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第三章 ゆたかな村

ゆたかな村(7)

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 寝所は膝下くらいの低い寝台が二台あるだけの小部屋だったが、ちゃんと窓があったのは助かった。
 ここから音を立てずに抜け出すくらいトレッティにとっては朝飯前だ。とはいえ、隣でシハルが寝ているためその辺のタイミングは難しい。
 峠を抜けるときはシハルを同行させたかったが、この調子でいくと無理かもしれない。神様を信じているわけではなかったが、実際にあれほど同じ道を歩き回るはめに陥った後では不安が残る。
 外に誰もいないことを確認し、寝所の窓からそっと飛び降りた。
 偽物の月明かりのおかげで問題なく動けそうだ。まず村長の家、それから蔵の様子を見に行こう。どう動くかはその後考えればいい。
 心配する必要もなく村人たちの姿どころか生活している物音すら聞こえなかった。無人だといわれても不思議ではないほどの静けさだ。人の気配というものがない。よくよく道を見ているとまるで演劇の舞台のように生活の痕跡が薄かった。
 普通は人のよく通るところはその跡が残っていたり、生活用品の壊れたものなどのゴミ類が落ちていたり、服や農作業に使用する道具類が干しっぱなしになっていたり、そういう「生活感」があるものだ。
 トレッティは胸騒ぎを押さえることができず、隣にあった家の窓をそっとのぞいてみた。そもそも灯りがついていない。もう寝ているのだろうかと、窓から室内を見渡すが、誰もいない。造りは世話になっている家とほぼ同じであるため、すぐに窓からすべての部屋を確認できたが、どの部屋にも人気がなかった。
「なんだ。空き家か」
 だがその隣の家も、また隣の家も空き家、何軒見ても空き家である。リョウが話していたようなたくさんの子供たちはどこにいるのだ。
「そうだ。あいつまだ戻ってないのか」
 まだ上であの男の子を探しているのだろうか。この村の状態を説明してもらわないことには気持ちが悪い。
「ここに金はない」
 突然声をかけられ飛び上がりそうになる。見つかったか。
 トレッティはそっとふり返ったが、そこには誰もいない。たしかに男の声がしたはずだが。
「なんなんだよ、もう」
 この村、気味が悪すぎる。雑魚級の賞金首を何人か追いかけていた方が手っ取り早かったかもしれない。ここに来てわずかに気弱になった。
 トレッティにしてはめずらしいことだ。現実的な恐怖には強いつもりだがこういうわけのわからないのはいただけない。
「わりと筋のいいコソ泥みたいだが、ここは選択ミスだったな」
 また声がする。
 たしかに。まず状況を把握するのにここまで労力をさくはめになるなら撤退を検討する段階に来ているかもしれない。
 ――というか、誰だ。
「下だ」
 辺りを見回していたトレッティの耳に再度同じ声が聞こえる。恐る恐る足元に目をやるとあの犬がいた。
「ひっ」
 大声が出そうになったがかろうじて飲みこむ。シハルが連れていた不細工な犬だ。どこから入ってきたのか。いや、もしかして本当にあの焼き物が動いているのか。きちんとふさふさとした毛が生えそろい焼き物の質感ではないが、形状は一致している。まごうことなき不細工さだ。
「分をわきまえるというのは賢いやり方だ」
 犬がしゃべった。トレッティは一歩さがる。やけに気持ち悪い犬だと思っていたが化け物のたぐいだったか。
「犬に言われたくないが、あたしには絶対に家に戻らなきゃならない理由があるんだ。分もわきまえるさ」
 そうだ。親に捨てられた子供たちにまた捨てられたと思わせてはならない。わずかでも稼いで必ず帰る必要がある。
 これは偽善ですらない。トレッティにはそれが必要だった。親に捨てられた自分に価値を見出さなければ生きていけなかったのだ。同じように親に捨てられた子供たちがトレッティにそれを与えてくれる。
「それがいい。俺はわきまえずに死んだ。わきまえるくらいなら死んだ方がマシだったから仕方ないがな」
 死んだ? じゃあ、今しゃべっているこいつは何なんだ。トレッティはまた一歩後ろにさがった。
「気づいているか知らないが、お前も結構きわどいことをやっていた。シハルが通りがからなかったら、あの峠でどうにかなっていたって不思議じゃないぜ」
「何の話だ?」
「俺がどうして死んだか教えてやるよ」
 犬がまた一歩トレッティの方へと歩み寄った。洞のような目の奥にちらちらと暗い光がまたたく。
「――神サマのものを盗もうとした。お前と同じだ」
「あ、あたしは別に神様のものを盗もうとしたわけじゃ……」
 言いながら気づく。シハルはこの村が峠の神に守られていると言っていなかっただろうか。この村から何かを盗み出そうとすることはすなわち神のものを盗むのと同義になるということか。
「神への罪が深ければ深いほど、強力な悪霊になれる。これはこれで楽しいもんだ」
 犬が不ぞろいな牙をのぞかせながら、一歩一歩近寄ってくる。
 こういう意味の分からないのは本当に苦手だ。トレッティは思わず座りこんで目を閉じた。これは夢だ。夢に違いない。あんな醜い生き物にされるなんて地獄ではないか。
「そういう嫌なことばかりしないでください」
 そっと目をあけると、シハルが犬を抱きあげるところだった。その足がまたくったりとぬいぐるみのようにたれさがる。あの化け物がシハルに抱かれていると小さく見えるのが不思議だ。
「めちゃくちゃびびってて面白かったぞ」
「そういうのはよくないです」
 迫力のない声でシハルが叱るが、犬の方は下品な声で笑い声をあげむしろ喜んでいるように見える。
「シハル、そ、それ、何なんだよ」
「ヴァルダです。嘘つきなので気にしないでください」
「嘘……なの?」
「嘘じゃねぇよ」
 ヴァルダと呼ばれる化け物がすかさずトレッティを凶悪な表情でおどす。
「この村、ちょっと様子が変ですね」
 それを無視してシハルは辺りを見渡した。
「今さら何言ってんだ。ずっと、最初っから変だったって」
 どれほど鈍いんだろうか。
 もう峠に入ったところから異常だった。悔しいがヴァルダのいう通り獲物の選択ミスだろう。入るのが難しいという村に侵入できてしまったことで判断が鈍った。
「トレッティさんの住んでいるところはどんなところですか?」
「は?」
 あまりに唐突である。
「そんなことよりもう逃げよう。さすがのあたしもここは持てあます」
「な? すげぇびびってるぜ」
 ヴァルダが汚い笑い方をする。いちいち癇に障る犬だ。
「ヴァルダ、黙ってください。トレッティさん、そこはごはんがいっぱい食べられますか?」
「それが何? うちは普通の村だよ。周りは山と川くらい。ちょっとここに似てるかな。まぁ、食べていけないほどでもないけど、土地がやせてるから他所で食料を買わなきゃならない。だからこんな仕事をしてるんだよ。あたしだけじゃない。あたしたちを置いてくれている村人みんな農作業に加えて町に出稼ぎしなきゃ立ち行かないんだ」
 シハルは妙ににこにこしながらトレッティを見る。
「この村から盗むものが決まりました」
 トレッティもまじまじとシハルの顔を見た。
「何言ってんだ。そこのヴァルダって犬がここには金がないって、それに盗むのはまずいんだろ? やっぱそれ、嘘なのか?」
 トレッティはシハルに抱えられたヴァルダを睨みつけた。ヴァルダは小馬鹿にしたように鼻息をもらす。どこまでも憎たらしい。
「お金じゃありません。もっといいものを盗みますよ」
 シハルは楽しそうに歩き始める。辺りは空き家しかないことを確認してあるので、さほど気をつかうことはないだろうが奥の方はどうなっているのかわからない。
「どこへ行くんだ」
 トレッティはあわてて後を追った。相変わらず大荷物だが、身のこなしが軽い。
「あのお社を見に行きます」
 シハルが道の先にある古びた建物を指差した。家屋と同じく木造のようだが、たたずまいが独特でこの村でも特別なものであることがわかる。ただし朽ちかけているのが遠目でもわかるほどに老朽化していた。
「ついでに村を見学しましょう。私、この村を見にきたんですよ」
 こんな気色の悪い村なのにまるで観光気分である。冗談じゃない。トレッティはもう帰りたくなっていた。早く次の稼ぎを決めないと、子供たちが待っている。
「これはまた大きな建物ですね」
 人の気も知らないで、シハルは道の脇に建てられている蔵の壁を触っている。
「開かないですね……」
 あろうことか蔵の扉をガタガタと引っ張りはじめた。本当にやることが子供だ。
「おい、よせって。中に誰かいたらどうするんだよ」
 蔵とはいえこの村では油断できない。
「誰もいませんよ。とても静かです」
 トレッティはそっと扉に耳を押しあてる。もし中に人がいれば、外の騒ぎは何ごとかと気にするはずである。だがシハルのいうとおり中には人のいる気配がまったくなかった。
「ちょっとどけよ」
 トレッティは鍵穴をのぞきこみ、腰に巻きつけたポケットから愛用の道具を取り出した。機械であればお手上げだったが、ごく普通の錠前である。トレッティの得意分野だ。
 すぐにカチリという音がして錠があく。念のためもう一度扉に耳をあてて中で物音がしないか確認してから小さく扉をあけた。あまりかかわりたくはないが、儲けになるものがある可能性も捨てきれない。
 のぞきこんでトレッティは意識が遠くなりかけた。
「子供たちがたくさんいますね。これはお人形ですか」
 シハルは臆することなく中へと入ってゆく。
 蔵の床にはびっしりと子供が敷き詰められていた。シハルは人形かと言ったが、トレッティには死体に見えた。この薄暗さでは見間違えるのが当たり前だ。
「ほんとに気持ち悪い村だな。これがリョウのいってた『子供たち』かよ」
 トレッティはしゃがみこんでそれらを観察する。それの腕の辺りに触れてみるとシハルのいう通り人形だとわかった。人の感じとは明らかに違う。だが触れてみるまで本当は死体ではないかという疑いがぬぐい切れないほど精巧につくられていた。
 それに全部峠にいた男の子と同じように粗末な服装をしている。年齢は三歳くらいから十代くらいまでだろうか。小柄な子、体格のいい子、男の子も女の子も個性豊かにとりそろっている。もしこれが本当に生きた子供たちならリョウが把握できないといったのも無理はないが。
「リョウ、あいつ、やっぱりあやしいな」
 こうなるとやはりリョウの言動がおかしい気がしてくる。
「リョウさんのことはそっとしておきましょう」
 そう言いながらシハルは、蔵の中のはしごに手をかけていた。蔵には二階がある。
「上も見るのか」
 トレッティはうんざりしたが、一人でこの「子供たち」に囲まれるのも気持ち悪かった。ヴァルダがぶらぶらと歩き回っているのも気にくわない。
「トレッティさん、見てください。さっきの方々ですよ」
 シハルの後を追ってはしごから顔を出したトレッティは心臓が止まりそうになった。
 そこにもおびただしい量の人形が置かれていた。子供ではなく壮年から老年の人形だ。そして手前の二体は先ほど料理を出してくれた老齢の女性と室内にいた男性だった。
「え? 人形だったのか?」
 思い返してみても人間だったとしか思えない。なめらかな動きで、不愛想ではあったものの話し方も自然だった。
「まさかこっちは死体……?」
 トレッティはほんの指先だけで女性の頰に小さく触れてみる。
 硬い? いや、ほんの少しだけ柔らかさがある。しかし人のそれではない。そして冷たい。
 これも人形だ。
「すごいですね。人形が動いて料理を作ったり話をしたりするなんて」
 シハルは楽しそうだが、トレッティはもう今すぐにでもこの蔵を、いや、村を出たかった。
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