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第一章 (仮)
第四十二話 礼拝堂
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あの人何者なんだ。
エリッツは庭師の老人を追って走りつづける。アルヴィンはともかくとして、あの歳であの動きは異常だ。庭仕事をするとそんなに鍛えられるものなのか。今日は朝から走りつづけていたのでさすがについていくのがつらい。
そして城がことのほか遠い。近くに見えていたように思ったが、どうやら王城は思っていた以上に巨大な建築物らしい。だんだんその大きさがせまってくる。
背後から人が追ってくる気配は今のところない。前方も背後も気になる。
「ほら、もうちょっとだ」
老人はふりかえってエリッツをはげます。いや、急かしているのか。やはり逃げているのではないか。
王城は近づくほどに全体が見えなくなり、巨大な壁のように立ちふさがった。そのスケールの大きさに圧倒される。美しくその姿をうつしていた水面はどうやら堀のようで橋のたもとには当然のことながら兵士たちが立っている。
立派な橋だ。
石造りでゆったりとしたアーチがいくつも連なっている。欄干は曲線を多くとりいれ優美にデザインされており、翼が生えた馬の彫刻が等間隔にならんでいた。陽光に白くかがやき、目の部分には石が入っているようで角度によって不気味に光る。にらまれているように見えて自然と走るスピードが落ちていった。
いくらなんでも庭師がここを通れるとは思えないとエリッツが思っていたら、老人もそしてアルヴィンも走っている勢いのまま橋を渡りはじめた。兵士たちは動かない。軽く視線を動かしたくらいだ。
「うそ、どうしよう」
エリッツはちょっと遅れている。呼び止められるのではないかという緊張の中、やはり前方にいる一人の兵士がエリッツに目をとめたようだった。進路をふさぐようにゆっくりと歩みよってくる。そういえば、外套で顔を隠しているのはとんでもなくあやしいに違いない。Uターンしてかけ戻りたいがそれでは余計にあやしい。走っているのか歩いているのかどっちつかずのスピードで進むうちにとうとう兵士に前方をふさがれてしまう。
「おうい、その子は連れなんだ。通しておくれ」
前方から老人の声がする。
「エリッツ、遅いよ」
アルヴィンも迷惑そうにエリッツをみる。そもそも走る必要はどこにあるんだ。
声をかけられた若い兵士は上官と思われる別の兵士と老人を交互にみてとまどっている。まだ十代にみえる。そばかすがういた顔はまだ幼く、エリッツとさして歳は変わらないだろう。
「通せ」
上官と思われる兵士は慌てたように若い兵士にむかって叫ぶ。老人の方をちらりと見てからすぐに礼をするように目を伏せた。
前をみるともう二人は走っている。アルヴィンが二人に増えたみたいだ。エリッツも遅れまいと駆けだした。見えてきた城の入口に当然警備兵がたっぷりといる。エリッツはもう帰りたくなっていた。
あの老人はどこまで顔パスで入るつもりなのだろう。堀の内側にも確かに樹木や花があるにはある。実はものすごく高名な庭師で手入れのために自由に出入りを認められているのだろうか。
建物の入口までは石畳でその両側には兵士たちの詰所のようなものありその奥には花や低木が植えられていた。もしかしてこの先にローズガーデンの会場があるのかもしれない。そもそも堀の内側なのか外側なのかもわからなかった。アルヴィンならまた根拠のないあたりをつけていそうだが。
そういえばアルヴィンはやたらとローズガーデンの会場を見たがっているようだった。おそらく北の王を守るために会場の位置関係を知りたいのだろう。それならそうと先にいってくれればエリッツは協力できたかもしれないのに。
エリッツの胸元にはシェイルにもらった紙を束ねた帳面がちゃんと入っている。娼館でシェイルは北の王や帝国の使者、他の客たちの席を含め配置を細かくラヴォート殿下に提案していた。それをきちんと言葉になおしてメモをとっている。配置図は自信がないが建物や席のざっくりとした位置くらいなら紙に再現できそうだ。もちろん変更はあるかもしれないが参考にはなるだろう。
それからエリッツはハッとする。あの配置図には建物が描かれていたではないか。ということはローズガーデンの会場となる庭はどこかの建物に隣接しているということか。それが王城なのかもっと別の建物なのかはわからないが。
考えているうちに前方の二人はどんどんいってしまう。建物に入るのかと思ったらそこで立ちどまった。入口は大きく重厚でレジスの歴史を感じさせる威厳があった。意匠を凝らした扉は開け放たれているもののずらりと警備兵たちが槍を手に並んでいる。あれで不審者を突くつもりだろうか。
さすがに待っていてくれるのかとエリッツは小走りになるが、追いつく前に二人は左横手の小道の方に足をむける。兵士の一人がアルヴィンたちに小道の先を指さして何ごとか話をしていたが、すぐに二人はそのまま小道を進んでいってしまう。
このままではまたエリッツだけ呼びとめられてしまう。
「ちょっと待ってよ」と、慌てて追いつく。
「遅いよ。この先に礼拝堂があってすごくきれいだから案内してくれるんだって」
アルヴィンもさすがに汗をかいている。空を見あげるともう太陽はずいぶんと傾いていた。夕食前までに戻るのならもうあまり時間はなかった。
「ほら、ここだよ」
小道の先には王城からつきだすような形で小さな礼拝堂がもうけられていた。あまり大きなものではない。王城にお住まいの高貴な方のためというよりは常駐している兵士たちのためのものではないかと想像する。先ほどの重厚な入口とは違ってこちらはこぢんまりとしていた。開けはなたれた扉からは不思議な光がもれている。
「さあさあ、早く」
老人は急いでいるように二人を中へ入れようと後ろから押す。正面から王城に入ればすぐに見つかってしまうからこっちにまわったということなのか。一体なにから逃げようとしているのだろう。礼拝堂にしては入口が小さく、アルヴィンが入るのを待ってからエリッツも中へと足を踏みいれる。
入った瞬間言葉を失った。
先に入ったアルヴィンもいつものように無邪気にはしゃぐことなくほうけたような顔で周りを見渡していた。
天井から壁まですべてが光かがやいている。天窓からさしている光をあますことなく堂内にめぐらせているのは膨大な数の鏡のモザイクであった。
外へともれていた光の正体はこれだったのだ。
祭壇は太陽神のものだ。大きな白い円環が掲げられ、背後に見事なステンドグラスがはまっている。太陽神が民に光の入った壺をあたえる神話の有名なシーンがモチーフになっていたが、それよりも鏡のモザイクの存在感がありすぎる。壁から天井まで全体が光かがやいているのだ。
アルヴィンはなんだか居心地が悪そうで、「まぶしい」といって目をこすった。
庭師の老人の方はあきらかにほっとしたようにベンチに腰掛けて休憩している。
なんだかしらないけれど、逃げきったということなのだろうか。エリッツは老人を盗み見る。
「さっき後ろで騒いでいた人たちは誰なんでしょう」
老人はちらりとエリッツをみると、とんとんと自身の頭を指さした。エリッツはハッとして外套のフードをはねあげた。祭壇にむかい祈りの印を結ぼうとするが不慣れなためぐしゃぐしゃになる。老人は遠慮なく「あはは」と声をあげて笑いながら、「こうだよ」と正しい印を教えてくれる。
グーデンバルド家は太陽神を信仰していることになっているが、エリッツはそこまで熱心に礼拝に通ってはいなかった。そもそもエリッツが屋敷の敷地から出ることを父たちがひどく嫌っていたのでこれは仕方ないことなのだ。
「きみたちは座っていなさい」
老人はそういうと、土で汚れた手を作業着のようなズボンでぬぐって祭壇にむかう。ズボンも汚れているためあまり意味はなさそうだ。
老人は太陽神をたたえる「ことば歌」を低く唱える。ことば歌といっても歌のように変化多いリズムを持っているわけではない。単調で祈りと呼んだ方がしっくりくる。しかしえらく堂に入っていた。鏡のモザイクに埋めつくされた礼拝堂に老人の声がこだまして、夢の中のようだ。端的にいえば眠くなった。
「司祭様みたいですね」
長いことば歌が終わり、エリッツが声をかけると老人は「そういうふりをしていたこともあった。ずっと昔のことだけれどね」と、おだやかな笑みを浮かべる。「そういうふり」というのは「司祭のふり」ということだろうか。犯罪ではないか。司祭というのは長い修行の末に国に認められたものしかなることができない。
エリッツはやさしそうなこの老人もどうやら普通ではなさそうだと思いはじめていた。
エリッツは庭師の老人を追って走りつづける。アルヴィンはともかくとして、あの歳であの動きは異常だ。庭仕事をするとそんなに鍛えられるものなのか。今日は朝から走りつづけていたのでさすがについていくのがつらい。
そして城がことのほか遠い。近くに見えていたように思ったが、どうやら王城は思っていた以上に巨大な建築物らしい。だんだんその大きさがせまってくる。
背後から人が追ってくる気配は今のところない。前方も背後も気になる。
「ほら、もうちょっとだ」
老人はふりかえってエリッツをはげます。いや、急かしているのか。やはり逃げているのではないか。
王城は近づくほどに全体が見えなくなり、巨大な壁のように立ちふさがった。そのスケールの大きさに圧倒される。美しくその姿をうつしていた水面はどうやら堀のようで橋のたもとには当然のことながら兵士たちが立っている。
立派な橋だ。
石造りでゆったりとしたアーチがいくつも連なっている。欄干は曲線を多くとりいれ優美にデザインされており、翼が生えた馬の彫刻が等間隔にならんでいた。陽光に白くかがやき、目の部分には石が入っているようで角度によって不気味に光る。にらまれているように見えて自然と走るスピードが落ちていった。
いくらなんでも庭師がここを通れるとは思えないとエリッツが思っていたら、老人もそしてアルヴィンも走っている勢いのまま橋を渡りはじめた。兵士たちは動かない。軽く視線を動かしたくらいだ。
「うそ、どうしよう」
エリッツはちょっと遅れている。呼び止められるのではないかという緊張の中、やはり前方にいる一人の兵士がエリッツに目をとめたようだった。進路をふさぐようにゆっくりと歩みよってくる。そういえば、外套で顔を隠しているのはとんでもなくあやしいに違いない。Uターンしてかけ戻りたいがそれでは余計にあやしい。走っているのか歩いているのかどっちつかずのスピードで進むうちにとうとう兵士に前方をふさがれてしまう。
「おうい、その子は連れなんだ。通しておくれ」
前方から老人の声がする。
「エリッツ、遅いよ」
アルヴィンも迷惑そうにエリッツをみる。そもそも走る必要はどこにあるんだ。
声をかけられた若い兵士は上官と思われる別の兵士と老人を交互にみてとまどっている。まだ十代にみえる。そばかすがういた顔はまだ幼く、エリッツとさして歳は変わらないだろう。
「通せ」
上官と思われる兵士は慌てたように若い兵士にむかって叫ぶ。老人の方をちらりと見てからすぐに礼をするように目を伏せた。
前をみるともう二人は走っている。アルヴィンが二人に増えたみたいだ。エリッツも遅れまいと駆けだした。見えてきた城の入口に当然警備兵がたっぷりといる。エリッツはもう帰りたくなっていた。
あの老人はどこまで顔パスで入るつもりなのだろう。堀の内側にも確かに樹木や花があるにはある。実はものすごく高名な庭師で手入れのために自由に出入りを認められているのだろうか。
建物の入口までは石畳でその両側には兵士たちの詰所のようなものありその奥には花や低木が植えられていた。もしかしてこの先にローズガーデンの会場があるのかもしれない。そもそも堀の内側なのか外側なのかもわからなかった。アルヴィンならまた根拠のないあたりをつけていそうだが。
そういえばアルヴィンはやたらとローズガーデンの会場を見たがっているようだった。おそらく北の王を守るために会場の位置関係を知りたいのだろう。それならそうと先にいってくれればエリッツは協力できたかもしれないのに。
エリッツの胸元にはシェイルにもらった紙を束ねた帳面がちゃんと入っている。娼館でシェイルは北の王や帝国の使者、他の客たちの席を含め配置を細かくラヴォート殿下に提案していた。それをきちんと言葉になおしてメモをとっている。配置図は自信がないが建物や席のざっくりとした位置くらいなら紙に再現できそうだ。もちろん変更はあるかもしれないが参考にはなるだろう。
それからエリッツはハッとする。あの配置図には建物が描かれていたではないか。ということはローズガーデンの会場となる庭はどこかの建物に隣接しているということか。それが王城なのかもっと別の建物なのかはわからないが。
考えているうちに前方の二人はどんどんいってしまう。建物に入るのかと思ったらそこで立ちどまった。入口は大きく重厚でレジスの歴史を感じさせる威厳があった。意匠を凝らした扉は開け放たれているもののずらりと警備兵たちが槍を手に並んでいる。あれで不審者を突くつもりだろうか。
さすがに待っていてくれるのかとエリッツは小走りになるが、追いつく前に二人は左横手の小道の方に足をむける。兵士の一人がアルヴィンたちに小道の先を指さして何ごとか話をしていたが、すぐに二人はそのまま小道を進んでいってしまう。
このままではまたエリッツだけ呼びとめられてしまう。
「ちょっと待ってよ」と、慌てて追いつく。
「遅いよ。この先に礼拝堂があってすごくきれいだから案内してくれるんだって」
アルヴィンもさすがに汗をかいている。空を見あげるともう太陽はずいぶんと傾いていた。夕食前までに戻るのならもうあまり時間はなかった。
「ほら、ここだよ」
小道の先には王城からつきだすような形で小さな礼拝堂がもうけられていた。あまり大きなものではない。王城にお住まいの高貴な方のためというよりは常駐している兵士たちのためのものではないかと想像する。先ほどの重厚な入口とは違ってこちらはこぢんまりとしていた。開けはなたれた扉からは不思議な光がもれている。
「さあさあ、早く」
老人は急いでいるように二人を中へ入れようと後ろから押す。正面から王城に入ればすぐに見つかってしまうからこっちにまわったということなのか。一体なにから逃げようとしているのだろう。礼拝堂にしては入口が小さく、アルヴィンが入るのを待ってからエリッツも中へと足を踏みいれる。
入った瞬間言葉を失った。
先に入ったアルヴィンもいつものように無邪気にはしゃぐことなくほうけたような顔で周りを見渡していた。
天井から壁まですべてが光かがやいている。天窓からさしている光をあますことなく堂内にめぐらせているのは膨大な数の鏡のモザイクであった。
外へともれていた光の正体はこれだったのだ。
祭壇は太陽神のものだ。大きな白い円環が掲げられ、背後に見事なステンドグラスがはまっている。太陽神が民に光の入った壺をあたえる神話の有名なシーンがモチーフになっていたが、それよりも鏡のモザイクの存在感がありすぎる。壁から天井まで全体が光かがやいているのだ。
アルヴィンはなんだか居心地が悪そうで、「まぶしい」といって目をこすった。
庭師の老人の方はあきらかにほっとしたようにベンチに腰掛けて休憩している。
なんだかしらないけれど、逃げきったということなのだろうか。エリッツは老人を盗み見る。
「さっき後ろで騒いでいた人たちは誰なんでしょう」
老人はちらりとエリッツをみると、とんとんと自身の頭を指さした。エリッツはハッとして外套のフードをはねあげた。祭壇にむかい祈りの印を結ぼうとするが不慣れなためぐしゃぐしゃになる。老人は遠慮なく「あはは」と声をあげて笑いながら、「こうだよ」と正しい印を教えてくれる。
グーデンバルド家は太陽神を信仰していることになっているが、エリッツはそこまで熱心に礼拝に通ってはいなかった。そもそもエリッツが屋敷の敷地から出ることを父たちがひどく嫌っていたのでこれは仕方ないことなのだ。
「きみたちは座っていなさい」
老人はそういうと、土で汚れた手を作業着のようなズボンでぬぐって祭壇にむかう。ズボンも汚れているためあまり意味はなさそうだ。
老人は太陽神をたたえる「ことば歌」を低く唱える。ことば歌といっても歌のように変化多いリズムを持っているわけではない。単調で祈りと呼んだ方がしっくりくる。しかしえらく堂に入っていた。鏡のモザイクに埋めつくされた礼拝堂に老人の声がこだまして、夢の中のようだ。端的にいえば眠くなった。
「司祭様みたいですね」
長いことば歌が終わり、エリッツが声をかけると老人は「そういうふりをしていたこともあった。ずっと昔のことだけれどね」と、おだやかな笑みを浮かべる。「そういうふり」というのは「司祭のふり」ということだろうか。犯罪ではないか。司祭というのは長い修行の末に国に認められたものしかなることができない。
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