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第三章 ゆたかな村

ゆたかな村(3)

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 湖面のようなものは湖ではなった。
 つるりとしていて、地面にはりついている。こんなつるつるとした素材は見たことがなかった。恐る恐る指先で触ってみたが硬い。半透明で向こう側が見えるような、見えないような。まさに湖面のようにその下の世界は曖昧である。少なくとも何かわかるものが見えるということはなかった。
「村はこの下じゃないですか」
 シハルが子供のようなしぐさでぺたぺたとその表面を叩くように触っている。恐れを知らないというか無防備というか。これが何かわからない状態でよくそんなに大胆に触れるものだとトレッティは目を見張る。
「村が地下にあるってこと?」
 そんなことができるんだろうか。ずいぶん深く穴を掘らないといけないし、このつるつるを上にかぶせる作業を考えるとめまいがしてくる。視界に入る範囲内で継ぎ目のようなものは一切ないのだ。
 本当にくらくらして来たので、その場でぐっと腰を伸ばして遠くを見やった。
「ところであの川はどうなってんだ?」
 峠道から見たときも気になっていた。川が途中から消えているのだ。
「遠いですけど、気になるので見に行きましょうか」
 確かに遠い。このつるつるした硬いものは広範囲の土地を覆っていて、川のところまで行くのに周りをずいぶんと歩くはめになる。一直線に歩ければまだましだが、到底このつるつるの上を歩く気にはなれない。
 日暮れも近いので、もしも本当に地下に村があるというなら早く入口を見つけなければ夜になってしまう。
「あ、ねぇ、ここきみの村でしょう? これどうやって入るんだ?」
 現状に驚いたのと、あまりに無口だったので男の子の存在を忘れていた。期待をこめて反応を待ったが、男の子はシハルの箱の上でゆっくりと首をふる。
「……こんなんじゃなかった」
 トレッティたち以上にこの光景に驚いているようだった。今にも泣き出してしまいそうな表情に嘘はなさそうだ。
「短い時間でこんなことになっちゃったってこと? それは変だな。何があったんだ?」
 こんな大掛かりなものが一瞬で現れるだろうか。トレッティの預かり知らぬところで軍事的な侵略があったとも考えられる。どこかの大国が関与しているのであればトレッティの理解をはるかに超える事態が起こっても不思議ではない。
 確かにここは豊かな村として一部の界隈では有名だが、大国にとっては村ひとつ程度の豊かさが本当に利益になるのか疑問だ。偉い人々の考えることなどトレッティにはわからないが。
 もしかして男の子の親は彼だけでも避難させようとして峠に放置したのだろうか。
「あの川は魚がいっぱい獲れる。とてもきれいな水だ。広い田んぼを全部うるおしてくれる。向こうの山の中には水神もいるんだ」
 男の子が遠くで途切れてしまっている川を指差し、動揺からなのかたどたどしく説明してくれる。
「とにかく行ってみましょうか」
 シハルがやさしく声をかけると、男の子はまた黙り、おとなしく遠い川を見つめていた。
 川が近づくにつれその異様な様子が見えはじめる。案外大きな川だ。少なくとも飛び越えて対岸にはいける川幅ではない。
 男の子のいうように水量は豊かで、美しい川だった。水神のいる山から流れ出てくるというのも納得がいく。ただその川の行く末が異様だ。
 例のつるつるが川のところだけめくれあがるようになっていて、その先は真っ暗でよく見えない。
 まるでつるつるに川が食べられているように中に流れこんでいる。
「本当にきれいな川ですね。あっ、魚です」
 シハルは両手を水につけて遊んでいる。
 トレッティはそれを無視して、つるつるのめくれあがっているところをそっとのぞきこんだ。水音がすごくて耳がおかしくなりそうだ。
 まるで滝のように水が地下へと落下している。ここから入ろうとするのは危険だろう。それにこのつるつるの下に何かがあるというのも間違いなさそうだ。かなり時間はかかるがつるつるの周りを一周して入口を探した方がいいかもしれない。
 そう提案しようとしたとき、犬が短い足で何かを掘っているのが見えた。
「ここだけ様子が違いますね」
 いつの間に水遊びをやめたのか、シハルは犬の横で首をかしげている。川にばかり目がいっていて気づかなかったが、犬が掘っている辺りはあきらかに土ではないものでおおわれていた。色だけは地面と同色で何かを隠そうとしているかのようにも見える。触れてみると材質はつるつるにそっくりだが、遠目で土に見せるためなのか表面はザラザラしていた。
「ヴァルダ、無駄に掘らないでください」
 シハルはしゃがみこんで犬の尾を引っ張っている。
 いつの間にか男の子はシハルの背負い箱をおりて、ぼんやりと川の流れを見ていた。
 犬の方はシハルを無視して嫌がらせのようにその辺りをめちゃくちゃに掘っている。やはりバカなのだろう。だが犬が掘ったおかげで土との境目がくっきりと見てとれた。
 トレッティはその不思議なものを見ながら腕組みをする。
 だいたい大股で三歩四方ほどの板状のものが地面に張り付いているように見えるが、これが入口という可能性はあるだろうか。引きあげ扉になっているのかも。トレッティは取っ手になりそうなものを手で触れながら探すが見当たらない。
「ねぇ、どう思う?」
 見るとシハルも犬も倒れている。
「ええ! 何なんだ?」
 さらによく見ると犬は犬ではなくなっていた。犬をかたどった焼き物のように見える。そんなことはあるはずがないから、本物の犬はどこかへ走っていったのかもしれない。
 トレッティは混乱のあまり一度それから目をそらした。
「ちょっとあんた大丈夫?」
 犬のことはとりあえず置いといて、シハルが倒れているのを放っておくこともできない。トレッティは仕方なくシハルを揺り起こす。
 うっすらと目を開けたシハルはか細い声をあげた。
「お腹がすきました」
 トレッティは脱力して、ため息をついた。
「ちっちゃい子じゃないんだから……」
 トレッティは腰に巻き付けていたポケットから氷砂糖を出した。金は後で払ってもらおう。
「甘い」
 まるで初めて砂糖をなめたみたいに目を輝かせている。そしてそのまま手のひらを出した。
「欲張るな。まだ口の中にあるだろ」
 なぜ子供にいうのと同じことを言わなければならないのか。
「あとでちゃんと代金をもらうからな」
 ちゃんと聞いているのかわからないが、こくこくと頷いて、また手のひらをさし出す。よくわからないが、よっぽど気に入ったのだろう。氷砂糖も口にしたことがないということはずいぶん貧しいところから来たのかもしれない。トレッティは大きくため息をつき、その手のひらにもう一つ氷砂糖をのせてやる。
 そういえばあの男の子も腹をすかしているのではないかと、さっきいた川の辺りを見るがいない。呼ぼうとしたが、名前を聞いていなかった。
 ふと足元を見ると、男の子があの犬の形をした焼き物のようなものをじっと見ていた。
 そうだ、これは一体何なんだろうか。焼き物が動いてしゃべるはずがないから、さっきの犬とは関係ないだろうが、あまりにそっくりである。
「触らない方がいい」
 男の子が触れそうだったので、トレッティはあわててその肩をつかむ。
「大丈夫ですよ。ただの土人形ですから」
 シハルは荷物をおろした状態で地面に手をついてこちらまで来る。まさか立ち上がれないのだろうか。
「飢えたのか」
 男の子は真顔でシハルに問いかける。シハルはバツが悪そうな顔で目を伏せた。
「すまないな」
 なぜか男の子はかなしそうな顔をして、両手をついたままうなだれているシハルの頭に手を置く。確かにシハルは自分の荷物と男の子を峠から運んできたのだから相当疲れてはいるのだろう。しかし自身のエネルギー切れに気づけないとは、遊び道具を手にしたまま寝込んでしまう子供のようだ。
「ところでさっきまでいた犬はどうしたんだよ」
 トレッティはさっきから犬の人形があらわれて犬が消えたことが気になって仕方ない。だがシハルだけではなく男の子まで不思議そうな顔をしてトレッティを見あげた。
「ヴァルダはここに」
 シハルが犬の形の焼き物をトレッティに見せるように持ち上げる。情報が処理しきれず、トレッティはただ黙った。
 川の音以外しんと静まり返った中に突如、異様な物音が響く。地面がわずかに振動しているのを感じた。トレッティは左右を見渡すが結局何が起こっているのかわからず、問いかけるように二人を見る。シハルと男の子は目を丸くしてトレッティの背後をじっと見つめていた。
「ちょっと、次は何なんだよ」
 おそるおそる振り返ると、そこには柱のようなものが立っている。ちょうど先ほどの地面にはりついた土色の四角があった辺りだ。
 トレッティは驚いて柱から身を離した。さっきから理解不能なことばかりが起こる。
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