ハンガク!

化野 雫

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第百二十三話

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「ああ……そうだったな、与一。
 分かったよ、つい、調子に乗っちまった、すまん」

 幸い、最初に声を掛けた、そう結果的に『タレちゃん』の名付け親になった彼がそう答えた。そうなのだ。彼は元々こういう奴なのだ。お調子者の様なふりをしながら、ちゃんと良い悪いの分別は付くしごく真っ当な奴なのだ。

 こいつ、そして、この僕のクラスのツートップとも言える二人が、忍を庇ったことでクラス中の忍に対する風当たりががらりと変わったのが、その時の僕には分かった。実はこの時、僕は内心ほっと胸を撫でおろしていたのだ。だって一歩間違えば、忍へのいじめを本格化させかねない事態だったのだ。そればかりか下手すれば僕自身も今の地位を失い、忍共々クラスのいじめのターゲットにされかねなかったのだ。そういう事は、特別なケースじゃない。どこの学校だって、どんなクラスにだって起こりえる事なのだ。ほんの少しのバランスが崩れるだけで立場はすぐに180度変わってしまう。子供の心理なんてそれほどあやふやで不安定なのが普通なのだ。

 たぶん、僕があの一言を発しなければ、忍は確実にいじめの対象になっていた。そして、それは最低でもこの小学校に居る限り間違いなく続いていただろう。そして忍がこのまま地元に居続け、公立の中学校へ進むことになれば、そのいじめはたぶん中学校でも続いていただろう。あの時の僕にはそんな確信があった。

 しかし、それは僕の居たクラスの者がそういう陰湿な事を好む輩の集まりだったからという訳では決してない。そして、それは忍の方だって同じ。かなり実際、気弱だったけど、その程度ならどこにでもいる子供だ。しかも転校して知り合いや友達も一人も居ない状態ならなおさらの事。どちらも、ごくごく普通の子供たちだ。そんな純粋無垢な子供が、ちょっとした事が切っ掛けで一人の人間の人生を大きく変えてしまうようないじめを呼び寄せてしまう。

 いじめと言う物はそういう物なのだ。それを加害者側、あるいは被害者側に、特別な理由を付けようとするからいつまでも経ってもいじめは無くならないのだ。そこにはたぶん、いじめを行う側に対しても、また受ける側に対しても、自分とは違う正常でない要素があるからだ、と言う考えが根底にあるんじゃないかと僕は思っている。そしてそれは、自分とは異質の者たち、そうある意味『異常な人間』が起こす問題で『正常な人間』である自分とは関係ない、と安心したい心理の表れじゃないかと思う。

 実際、その時の僕がそこまで深く考えていたかどうかは今では分からない。でも、少なくともその時の僕は、そんな事を何となくではあったが理解出来ていた様な気がする。だからこそ、僕はあの時、逃げたくはなかったのだろう。自身も加害者、被害者にいつ転げ落ちてしまうかも分からない。だからこそ、今の自分の場所に踏みとどまる為に、その時の僕は自身がいじめられるかもしれないリスクを背負ってでも、まだよく知りもしない転校生の忍を助けたいと思ったのだ。

 でも、僕は、そう、その時はそんなヒーローみたいな事が出来た僕が、その後『白瀬京子』の事件を引き起こしてしまうなんて、つくづく人生、いや神って奴は意地悪なものだと、今つくづく思うのだ。


「来いよ、忍。この学校の事、色々教えてやるからさ」

 僕と彼の一言で、興味本位な、忍や大人たちから見ればいじめその物の様な言葉は、ぴたりとおさまった。僕は一人忍に歩み寄り、そう出来るだけカッコつけてこう声を掛けた。

 僕の声にやっと俯いていた顔を上げた忍の頬には、やはり涙が涙が流れた後が一筋残っていた。

「大丈夫、みんな良い奴さ。
 ちょっと調子に乗りすぎただけ」

 僕はそんな忍の耳元でそっとそう小さく囁いた。その瞬間、忍の体がびくっと跳ねる様に震えた。そして、緊張しきった表情だったのが、その口元だけだったけど微笑むかのように微かに緩んだのを今でも僕はよく覚えている。

「……ねぇ、名前聞いてなかったの。
 もし良ければ、名前を教えて……」

 そして、忍ははにかむ様にすごく小さな声で僕にそう尋ねた。

「平泉、『平泉 与一』。
 呼び方は『与一』で良いよ、皆もそう呼んでる。
 ちなみに僕も四月からこの学校に来た君と同じ転校生ださ」

「与一君も転校生なの?」

 僕がそう答えると、忍は少しうれしそうな、それでいて少し不思議に思ったのか小首をかしげてそう尋ねた。
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