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第五章 風のわたる日
第百二十四話 風のわたる日(9)
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シェイルはそんなエリッツの髪を笑いながらなでてくれる。一瞬、すべてを忘れて声が出そうになった。ひさびさになでてもらった気がする。
「エリッツ、わたしはエチェットさんに一度も会ったことがないんです」
エリッツはハッと顔をあげる。どういう意味だろうか。会ったこともない人と婚約するということがあるのか。
「カウラニー家のお嬢さんですよ」
まるで種明かしをするかのように、笑っている。長い指がエリッツの涙をそっとぬぐってくれた。
「どういう……ことですか?」
腑に落ちたような、落ちないような、やはり頭の整理が追いつかない。
「オズバル様はわたしの養父であることに違いないのですが、カウラニー家にそのまま入れるとなるとやはりご家族の反発があるんです。きちんとした家柄ですからね。どこの何とも知れない孤児のような者を簡単に家に引き入れるわけにはいかないんです。それでオズバル様は家出中のエチェットさんをわたしの婚約者にしてしまいました。もうレジスには戻ってこないつもりらしいですからね、エチェットさんは」
「戻ってこないんですか」
「ええ。自由を愛しているんです。ほら、これを一緒に見ましょう」
そう言ってシェイルは迷うことなくエリッツの目の前で封筒から手紙を出して広げる。きれいに折りたたまれていた手紙に文面はなかった。
「わぁ、すごい」
エリッツは思わず感嘆の声をあげる。
それは見たことがないほどすばらしい絵だった。
一枚目はレンガ造りの家がどこまでも続く町並みの絵だ。建物の様式から明らかにレジスではない。歩いている人々は肩から長い布をかけているような不思議な服を着ている。帽子をかぶらされている犬もいた。家の窓には猫も描かれている。かなり細かく描きこまれた絵だ。
「どこの町でしょう。こんなの見たことがないです」
「どこでしょうね。ずっと南の方でしょうか」
二枚目の絵は老人の絵だ。石の臼のようなものの取っ手を力強く引いて何かの作業をしている。何の作業なのかはわからないが、老人の服装から同じ町での絵だとわかる。しわの細部、浮き出た手の筋まで細かく書きこまれて、まるで今にも動き出しそうな様子である。
絵は全部で七枚あった。
どれも一つの町での人々の生活や生き物、食べ物、風景が描かれている。
犬に帽子をかぶせるのはこの町では当たり前のことらしく、そんな姿の犬の絵も紙一枚を使って大きく描かれている。エリッツはこの絵が一番気に入った。こちらを見つめる得意げな黒い目がなんともいえず愛らしい。
「エリッツはよく旅行記を読んでいるので絶対に気に入ると思いました。わたしもこの手紙がとても楽しみなんです」
確かにエチェットさんの手紙はすばらしいものだった。しかしエリッツはやはり気をもんでしまう。一枚目の絵の裏に小さく「私の王子様へ。父には絶対に内緒!」と小さく書かれているのを見つけてしまったからだ。エチェットさんもシェイルのことを憎からず思っており、シェイルもおそらく同じだろう。短い文面からは余人の入りこめぬ親しみを感じた。
「エリッツ、これをこのまま解釈するのは読みが浅いですよ」
エリッツが文字を凝視していることはすぐに気づかれてしまう。
「会ったことがありませんから彼女のことはよく知りません。手紙も毎回この調子です。聞いた話によると、レジスで格の高い家の令嬢として過ごすことに息苦しさを感じていたようですね。そしてオズバル様はそんなお嬢さんの気持ちを大切にしたいと思いながらも心配で仕方ない。長い一人旅など許可できなかったんでしょう。そこでエチェットさんは勘当覚悟ですべてを捨てて家出をしてしまったようです。でも本当はオズバル様に自分の無事を知って欲しいし、この絵を見て欲しいんですよ。本気でわたしだけに宛てて送るつもりであれば『父には内緒』なんてわざわざ父親のことは書きません。わたしはちょうどいい中継ぎにされているみたいですね。書類上だけのこととはいえ婚約者に手紙を書くというのは体裁としてもちょうどいいんでしょう」
シェイルは楽しそうに笑うが、エリッツはそれでも二人の関係が気になってしまう。それを見抜いたようにシェイルが口を開いた。
「エチェットさんはもうレジスに戻るつもりがないからわたしとの婚約にも快諾してくれたんですよ。それくらいのことで父親が育てた身寄りのない人物に後ろ盾ができるのであれば利用してもらってかまわないと。でも一番はやはりオズバル様のためでしょうね」
エリッツはもう一度、エチェットの絵に目を落す。人や動物の描き方がとてもやさしい。場面の切り取り方も描きこまれた線のやわらかさも対象への愛情が感じられた。人の表情や動きを素直な気持ちで観察していることもわかる。きっとすごく素敵な人に違いない。
「オズバルさんに見せるんですか?」
「ええ。エチェットさんは無事を知らせて欲しそうなので。でも絵はわたしが全部預かっています。前の絵もありますよ。見ますか?」
「見たいです」
シェイルが出してくれた絵をエリッツは夢中になって眺めた。寒い地方の絵、暑い地方の絵、農地、大きな町、小さな村、砂漠、森、海――本当にいろんな場所が描かれていた。人も動物も植物も、まるでエリッツ自身が旅をしているように生き生きと感じられる。
そしてシェイルのいうとおり、どの手紙にも「父」という文字が入っていた。「父に言わないで」「父に見せないで」「父には秘密に」…… 。隠しようもなくオズバルのことを気にかけている。
エリッツも家出の経験はあるが、父のことなどほとんど考えなかった。
エチェットという女性はかなりの覚悟をもって自分のやりたいことと父親とどちらをとるかという選択をしたのだろう。それだけでも感服してしまう。
そして一度旅に出るという選択をしてしまった自分に少し厳しい。父親に直接手紙を書くことすら遠慮をしているようだ。
「それからエリッツ、あなたが帰省しないというので風見舞いをご実家に送ってしまいました」
そういえばそのことを忘れていた。やはり常識的に考えてせめて初年度くらいは実家に帰省した方がよかったのだろう。
「手間をかけてすみませんでした」
「いえ、ブレイデン様が気に入ってくれるといいのですが」
「何を送ってくれたんですか」
「皮です」
「皮……」
「鹿の皮です」
そういえば、ギルとバルグのどちらかわからないが、上等な織物を家族に贈ってもらったといっていなかっただろうか。好みのわからない相手には何にでも仕立てられるものを贈るというのは合理的な考えだ。
「鹿、とってきたんですか」
「はい」
忙しそうだったのに、いつの間に狩りに行ったんだろうか。
「ずいぶん前にとったものなんですけど、ちょうど人に贈るのにいい具合に仕上がってきたので、それを」
上官自らの手で風見舞いを狩ってくるなんて城内広しといえどもシェイルくらいだろう。
皮であれば靴でも鞄でもマントでも、ちょっとした道具類でも仕立てられる。わりと持ち物にはこだわりがある父は喜ぶのではないだろうか。
「ありがとうございます」
今度こそ父はエリッツがいい上官についてしっかり仕事をしているようだと認識してくれるのではないか。
「エリッツにもあります」
シェイルはまた引き出しを探るがなかなか出てこないようである。
「見つからない場所はここくらいしか思いつかなくて……」
最終的に引き出しを外している。ようやく出てきたそれは本来引き出しに仕舞うようなものではなかった。
「……」
エリッツは言葉を失う。手渡してもらった小ぶりの短剣は異国趣味のすばらしいものだった。そのほっそりと上品な柄をうやうやしく握りしめる。
柄は余計な装飾がなく質素だが吸いつくように手のひらになじみ、安物ではないことがはっきりとわかった。
シンプルですべらかな鞘を払うと、息をのむほどにうつくしい剣身があらわれる。エリッツは思わず小さなため息をついた。
よく見るとガードとの境目にわずかに装飾が見られる。どこかで見たような模様だ。
「――ありがとうございます。すごく気に入りました。ここの模様、きれいですね」
「ロイの職人に頼みました。ロイが袖にほどこす模様と同じパターンです。魔除けになりますから。今後はラヴォート殿下のそばに、護衛もかねて一緒についてもらいます」
「え!」
「もう雑務にも慣れたでしょう」
つまりシェイルの書記官、そして殿下の護衛としても働くということか。
「ずっとそばにいられるんですね」
シェイルは少一瞬首をかしげたが、結局そのままの表情でうなずく。
「会議や打ち合わせにも同行してもらいます」
そう言いながら外してしまった引き出しをはめようとガタガタと机ごとゆすっている。
渡すまで隠しておきたい贈り物だからとせまい引き出しに短剣をつっこんでしまうところがやはり少しばかり不思議な人だ。
エリッツはそっと短剣を机に置いた。何もかもがうれしすぎて自分をおさえることができない。
「これからもがんばるんで、ちょっといいでしょうか」
いいでしょうかと問いながらも、膝をついて引き出しと格闘しているシェイルの肩を引き寄せる。
「あ……」
シェイルが声を発した直後にはエリッツはすでにその唇を封じていた。
抵抗されないことをいいことに、エリッツはさらに深く口づける。頭の中心がじんとしびれて、わけがわからなくなってくる。
「はぁ、ゆ、指もいいですか……」
指もなめたいし、何なら他のモノもしゃぶりたい。
「エリッツ、落ち着いて」
シェイルは冷静にエリッツを制する。その視線の先はエリッツの背後にあった。
「ペットの分際で盛りやがって」
背後からぐいと襟首をつかまれる。
「え、ラヴォート殿下……?」
「調子に乗るなよ、このクソガキ」
いつの間にか執務室を訪れていたらしいラヴォート殿下に凶悪な顔で睨まれる。
「殿下、避暑はいかがでしたか」
シェイルだけが妙に冷静だ。
「うるさい。来いと言ったのに断りやがって。折檻だ」
ラヴォート殿下がエリッツを押しのけてシェイルの肩をつかむ。
「折檻ですか。おれも、まぜてください」
エリッツはそのラヴォート殿下の腕にしがみついた。
「なんだ、このすさまじい変態は。こんなのが俺の護衛につくのか。大丈夫なのか」
「変態ですけど、戦場での動きはすばらしいものでした。問題ないですよ」
シェイルにほめられるとくすぐったい。うれしくて笑ってしまう。
「気色が悪い。まぁ、つかえるならいいだろう。頼むぞ」
いまだにラヴォート殿下の腕にしがみついているエリッツの頭をぽんと叩く。
「がんばります。――あの、折檻は……?」
シェイルはするりと視線を外し、ラヴォート殿下は真顔でエリッツの顔を見ている。
「お前は参加するな。そこで見ていろ」
「え?」
静かだった城内にもいつの間に活気が戻っていた。
折檻はさておき、ラヴォート殿下も交えて昼食用のサンドイッチを食べ、ベリエッタにもらったキャンディを見せ、暗くなるまで休暇中の出来事を話す。気づけばエリッツのはじめての風のわたる日は思い出深いものになっていた。
「エリッツ、わたしはエチェットさんに一度も会ったことがないんです」
エリッツはハッと顔をあげる。どういう意味だろうか。会ったこともない人と婚約するということがあるのか。
「カウラニー家のお嬢さんですよ」
まるで種明かしをするかのように、笑っている。長い指がエリッツの涙をそっとぬぐってくれた。
「どういう……ことですか?」
腑に落ちたような、落ちないような、やはり頭の整理が追いつかない。
「オズバル様はわたしの養父であることに違いないのですが、カウラニー家にそのまま入れるとなるとやはりご家族の反発があるんです。きちんとした家柄ですからね。どこの何とも知れない孤児のような者を簡単に家に引き入れるわけにはいかないんです。それでオズバル様は家出中のエチェットさんをわたしの婚約者にしてしまいました。もうレジスには戻ってこないつもりらしいですからね、エチェットさんは」
「戻ってこないんですか」
「ええ。自由を愛しているんです。ほら、これを一緒に見ましょう」
そう言ってシェイルは迷うことなくエリッツの目の前で封筒から手紙を出して広げる。きれいに折りたたまれていた手紙に文面はなかった。
「わぁ、すごい」
エリッツは思わず感嘆の声をあげる。
それは見たことがないほどすばらしい絵だった。
一枚目はレンガ造りの家がどこまでも続く町並みの絵だ。建物の様式から明らかにレジスではない。歩いている人々は肩から長い布をかけているような不思議な服を着ている。帽子をかぶらされている犬もいた。家の窓には猫も描かれている。かなり細かく描きこまれた絵だ。
「どこの町でしょう。こんなの見たことがないです」
「どこでしょうね。ずっと南の方でしょうか」
二枚目の絵は老人の絵だ。石の臼のようなものの取っ手を力強く引いて何かの作業をしている。何の作業なのかはわからないが、老人の服装から同じ町での絵だとわかる。しわの細部、浮き出た手の筋まで細かく書きこまれて、まるで今にも動き出しそうな様子である。
絵は全部で七枚あった。
どれも一つの町での人々の生活や生き物、食べ物、風景が描かれている。
犬に帽子をかぶせるのはこの町では当たり前のことらしく、そんな姿の犬の絵も紙一枚を使って大きく描かれている。エリッツはこの絵が一番気に入った。こちらを見つめる得意げな黒い目がなんともいえず愛らしい。
「エリッツはよく旅行記を読んでいるので絶対に気に入ると思いました。わたしもこの手紙がとても楽しみなんです」
確かにエチェットさんの手紙はすばらしいものだった。しかしエリッツはやはり気をもんでしまう。一枚目の絵の裏に小さく「私の王子様へ。父には絶対に内緒!」と小さく書かれているのを見つけてしまったからだ。エチェットさんもシェイルのことを憎からず思っており、シェイルもおそらく同じだろう。短い文面からは余人の入りこめぬ親しみを感じた。
「エリッツ、これをこのまま解釈するのは読みが浅いですよ」
エリッツが文字を凝視していることはすぐに気づかれてしまう。
「会ったことがありませんから彼女のことはよく知りません。手紙も毎回この調子です。聞いた話によると、レジスで格の高い家の令嬢として過ごすことに息苦しさを感じていたようですね。そしてオズバル様はそんなお嬢さんの気持ちを大切にしたいと思いながらも心配で仕方ない。長い一人旅など許可できなかったんでしょう。そこでエチェットさんは勘当覚悟ですべてを捨てて家出をしてしまったようです。でも本当はオズバル様に自分の無事を知って欲しいし、この絵を見て欲しいんですよ。本気でわたしだけに宛てて送るつもりであれば『父には内緒』なんてわざわざ父親のことは書きません。わたしはちょうどいい中継ぎにされているみたいですね。書類上だけのこととはいえ婚約者に手紙を書くというのは体裁としてもちょうどいいんでしょう」
シェイルは楽しそうに笑うが、エリッツはそれでも二人の関係が気になってしまう。それを見抜いたようにシェイルが口を開いた。
「エチェットさんはもうレジスに戻るつもりがないからわたしとの婚約にも快諾してくれたんですよ。それくらいのことで父親が育てた身寄りのない人物に後ろ盾ができるのであれば利用してもらってかまわないと。でも一番はやはりオズバル様のためでしょうね」
エリッツはもう一度、エチェットの絵に目を落す。人や動物の描き方がとてもやさしい。場面の切り取り方も描きこまれた線のやわらかさも対象への愛情が感じられた。人の表情や動きを素直な気持ちで観察していることもわかる。きっとすごく素敵な人に違いない。
「オズバルさんに見せるんですか?」
「ええ。エチェットさんは無事を知らせて欲しそうなので。でも絵はわたしが全部預かっています。前の絵もありますよ。見ますか?」
「見たいです」
シェイルが出してくれた絵をエリッツは夢中になって眺めた。寒い地方の絵、暑い地方の絵、農地、大きな町、小さな村、砂漠、森、海――本当にいろんな場所が描かれていた。人も動物も植物も、まるでエリッツ自身が旅をしているように生き生きと感じられる。
そしてシェイルのいうとおり、どの手紙にも「父」という文字が入っていた。「父に言わないで」「父に見せないで」「父には秘密に」…… 。隠しようもなくオズバルのことを気にかけている。
エリッツも家出の経験はあるが、父のことなどほとんど考えなかった。
エチェットという女性はかなりの覚悟をもって自分のやりたいことと父親とどちらをとるかという選択をしたのだろう。それだけでも感服してしまう。
そして一度旅に出るという選択をしてしまった自分に少し厳しい。父親に直接手紙を書くことすら遠慮をしているようだ。
「それからエリッツ、あなたが帰省しないというので風見舞いをご実家に送ってしまいました」
そういえばそのことを忘れていた。やはり常識的に考えてせめて初年度くらいは実家に帰省した方がよかったのだろう。
「手間をかけてすみませんでした」
「いえ、ブレイデン様が気に入ってくれるといいのですが」
「何を送ってくれたんですか」
「皮です」
「皮……」
「鹿の皮です」
そういえば、ギルとバルグのどちらかわからないが、上等な織物を家族に贈ってもらったといっていなかっただろうか。好みのわからない相手には何にでも仕立てられるものを贈るというのは合理的な考えだ。
「鹿、とってきたんですか」
「はい」
忙しそうだったのに、いつの間に狩りに行ったんだろうか。
「ずいぶん前にとったものなんですけど、ちょうど人に贈るのにいい具合に仕上がってきたので、それを」
上官自らの手で風見舞いを狩ってくるなんて城内広しといえどもシェイルくらいだろう。
皮であれば靴でも鞄でもマントでも、ちょっとした道具類でも仕立てられる。わりと持ち物にはこだわりがある父は喜ぶのではないだろうか。
「ありがとうございます」
今度こそ父はエリッツがいい上官についてしっかり仕事をしているようだと認識してくれるのではないか。
「エリッツにもあります」
シェイルはまた引き出しを探るがなかなか出てこないようである。
「見つからない場所はここくらいしか思いつかなくて……」
最終的に引き出しを外している。ようやく出てきたそれは本来引き出しに仕舞うようなものではなかった。
「……」
エリッツは言葉を失う。手渡してもらった小ぶりの短剣は異国趣味のすばらしいものだった。そのほっそりと上品な柄をうやうやしく握りしめる。
柄は余計な装飾がなく質素だが吸いつくように手のひらになじみ、安物ではないことがはっきりとわかった。
シンプルですべらかな鞘を払うと、息をのむほどにうつくしい剣身があらわれる。エリッツは思わず小さなため息をついた。
よく見るとガードとの境目にわずかに装飾が見られる。どこかで見たような模様だ。
「――ありがとうございます。すごく気に入りました。ここの模様、きれいですね」
「ロイの職人に頼みました。ロイが袖にほどこす模様と同じパターンです。魔除けになりますから。今後はラヴォート殿下のそばに、護衛もかねて一緒についてもらいます」
「え!」
「もう雑務にも慣れたでしょう」
つまりシェイルの書記官、そして殿下の護衛としても働くということか。
「ずっとそばにいられるんですね」
シェイルは少一瞬首をかしげたが、結局そのままの表情でうなずく。
「会議や打ち合わせにも同行してもらいます」
そう言いながら外してしまった引き出しをはめようとガタガタと机ごとゆすっている。
渡すまで隠しておきたい贈り物だからとせまい引き出しに短剣をつっこんでしまうところがやはり少しばかり不思議な人だ。
エリッツはそっと短剣を机に置いた。何もかもがうれしすぎて自分をおさえることができない。
「これからもがんばるんで、ちょっといいでしょうか」
いいでしょうかと問いながらも、膝をついて引き出しと格闘しているシェイルの肩を引き寄せる。
「あ……」
シェイルが声を発した直後にはエリッツはすでにその唇を封じていた。
抵抗されないことをいいことに、エリッツはさらに深く口づける。頭の中心がじんとしびれて、わけがわからなくなってくる。
「はぁ、ゆ、指もいいですか……」
指もなめたいし、何なら他のモノもしゃぶりたい。
「エリッツ、落ち着いて」
シェイルは冷静にエリッツを制する。その視線の先はエリッツの背後にあった。
「ペットの分際で盛りやがって」
背後からぐいと襟首をつかまれる。
「え、ラヴォート殿下……?」
「調子に乗るなよ、このクソガキ」
いつの間にか執務室を訪れていたらしいラヴォート殿下に凶悪な顔で睨まれる。
「殿下、避暑はいかがでしたか」
シェイルだけが妙に冷静だ。
「うるさい。来いと言ったのに断りやがって。折檻だ」
ラヴォート殿下がエリッツを押しのけてシェイルの肩をつかむ。
「折檻ですか。おれも、まぜてください」
エリッツはそのラヴォート殿下の腕にしがみついた。
「なんだ、このすさまじい変態は。こんなのが俺の護衛につくのか。大丈夫なのか」
「変態ですけど、戦場での動きはすばらしいものでした。問題ないですよ」
シェイルにほめられるとくすぐったい。うれしくて笑ってしまう。
「気色が悪い。まぁ、つかえるならいいだろう。頼むぞ」
いまだにラヴォート殿下の腕にしがみついているエリッツの頭をぽんと叩く。
「がんばります。――あの、折檻は……?」
シェイルはするりと視線を外し、ラヴォート殿下は真顔でエリッツの顔を見ている。
「お前は参加するな。そこで見ていろ」
「え?」
静かだった城内にもいつの間に活気が戻っていた。
折檻はさておき、ラヴォート殿下も交えて昼食用のサンドイッチを食べ、ベリエッタにもらったキャンディを見せ、暗くなるまで休暇中の出来事を話す。気づけばエリッツのはじめての風のわたる日は思い出深いものになっていた。
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