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第五章 厄災の娘

第四十八話 厄災の娘(11)

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 足場の悪い山の中でばあちゃんの姿をした化け物が棒を振りかざして一方的にシハルを攻撃していた。今夜は月の光がまぶしいほどで辺りはよく見える。
 レイヒは見慣れない昔のばあちゃんの姿に目を奪われていた。物心ついた頃にはばあちゃんはもはや妖怪のような存在だったため、まだ人間味が残っているのは新鮮だ。記憶の持ち主であるハルミはどう感じているんだろう。視線を向けるとハルミは跪いてぐったりしている。敵がシハルを追っている隙にオキが避難させたが、明らかに早く手当しないと死ぬ感じだ。刺さっている羽根は抜かない方がいいとオキがいうのでそのままだが、傷を見るとあまりに痛そうでレイヒまで顔がしわくちゃになってしまう。早くこの場を何とかしなくては。
 山の中にしては不自然に開けている場所だが、あの屋敷があった場所だと考えると広くはない。それでも不思議とシハルは化け物につかまらなかった。危なげなく棒の攻撃をすり抜けていく。舞を舞うように軽やかだ。
 ヴァルダはあの子供に抱きかかえられたまま「いい加減放せ」と暴れていた。そういえばあんなにヴァルダを避けている様子だった子供がなぜ急にヴァルダを抱きかかえたりしたのだろう。
 その間もシハルは化け物の棒による攻撃をただ避けているだけだ。反撃に出る様子はない。
「あいつは所詮神官崩れだ。動ける方なのは間違いないが、ちゃんとした武術の心得があるわけじゃねぇ」
 でも仕留めるとかいってたし、何か考えがあるんじゃないかとレイヒは思ったりしたのだが。
「シハル、くだらない小細工をしてないで俺を呼べ」
 ヴァルダが声をあげたが、シハルはちらりとこちらを見て微笑んだ。何か楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。月の光で琥珀色の目がきらりとかがやいた。
 そのとき澄んだ音が辺りに響く。この音は屋敷に入る前にも聞いた気がする。シハルが持っていた半円の棒がぶつかり合う音じゃなかったか。途端に化け物の動きが止まり、その姿が溶けるように禍々しいものに変わってゆく。月光に濡れたような黒い羽がぬらぬらと光った。しかし鳥特有の細い足は金色の半円にがっちりとはまっている。逃げ回りながらあれを罠みたいに撒いていたのだろうか。まったく気づかなかった。
「結界は手慣れた様子ですが弱すぎる。あれではどうにもなりません。私が動ければ……」
 ハルミはぜいぜいと肩で息をしている。しんどいならしゃべらなければいいのに。怪我のわりにはまだ余裕がありそうに見える。
「この弱々しい結界はなんのつもりだ」
 化け物が大きな黒い翼をばたつかせると甲高い音が響いてその足元から金色の光が飛び散った。しかし一歩進むとまたもう一方の足に半円がかかる。
 白目のない真っ赤な目を細めてそいつはゆっくりと辺りを見渡した。まるでこちらの顔に書いてある何かを読んでいくかのようだ。もしかして記憶を探っているか。交渉で前面に出てくるやつだから、きっとオキみたいに賢いんだろう。油断できない。レイヒは今度こそ余計なことを言わないように口を引き結んで目をそらした。
 敵を前にしているのにも関わらず、シハルは布で巻かれた細長い荷物を取り出して何かをしている。
「勝手に触るんじゃねぇよ」
 ヴァルダが凶悪な声でうなる。
 シハルが取り出したのは一振りの大きな剣だった。めちゃくちゃ重そうに見えるが、何でもないような顔でそれを持ちあげる。
 またあの甲高い音が響き化け物の足元で金色の光が散った。しかしすぐにまた別の半円がかかる。どれだけしかけてあるんた。化け物はいぶかし気に足元を見る。簡単に外れてしまう罠の真意がわからないのだろう。レイヒもわからない。
 こういうとき賢さは仇になるのかもしれない。何か意図があるはずだと思うのか、化け物は足元を見てじっと考え込んでいる。
「やっぱり抜けません」
 一方シハルは敵の動きを気にかける様子もなく、剣を抜こうとしているようだ。
「そう簡単に抜けるかよ」
 ヴァルダはあきれたようにつぶやいた。
「シハルにヴァルダの正体を確認するなら、あれを抜けばいいんじゃないかと提案したんだ」
 突然、子供はヴァルダを抱える手に力を込める。
「なんだと」
 ヴァルダは牙を剥き出してうなる。暗い目の奥に青い炎のようなものがちらついた。
「シハルには神の加護があるから問題ないでしょ」
 無表情だった子供の額から汗が一筋流れ落ちた。よく見るとかなり強くヴァルダを自身の体に押し付けている。
「な、何、何、何? なんでそこでもめてるの?」
 次から次へとわけがわからないことをしないで欲しい。オキにいわせるとレイヒは頭が悪いのだ。同時にたくさんのことは理解できない。
 シハルはシハルで敵前にもかかわらず大きな剣を抜こうとあれこれやっているし、ハルミはぐったりしているし、化け物は自身の足にかかる罠をじっと見て深く思案している。
「なるほど。そういうことですか」
 剣をいじりまわしていたシハルが、突然胸元から例の金色の香を出すと先日と同じように指先で額につける。金色の粉が月の光の中できらきらと舞い落ちた。
「無駄だ」
 ヴァルダが低く言い捨てる。
 同時に鳥の化け物がうめき声をあげた。見ると両足をがっちりと金色の半円にとらえられている。先ほどとは違いどれだけ暴れても外れる様子がない。
 シハルはそんな敵の前にすっと背筋を伸ばして立つ。そして目の前に剣をかかげると、先ほどまでの苦戦が嘘のようにすらりと鞘が外れる。
「なんだと! あいつ! 抜きやがった!」
 ヴァルダが子供の腕の中で大暴れしているが、なぜかその細い腕の中から逃れられない。
「土人形の中にいてはどうにもならないよね。あれじゃあ、シハル、死んじゃうかもしれないよ。出てきた方がいいんじゃない?」
「てめぇが手を貸したのか」
「僕は何もしてないけど」
 なんでもなさそうな口調だが、子供の顔色は最悪だ。青白い顔にはいく筋も汗が流れていた。それでもヴァルダを必死に押さえつけている。なぜここでもわけのわからん戦いが勃発しているのだろう。あの剣、そんな危険物なのだろうか。レイヒはそろりとオキの後ろに隠れた。
「よせ! 人間に扱えるもんじゃねぇんだよ!」
 こっちが大騒ぎになっているのにシハルは抜いた剣を大きく振りあげてすっと空を薙ぐ。そのまま腰を落としてまた目の前にかかげた。心得がないとヴァルダはいっていたが、はっとするくらいにきれいな動きだ。何となくばあちゃんの動きに似ていると思ったが、妙な儀式などをするときの舞に似ているからかもしれない。
「剣舞の心得はあるようですね」
 ハルミがほぼ地面に伏せたような姿勢でつぶやいた。顔色が悪くなってきたような気がする。
 シハルはそのまま剣をかまえて、なめらかな動きで化け物に向ける。罠にかかって暴れていた化け物はその赤い目をまたすっと細めた。
「わかった。交渉に応じよう」
 化け物が急に態度を変えた。意外と調子のいいやつだ。
「時間稼ぎですか。そうはいきません」
 しかしシハルの方は応じる様子もなく剣をかまえて、化け物の足元を薙ぐように振るった。
 速い。舞のような動きとはまた違う。
「器用に真似しやがって」
 ヴァルダがうめきながら短い手足をバタつかせた。申し訳ないがかわいい。
 シハルの一撃に化け物の両足は簡単に切断される。恐るべき切れ味だ。しかしそのおかげというべきか、罠から解放された化け物は、どす黒い血をまき散らしながら空に逃れる。痛みを感じている様子がないのが気持ち悪いと思っていると、ずるずると足先が再生した。レイヒは「うわあ」と、目をそらす。
 しかし長い間飛ぶことはできないようで、すぐに降りてきた。それを読んでいたかのようにまたシハルの剣がひらめく。やはり速くて的確な攻撃だ。とらえたと思ったところでなぜか切先がわずかにそれてしまう。どうしたのだろう。
「限界だ。食われる」
 ヴァルダのぞっとするような低い声がした。
 ふと、レイヒは空を見上げる。
「花びら?」
 桃色の花びらが舞っていたように見えた。花の咲く木があるとは聞いたことがないし、気のせいだろうか。
 視線を戻した次の瞬間、なぜかシハルがその場で膝をついた。同時に地面からいくつもの金色の光がはじけるように散る。あの罠が全部割れてしまった。
「毎度毎度、むちゃくちゃしやがって」
 ヴァルダの声は思ってもない方から聞こえた。
 レイヒは何が起こっているのか理解できない。
「誰?」
 剣を握ったシハルの腕を赤い髪をした長身の男が支えていた。なぜかシハルの腕はずたずたに切り裂かれたように血まみれだ。男は壊れ物を扱うかのような手つきでゆっくりとシハルの手から剣を外そうとする。
「人間ごときがここまで持ちこたえるとは思わなかった……」
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