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第1部

第7話「この異世界について教わる顛末」

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 雨音に目を覚ます。

 薄汚れた天井、ここはどこ。

 頭を起こす。ぼくはベッドに全裸で仰向け、左隣にユリアが寄り添い、右の肩にエレナが頭をのせて、寝息を立てる。窓から差し込む憂鬱な薄明かりがぼくたちの白い肌に落ちて、窓を流れる雨粒がぬるりとうごめく。

 時計は十一時半、昨夜は朝五時ごろまで二人の美女と快楽に溺れ、ヘトヘトになるまで休みなくセックスし、シャワーも浴びずに眠ってしまった。下腹部と太腿に乾いてカピカピになった体液の痕。陰茎が未だに勃起したまま反り返る。
 ぼくが腕を動かすと、エレナが薄目をあけてぼくの首筋を舐める。

「おはよう、リオ……ねえ、とりあえず、セックスする?」
「おはよう、エレナ、もうお昼だよ」
「そうね、お腹空いたわ」

 ぼくたちは身体を起こす。エレナが後頭部のケーブルを外す。寝ているユリアを起こさないようにそっとベッドを降りる。床がひんやり。
 この十二畳ほどの広さの寝室にはベッドと姿見、壁に埋め込まれた棚、クローゼット、モニタ、それにガラス張りのシャワー室とトイレがある。
 ぼくはエレナと一緒にシャワー室に入る。大手町でみたことがある電話ボックスと同じくらい狭くて、ぼくはエレナと抱き合ってシャワーを浴びる。昨夜のセックスの痕跡を洗い流す。エレナが爪先立ってぼくにキスをする。昨夜は夢のようなひとときだったけれど、その夢は夜が明けてもまだ覚めない。

 夜が明けた。そのことに少なからず驚いた。

 昨夜、このキャンプに連れてこられたとき、この異世界はずっと夜のままだと勝手に思い込んでいた。分厚い雲に覆われた空から雨が降り注いではいるけれど、たしかに夜は明けた。

 シャワーを止めると、狭いシャワーボックスに螺旋状に風が吹き上げる。髪も体も瞬く間に乾く。シャワー室を出る。ぼくとエレナは脱ぎ散らかした服を拾って着る。
 窓から見える高層ビル群は夜の風景とずいぶん異なり、鈍色にびいろに輝く薄汚れた廃墟の群れのようで生気がまるでない。ところどころに緑が生い茂り、滴る水汚れが幾重にも伸びた外壁に雨が打ちつけ、白い霧となって幽玄ゆうげんに立ち込める。

「いま何時?」

 目覚めたユリアがごろりと寝返りを打って聞く。甘い香りが立ち上る。

「十一時半だよ」
「やっば、あたし今日、購買の当番だわ」

 ユリアが起き上がる。シャワーも浴びずに急いで服を着て部屋を出ていく。エレナは「あたしも行くから、後でね」とぼくに手を降って部屋を後にする。二人は階段を下りていく。

 * * *

 ロビーに行く。
 ソファの上でゴーグルをつけたままドレッドヘアの男がいびきをかいている。長テーブルに酒瓶と吸い殻の積もった灰皿があって、カラフルなピルと、U字型の機械が散らばる。
 バルコニーで青い煙の水タバコを吸う男女の姿、女はネムで、男はシュウジというヤク中。ロビーの奥につながるラウンジからまた誰かの行為の声が響く。水タバコの男女は焦点の合わない眼でぼくをみる。男の方がひらひらと手を振る。サチとハルトの姿が見えない。
 冷蔵庫を開ける。水の入った瓶を取り出す。開ける。飲む。吐き出す。これもお酒だ。お掃除ロボが足元に滑り込んでくる。

「よお兄ちゃん、アンタ、異世界から来たんだろ?」

 振り返ると身長二メートルを超える巨漢がぼくを見下ろす。透明のボトルを差し出す。水だよと言う。

「ありがとうございます」
「俺はベツって言うんだ、リオと響きが似てるな」

 ベツはスツールに腰掛ける。ぼくも腰を下ろす。もらった水を飲む。ひどく喉が乾いていて、飲み干してしまう。バルコニーから雨に湿った生ぬるい風が吹き込む。

 大男は茶色のレザージャケットを着て、汚れたジーンズを履いている。オールバックの髪は襟足が長く、口ひげを生やし、頭に銀色のサングラスのようなバイザーをのせる。浅黒い肌に刺又さすまたのタトゥーが掘られている。

「ぼく、寝坊したみたいです。ハルトさんはどこですか?」
「ハルト? まだ寝てるんじゃないか」
「ユリアたちが、何かの当番とかで、出ていきました。ここでは、みんななにか役割があるようです」
「そうだな、リオは賢いな。たいした役割じゃない。ユリアたちはどうせ購買だろう。買い物だよ。俺たちはネットで買い物ができないから、闇市で欲しい物を手に入れる。着るもの、食い物、クスリ、酒、煙草、武器、それに情報。みんながゾロゾロ買い物にいくと、公安の網にかかるから、交代で行くんだよ」
「ぼくも、何かしたほうがいいですか?」
「リオはハルトたちと一緒に盗みに入るんだろ、電脳睡眠薬」
「そう、聞きました」
「それがアンタの役割」
「ぼく、まだ何もしてないです」
「やるときは声がかかる。それまでは、なにもしなくていい。酒のんで、クスリでもやって、女がいるならファックしてろよ」

 ベツは小さな瓶をあおって水を飲む。

 ぼくはつい昨日まで高校二年生で、土日も予備校に通い、火曜日は家庭教師が家に来て、木曜日はピアノ教室で、空いた日に妹の友梨と自宅のコートでテニスをしたり、武蔵美むさびの先輩と発泡スチロールを削ってオブジェを作ったり、友達とゲームで遊んだり、洗い物をして、掃除をして、お母さんの買い物に付き合って、妹とお菓子作りをして、とにかく常にやること、やりたいこと、やらなきゃいけないことが山積みになっていた。それが全部なくなった。なにもしない、ということをしたことがない。

「ベツさんは、何をする人ですか?」
「俺は爆弾製造」
「爆弾……」
「ライフルや拳銃だけで、警備のサイボーグは簡単に殺せないからな」
「病院でった兵隊はライフルを持っていました」
「ああ、解放ゲリラね。あいつらも爆弾使うよ」

 エレベータで爆発音を聞いたことを思い出す。あのときはわけがわからず、恐ろしくて吐きそうだった。

「解放ゲリラってのは、俺達と同じ自由民なんだけど、まあ極左だな。体制や制度に反発するガキに武器持たせるとああなる」
「ぼく、殺されそうでした」
「見境なく殺しゃしないよ。ハルトが同伴した奴らは西部のマシなやつらで、エンライの向こう側に陣取る東部連合はクレイジーの集まりだ。東側には行かないほうがいいな、俺も用がなきゃいかない」
「エンライ……」
「エンライ・エヴゲニー」
「それって、なんですか? 広告をみました」
「スマートニューロンの大手メーカーだったけど、今は何でもやってるな。こっちじゃ、エンライって略すんだ。いま自社名でやってるのはアンドロイドとセクサロイド……」

 ベツが言葉を切る。宙を見つめる。ポケットからタバコを取り出す。咥える。

「自由民って……なんですか?」とぼくが聞く。
「知らないのか」
「言葉の響きで、なんとなく自由な人たちだと思っていましたが……」
「仕事を持って金を稼ぎ、きちんと納税し、きちんと投票して政治に参加してる奴らは市民だよ。納税は義務であり強制なんだが、その代わり市民サービスを無償で受けられる。保険や年金、医療サービスなんかの福祉だな。リオは電脳クレジットを持ってるか?」
「持ってないです……聞いたこともないです」
「俺達は自分の電脳に財布を持っていて、銀行はその取引記録を担保するだけだ。そしてその電脳で入出金するたびに、様々な税金をむしり取られるんだが、俺たちはそれを電脳睡眠薬で逃れてるんだよ。量子通信機能を止める薬で、一発かませば大体は半永久に機能は停止する。それで納税義務を免れる自由民になれるんだ」
「それ、みんなが使えば、みんな自由民になってしまうんですか?」
「そのとおりだ。だが自由には犠牲がつきものだ。量子通信を止めると納税だけでなく、選挙権も、市民サービスを受ける権利も失う。良し悪しだな」
「なんのためにそんな薬があるんですか……」
「本来は電脳過敏症という難病の治療薬だよ。精製するのにナノマシンが必要だから、俺達は自前で作れない、だから盗むんだ」

 どうやらぼくが想像していたのとは違うクスリらしい。
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