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第七章 盛夏の逃げ水
第百五十二話 盛夏の逃げ水(17)
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豪奢な飾りのついたカーテンの隙間から日が差している。いつものように目を覚ますと、小さな話し声が聞こえ、いつもと同じではないことを思いだす。
「どこへお出かけだったんですか?」
「ちょっとね。おもしろかったよ。すごく」
声は二人だ。ひそめられた声だが内容を聞こうと耳をすませばわかる。連中は寝室の隣に詰めていた。側近たちが身元は確かだというのでそれ以上は興味がないが、毎日何をやっているのだろう。
「危険なので一人で出歩かないでください」
「大丈夫だよ。馬車を出してもらったし護衛もついた」
「観光ではありませんよ」
「僕は好きなことしかしないんだ」
連中はここ最近ずっといる。妹を探してくれると請け負ってくれたが、成果があがっていない。いや、居場所はわかっているはずだ。何もしようとしないといった方がいいだろうか。だが早くしろと怒鳴りつけるのも面倒くさい。
妹を探して、連れ戻して、それから……。
それからどうするんだ?
隣室に控えていた侍女たちが主の目を覚ました気配を察知して、洗面の道具や着替え、朝食を決まり通り順番に持ってくる。されるがままに身支度を整えるが、特にやることはない。強いていえば座っているくらいか。
とりあえず書き物机に向かって座る。退屈だ。本棚の本を一冊取り出す。手垢ひとつついていない。これは読んでいない本なのだから当然だ。本をたくさん読んだこともあるような気がするがこの部屋ではないのだろう。何かが違う。本をぱらぱらとめくる。文字は読めるが、内容は入ってこない。何が書いてあるのかはわかるが、中身がすべってゆく。
収穫量、ただし、河川、害獣、さすれば、すべからく、伝染病、治水、また、領土、穀物、飢饉、重要である――何の本だろう。
本を書き物机の脇に寄せる。本棚に戻す気力はなかった。なぜ本を開いたんだろう。
妹を探して、連れ戻して、それから……。
「アッシュグレン様、お薬の時間です」
自分はどうやら具合が悪いらしい。「入れ」と声をかけるのもわずらわしい。黙っていると「失礼します」と若い男が銀の盆に小さな水差しのようなものをのせて入ってきた。彼は側近の――さて、誰だったか。
「ところで見つかったのか。妹の――」
妹の名は何だったか。早く見つけなくてはならないということしかわからない。
「しばらくは薬を飲んでゆっくりと休んでください」
透明な玻璃の水差しの中にはうっすらと黄みを帯びた液体が入っている。以前、冷ました煎じ薬だと聞いた気がする。そういえば毎日飲んでいる。
「毒味をさせていただきます」
いつの間にか隣の部屋に詰めていた二人が戸口に立っている。一人は退屈そうに大あくびをしていた。
「毒ではない薬だ」
側近の男がわずかに声を荒げる。
「そうでしょうね」
言いながら男はさっと水差しを取り上げ、どこかから小さな皿のようなものを出した。そこへ少しだけ液体をそそぐ。そしてにおいをかいでからためらいなく皿の液体を飲み干した。
毒味をやるということはたいした身分のものでもないのだろう。なぜここにいるのだ。やはり追い出した方がいいのかもしれない。妹を見つけるという約束も果たしてくれないのだし。もしかしたら詐欺師だろうか。どうしてこの部屋にいるんだ。
「おいしい?」
隣にいた男が興味深げに毒味をした男に問いかける。
「おいしいわけないじゃないですか」
「おいしい可能性はゼロじゃないよね」
「はいそうですね。おいしくはありません」
毒味をした男はやや面倒くさそうである。
「今日もきちんとした薬のようですね」
側近の方に向き直り男は「今日も」というところを強調するようないい方をする。おぼろげながらこのやりとりは何度か見ている気がする。
「当たり前です」
側近の男がいよいよ声を荒げると毒味の男は「当たり前、ですか?」と、何かを含んだようないい回しをする。なぜか側近の男はうつむき加減に黙りこみ、薬を小さなグラスにそそぐ。
「また夕方に参ります」
そう言ってそそくさと部屋を出ていってしまった。
言われるままにグラスを手にして薬を飲んだ。確かにおいしくはない。青臭いような妙な味がするが毒味の男が無事なのだから問題ないのだろう。
薬に気を取られている間に毒味の男たちがまた何かひそひそと話をしながら部屋を出て行こうとする。また特に中身のないくだらない会話をしているようだ。妹はどうなったのか何も報告がない。
「妹は――まだなのか」
男たちが振り返る。
「妹だ。まだ連れ戻せないのか」
二人は顔を見合わせている。
「この間もいったよねー。アシュレイアちゃんはロイの王族だっていってるヤツにとらえられてるんだってば。ねー?」
子供のように首を傾げて隣の毒味の男を軽く見上げる。
「それは噂にすぎません」
男は苦々しい表情を浮かべて顔をそらす。
「ロイとはなんだ?」
聞いたことがあるような、ないような。確かにこの会話は以前もあったよう気がしてくる。
「何回か説明したけど、ここからずっと北東の方にあった小さい国。もうないよ」
少し飽きてきたような顔で窓の外を見たりしながらいっている。さっきからなかなか無礼な男だ。しかも偉そうである。自分にこんな態度をとる者はここにはいないはずだ。
「もうない?」
聞き返すも返答はない。
「ええ、国土はラインデル帝国に取られています」
すっかり気がのらなくなった様子の無礼な男にかわり、毒味の男が言葉を足した。無礼な男は急にその場に座りこみ帳面に何かを書いたり、指を折って計算をしているようなしぐさをはじめた。完全にこちらに興味を失った様子だ。本当に無礼だ。
「なぜそんな国の王族が妹を?」
「それはただの噂です」
「なぜそんな噂がたつ?」
「それはわかりません」
なんだか無性に腹が立ってきた。
「無事なんだろうな」
「わかりません」
思わず机を叩いて立ち上がる。毒見の男はとくに驚いたような様子はない。もしかしてこの会話も何度かしているのだろうか。
だが――そうだ、妹の顔も思い出せない。これは、一体どういうことなんだ。
妹を探して、連れ戻して、それから……。それから?
そのまま椅子に腰をおろす。
「外傷による健忘と聞いていますが、長らく毒まで盛られていたようです。以前もその話をしましたがお忘れでしょう。とにかくイレート殿のいった通り今はゆっくり休んでいただくしかありません」
外傷? 毒? 一体何があったというのだ。
待て。ここはどこだ?
「ちょっと飽きてきちゃったな」
またあの無礼な男が何かを言っている。いつの間にか二人はもとの隣室に戻っていた。そういえばあいつらは何なんだ。聞き忘れてしまった。
「帰ったらいいんじゃないですか」
「あ! そういえば外ですごくおもしろいものを見たんだった」
「そうですか」
「ふーん、そういう態度なら教えてあげないよ。これを聞いたら部屋を飛び出して行くんじゃないかと思うけど、もう言わないからね」
「そうですか」
どうやらどちらかが書きものをしているのか、もしくは本でも読んでいるようで紙のこすれるような音が続いている。それからしばらくは会話が聞こえない。
「僕はちょっと用事を思いついたからでかけるよ」
無礼な男の方だろう、部屋の中を歩いているような物音がする。
「外には出ないでください」
「さあ、どうかな」
扉の開閉音がして、毒味の男が大きくため息をつくのが聞こえた。そういえばもう何日もこうやって書き物机に向かい、隣室の会話を聞くともなく聞いて過ごしていたような気がしてきた。
「どこへお出かけだったんですか?」
「ちょっとね。おもしろかったよ。すごく」
声は二人だ。ひそめられた声だが内容を聞こうと耳をすませばわかる。連中は寝室の隣に詰めていた。側近たちが身元は確かだというのでそれ以上は興味がないが、毎日何をやっているのだろう。
「危険なので一人で出歩かないでください」
「大丈夫だよ。馬車を出してもらったし護衛もついた」
「観光ではありませんよ」
「僕は好きなことしかしないんだ」
連中はここ最近ずっといる。妹を探してくれると請け負ってくれたが、成果があがっていない。いや、居場所はわかっているはずだ。何もしようとしないといった方がいいだろうか。だが早くしろと怒鳴りつけるのも面倒くさい。
妹を探して、連れ戻して、それから……。
それからどうするんだ?
隣室に控えていた侍女たちが主の目を覚ました気配を察知して、洗面の道具や着替え、朝食を決まり通り順番に持ってくる。されるがままに身支度を整えるが、特にやることはない。強いていえば座っているくらいか。
とりあえず書き物机に向かって座る。退屈だ。本棚の本を一冊取り出す。手垢ひとつついていない。これは読んでいない本なのだから当然だ。本をたくさん読んだこともあるような気がするがこの部屋ではないのだろう。何かが違う。本をぱらぱらとめくる。文字は読めるが、内容は入ってこない。何が書いてあるのかはわかるが、中身がすべってゆく。
収穫量、ただし、河川、害獣、さすれば、すべからく、伝染病、治水、また、領土、穀物、飢饉、重要である――何の本だろう。
本を書き物机の脇に寄せる。本棚に戻す気力はなかった。なぜ本を開いたんだろう。
妹を探して、連れ戻して、それから……。
「アッシュグレン様、お薬の時間です」
自分はどうやら具合が悪いらしい。「入れ」と声をかけるのもわずらわしい。黙っていると「失礼します」と若い男が銀の盆に小さな水差しのようなものをのせて入ってきた。彼は側近の――さて、誰だったか。
「ところで見つかったのか。妹の――」
妹の名は何だったか。早く見つけなくてはならないということしかわからない。
「しばらくは薬を飲んでゆっくりと休んでください」
透明な玻璃の水差しの中にはうっすらと黄みを帯びた液体が入っている。以前、冷ました煎じ薬だと聞いた気がする。そういえば毎日飲んでいる。
「毒味をさせていただきます」
いつの間にか隣の部屋に詰めていた二人が戸口に立っている。一人は退屈そうに大あくびをしていた。
「毒ではない薬だ」
側近の男がわずかに声を荒げる。
「そうでしょうね」
言いながら男はさっと水差しを取り上げ、どこかから小さな皿のようなものを出した。そこへ少しだけ液体をそそぐ。そしてにおいをかいでからためらいなく皿の液体を飲み干した。
毒味をやるということはたいした身分のものでもないのだろう。なぜここにいるのだ。やはり追い出した方がいいのかもしれない。妹を見つけるという約束も果たしてくれないのだし。もしかしたら詐欺師だろうか。どうしてこの部屋にいるんだ。
「おいしい?」
隣にいた男が興味深げに毒味をした男に問いかける。
「おいしいわけないじゃないですか」
「おいしい可能性はゼロじゃないよね」
「はいそうですね。おいしくはありません」
毒味をした男はやや面倒くさそうである。
「今日もきちんとした薬のようですね」
側近の方に向き直り男は「今日も」というところを強調するようないい方をする。おぼろげながらこのやりとりは何度か見ている気がする。
「当たり前です」
側近の男がいよいよ声を荒げると毒味の男は「当たり前、ですか?」と、何かを含んだようないい回しをする。なぜか側近の男はうつむき加減に黙りこみ、薬を小さなグラスにそそぐ。
「また夕方に参ります」
そう言ってそそくさと部屋を出ていってしまった。
言われるままにグラスを手にして薬を飲んだ。確かにおいしくはない。青臭いような妙な味がするが毒味の男が無事なのだから問題ないのだろう。
薬に気を取られている間に毒味の男たちがまた何かひそひそと話をしながら部屋を出て行こうとする。また特に中身のないくだらない会話をしているようだ。妹はどうなったのか何も報告がない。
「妹は――まだなのか」
男たちが振り返る。
「妹だ。まだ連れ戻せないのか」
二人は顔を見合わせている。
「この間もいったよねー。アシュレイアちゃんはロイの王族だっていってるヤツにとらえられてるんだってば。ねー?」
子供のように首を傾げて隣の毒味の男を軽く見上げる。
「それは噂にすぎません」
男は苦々しい表情を浮かべて顔をそらす。
「ロイとはなんだ?」
聞いたことがあるような、ないような。確かにこの会話は以前もあったよう気がしてくる。
「何回か説明したけど、ここからずっと北東の方にあった小さい国。もうないよ」
少し飽きてきたような顔で窓の外を見たりしながらいっている。さっきからなかなか無礼な男だ。しかも偉そうである。自分にこんな態度をとる者はここにはいないはずだ。
「もうない?」
聞き返すも返答はない。
「ええ、国土はラインデル帝国に取られています」
すっかり気がのらなくなった様子の無礼な男にかわり、毒味の男が言葉を足した。無礼な男は急にその場に座りこみ帳面に何かを書いたり、指を折って計算をしているようなしぐさをはじめた。完全にこちらに興味を失った様子だ。本当に無礼だ。
「なぜそんな国の王族が妹を?」
「それはただの噂です」
「なぜそんな噂がたつ?」
「それはわかりません」
なんだか無性に腹が立ってきた。
「無事なんだろうな」
「わかりません」
思わず机を叩いて立ち上がる。毒見の男はとくに驚いたような様子はない。もしかしてこの会話も何度かしているのだろうか。
だが――そうだ、妹の顔も思い出せない。これは、一体どういうことなんだ。
妹を探して、連れ戻して、それから……。それから?
そのまま椅子に腰をおろす。
「外傷による健忘と聞いていますが、長らく毒まで盛られていたようです。以前もその話をしましたがお忘れでしょう。とにかくイレート殿のいった通り今はゆっくり休んでいただくしかありません」
外傷? 毒? 一体何があったというのだ。
待て。ここはどこだ?
「ちょっと飽きてきちゃったな」
またあの無礼な男が何かを言っている。いつの間にか二人はもとの隣室に戻っていた。そういえばあいつらは何なんだ。聞き忘れてしまった。
「帰ったらいいんじゃないですか」
「あ! そういえば外ですごくおもしろいものを見たんだった」
「そうですか」
「ふーん、そういう態度なら教えてあげないよ。これを聞いたら部屋を飛び出して行くんじゃないかと思うけど、もう言わないからね」
「そうですか」
どうやらどちらかが書きものをしているのか、もしくは本でも読んでいるようで紙のこすれるような音が続いている。それからしばらくは会話が聞こえない。
「僕はちょっと用事を思いついたからでかけるよ」
無礼な男の方だろう、部屋の中を歩いているような物音がする。
「外には出ないでください」
「さあ、どうかな」
扉の開閉音がして、毒味の男が大きくため息をつくのが聞こえた。そういえばもう何日もこうやって書き物机に向かい、隣室の会話を聞くともなく聞いて過ごしていたような気がしてきた。
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