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第三章 ゆたかな村

ゆたかな村(5)

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 しかしこの村は他とは勝手が違う。あらゆる鍵の開錠、侵入、脱出、逃走はお手のものだがここはあまりにも複雑だ。
 だがそんなことで引くわけにはいかない。
 業界では有名な簡単にはたどり着けないという豊かな村に侵入することに成功したのだ。一時は峠道から先に進めないという冗談みたいな噂が本当だったのかと驚いたが、どういうわけかすべてトントン拍子に進んでいた。
 やっぱり自分はついている。
 あの地上と地下を結ぶ機械の操作もリョウの手つきをしっかりと見ていたのでたぶん動かせる。家で待っている親のいない子供たちのためにもここできちんと稼がなければならない。
 だが、まずあの子を探す必要がある。
 事情はよくわからないし、あの子のいっていることもちぐはぐだったが、峠に放置されていたことは事実だ。もしも親がとんでもないクズならば、トレッティが連れ帰ってあげるべきだろう。
 そのためにもまだしばらくはリョウと一緒に行動した方がいい。村の様子もきちんと把握しておく必要があるし、そもそもこの村の財産というものがいかほどのものなのか、見極めなければならない。食うのに困っていないのならば後はため込むだけだ。期待できる。
「機械で下に降りないの?」
 男の子が出ていってしまった扉の先は階段だった。先ほどの部屋と違ってここは薄暗い。おそらく普段あまり使われていない裏の通路のようなものなのだろう。
「エレベータで降りると最下層にある村まで一直線です。あの子はまだ階段の途中にいるかもしれないので」
 確かに子供の足ではそう遠くまで行けるものではないだろう。トレッティはちらりと後ろを振り返った。
 シハルの動きがにぶい。また空腹のせいだろうが、こうなるとトレッティにとっては邪魔である。
「おい、しっかりしろって」
 だがなぜか放ってはおけない。ふらふらと歩いているシハルを横から支える。この大荷物で長い階段を踏み外したらよくても大怪我というところだ。
 行動が子供っぽいせいだろうか、家で待っている子供たちを思い出す。それに思い返してみると、トレッティが峠道を抜けられたのはシハルのおかげではないだろうか。
 あんなに何度も同じ道を歩かされていたのに、シハルが同行してからは一発で峠を抜けた。それがどうしてなのかわからないが、シハルがいたこと以外に抜けることができた要素が見当たらない。もし帰りも同じ状況になれば、まさに命取りだ。可能であれば適当に誤魔化してシハルを同行させたい。こういう仕事をしていると験を担ぎがちになってしまう。たったひとつの不運だけでも致命傷になるからだ。
「ほら、これ全部やるから」
 トレッティはポケットの氷砂糖を入れていた革袋ごとシハルに渡した。トレッティにとっても非常食だったが、こんなところでもたもたされては片付かない。
「いいんですか」
 急に顔をかがやかせてトレッティの手を革袋ごと握りしめる。現金なやつだ。
「いいけど、一個ずつにしろよ」
「まるで宝石のようですね」
 シハルは革袋の口を広げてうれしそうに見ている。こういうよろこばれ方をされると、なんというか憎めない。この後だますことになるかもしれないと思うとわずかに心が痛んだ。
「これはまずいな。どこに行ったんだろう」
 先に行ったリョウの声が階段の折れ曲がった先から聞こえてきた。その先からは明るい光がもれてきている。階段に座りこんで皮袋をのぞき込んでいるシハルを置いて、トレッティはリョウの後を追った。
 曲がり角の先には驚きの光景が広がっていた。
「これ、全部、田んぼか」
 地下深くまで何層にもわたり水田のようなものが重なっていてまるで棚のようになっている。ちょうどあの湖面のようなつるつるの真下から全部水田だ。最下層が村だと言っていたが、なぜかその最下層までがすべて光で満たされていた。上の水田が邪魔になって下層には光が届かないはずだが、逆に水田の方から薄暗い通路や階段の方に光が漏れ出ている。水田に反射する光がきらきらと輝いて星のように見えた。
「いえ、下には畑もあります。根菜や葉物、果物も育てていますよ」
 リョウは誇らしげに言っているが、そんなことはこの際どうでもいい。トレッティは食料を盗むために来たのではない。金、もしくは換金性の高い物品だ。トレッティの手にかかれば、どんな金庫でもたちどころに開く。ただしすべてを持ち出すわけではない。トレッティと身を寄せ合うようにして暮らしている子供たちがしばらく飢えない分だけあればいい。
 トレッティが長くこの仕事を続けられたのも欲張らなかったおかげだと思っている。賞金首も大物は狙わない。凶悪で危険だからだ。細々と小物を狙う。金もありあまっているところから必要な分だけ盗み出すからさほど大事にはならない。
 これだけ高い技術と食料に恵まれた村であれば、まとまった財産があるはずだ。多少トレッティがいただいても飢えて死人が出るわけではないだろうから気も咎めない。これはまさにうってつけの獲物だ。
 水田が上下に重なっているのでよく見えないが、トレッティの見える範囲で作業などをしている村人は見当たらなかった。
「――静かですね。とても」
 くぐもったような声に驚いて見るとシハルである。
「あんた、何個口に入れてんの」
 不自然に頬がぼこぼこしている。軽く見積もって五つくらいは氷砂糖を含んでいそうだ。だがそのおかげなのか先ほどより元気そうだ。
 シハルは黙って口をもごもごさせながら水田の連なりを見下ろしていたが、階段の手すりから両手をさしむけて、峠でやっていたように何かを探ろうとするように指先を動かし始めた。
「何も聞こえません」と、不可解そうに首をかしげている。
「川が落ちる水音とさっきの機械みたいな音がずっとしてるけど?」
 この水田も全部機械を使って維持しているのだろう。羽虫のうなりのような低い音が常に聞こえ続けていた。気のせいか足元にも振動があるように感じる。
 そしていつの間にやらリョウの姿が見えない。
「あれ? あいつどこ行った」
 トレッティがあわてて階段をおりていくと、水田と階段の間に開閉式の柵があり、そこがわずかに開いていた。駆け寄って水田を見るとリョウがあぜ道をうろうろしながらあちこちを見渡している。
「これを一番下まで探し続けるのは骨ですよ」
 リョウは泣きそうな顔でトレッティのいる柵のところまで戻ってきた。
 たしかに十分に育っている稲の間に隠れていた場合、あぜ道を歩き回らなければ見つけられないだろう。
「手分けして探そう」
 トレッティにとってその方が都合がいい。本当はもう少しリョウに村について聞いておきたかったが、この様子では落ち着いて話は聞けない。「呪い」だか何だか知らないが面倒なことである。
「待ってください。勝手に歩き回られては困るんですよ。僕が探すので村にいてください。もう暗くなりますから」
 トレッティは舌打ちしたくなったがかろうじて堪えた。こんなやつにも一応まともな判断力が残っていたか。トレッティとしてはこの通路を歩き回って退路を確認しておきたいところだが。
 そういえば先ほどより薄暗くなっているような気がする。不思議なことに上層から下層までがほぼ同じ明るさなのだ。おそらく何らかの機械を使っているのだろうが、外の常識から考えると変な空間である。トレッティが仕事を終えて外に出るまで明るさはどの程度までになっているだろうか。真っ暗になってしまうなんてことがあれば、お手上げだ。
「はいはい。この階段で下まで降りていけばいいの?」
「村には連絡をしておきますから、寄り道をせずにまっすぐ降りてくださいよ」
 リョウが怖い顔をしてトレッティを見る。自分の手を離れた途端に強気というわけか。トレッティは肩をすくめてから「わかってるよ」と、踵を返すと、リョウの方は見ずに手をふった。
 しかしどうやって最下層の村に連絡とるというのか。きっとまた何らかの機械を使うのだろうが、そうなると本当に寄り道などをすれば見つかってしまう可能性が高い。まだしばらくおとなしくしていた方がよさそうだ。
「食事も準備しておくように伝えておきますから」
 トレッティのあとを追ってきたシハルにはやさしく言いそえた。対応が違う。
 シハルはにこにことうなずいているが、横から見ればさらに頬が膨らんでいるのが見て取れる。
「あんた、また口に入れたな」
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