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白い結婚成立直前に旦那様が帰ってきました 5

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 ――カリカリとペンを走らせる絶え間ない音。

 インクの香りが漂うマークナル殿下の執務室。
 外部の人の出入りが極端に制限されているこの場所には、私に対して口さがないことを言う人など誰もいない、ましてや意地悪する人など誰もいなかった。

 この3年間、マークナル殿下の執務室は、職場であると同時に心安らぐ安全地帯だった。

(けれど今、この場所がこの上なく息苦しい……!!)

 チラリと目線を上にすれば、二人の男性がなぜか向かい合って書類にペンを走らせていた。
 一人は淡い金髪に紫色の瞳をした、どこか儚げな魔性の美貌を持つ男性だ。

 向かいに座る男性は儚げな男性とは対照的に一目で鍛えられていると分かる体を持つ。
 黒い髪に緑がかった青い瞳が印象的な美丈夫……。

 王国でもこれだけの美貌を持つ人は数えるほどだろう。
 二人揃うとまるで光と影の美しい絵画のようにすら思える。もちろん目の保養に違いない。

(でも、マークナル殿下のことはもう見慣れてしまったし、ウェルズ様は今はまだ私の旦那様だわ)

 その二人が仲良くしていてくれたらどんなに良いだろう。
 3年前、ウェルズ様が戦地に行く直前まで、二人は肩組み合うほどの親友だったのだ。
 どうしてこんなにも、この部屋の空気は張り詰めているのだろうか……。

「なあ、フリーディル卿。そろそろ、自分の執務室で書類を処理した方が良いのでは?」

 マークナル殿下がペンを走らせていた手を止めて口を開いた。
 隊長だったころは騎士団の詰め所に戻らなければ執務室がなかったウェルズ様。
 けれど、騎士団長になった今、彼は王宮に立派な部屋を与えられている。

「……第三王子殿下は、軍部の最高司令官であらせられる。戦後処理の書類を書き終えてすぐ確認していただけるので、大変効率が良いのです」

 ウェルズ様がペンを走らせていた手を止めて、軽く微笑みながら主張した。

(それだけ聞けば、思わず納得してしまいそうになるけれど……!!)

 職務に忠実という印象しか受けない美貌の騎士団長様の言葉。
 周囲の人たちはきっとその言葉を鵜呑みにして、彼の仕事熱心さを賞賛するに違いない。

 今朝のやりとりが記憶に新しい私と一週間前出会い頭に宙につり上げられてしまったマークナル殿下を除けば……。

 そして今、室内にいるのは私たち三人だけだ。

「……こちらの書類、全て完成いたしましたのでご確認ください」

 出来る限り表情を表に出さず、取り乱さず。
 それが、この場所で生きる上の私の最適解だ。

「カティリア、ありがとう」

 マークナル殿下が麗しく微笑むのもいつものことだ。おそらく彼は、その紫色の瞳が持つ魅了の力なんてなかったとしても、数多の令嬢たちを虜にするに違いない。

(ですから、マークナル殿下が微笑む度に不機嫌さを露わにするのやめてください!)

 密かにため息をついて、積み上げられた書類を確認し始める。
 意外といっては失礼だが、ウェルズ様は書類仕事もそつなくこなすようだ。
 二人も有能な上司がいるようなものだ。二人が競うように処理するものだから、書類の山がどんどん高くなっていくことに震える。

(あれ……?)

 そのとき、書き連ねられた数字に目が留まる。
 なんとなく気になった。けれどそれは書類を確認する上での重要な信号でもある。

「……どこがおかしいのかしら」

 それは、騎士団の武器の購入に関する書類だった。
 一つ一つ丁寧に収支を確認していけば、一つの結論に行き当たる。

(これ、計算間違いじゃないかも……)

 数字のゼロを書き忘れるなどの計算間違いをすればそれなりにわかりやすく計算がズレる。
 けれどこれは、巧妙に隠そうしているあとがあった。

「ウェルズ様……こちらの書類なのですが」
「何かあったか」

 ウェルズ様が眉を寄せた。
 報告をしたときにきちんとその重要性を理解してくれる。それは上司として重要な才覚だろう。

(だからきっと、ウェルズ様は過酷な戦場で部下たちと共に生き延びて、騎士団長まで上り詰めることができた……)

 胸に湧き上がるのは、素直な賞賛だ。
 ウェルズ様は隊長の時から部下たちに慕われていた。
 王国最強の剣とも言われる武勇に話題が向きがちだけれど、ウェルズ様の真価はそれだけではないのだ。

「説明してくれるか?」
「計算間違いであれば一時的なはずですが、帳簿に通常とは異なる一貫性のないデータが散見しています」

 ウェルズ様の眉間のしわがさらに深くなる。
 つまりこれは、不正が疑われるデータだということに気が付いたのだろう。

「……君の視点で良い。対策を述べてくれ」
「早急に取引明細の照合を行い、内密に関連部署の監視を行うことをおすすめします」
「そうしよう。他には……?」
「うーん。そうですね……匿名で不正を通報できる仕組みはありますか?」

 ここまで述べたところで、軍部の最高司令官と騎士団長を前に出すぎた真似をしたかもしれないと思う。
 けれど、私の目の前で二人は顔を見合わせて愉快だとでも言うように口の端をつり上げた。
 
「ないな……。確かに、検討の余地はあるだろう」

 そのまま立ち上がると、ウェルズ様は私の頭にそっと手を置いた。
 温かいその手になぜか心臓が強く音を立てて鼓動し始める。

「……成長したのだな、君は」
「ウェルズ様」
「……残念だが、すぐに騎士団本部に戻らねばならないようだ。マークナル殿下、取引明細の照合についてと関係各部署への内密の監視について、指示をいただきたく」
「卿に全権委任する。早急に解決せよ」
「は……。御心のままに」

 美しい立礼。まるで舞台の一幕のように凜々しく格好いい姿に私は見惚れてしまった。
 ウェルズ様はソファーに掛けていたマントを羽織ると、先ほどの書類を持って急ぎ足で扉へと向かった。

 けれど扉を開けて去る直前になぜか振り返る。

「マークナル殿下、彼女を屋敷まで送り届けていただいても?」
「ああ、もちろんそのつもりだ」
「……まだ3週間あります。それまでは彼女が俺の妻であることをお忘れなく」
「……はあ、わかったよ」

 ウェルズ様はそれだけ話すと今度こそ去って行く……かと思われた。
 けれど、踵を返してこちらに近づいてくる。

「ウェルズ様……?」

 私の髪を一房愛しげに手のひらにのせ、なぜかそこに口づけが落とされた。
 見上げた緑がかった青色の瞳には、頬を染めた私が映り込んでいる。

「口惜しいが、今夜は遅くなりそうだ」
「お気をつけて……」
「ああ、待っていてくれ。出来る限り早く帰るから」

 緊迫感を感じる表情に口元だけの笑みを浮かべ、ウェルズ様は今度こそ足早に部屋を出て去って行った。
 私は閉められた扉をただ呆然と見つめることしか出来なかった。
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