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第四章 楽師の長い旅
楽師の長い旅(2)
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本当に人恋しいのか、リシャルドは次の町まで同行したいと言い出した。街道はここからムーシェルという町までの一本道でその先はしばらく泊まれそうなところもないため、目的地は一致しているといえるが。
背負いの薬箱に隠したヴァルダがガタガタとうるさい。どうせこの同行者のことでいろいろと言いたいことがあるのだろう。シハルとてあの楽器と一緒には歩きたくないのが本音だが、街道を同じ方向に進むのに別行動をするのも不自然である。
「さっき焼いていた豚の焼き物、よく動くんですね」
リシャルドはシハルの背負い箱を指さした。常人よりも斜め上をゆくコメントでシハルを驚かせてくる。シハルも世間知らずで何かしゃべるたびに人に驚かれるが、それ以上ではないだろうか。
「あれは狼なんです」
「狼ですか! なぜ狼を?」
「馬を食べるからです」
「馬を? おいしいのかな……」
急に深刻そうな顔で考えこんでいたかと思うと、パッと顔をあげた。
「これもよく動きますよ」
リシャルドは担いでいる丁寧に布にくるまれた楽器を指さす。
「楽器が動くんですか」
シハルがその気になれば簡単にこの怪しげな楽器をただの木屑に変えることができるが、人の持ち物であるため手出しができない。黙って敵意を受け続けるしかないようだ。
「夜中に勝手に弦が鳴ったり、その焼き物のように触れてもいないのにガタガタと動いたりしますよ」
まるで何でもないことのように言う。
初めて手にした楽器がそんな状態だったのでリシャルドは楽器とはこういうものだと思っているのかもしれない。
「さっき不思議だとおっしゃっていたのはそのことですか?」
「いえ、ちょっと申し上げにくいんですけど――」
そこからシハルはその楽器が引き起こしたであろうおそろしい事件の数々を聞かされることになった。
なんと四人も死んでいる。
リシャルドは事件があるときはいつもそこに楽器があると不思議がっているようだ。楽器が事件を引き起こしたとは考えていないような話しぶりである。リシャルドに一番近い人間を狙うためだろう。殺されたのはすべてリシャルドの恋人だった女性たちだ。
あるときは時計台から足を踏み外し、またあるときは転んだ時に打ちどころが悪くて亡くなった。ここ数年の間に四人もの女性が犠牲になっている。
いずれもリシャルドが一緒ではないときで、変わり果てた女性のかたわらに楽器が置いてあるという不審な状況だったらしい。そのため犠牲者が出るたびにリシャルドは役人につかまったり、女性の親族に罵られたりと散々だったそうだ。故郷の町にいられなくなったのもそういう事情によるものだと言っていた。そんな状態で投獄を免れたのも楽器による何らかの作用が働いた可能性もある。
「その楽器……」
シハルは言葉を選ぶのに時間を要した。どう考えても処分した方がいいのではないか。敵意のかたまりのような声を聞きたくはないので聞かないようにしているが、逆に正体がわからない。ただことの顛末を聞く限りなかなかの危険物だ。
「やはり呪われているんでしょうか」
四度も似たようなことが起こっても楽器のせいだと確信が持てないのだろうか。シハルは首をかしげる。
「でも本当にこれ以上はないくらいにいい音がするんですよ。ただ古くなっているので他のギタアに買いかえようかと考えたこともあるんです。しかしですね――」
他の楽器を物色しているだけで障るようだ。
人死にが出るほどではないが、急に楽器を扱っていた商人が怪我をしたり、気分が悪くなったと言って帰ってしまったり、気が変わったと言い出したり、とにかく異常なまでに商談がまとまらない。
「僕、ちょっと思ったんですけど、もしも事件がこのギタアのせいだったとしても、とりあえずいったんこのままにして、僕の恋人の方をもうちょっと、言い方は悪いですけど、きちんと選べばいいのかな、と」
「どういうことでしょう」
「このギタアよりも強い女性なら大丈夫ではないかと思いませんか」
「強い……?」
何をもってして強いというのか。シハルには見当がつかなかった。
「簡単に死なない女性です。僕ももう大事な人を失うのは嫌なんですよ」
その発想は浮かばなかった。だが何かがおかしい気がする。呪いなのか悪霊なのか、神のたぐいなのか知らないが、その影響を受けないかどうかは事前にわかるものではないように思う。
「ではいい人がいたら楽器と一戦交えてみなければならないということになりませんか?」
「そうなんですよ。負けたら死んでしまいます」
しばらくの間、二人とも黙って歩いていた。
ヴァルダも悪霊だがシハルの話は一応聞いてくれる。言ったことを忘れてしまうことはあるが、むやみに人を殺したりはしない。だがもしもヴァルダがリシャルドの楽器のように周りを傷つけるようになったらどうするだろうか。いや、シハルの力をもってすればそんなことはさせない自信はある。
いつの間にかムーシェルの町が見えていた。
「ずっとその楽器だけを連れて旅を続けるのか、それとも楽器を手放して大切な人と過ごすか、選ぶわけにはいかないんですか?」
シハルの提案にリシャルドはしばらく黙っていたが、町の入口を通る時にまた口を開く。
「もしこの町でこのギタアよりも強そうな女性が見つからなかったらそのことを検討したいと思います」
シハルはまた首をかしげることになった。いきなりこの町で恋人を、しかもただの恋人ではなく強い恋人を見つけられる可能性はいかばかりか。先ほどシハルが指摘したばかりだが、その強さを証明するには相手の命を危険にさらすことになる。
シハルの疑問を知ってか知らずか、リシャルドは町に入ってすぐの一階に広い食堂がある宿屋を指してシハルに微笑みかけた。
「この宿にしましょう」
「はい」
シハルは思わず返事をしてしまったが、宿まで一緒にするつもりはなかった。
さっそく背負い箱の中でヴァルダがガタガタと暴れている。リシャルドは危険な人物ではなさそうだが、あの楽器のこともあるのでヴァルダにいわれずともきちんと警戒をするつもりだ。ここでもシハルはヴァルダを無視することにした。
「広い食堂があるとギタアを演奏させくれる可能性があるんですよ。町の入口近くの宿は旅慣れた人が多いのもポイントです。みんな娯楽に飢えていますからね。うまくことが運んだら火にあたらせてもらったお礼に食事をごちそうしますよ」
「ごはんですか」
いつも通りシハルはほぼ文無しである。宿代を前払いしたら後は失せもの探しでもして稼いだ後にしか食事はとれないと思っていたので思わず笑みがもれる。
リシャルドはまたじっとシハルを見つめた。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでも。ちょっと宿の主人と交渉をしてきます」
交渉はうまくいったようで、さっそくその夜リシャルドは食堂で楽器の演奏をさせてもらえることになった。投げ銭の二割は宿に場所代として支払う約束になったらしい。
場所代というものが存在することはヴァルダもいっていなかった。シハルはまた新しい知識を得たと悦に入る。ちなみにヴァルダはあまりにうるさいので薬箱に入れたまま部屋に置いてきていた。
シハルの前にはたくさんのパンと見慣れない具材がいろいろと入った煮込み料理、数種類のチーズなどが置かれている。どれもリシャルドがシハルのために注文してくれたものだ。飲み物には果物の搾り汁にはちみつをいれたものを用意してくれているが、後でお酒も頼んでくれると言っていた。
ただ気になるのはやはりあの楽器である。
シハルは食堂の奥にいるリシャルドの方に目をやった。演奏前の手入れをしているようで、弦の張られたところを丹念に調整している。今はあの楽器から敵意を向けられてはいないようだが、油断はできない。
じっと楽器を見ていたところ、視線に気づいたのかリシャルドがふっとシハルの方を見てから小さく手をふった。シハルも思わずつられて手をふる。
不思議なことに楽器、それからなぜか周りから視線が集まってきたように感じる。シハルが周りを見渡すとその視線はさっと拡散した。それにしても妙に女性の客が多い。
安全性からか旅人は男性の方が多いような気がしていたが、この宿はたまたま女性客が多かったのだろうか。だがよく見ると旅人というよりはこの町の住民とおぼしき姿の女性も多い。町の人もこういった店に食事におとずれるものなのか。音楽が聞けるという噂を聞いて集まってきたのかもしれない。
うれしそうにリシャルドの方をちらちらと見ながら笑いあっている。
背負いの薬箱に隠したヴァルダがガタガタとうるさい。どうせこの同行者のことでいろいろと言いたいことがあるのだろう。シハルとてあの楽器と一緒には歩きたくないのが本音だが、街道を同じ方向に進むのに別行動をするのも不自然である。
「さっき焼いていた豚の焼き物、よく動くんですね」
リシャルドはシハルの背負い箱を指さした。常人よりも斜め上をゆくコメントでシハルを驚かせてくる。シハルも世間知らずで何かしゃべるたびに人に驚かれるが、それ以上ではないだろうか。
「あれは狼なんです」
「狼ですか! なぜ狼を?」
「馬を食べるからです」
「馬を? おいしいのかな……」
急に深刻そうな顔で考えこんでいたかと思うと、パッと顔をあげた。
「これもよく動きますよ」
リシャルドは担いでいる丁寧に布にくるまれた楽器を指さす。
「楽器が動くんですか」
シハルがその気になれば簡単にこの怪しげな楽器をただの木屑に変えることができるが、人の持ち物であるため手出しができない。黙って敵意を受け続けるしかないようだ。
「夜中に勝手に弦が鳴ったり、その焼き物のように触れてもいないのにガタガタと動いたりしますよ」
まるで何でもないことのように言う。
初めて手にした楽器がそんな状態だったのでリシャルドは楽器とはこういうものだと思っているのかもしれない。
「さっき不思議だとおっしゃっていたのはそのことですか?」
「いえ、ちょっと申し上げにくいんですけど――」
そこからシハルはその楽器が引き起こしたであろうおそろしい事件の数々を聞かされることになった。
なんと四人も死んでいる。
リシャルドは事件があるときはいつもそこに楽器があると不思議がっているようだ。楽器が事件を引き起こしたとは考えていないような話しぶりである。リシャルドに一番近い人間を狙うためだろう。殺されたのはすべてリシャルドの恋人だった女性たちだ。
あるときは時計台から足を踏み外し、またあるときは転んだ時に打ちどころが悪くて亡くなった。ここ数年の間に四人もの女性が犠牲になっている。
いずれもリシャルドが一緒ではないときで、変わり果てた女性のかたわらに楽器が置いてあるという不審な状況だったらしい。そのため犠牲者が出るたびにリシャルドは役人につかまったり、女性の親族に罵られたりと散々だったそうだ。故郷の町にいられなくなったのもそういう事情によるものだと言っていた。そんな状態で投獄を免れたのも楽器による何らかの作用が働いた可能性もある。
「その楽器……」
シハルは言葉を選ぶのに時間を要した。どう考えても処分した方がいいのではないか。敵意のかたまりのような声を聞きたくはないので聞かないようにしているが、逆に正体がわからない。ただことの顛末を聞く限りなかなかの危険物だ。
「やはり呪われているんでしょうか」
四度も似たようなことが起こっても楽器のせいだと確信が持てないのだろうか。シハルは首をかしげる。
「でも本当にこれ以上はないくらいにいい音がするんですよ。ただ古くなっているので他のギタアに買いかえようかと考えたこともあるんです。しかしですね――」
他の楽器を物色しているだけで障るようだ。
人死にが出るほどではないが、急に楽器を扱っていた商人が怪我をしたり、気分が悪くなったと言って帰ってしまったり、気が変わったと言い出したり、とにかく異常なまでに商談がまとまらない。
「僕、ちょっと思ったんですけど、もしも事件がこのギタアのせいだったとしても、とりあえずいったんこのままにして、僕の恋人の方をもうちょっと、言い方は悪いですけど、きちんと選べばいいのかな、と」
「どういうことでしょう」
「このギタアよりも強い女性なら大丈夫ではないかと思いませんか」
「強い……?」
何をもってして強いというのか。シハルには見当がつかなかった。
「簡単に死なない女性です。僕ももう大事な人を失うのは嫌なんですよ」
その発想は浮かばなかった。だが何かがおかしい気がする。呪いなのか悪霊なのか、神のたぐいなのか知らないが、その影響を受けないかどうかは事前にわかるものではないように思う。
「ではいい人がいたら楽器と一戦交えてみなければならないということになりませんか?」
「そうなんですよ。負けたら死んでしまいます」
しばらくの間、二人とも黙って歩いていた。
ヴァルダも悪霊だがシハルの話は一応聞いてくれる。言ったことを忘れてしまうことはあるが、むやみに人を殺したりはしない。だがもしもヴァルダがリシャルドの楽器のように周りを傷つけるようになったらどうするだろうか。いや、シハルの力をもってすればそんなことはさせない自信はある。
いつの間にかムーシェルの町が見えていた。
「ずっとその楽器だけを連れて旅を続けるのか、それとも楽器を手放して大切な人と過ごすか、選ぶわけにはいかないんですか?」
シハルの提案にリシャルドはしばらく黙っていたが、町の入口を通る時にまた口を開く。
「もしこの町でこのギタアよりも強そうな女性が見つからなかったらそのことを検討したいと思います」
シハルはまた首をかしげることになった。いきなりこの町で恋人を、しかもただの恋人ではなく強い恋人を見つけられる可能性はいかばかりか。先ほどシハルが指摘したばかりだが、その強さを証明するには相手の命を危険にさらすことになる。
シハルの疑問を知ってか知らずか、リシャルドは町に入ってすぐの一階に広い食堂がある宿屋を指してシハルに微笑みかけた。
「この宿にしましょう」
「はい」
シハルは思わず返事をしてしまったが、宿まで一緒にするつもりはなかった。
さっそく背負い箱の中でヴァルダがガタガタと暴れている。リシャルドは危険な人物ではなさそうだが、あの楽器のこともあるのでヴァルダにいわれずともきちんと警戒をするつもりだ。ここでもシハルはヴァルダを無視することにした。
「広い食堂があるとギタアを演奏させくれる可能性があるんですよ。町の入口近くの宿は旅慣れた人が多いのもポイントです。みんな娯楽に飢えていますからね。うまくことが運んだら火にあたらせてもらったお礼に食事をごちそうしますよ」
「ごはんですか」
いつも通りシハルはほぼ文無しである。宿代を前払いしたら後は失せもの探しでもして稼いだ後にしか食事はとれないと思っていたので思わず笑みがもれる。
リシャルドはまたじっとシハルを見つめた。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでも。ちょっと宿の主人と交渉をしてきます」
交渉はうまくいったようで、さっそくその夜リシャルドは食堂で楽器の演奏をさせてもらえることになった。投げ銭の二割は宿に場所代として支払う約束になったらしい。
場所代というものが存在することはヴァルダもいっていなかった。シハルはまた新しい知識を得たと悦に入る。ちなみにヴァルダはあまりにうるさいので薬箱に入れたまま部屋に置いてきていた。
シハルの前にはたくさんのパンと見慣れない具材がいろいろと入った煮込み料理、数種類のチーズなどが置かれている。どれもリシャルドがシハルのために注文してくれたものだ。飲み物には果物の搾り汁にはちみつをいれたものを用意してくれているが、後でお酒も頼んでくれると言っていた。
ただ気になるのはやはりあの楽器である。
シハルは食堂の奥にいるリシャルドの方に目をやった。演奏前の手入れをしているようで、弦の張られたところを丹念に調整している。今はあの楽器から敵意を向けられてはいないようだが、油断はできない。
じっと楽器を見ていたところ、視線に気づいたのかリシャルドがふっとシハルの方を見てから小さく手をふった。シハルも思わずつられて手をふる。
不思議なことに楽器、それからなぜか周りから視線が集まってきたように感じる。シハルが周りを見渡すとその視線はさっと拡散した。それにしても妙に女性の客が多い。
安全性からか旅人は男性の方が多いような気がしていたが、この宿はたまたま女性客が多かったのだろうか。だがよく見ると旅人というよりはこの町の住民とおぼしき姿の女性も多い。町の人もこういった店に食事におとずれるものなのか。音楽が聞けるという噂を聞いて集まってきたのかもしれない。
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