ハンガク!

化野 雫

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第百一話

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 僕は望月先輩の竹刀で滅多打ちにされながらかろうじて立ち続ていた。

 しかし、それも限界に近付いているのが僕は良く分かっていた。さっきから膝ががくがくと震え続けている。頭も体もふらふらと揺れている。まるで嵐の中で漂う小舟に乗ってる感じだった。

 ご丁寧に僕が倒れかかった方向から望月先輩は竹刀を叩き込んでくれる。僕の体はその反動でかろうじてまた元の位置に戻るのを繰り返している。もし望月先輩が竹刀で打つのを止めれば僕の体は確実にその場に倒れ込んでしまいそうだった。

「いやぁ、楽しい。実に楽しいよ、平泉君。
 君はインドア専門のもやし野郎と思ったんだけど違ってた。
 思いの他、体力も根性もある。正直見直したよ」

 望月先輩は、そんな僕の悲惨な姿を見て愉快そうに声を上げて笑いながらそう言った。

 僕は、すでに視界も霞んでほとんど見えなくなっていた。それなのに何故だか、望月先輩のあの不気味で屈託のない笑顔だけは見えていた気がする。


 その時だった。

 僕は今でも忘れない。

 カツン、カツンと言う何か固い物が床を叩く音。

 それはゆったりとした、でも規則正しいペースで僕の耳に届いて来た。

 今思えば、あの状況で良くあの音に僕は気が付けたものだと感心する。それはそんなに大きな音じゃなかったはずだ。あれだけの暴力の嵐の中なら普通ならかき消されてしまう種類の音だ。それでもその音は確かに僕の耳に届いていた。

 それは多分、その音を出してる者が意図的に僕にその音を届けようとしていたからなのかもしれない。

 そして、それは確実に僕の居る方へ近づいて来る様だった。


 その音がし始めて、少しして僕を袋叩きにしていた竹刀がふいに止まった。

「やあ、やっと来たんだね。
 待ちくたびれたよ。
 幸い平泉君も何とか意識がある内だったみたいだしね」

 竹刀が止まると共に望月先輩の声がした。

 僕は意識が混濁しそうにはなっていたけれど、それが明らかに僕と緑川、それ緑川を押さえていた男以外に向けられたものだと分かった。

 じゃあ、誰に? 僕は思った。

「よぉ、色男、散々、僕の大切な人を可愛がってくれたみたいだな。
 ご丁寧、その様子をリアルタイムでネットに流すなんてな趣味が悪すぎだ」

 誰の声だ、僕はとっさに分からなかった。

 だって、その声はいつもの声とは異質のものだったからだ。確かにいつもでもその声は、女の子にしてはやや低めな声ではあった。でも透き通るような素敵な声だった。でも今、僕の耳に響いているその声は、もっと低い。むしろ望月先輩の声よりどすが効いている感じすらした。

 そうだ、この声、いつもとは違うけど、僕には分かる。

 これは板額の声だ!

 でも僕は安堵など感じなかった。むしろ逆だ。ものすごく悪い予感がした。このまま板額が現れず僕が意識を失うまで痛めつけられ続けた方が良いと思った。

「板額、何で来たんだ? 何でこんな所に……」

 僕は霞む目で板額の声がする方向を見てそう呟いた。

「当り前じゃないか、与一。
 君を助ける為だよ。
 君を助ける為なら、僕はなんだってするさ」

 僕の呟きを聞き取った板額がそう答えた。その時の声はいつもの板額のままだった。

 でもそう言いながらも分かっていた。やはり望月先輩は板額への復讐を諦めてはいなかったのだ。緑川を餌に僕を吊り上げ、その僕を痛めつけている所を板額に見せて板額をここへまんまとおびき寄せたのだ。いや、ひょっとすると緑川のあの姿さえも板額に見せていたのかもしれない。

「しかし、君一人とは。
 下の連中には君が来たらちゃんとエスコートする様に言っておいたのにね。
 本当にあの手の連中はダメだ、肝心なところで使えない」

 そんな板額に望月先輩が呆れた様に言った。

「板額! ちょっと、あなた、その姿……」

 その時、男に下着姿で押さえられていた緑川の声が聞こえた。

 さすが緑川、心はまだ折れてなかった様だ。この間に緑川は密かに自力で猿轡だけは外していた様だ。

 僕はその声に、霞む目を必死で凝らした。

 すると板額の今の姿が何とか見えて来た。

 板額はフード付きの白いレインコートの様なマントを頭からすっぽり被ってた。マントの合わせ目から、見えたその下は、僕の良く知る葵高の制服ではなさそうだった。長いマントの裾からは、いつもの黒ストッキングとパンプスではなくロングブーツが覗いていた。しかもそのブーツには結構なピンヒールであった。そのヒールが階段の床を叩きながら上がってくるのがあのカツンカツンと言う音だったのだ。
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