ハンガク!

化野 雫

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第百十話

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 ともあれ僕は、あまりに現実離れした怖い想いをした後なのにそんな風になれる緑川の姿を見て、やっぱり、女の子は男の子が思っているよりはるかにタフなんだと改めて思った。それと同時に、なんだか今の緑川の反応って、女の子が彼氏の隠し事を見つけた時に様だな、とも感じた。

「まあ、そう来るよね。
 巴、君ならすぐにそう尋ねてくるとは思ってたよ。
 それに与一も聞きたいだろうしね。
 相手が他ならぬ君たちなら良いだろう」

 板額がそう答えた時だった。


 カツン、カツンと不意に階段上がって来る靴音がした。

 僕は、いや僕だけでなく緑川も、誰か新手の敵が現れたのではと身構えた。だって、それってアニメや映画などではド定番のシチュエーションだからだ。板額の圧倒的な戦闘力を目の当たりにはしていた僕らだったけど、再び板額があの鬼の姿と戦闘力を復活させられるかどうかは分からなかったのだ。


 しかし、階段から上がって来た人物の姿を見て僕はすぐに安心した。遠目で、しかもLEDランタン以外に光源がなく薄暗く、顔まではハッキリとは分からない。でも僕はその人物が誰かはすぐわかったんだ。だってあの服装は遠目に見たって僕が見間違えるわけがない。

 闇に溶け込みそうな濃紺のロングワンピース、逆にその闇の中ひときわ目立つ真っ白なエプロンドレスとヘッドドレス、ピンと伸びた背筋。あれは間違いなく板額のメイドさんである篠原さんだ。

「メイド?!」

 僕より先に緑川が、その篠原さんの姿を見て、素っ頓狂な声を上げた。

 まあ、それも普通の人なら致し方ない反応なのだろう。それは、あれだけ尋常ならざる事態を経験した緑川でも仕方ない事なのだろう。いや、あの様なあまりに尋常ならざる事を経験したからこそ、篠原さんのあの絵に描いたようなトラッドなメイド姿は余計に奇異に見えたのであろう。


 僕達が居る事に気が付いた篠原さんは、僕達に軽く一礼した後、すぐに板額のもとに歩み寄った。

「板額お嬢様、下の階の処理、ならびに関係省庁への根回しは完了しております」

 篠原さんは、僕らの時とは違って、最敬礼に近い深いお辞儀をした後に板額に報告した。

 そう、あれだけの事が階下ではあったのにまったく動揺のない事務的な話し方だった。やはり篠原さんはただのメイドさんじゃなかった。僕はその時そう確信した。初めて会った時にちょっとだけ夢想した『戦闘メイド』って言葉がこの時再び僕の頭に浮かんだ。まあ、下の惨状を作ったのは篠原さんじゃなく板額だ。だから篠原がそれで『戦闘メイド』ってわけじゃないけど、なんだか今の落ち着いた様子を見て僕はそう思ったんだ。

「了解、ご苦労様」

 板額も、いつもの篠原さんとする会話とは違い少し事務的にそう答えた。

「板額お嬢様、お化粧直しを……」

 そんな板額に篠原さんは、板額の顔を覗き込み、いつもの調子に戻ってそう声を掛けた。そして手早く腰に付けていた黒い革のポシェットから何かを取り出した。

「あの姿を見られた後ではもう何だけど、
 やっぱり少なくとも与一にはあまりこんな素顔は見られたくないからね。
 これも『女心』って奴かな?」

 板額もいつもの調子に戻ってそう答えた。その時の板額の顔はなんかごく『乙女』って感じで可愛かったのを僕はよく覚えている。

 篠原さんがポシェットから取り出したのは、ファンデーションのケースと化粧ブラシだった。

 その時、僕は初めて気が付いた。

 板額の額の角はもうすでに綺麗になくなっていた。肌の色も雪の様に真っ白く透き通るように綺麗な肌だ。あの特徴ある顔に浮かんでいた幾何学模様の様な真っ赤な模様も消えていた。しかし、その模様のあった辺り、額から頬にかけてが薄っすらまだ赤黒く痕が残ったようになっていたのだ。

 板額はそんな自分の顔を『与一にはあまりこんな顔を見られたくない』と言った。あの鬼の時の様な赤黒い肌ならまだしも、確かに今の雪の様に真っ白な板額の肌では、薄っすらとは言えその痣の様な痕は近寄れば確かに気が付くだろう。それでも、遠目に見ればまったく気が付かない程度の物だ。その上、僕みたいな鈍感な男の目からすれば、近づいたって言われなければ気が付かない程だった。それでもああまで気にするのはやはり板額が女の子って事なんだろうか、って僕はその時ふと思った。
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