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第3部

第28話「モーリス局長がバンダースナッチ計画について語る顛末」

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 エンライ・エヴゲニー、スマートニューロンの大手メーカーで、基本的にすべての電脳はこの会社が作った生体部品を使っている。

 セクター4の中心にそびえるピラミッド状の巨大建造物は、地上百階建て、地下十三階建ての屋根付きの都市のようで、その中に居住地とあらゆる店舗、設備、学習施設、医療機関を備え、中で生まれた幸運な市民は死ぬまで外に出なくてもなにも困らない。

 外壁に露出した傾斜エレベータで、ぼくとハルト、ライラの三人が、八十八階の試験局へ上がっていく。夕方から降り出した雨が、エレベータのアクリル板を洗う。
 北西の街中で爆発と銃撃の光が閃く。そこから離れた別の場所でも黒煙があがる。ゲリラの戦禍が都心部にも迫っている。

 ライラは黒いボディケージを着て、弾帯ベルトを袈裟懸けにして、弾丸の代わりに睡眠薬のアンプルを挿す。ぼくはキャリーカートにリザ・ゲラルディーニの首が入ったハイバネータをくくりつける。
 ライラがぼくの背中にまとわりついて、服の上から乳首を弄る。

「ねえ……リオ、もう二十四時間もセックスしてないよ。リオのちんぽが欲しいよ」
「もう少し我慢して、帰ったらしよう」
「まだ着かないよ、ちょっと挿れてよ」
「ライラ、ちょっとぐらい我慢できないのか」とハルトが言う。
「フェラーレの身体はセックスしないと死んじまうんだよ」
「今度から外出るときはディルドーでもブチ込んで来いよ」
「リオのじゃなきゃ駄目なんだよ、他のじゃ感じない」

 本社ビル近くを、ゲリラのV4攻撃機が二機、通過する。ANP通信は治安維持部隊の小規模な制圧ばかりを報じているけれど、ゲリラに制空権を奪われて、現実の政府軍はジリ貧にみえる。

 * * *

 八十八階のエントランスホールで、ライラの瞳が赤く発光する。
 その場で行き交う職員たちが一斉に背を向ける。まるで示し合わせたフラッシュモブみたいに、ぼくたちから視線を逸らす。彼らは電脳を奪われたことに自覚がない。
 ぼくたちは中央の廊下を進む。中庭に抜ける。試験局の役員エリアに入ると、ライラが睡眠薬のアンプルを後頭部に差し込む。瞳の光が落ち着いていく。

「ふーっ、次使えるまで三百秒かかるよ」
「もう局長室だ、見つかったらリオに任せよう」

 電脳試験局の役員エリアは、円形の中庭を挟んだ東側に位置する。中に入ると、映像共有したヴィクトールから通信が入る。

「突き当り右に曲がって、黒服がいるけど、二十秒だけ目をそらす」
「合図よろしく」とハルト。
「三、二、一、はい曲がって」

 角を曲がると、黒服の守衛たちがちょうど背を向けて、バイザーに手を当ててその場を立ち去る。局長室のドアは電子錠だけど、ぼくたちが接近すると解錠する。
 中に入ると、木目を貴重とした重厚な執務空間が拡がる。壁の一面が本棚になっていて、列ごとに照明でライトアップされる。応接テーブルと大きなデスクの下だけが明るく照らされ、全体的に薄暗い。

「どなたかな?」

 執務室の大きなデスクに座ったモーリス・ゲラルディーニが顔をあげて尋ねる。右手がデスクの下に滑る。
 無音警報を鳴らしたのだろうけど、ヴィクトールは八十八階のセキュリティを掌握しているのだから、無駄なあがきだ。

「こんばんは、リオです。覚えていますか?」
「ああ、ソフィアの……」
「お見せしたいものがあります」

 ぼくはキャリーケースを引いて、ハイバネータを外す。モーリスのデスクに載せる。窓を開いて、電源を点ける。
 保存液に浮かんだモナリザの首が顕になると、モーリスの表情が驚愕に変わる。

「リザ……」
「モーリス院長、いまは局長ですか。あなたは嘘をつきましたね」
「どんな嘘かね?」
「イスカリオテのモナリザなど知らないと」
「私がしっているのは、リザ・ゲラルディーニだ」
「ユタニ・シュウレイは息子さんですか?」
「リザの連れ子だよ。私に実子はいない」

 ハルトが執務室を歩き回り、壁に埋め込まれた本棚に並ぶ古い書籍の背表紙を眺める。この時代、紙の本は高価なアンティークだ。

「モーリスさん、アンタに訊きたいことがある。ちゃんと答えられたら、モナリザやシュウレイのように、ハイバネータの中で永遠にゾンビ電脳として変態電脳医の玩具にされずに済む。言葉は慎重に選べ、俺は気が短い」

 ハルトが言う。モーリスは部屋の入口をみる。表情に焦りが見える。何度見たって、誰も来やしない。

「ユタニやイスカリオテに睡眠薬を横流ししてたのはアンタか?」
「私は手配しただけだ。横流ししていたのは私だけでなく、警察幹部にもモグラがいる。みんなやっていた」
「ICSとやりとりしていたのは?」
「それは知らない。私がコネを持っているのは総務省で、内務省ではない」
「どうして総務省に?」
「病院から市民庁に電脳鍵を受け渡す責任者だ。望まなくてもパイプはできる」
「すると、アンタにコンタクトしてきたのは」
「エネルギー局……」
「あれ? 電脳管理局じゃねえの?」
「いや、そうだったな。電脳管理局だ」
「エネルギー局って、随分前に総務省の一部門からエネルギー省に格上げされたよな」
「ああ」
「あんた、隠し事がいっぱいありそうだな」
「わかってくれ、私も歯車のひとつに過ぎないのだ」
「電脳管理局とは何の話をしたんだ?」
「睡眠薬の棚卸し粉飾だ。工場からの出庫数を端数切捨てして、差分を横流しする汚職を強いられた。強制されてやったことだ。じぶんの意思じゃない」
「なるほど。エネルギー局ってのは?」
「それは……」
「漬物になってからしゃべるか」
「いや、待て、話す。エネルギー局にはSKF創設時に兵隊を作る計画を相談された」
「イ号細胞蒸着実験ですか」

 ぼくが身を乗り出して訊く。モーリスは観念したかのように溜息をつく。声のトーンが下がる。

「そうだ、バンダースナッチ計画の一部だ」
「SKFの兵隊か」とハルト。
「大陸の一部がNOX事故で蒸発して、エリアKに大穴が空いてから、主権を失った領域を巡ってボストクナヤと中国、シベリアとの間で資源の奪い合いが起きたことをリオくんは知らないな」
「知ってます、ダイバーネットの文書館で読んだだけですが……。杜撰な管理をしていたNOX燃料が爆発を起こし、M自治区やシベリア連合のウラジオストクあたりまで蒸発した。メダンの火以来の大災害となったとか」
「電脳政府の第三次カトー内閣が組閣された頃、エリアKのエネルギー資源を確保するため、連合防衛庁ではなく、総務省エネルギー局が直轄する実働部隊としてSKFが組織された。そのためのサイボーグ兵士として、出自の不明な人間が必要になったんだ」
「それでハイバネートしたぼくたちを……」
「そうだ。扱いに困る迷惑な氷漬けの子供たちを、連合のために役立たせる良い機会だったのだ」
「それは強制的に……」
「強制はしてない。電脳化の最終工程で過去の記憶は消えるからな、生まれ変わった君たちには新たな生きる目的が必要だ。それを与えたのはエネルギー局だ」
「でも、子供ですよ」
「その子供たちが大きな戦果を上げ、エリアKの主権を奪い返すことができたんだよ。君たちイ式兵は見えない軍隊だ。誰も勝ち目がない」
「南沙連合の支援があったからではないんですか、SKFの規模なんて知れてますよ」
「それもあるが、現地で諜報活動を行ったのはSKFだ。ボストクナヤはこれまで歴史的にないがしろにされがちだった情報の価値を認めたわけだな」

 応接ソファにライラが腰を下ろし、サイドテーブルのテーブルランプを点けたり消したりする。ハルトは本棚から本を取って開く。眼の描かれたバイザーをかけて読む。ぼくはハイバネータのシャッターを閉じる。

「教えて下さい。メアを産んだのは、ハイバネートしていた波根村紗英はねむらさえという子ですか?」
「マオ・ユーハンがそう言ったのか?」
「ええ」
「名前は覚えていないが、ハイバネートしていた少女が産んだことは間違いない」
「いつ頃ですか?」
「相当前だ、十年か……あるいはもっと」
「どうして紗英はハイバネートなんか……」

 モーリスは本棚の前に立つハルトを見る。ライラを見る。落ち着かない様子で視線を泳がせる。

「妊娠していた子は、自分からハイバネートを希望したようだ。ご両親の同意書がなかったから……ひょっとすると、ハカマダ博士に嘆願したのかもしれない」
「なぜですか?」
「わからんよ、五十年も前のことだ」
「なぜメアをギリアンのようなアウトローに」
「それは説明したとおりだ。誰も引き受ける者がいなかった。ギリアンは店の娼婦に赤ん坊をおしつけ、産んだ娘は早々にフェラーレユニットに換装した。SKFに送り込んだあとのことはしらない、ほんとうに」

 ハルトが振り返ってモーリスに近づく。銃を抜いて、モーリスの頭に突きつける。

「全部喋った、約束が違うぞ!」とモーリスは激昂する。

 ライラがモーリスの背後に周り、違法な電脳麻酔のアンプルを挿す。モーリスはデスクの上にうつ伏せに倒れ、いびきをかき始める。バイザーにヴィクトールからの通信が入る。

「そんじゃあリオ、通報してくれ」

 ぼくはバイザーの左右を長押しして、緊急通報メニューを表示する。市民にしか使えない通信機能で、警察に連絡する。このときのために、大金を納税している。
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