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第2部

第27話「ICSのスパイを捕える顛末」

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 エンライ・エヴゲニー本社にほど近いツェムナヤ・ドリナ地区のスラム街を、棘だらけの凶悪なバギーが走る。
 何故か活き活きした表情のボリスが運転し、死体のような無表情で助手席にぼくが座り、窓の外を眺める。前にもこんな仕打ちを受けたことがある。

 後部座席のスペースにはシートが無く、コンソールボックスを抱えたヴィクトールが手すりに捕まってゴーグルをかけたままネットにダイブする。

「ハルトがICSのスパイって言ってたけど……」とぼくが呟く。
「そうだな、それがどーかしたか」とボリス。
「武装してるかな」
「なんだ、撃ち合いが苦手か。シュウレイの首を千切って持ち帰ったじゃねーか」
「銃は嫌いだよ」
「なんで?」
「簡単に殺せるけど、簡単に殺されるかもしれない」
「リオ、撃ち合いは先に撃った奴がだいたい勝つ。それさえ覚えておけば簡単には死なない」
「大雑把だね」

 車が路地に入る。ふわりと浮かび、雑居ビル三階の駐車場へ滑り込む。ヴィクトールが顔をあげる。外を覗き込む。

「おい、ボリス、このビルであってんの?」
「向かいのビルだよ。直接入るわけねーだろ。リオ、行くぜ、降りろ」

 ぼくたちはヴィクトールを残して車を下りる。ボリスはSR25、ぼくはサチのM24Rを構えて、雑居ビルの狭い廊下を走る。バイザーをかけて暗闇を見通す。階段を駆け上がる。雪がうっすら積もった渡り廊下を走る。
 向かいのビルに渡りきると、コンクリが剥き出しの外廊下をゆっくり進む。汚れた壁に大量のタギングが描かれ、床に散乱したゴミを踏み潰す。ドアを開けて部屋から出てきた男がぼくたちを見て驚き、部屋に戻る。バイザーにヴィクトールの通信が開く。

『そこ突き当り右、左は監視カメラの射角に入るから間違えんなよ』

 突き当りの丁字路を右に曲がる。中腰で速歩き。高校時代はピアノばかり弾いていてあまり運動はしていないのに、バイオユニットの身体は息切れしない。全身の筋肉に負荷は感じるのだけど、短期的な疲労はあまり溜まらない。

『三番目の扉。中いるよ、いるいる、マップ出しまーす』
「ヴィクトール、マップいらねーよ、何人?」とボリス
『えーっとね、女が一番奥、銃持った男が三人、あとは女の近くに人質いるから、間違って撃つなよ』

 扉を挟んでボリスと向かい合う。ボリスがライフルを担いで拳銃を抜く。

「開いたら俺が先に入って一人撃つ、リオは姿を消して突入しろ。みんな俺に撃ち返すから一人は殺せ。入り口にぼけっと立つなよ、邪魔んなるから」

『開けまーす、三、二、一……』

 扉がすっとスライドする。ボリスの黒いバイザーに反射するぼくの姿が、手に持った大型拳銃ごと煙のようにふわりと消える。ボリスが銃を構えて室内に入る。パン、パン、パンと乾いた音が響く。ぼくも部屋に入る。ソファの向こう側で散弾銃をボリスに向けた男を撃つ。男は壁に叩きつけられて崩れる。窓際で煙草を咥えた男が機関銃をボリスに向ける。ボリスが滅多撃ちにする。ガラスに穴が開き、血飛沫が飛び散る。

 ぼくはふわりと姿を現し、ボリスと共に女に銃を向ける。ニットマスクの女が、褐色の肌の少女を脇に抱いて、拳銃を少女の頭に突きつける。

「傭兵に殺されたと思ったら、こんなところにいたのか。ローニャ」
「仕方なかったんだよ」とニットマスクの女が言う。
「聞きたいことがある」
「なに?」
「ルシアを離せ、外から撃たれるぞ」

 ニットマスクのローニャが一瞬外をみる。ぼくは再び姿を消してローニャに接近する。視線を戻したローニャが、姿が消えたぼくを探して狼狽え、後退る。ローニャの背中に飛びつき、拳銃を持った腕を褐色の肌の少女から引き剥がす。銃が暴発する。ボリスが突進して、ローニャを床に組み伏せる。褐色の肌の少女が転倒する。

 ぼくは少女を抱き起こす。口に梱包テープを巻かれて、手首と足首に手錠がかけられている。梱包テープをゆっくり剥がす。
 ボリスがローニャを拘束して、引き起こす。木の椅子に座らせる。ニットマスクを引き裂き、顔と上半身を顕にする。背中に蜥蜴とかげのタトゥーがみえる。ボリスの部屋で朝から晩までファックしていた姿を覚えている。
 ボリスがキッチンチェアの背もたれを前にして跨ぎ、尋問を始める。

「何が訊きたいのさ」
「クルグリー・プルドのキャンプが襲われたとき、お前どこにいた?」
「アンタの部屋だよ」
「どこにいたんだ?」
「非常階段さ、防火扉を閉めといた」
「傭兵を手引したのはお前か?」
「手引はしてないわ、襲うことは知ってたから」
「シュウジの役割は?」
「知らないよ」
「ハルトのスパイか」
「そうね」
「アキラはなにをやっていた?」
「アキラ? 運転でしょ?」
「あいつは、仲間じゃないのか?」
「ああ……、そういうこと。アキラが裏切ったのなら、アタシは知らないわ。少なくとも、アタシがキャンプから逃げ出すまでは、アキラはルツの仲間だった」

 梱包テープを剥がすと、ルシアは「助けて」とか細い声で訴える。ぼくはルシアの肩を抱えて、男たちの死体の間を縫って、ソファに座らせる。ぼくと同じくらいの年齢にみえる。美しい褐色の肌に、エキゾチックな顔立ちで、睫毛がとても長い。

「エゼキエルのルシアだよね」とぼくが尋問する。
「そうよ……」
「イーライたちにドラッグの生成器を融通したのは君なの?」
「それは、ユタニに勧められたからよ。中抜きしろって」
「どうして法テラスに?」

 手錠がかけられた腕を上げて、ローニャを指差す。

「その女が、クラブでアーメッドと会ってた」
「アーメッド?」
「ICSの指揮官よ。エゼキエルは目の敵にされてるから、みんな知ってる」
「それでどうして法テラスに?」
「見てはいけないものを見てしまった。でも、父と組織を巻き込むわけにはいかないわ。だから証人保護を受けようと思ったの」

 意志の強い眼差しでぼくを見つめ返す。いままであまり出会ったことのないタイプの子だ。こんな少女がカルテルの取引の一部を仕切っていたというのは、なんだか世知辛い。ぼくは解錠器を取り出して、手錠の電子錠に押し付ける。デジタルフォントの表示が総当りを開始する。

 ボリスが木の椅子をローニャの前に背を向けて置く。椅子に腰掛けて、背もたれを抱く。ネオスポラに火を付ける。甘ったるい煙が立ち上る。

「アタシを殺すなら早くしな」とローニャが吐き捨てる。
「シュウレイから連絡は?」
 ボリスがかまをかける。ローニャは口ごもり、ぼくを振り返る。
「恩を仇で返すあんたらを殺せって命令だよ」
「ほーん」
「アタシが……あんたらを殺したことにしてもいいよ、逃してくれたら」
「それはいい考えだ。だけどな、ユタニ・シュウレイはもう死んだ」

 ローニャがボリスを睨みつけて床につばを吐く。

「全部教えろ、ICSはなぜオレたちにちょっかい出してきたんだ」
「しらないね」
「教えてくれたら、助けてやる」
「ほんとに? 約束できる?」
「お前はずっと俺の女だったろ、殺しゃしねーよ」

 ローニャがルシアを振り返る。ローニャの目の下にクマができている。疲れ果てたその姿に、わずかに憐憫れんびんを覚える。

「ICSの狙いはカルテルどうしの抗争で、ユタニを支援して睡眠薬の流通量を絞るつもりなのさ。ユタニにしてみれば、ICSから横流しされた睡眠薬を少量売るだけで稼げるから、こんな美味しい話はないだろ」
「それで西部にちょっかい出してきたのか」
「そうよ。西部は木っ端ギャングが多いけど、横のつながりが複雑だから、あんときメンツが多かったルツが狙われただけ。イーライを焚き付けてあんたらと殺し合いを演じさせ、奴らを足がかりに西部進出すれば、血を流さずにルート開拓ができるって算段よ。予定通りにいかなかったけどね」
「お前はなんでICSの犬になったんだ」
「犬じゃないわ、利用してるだけ」
「犬はそう言うんだ」
「もういい?」
「ルシアをどうする気だ?」
「イスカリオテを装って、エゼキエルとの取引に使うはずだったけど、ボスのオリオンが乗ってこない。だからここで輪姦して、殺して送りつけるつもりだったけど、役に立たないチンポどもが病院から戻らないんだよ」
「東部だけならともなく、西部までめちゃくちゃにしやがって」
「めちゃくちゃにしてんのはゲリラだろ、アタシは関係ないよ。全部喋ったよ、解いてよ」

 ボリスが拳銃を抜く。いきなりローニャを撃つ。ルシアが悲鳴を上げる。頭を撃ち抜かれたローニャの体は椅子に縛られたままぐにゃりと仰け反る。

「あーあ、殺しちゃった」とぼくは呟く。

 解錠器が電子錠を外す。ルシアの手足を自由にする。呆然とする少女を残して、ぼくたちは血の海になった部屋を出ていく。
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