木下美月の短編集

木下美月

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消去

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「では博士、このマシンを発明した理由をお聞かせください」

 博士とその助手が完成させたマシンについての特集番組は生放送で流れていた。因みに助手は現在、マシンを使用するために別室に居る。

「実はこの、記憶消去マシンは、私自身が必要としていた事が一番の理由です。このストレス社会にて、消し去りたい記憶なんて山ほどありますからね」

「それはそれは、まさか博士自身の悲願が発明のきっかけになったとは。しかし博士のおっしゃる通り、現代はストレス社会です。この社会での博士の発明は、まさに砂漠のオアシスと言えるでしょう。早速ですが、マシン利用者の密着映像をお見せしたいと思います」

 司会者がそう言うと、中央の特大モニターに映像が流れる。勿論、お茶の間でも同じ映像が流れている。





「昨日休みだったのに、明日も休みだ。素晴らしい日々だな」

 ある家庭のリビングで、サラリーマンの男が呟いた。勿論そんな筈はない。手に持った長方形の端末で、昨日までの四日間の働いた記憶を消去したのだ。

「あらあなた、早速そのマシンを使ったのね」

「ああ。自分がこなした仕事はしっかり覚えているが、溜まったストレスが、働いた記憶だけが綺麗に抜けているんだ。とても清々しい気分だ」

「へえ、そうなの。消したいストレスは、自分の記憶から選べるのよね。今度使わせてもらおうかしら」

 ストレスを感じさせないにこやかな夫婦の映像から切り替わり、若い男が映し出される。

「あ、き、きみは……こんな所で会うなんてね。久しぶりだね」

 道端で男は、すれ違いざまに女に挨拶をした。しかし挨拶をされた方は、見開いた目を申し訳なさそうに細めた。

「あら、ごめんなさい。確かに会ったことがある気がするのですけれども、どうにも思い出せませんわ」

 女の言葉に、男は悲しそうな表情をした。実は男はこの女と交際していたのだが、ある事をきっかけに振られてしまったのだ。

「ああ、すまない。僕の方こそ、どうやら人違いをしてしまった様だ。では、失礼するよ」

 その場から立ち去る男は独り呟いた。

「君がその記憶を消去したなら、僕も……」





 ここで映像が終わり、カメラは再び博士と司会者を映す。この時点で番組視聴率は、人気バラエティ番組を越えていた。ストレス社会を生きる国民にとって、このマシンは何よりも興味深いものであったからだ。

「さて、今お見せした映像は、このマシンの使い方のほんの一部です。記憶を選んで消去できること、仕事や恋愛のストレスも自在に管理できる事がおわかりでしょう。実際、このマシンが普及してから日本の自殺者数は大幅に減少しています。これからは海外への普及も検討しているそうですね」

「ええ。しかし、それももうすぐ叶う事ですよ。後はより多くの人々に普及し、ストレスフリーな社会になればいいですね」

 博士は大変気分が良さそうな笑顔だ。まだマシンを購入していない家庭では、マシン購入検討の家族会議が開かれるに違いない。
 安くはない値段だが、それ程、いや、それ以上の価値がある事は既に視聴者は察しているだろう。

「お優しい願いですね。さて、ある所では博士の受賞は間違いないだろう、と噂をされておりますが、この後どこかでお祝いなどを行うのでしょうか」

「はい、お祝いに関しては助手と二人でひっそりと行うつもりです。いつも良い発明の後は良い食事をするんですけどね、今回はいつも以上に豪華なディナーでも、と考えております」

 博士は大層楽しみそうに答えた。
 実は助手にマシンを使わせるのは今回が初めてである。不具合があってはいけないと、使用は世間に普及してからと言付けていたのだ。勿論様々なテストが行われ、博士自身で使用し、安全が約束されてから世間に普及した。そこまでした後に助手に使用を許可したのだ。それ程に、博士は助手を大切に思っていたのだ。
 博士は、そんな大切な助手との食事の時間が好きなのだ。
 そこで、後方の扉から助手が登場した。マシンの初体験を済ませたのだ。

「さて、助手さんが帰ってきました。マシンの感想を聞いてみましょうか」

 司会者はそう言うと、助手を博士の隣に座らせた。

「いやはや、なんと言うべきか、最高に気分がいいですよ。今まで何がストレスだったのか思い出せないくらい、気分が良い。これが今よりも社会に普及すれば、世界はもっと美しくなりますよ。満員電車の小さなストレスから、仕事のミスなど大きなストレスまでも消してくれるんですから」

「助手さんの、それ程大きなストレスはなんだったのか気になりますが、消えてしまった以上詮索できませんし、その方が行儀が良いですね。さて、博士はお祝いに助手さんといつもの様に食事を、とおっしゃっていましたが、助手さんはマシンが大成功した社会を見て、何かしたいことなどあるんですか」

「ええ、私は旅行が好きなので、マシンが普及した各地を見て回りたいですね。しかし博士、いつもの様に、とおっしゃいましたか。……さて、私は博士と食事に行ったことなどありましたっけ」

 この助手の言葉に会場は凍りついた。お茶の間では、数秒置いてから爆笑が起こっただろう。
 博士が大切にしていた助手。その助手の多大なストレスの正体は、博士との食事だったのだから。

 さて、 博士は今のストレスを後に消去したとしよう。しかし街を歩けば番組を視聴した者が「助手のストレスの正体だ」と博士をからかうだろう。

 博士はその度にマシンを使うのか、それとも新たな発明を生み出すのだろうか……。
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