、やっぱそうだよな」
ジェフもうなずいている。市街警備軍といえば、町役人はよく知っている。見回り中の手に負えない、主に刃傷系のトラブルは軍に通報と決まっているからだ。だが市街警備軍の詰所にあんなスマートな雰囲気の男性たちがいただろうか。
「えーっと……」
パーシーだけがピンと来ていないようだ。
「普通の通報くらいじゃ見かけることはないかもしれんな。俺も見かけたのは偶然の一回だけだ」
「ああ。俺も似たようなもんだ。知らない町役人がいても不思議じゃない。手前の人はなんだかわからないが、奥のシュッとした感じのお方は市街警備軍の司令塔だ」
パーシーは驚いてもう一度戸口の方へ目をやる。イゴルデはいつも通り「いらっしゃい」と、気負った様子は皆無だが、周りの視線がすごい。なぜか軍服の男が荷物をいっぱいに抱えて付き従うように入ってくる。また魚のにおいがした。
「なんであんな大量にススウオなんて。あと、アレは米か?」
ススウオは石のように固くなるまで乾燥させて保存食として利用したり、削り出して煮物などに魚の風味をつけたりするのに使う、らしい。家主のおばさんにそう聞いたことがある。あんなにたくさん買ってぱくぱく食べるような代物ではないはずだ。
米はパーシーの故郷のラフタルでもよくとれた。しかしレジス城下ではあまりメインで食べる文化はない。蒸したものを付け合わせにしたり、家畜やペットの飼料としてつかわれる。
しかしなんでそんなものを大量に担いだ軍人を従えてイゴルデに来ているのだろう。仕事中という感じでもないし、休日のショッピングというにはあまりにも所帯染みた買い物だ。
「何なんだろうな」
ジェフもザグリーもパーシー同様に首を傾げていた。
しかし軍人というのは汗臭いイメージだったが、異様なまでにスタイリッシュだ。パーシーはファッションの知識が皆無で、何がどうとかは説明できない。黒っぽい色でそろえたらしい薄手の上下に袖口からのぞく淡いブルーのシャツが涼やかだ。胸元のポケットからは同色のチーフがのぞいているが、あえてそうしているのか無造作である。アクセサリー類をつけているわけではないのになんとなく華やかな感じがすると思ったら、銀色のカフスボタンだ。ペアであることは間違いないが、左右のデザインが違っている。
なんだかよくわからないが、とにかくおしゃれなのは確かだった。上半身裸かそれに近い格好をしているこの店の客の中では異様なまでにういている。
目立つ二人は空いている席に腰かけ、ダウレの盤を出してもらっていた。どうやらゲームをはじめるようだ。遠巻きに見守っていた客たちが、めずらしく遠慮がちな様子で二人の周りに集まり、当たり前のように観戦する雰囲気になっている。いつものようにやいやい騒ぎ出さないので、別の店に来ているかのようだ。
「聞いた話だと、ものすごく強いらしいよ」
ザグリーがぽつりとつぶやくように言った。
「見に行ってもいいかな」
パーシーは勢いよく席を立つ。
「こんなチャンスないもんな」
ジェフもカップを持って立ち上がり、ザグリーもそれにならった。
実はパーシーの勧めで二人ともダウレをやりはじめていた。みんなかろうじてルールがわかるところからのスタートである。強い人たちのゲームを観戦するのは上達のヒントになるに違いない。
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