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第3部

第23話「マオ・ユーハンに会う顛末」

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 シャオジエン有限責任公司、エンライグループの下請けユニットメーカーで、マオ・ユーハンはアンドロイドの試作機を作る仕事をしていた。
 ツェムナヤ・ドリナのバラックが立ち並ぶスラム街の中に、ユーハンの地下ラボがあった。

 夜のスラム街は霧が立ち込め、清掃車が電子音を響かせながら路上のゴミを収集する。雑踏を行き交う人々は多くがストールを頭に被り、他のスラム街と違って暗いトーンの服装ばかり。
 エアリアルサイネージが空中に卑猥な動画広告を流し、屋根付きのフードコートで得体の知れないエナジーフードを掻き込む肌の浅黒い肉体労働者たちがその動画を鑑賞しながら、ロシア語で野卑な言葉を交わす。

 ぼくはルシアとライラと共に、客のふりをしてラボを訪れる。下着のような衣装を売っている店の脇から地下への階段を降りて、金属のドアをノックすると、天井の監視カメラがぼくたちを捉える。ぼくはフードを被って俯く。ライラとルシアがカメラに手をふる。

「ソフィアの紹介で予約したライラだよ」
「あーはいはい、入って」

 ドアの鍵が開く。中に入る。ランジェリー姿の女二人が笑顔で出迎える。
 一人はY字のシースルーテディを着て、もう一人はふたなりの女で、勃起したペニスが薄いショーツを突き上げる。スペイン語で話しかけながら、ぼくたちを案内する。通路の壁にうず高く資材が積まれていて、金属の棚にガラス瓶に積められたバイオユニットのパーツが浮かぶ。

 広い実験室に入ると、壁際にぼくが入っていたのとそっくりの培養槽が並び、裸の女たちが浮かんでいる。培養液に浮かぶ女のうち、一人は筋肉や眼球がむき出し。
 手術台にうつ伏せの女性アンドロイドが寝かされ、背中のコンパネに無数のケーブルが差し込まれている。その向こうでしゃがんでオイルまみれの人造心肺をウェスで拭いていたハゲで義眼の医師が起き上がる。

「いらっしゃい、パーツ交換だったかな?」
「マオ・ユーハンだね」とライラ。
「いかにも」
「彼のこと、覚えてる?」

 ぼくはフードを脱ぐ。ユーハンは銀色の義眼でぼくをみつめると、口元が緩む。

「きみは……リオくんか、生きていたのか」
「お陰様で」
「ゲリラの襲撃で死んだとおもっていたよ」

 ユーハンは手袋を外してぼくに近づく。
 手を伸ばして、ぼくの頬に触れる。瞳を覗き込む。後ろ髪をかき上げて、有線端子をみる。腕をとって手を開かせる。勝手にぼくの身体にベタベタ触れて診察を始める。

「傷一つないね、完璧だ。やはりきみは完璧だ」
「ぼくをフェラーレにしたのはあなたですか?」
「私は治療と覚醒しかしとらん。君をデザインしたのはフェラーレの造顔師のネネだ。もっとも、換式かんしきユニットだから、オリジナルから大きく変えることはできないのだが、ソフィアが勝手に弄ってしまってね」
「換式って、なんですか?」
「細胞交換ユニットだよ、あれを見給え」

 培養槽に浮かぶ筋肉がむき出しの女を指差す。

「これはアンドロイドなんだが、やっていることは人間とあまり変わらん。これが培式ばいしきだ。電脳の脳殻だけにしてから、新たに細胞を作る。換式はオリジナルの肉体にクローニングする、人間の、それも女性にしか施すことができないとても難しい技術だ。うまくいけばきみのように完璧になる」
「ぼくは男ですよ」
「そう、初めての換式男性だ。普通はホルモンの異常分泌で死ぬんだが、君は運良く脊髄が損傷していて、湿潤槽しつじゅんそうの中でクローニングが済むまで治療しなかったらうまくいった。この施術法を知っているのは、いまのところ私とソフィアだけだ」
「ぼくを氷漬けから復活してくれたのは、バイオユニットの実験のためですか」
「いや、事情は訊いとらん。ハイバネートした子どもたちを覚醒させるのが私の仕事だ」
「子どもたち? 他にもぼくみたいな子がいたんですか?」
「ああ……、それはあっちで話そう」

 ユーハンが奥の部屋を指差す。床を這う大量のケーブルでドアが閉められなくなっていて、その向こうにソファが並ぶリビングが見える。

 * * *

 ランジェリーの女たちがコーヒーを淹れてくれる。スペイン語でなにか話しかけられるけど、コモドールのバイザーはちゃんと翻訳してくれない。女たちは壁際の背もたれのないソファに横になって、ふたなりの女が上になってセックスを始める。

 長テーブルを挟んで、向かいにマオ・ユーハンが座る。ここは半地下になっていて、天井付近に細長い窓が設置されている。
 いつしか外は雨が降り出して、泥が跳ねて窓を汚す。天井の通気孔がゴウゴウと空虚な音を立て、骨董品のような液晶モニタがジラジラしたドット画像のニュース映像を流す。

 マオ・ユーハンがネオスポラに火を点ける。金柑のような匂いがする。ラボに漂う合成オイルとコーヒーの香りに混ざって、キャンプ場のような匂いを発する。

「ゲラルディーニ柿崎記念病院には、ハイバネートされた子どもたちが大勢いた。みんな未成年の女の子だったよ、リオくんを除いては」
「その子たちが、どういう理由でハイバネートされていたかわかりますか?」
「わからん。病院は大戦を生き延びたが、昔の資料は故意に破棄されてしまった。リオくんのことは、資料がなくてもわかったがね。君は脊髄損傷で自発呼吸もできない状態だった。ハイバネーション技術を確立したハカマダ・イサオ教授の息子さんだったからね」
「その子たちを覚醒させたんですよね」
「そうだ」
「なんのために……」
「イ号細胞蒸着実験と呼ばれとった。役所が考えそうな名前だな。SKFのイ式兵を作るための人体実験なんだよ。特殊細胞の定着は換式バイオユニットでなきゃならん。失敗率も高いから、身元不明で社会的に存在しない若くて従順な女性が必要だった。そんな都合の良い身体がゲラルディーニ病院の地下に眠っていることに、院長のモーリスが気づいた」
「ハイバネートされた子たちですか」
「そうだ、どうして病院で氷漬けになっているのか、古い資料をあたっても肝心の理由がわからんそうだ。なにせ大戦前の人間たちだ。遺伝情報も傷のない完璧でクリーンなまま、止まった時が動き出すのを待っていた」
「それまでずっと放置されていたんですか」
「そうだな、ハイバネーションはたいして電気代もかからんし、下手に触って装置を壊したりトラブルを起こしても責任問題になるから、長い間誰も触れたがらなかった。そもそも覚醒技術を病院は持っていない。だからいつしか君たちに関する資料は意図的に破棄され、存在が宙に浮いた」

 壁際でファックする女たちが体位を変える。ライラがネオスポラに火を点ける。ルシアがコーヒーを飲む。
 液晶モニタの映像に、睡眠薬輸送車の簒奪事件が特集される。大型バイクや発煙筒などの遺留品が多数残されているにも関わらず、警察は未だに犯人の絞り込みができていなかった。ラザレフカの少年たちやエンライ社の内部犯行、脱走兵やゲリラ犯行説などが唱えられ、実に複雑な推論が紹介されている。事実はもっと単純なのに、メディアの推理はいつも間違っている。

「実験された子たちは、どうなったんですか?」
「うまくいった子はユタニに売却したようだ。失敗した子はわからん。ユタニはあの子どもたちを仲介取引してから商会として躍進し、セクター株の暴落のときに東部の物件を買い漁っていた。ユタニは買った子供を軍に転売したのだろう」
「ぼくも、そうなる予定だったんですか?」
「おそらくね」
「糸を引いていたのはモーリス院長ですか?」
「この件について、院長と直接喋ったことはない。秘書のローニャという女とやりとりしていた」
「ああ……あの人か」
「知り合いかね?」

 ぼくは頭を抱える。ルシアが露骨にため息をつく。糸が途絶えてしまった。ローニャはボリスが撃ち殺してしまった。壁際の女たちの喘ぎ声が回転数を上げる。

「どうして、そんなことをぼくたちに教えてくれるんですか?」
「私しか知らないと殺されるだろ。かと言って、この話を理解しないやつに漏らしてもやぶ蛇だ」
「覚醒した子のなかに、ハネムラ・サエという少女はいませんでしたか?」
「はて、ハネムラ……? 私が担当した中にはいなかったな」

 ユーハンがバイザーをかける。指先でバイザーの表面をスワイプする。指が止まる。

「ああ、いたね、妊娠していた子だね」
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