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第一章 (仮)
第五十三話 帰宅
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一度通った道とはいえなぜ迷子にならなかったのか、あとで思い返しても不思議である。
木漏れ日にぬくもった岩場で猫が心地よさそうに背中をこすりつけていた。
帰ってきた感慨にふけることなくエリッツは押し倒さんばかりに扉をあけて家に飛びこむ。そのままかまどのある炊事場にたたずむ背中に思いきりしがみついた。
「なでてください」
「なんなんだ、このド変態。どっから出てきた」
ゼインがエリッツの体を引きはがそうとスープの椀と匙を持ったまま身じろぎをするが両手がふさがっているのでどうにもならない。
「なんでそんな息が荒いんだ。離れろ。スープがこぼれる」
叫ぶことしかできないゼインの姿をようやくみとめ、エリッツは身をはなした。と同時にぺたりと尻もちをつく。
「あ、ゼイン」
思い出したように膝が疲労をうったえはじめる。街中から走り続けたため息も苦しい。
「え、なんなの。短剣なんか下げてなんかの訓練? ってか、傷だらけじゃん」
ゼインはゼインで出先で失踪したと聞いていたエリッツが突如走りこんでしがみついてきたので意味がわからない。
腑に落ちない顔のままエリッツがいつも使っていたカップに水がめの水をそそいで渡してやる。
「いっとくけど、お前の師匠ならここにはいないよ」
冷静に考えればそうだろう。ローズガーデンはもう明後日である。ラヴォート殿下のそばについて最終的な作業に追われているはずだ。帝国からの使者も今日、明日には到着することだろうし、こんなところにいるわけがない。しかし男娼を買う余裕はあるのだ。
「おい、泣くんじゃない。スープ食べるか。うさぎだぞ、うさぎ」
ゼインは機嫌よさそうに鍋をかきまわす。
「うさぎ、まだあったんですか」
シェイルがうさぎをとってきてからもうかなり経っているのでもう残っていないと思っていた。
「これは三羽目だ。お前のお師匠さんがちょこちょことってくるんだよ。なんなんだよ、あの人。元猟師かなんかか」
口ではぶつぶついいつつもなんだか楽しそうだ。
「ほら、これ、食ってみ。うさぎジャーキー」
棚から油紙にくるまれた干乾びた肉の破片をとりだしエリッツに渡す。いつの間にか隣に猫がいて、肉をねだっている。
「お前は味のわかる猫だな」
ゼインは猫にもひとかけら肉を差しだす。どうやらゼインの手作りのようだ。
「ここで何をしてるんですか」
「何って――見ての通り。留守番?」
食堂に使われていたテーブルの上は絵具などの画材、帳面、本やキャンバスがいっぱいに広がっておりとても食事ができる状況ではない。
「まぁ、ちょっと片づけるからめしでも食えよ。ってか食わせるようにお前の師匠にいわれてるんだよ。えーっと、まず肉を食わせろ、紅茶にはちみつをたっぷりいれて飲ませろ、とにかく三食欠かさず食べさせろ、ついでに寝たら起こすな――だったかな。なんなんだよ。幼児かよ」
いいながら面倒くさくなったようで大仰にため息をつく。
「とにかく昼には遅いけど今からうさぎの肉を焼いてやる。ちょっと待ってろ」
しかしエリッツは床に尻もちをついたまま動けないでいた。
「いつまでそこに座ってるんだ。邪魔、邪魔」
「立てません」
ゼインはまた深くため息をつく。
「えー、なんなの。世話が焼けすぎて肉が焼けない」
仕方なくエリッツは這って移動し壁に背をあずけたままゼインが料理をしているのをながめていた。猫が隣でくるりと丸くなる。
なんだかゼインの手際がよくて、見ていて飽きない。塩を振る動きだけでも堂に入っている。すぐにいい香りがただよってきた。
「あ、パンだ」
「朝、パンも焼いておきましたぁ」
テーブルはすっかり片付いて、料理をはこびながらゼインは嫌そうな顔でエリッツを見おろす。
「ねぇ、マジで立てないの?」
「少しだけ手をかしてください」
心底うんざりした様子のゼインの手をかりてようやくテーブルにつくことができたエリッツは並んでいる料理を見て目を丸くした。
肉は焼いただけではなくチーズがのせられており、手の込んでいそうなソースがかかっている。スープも肉だけではなく野菜などの具材も多い。パンはふっくらとやわらかそうで、きちんとバターがそえられている。
「お師匠さんの言いつけだからな。残さず食べるように」
ゼインは得意げにそういうと自身も空腹だったのかすぐに食べはじめる。
「そんで、お前何やってたの。ダグラスんとこにいるのはシェイルさんから聞いたんだけど」
食べながらエリッツに問いかける。ゼインなら問題はなかろうとエリッツもこれまでのことを順を追って説明した。
めずらしくゼインは口をはさむことなく話を聞いていてくれたが、おそらく単に食事で口がふさがっていただけだろう。食べ終わった瞬間怒涛の勢いでまくしたてる。
「お前、お前さ、何やってんの。危なっかしいったらありゃしない」
危なっかしいというのはリファにもいわれた。エリッツはまた不安になって身を縮めた。
「どの辺が、ですか」
「全部だよ、全部。盛りだくさんでどこから手をつけたらいいかわかんねぇ。特に中の間。勝手に侵入して無事だったとかただの奇跡だからな。普通だったら問答無用で処刑だ、処刑。そこ、陛下のお住まいだぞ。それから偶然とはいえ北の王の姿を見ずにすんで命拾いしたな。これもアウトだ」
エリッツはさらに体を縮める。
「さらに、アイザック・デルゴヴァに何も知らずに単独でかかわるな。あれは真っ黒だ。帝国とつながってる。邪魔だと思えばお前くらい即刻消せる」
それをいわれても護衛の仕事をたのまれたのだから仕方ないではないか、エリッツは反論したかったが、ゼインの勢いに押されていいだせない。
「ダグラスは何を考えているんだ。何か理由があってお前を護衛につけたのか。ただのバカなのか」
「兄さんを悪くいわないでよ」
「はいはーい」
ゼインは耳の穴をいじりながら雑に返事をする。
「まじめな話、ダグラスにどういわれてアイザックの護衛を頼まれたんだ」
「別に。兄さんはアイザックさんのことを疑っている様子はなかったけど」
ゼインはいぶかしげに顎に手をやると何度も首をかしげた。最終的に「まあ、いいや」と投げやりにいうと、席を立って紅茶をいれはじめる。
エリッツはあわてて残りの食事を食べすすめた。
「そんで今って仕事中じゃないの。また走って帰るつもり?」
紅茶をすすりながらゼインが思い出したように問いかける。そもそもアイザック氏が娼館でゲームをしているところまでで話は途切れている。疑問に思うのも無理はない。
「走って帰ります」
動揺してついこんなところまで来てしまった。落ち着いて考えればとんでもないことをしでかしたという思いにさいなまれる。帰ってみんなに謝らなければならないだろう。なんて説明したらいいんだろうか。
そもそも思い返せばリファはシェイルが男娼を買ったとまではいっていなかった。エリッツは深くため息をついた。
「忙しそうだなぁ」
他人事のようにつぶやくゼインに猫が「なお」と、追従する。
「あの、ちょっと変なこと聞いていいですか」
「えー、なになに、いやらしいこと?」
ゼインは自身の両肩を抱いてなやましげなポーズをつくる。しばらくこの家にひとりでいて退屈だったのだろうか。ふざけたからみ方をしてくる。
「シェイルが男娼のいる店に――」
「まぁまぁまぁ、そういうこともあるだろう。わざわざ人の趣味にケチつけるなって。ストレスたまるんだよ。あのわがまま殿下のお世話。そういうお前も相当だぞ。っておいおい、わざわざ狙い通りに泣くなって」
頬杖をつきながらゼインは、片手をひらひらとさせる。
「あーっと、つまり、それは仕事だ。むしろお前が失踪するから悪い」
ゼインはやや焦ったように早口になる。
「男娼を買う仕事があるんですか」
「男娼を買う仕事じゃねーよ。オグデリス・デルゴヴァ好みの少年を手配する必要があったんだ。いいか、シェイルさんの書記官ってことで現況をぶっちゃけるからな。俺は後の責任はとらない」
いざ宣言されるとそれはそれでみがまえてしまう。エリッツは恐々とうなずいた。
「つかまえらんねぇんだよ」
脱力するようにいうゼインをエリッツはまじまじと見た。
木漏れ日にぬくもった岩場で猫が心地よさそうに背中をこすりつけていた。
帰ってきた感慨にふけることなくエリッツは押し倒さんばかりに扉をあけて家に飛びこむ。そのままかまどのある炊事場にたたずむ背中に思いきりしがみついた。
「なでてください」
「なんなんだ、このド変態。どっから出てきた」
ゼインがエリッツの体を引きはがそうとスープの椀と匙を持ったまま身じろぎをするが両手がふさがっているのでどうにもならない。
「なんでそんな息が荒いんだ。離れろ。スープがこぼれる」
叫ぶことしかできないゼインの姿をようやくみとめ、エリッツは身をはなした。と同時にぺたりと尻もちをつく。
「あ、ゼイン」
思い出したように膝が疲労をうったえはじめる。街中から走り続けたため息も苦しい。
「え、なんなの。短剣なんか下げてなんかの訓練? ってか、傷だらけじゃん」
ゼインはゼインで出先で失踪したと聞いていたエリッツが突如走りこんでしがみついてきたので意味がわからない。
腑に落ちない顔のままエリッツがいつも使っていたカップに水がめの水をそそいで渡してやる。
「いっとくけど、お前の師匠ならここにはいないよ」
冷静に考えればそうだろう。ローズガーデンはもう明後日である。ラヴォート殿下のそばについて最終的な作業に追われているはずだ。帝国からの使者も今日、明日には到着することだろうし、こんなところにいるわけがない。しかし男娼を買う余裕はあるのだ。
「おい、泣くんじゃない。スープ食べるか。うさぎだぞ、うさぎ」
ゼインは機嫌よさそうに鍋をかきまわす。
「うさぎ、まだあったんですか」
シェイルがうさぎをとってきてからもうかなり経っているのでもう残っていないと思っていた。
「これは三羽目だ。お前のお師匠さんがちょこちょことってくるんだよ。なんなんだよ、あの人。元猟師かなんかか」
口ではぶつぶついいつつもなんだか楽しそうだ。
「ほら、これ、食ってみ。うさぎジャーキー」
棚から油紙にくるまれた干乾びた肉の破片をとりだしエリッツに渡す。いつの間にか隣に猫がいて、肉をねだっている。
「お前は味のわかる猫だな」
ゼインは猫にもひとかけら肉を差しだす。どうやらゼインの手作りのようだ。
「ここで何をしてるんですか」
「何って――見ての通り。留守番?」
食堂に使われていたテーブルの上は絵具などの画材、帳面、本やキャンバスがいっぱいに広がっておりとても食事ができる状況ではない。
「まぁ、ちょっと片づけるからめしでも食えよ。ってか食わせるようにお前の師匠にいわれてるんだよ。えーっと、まず肉を食わせろ、紅茶にはちみつをたっぷりいれて飲ませろ、とにかく三食欠かさず食べさせろ、ついでに寝たら起こすな――だったかな。なんなんだよ。幼児かよ」
いいながら面倒くさくなったようで大仰にため息をつく。
「とにかく昼には遅いけど今からうさぎの肉を焼いてやる。ちょっと待ってろ」
しかしエリッツは床に尻もちをついたまま動けないでいた。
「いつまでそこに座ってるんだ。邪魔、邪魔」
「立てません」
ゼインはまた深くため息をつく。
「えー、なんなの。世話が焼けすぎて肉が焼けない」
仕方なくエリッツは這って移動し壁に背をあずけたままゼインが料理をしているのをながめていた。猫が隣でくるりと丸くなる。
なんだかゼインの手際がよくて、見ていて飽きない。塩を振る動きだけでも堂に入っている。すぐにいい香りがただよってきた。
「あ、パンだ」
「朝、パンも焼いておきましたぁ」
テーブルはすっかり片付いて、料理をはこびながらゼインは嫌そうな顔でエリッツを見おろす。
「ねぇ、マジで立てないの?」
「少しだけ手をかしてください」
心底うんざりした様子のゼインの手をかりてようやくテーブルにつくことができたエリッツは並んでいる料理を見て目を丸くした。
肉は焼いただけではなくチーズがのせられており、手の込んでいそうなソースがかかっている。スープも肉だけではなく野菜などの具材も多い。パンはふっくらとやわらかそうで、きちんとバターがそえられている。
「お師匠さんの言いつけだからな。残さず食べるように」
ゼインは得意げにそういうと自身も空腹だったのかすぐに食べはじめる。
「そんで、お前何やってたの。ダグラスんとこにいるのはシェイルさんから聞いたんだけど」
食べながらエリッツに問いかける。ゼインなら問題はなかろうとエリッツもこれまでのことを順を追って説明した。
めずらしくゼインは口をはさむことなく話を聞いていてくれたが、おそらく単に食事で口がふさがっていただけだろう。食べ終わった瞬間怒涛の勢いでまくしたてる。
「お前、お前さ、何やってんの。危なっかしいったらありゃしない」
危なっかしいというのはリファにもいわれた。エリッツはまた不安になって身を縮めた。
「どの辺が、ですか」
「全部だよ、全部。盛りだくさんでどこから手をつけたらいいかわかんねぇ。特に中の間。勝手に侵入して無事だったとかただの奇跡だからな。普通だったら問答無用で処刑だ、処刑。そこ、陛下のお住まいだぞ。それから偶然とはいえ北の王の姿を見ずにすんで命拾いしたな。これもアウトだ」
エリッツはさらに体を縮める。
「さらに、アイザック・デルゴヴァに何も知らずに単独でかかわるな。あれは真っ黒だ。帝国とつながってる。邪魔だと思えばお前くらい即刻消せる」
それをいわれても護衛の仕事をたのまれたのだから仕方ないではないか、エリッツは反論したかったが、ゼインの勢いに押されていいだせない。
「ダグラスは何を考えているんだ。何か理由があってお前を護衛につけたのか。ただのバカなのか」
「兄さんを悪くいわないでよ」
「はいはーい」
ゼインは耳の穴をいじりながら雑に返事をする。
「まじめな話、ダグラスにどういわれてアイザックの護衛を頼まれたんだ」
「別に。兄さんはアイザックさんのことを疑っている様子はなかったけど」
ゼインはいぶかしげに顎に手をやると何度も首をかしげた。最終的に「まあ、いいや」と投げやりにいうと、席を立って紅茶をいれはじめる。
エリッツはあわてて残りの食事を食べすすめた。
「そんで今って仕事中じゃないの。また走って帰るつもり?」
紅茶をすすりながらゼインが思い出したように問いかける。そもそもアイザック氏が娼館でゲームをしているところまでで話は途切れている。疑問に思うのも無理はない。
「走って帰ります」
動揺してついこんなところまで来てしまった。落ち着いて考えればとんでもないことをしでかしたという思いにさいなまれる。帰ってみんなに謝らなければならないだろう。なんて説明したらいいんだろうか。
そもそも思い返せばリファはシェイルが男娼を買ったとまではいっていなかった。エリッツは深くため息をついた。
「忙しそうだなぁ」
他人事のようにつぶやくゼインに猫が「なお」と、追従する。
「あの、ちょっと変なこと聞いていいですか」
「えー、なになに、いやらしいこと?」
ゼインは自身の両肩を抱いてなやましげなポーズをつくる。しばらくこの家にひとりでいて退屈だったのだろうか。ふざけたからみ方をしてくる。
「シェイルが男娼のいる店に――」
「まぁまぁまぁ、そういうこともあるだろう。わざわざ人の趣味にケチつけるなって。ストレスたまるんだよ。あのわがまま殿下のお世話。そういうお前も相当だぞ。っておいおい、わざわざ狙い通りに泣くなって」
頬杖をつきながらゼインは、片手をひらひらとさせる。
「あーっと、つまり、それは仕事だ。むしろお前が失踪するから悪い」
ゼインはやや焦ったように早口になる。
「男娼を買う仕事があるんですか」
「男娼を買う仕事じゃねーよ。オグデリス・デルゴヴァ好みの少年を手配する必要があったんだ。いいか、シェイルさんの書記官ってことで現況をぶっちゃけるからな。俺は後の責任はとらない」
いざ宣言されるとそれはそれでみがまえてしまう。エリッツは恐々とうなずいた。
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