3 / 24
元婚約者、それは赤の他人です。
しおりを挟む◇
連れ去られたエレノアは、豪華な一室ですべての持ち物を奪われて、侍女たちに浴槽へと連れ去られ、磨き上げられた。
「くっ、逃亡用の転移魔石も、魔獣を封じ込めた水晶も奪われてしまった」
自ら開発した装備を奪われてしまっては、エレノアは残念なことに、ただの非力な令嬢でしかない。
もちろん、最終手段は、誰にも奪われない場所に隠している。
「これさえあれば、いつだって逃げることが出来る。焦ることはないわ」
そうつぶやいた瞬間、茜色の瞳が暁の金色をたたえて煌めいた。
エレノアは美しい茜色の瞳で、整えられた室内を見渡す。
いつも過ごす室内は、何がどこにあるか、手に取るようにわかる。
それなのに、急に連れてこられた室内は、良く見えないエレノアの視力では、何がどこにあるかわからない。
エレノアの生活を補助している、魔道具も今は取り上げられてしまった。
エレノアの目は、物の輪郭と色合いが微かにわかる程度の視力しかない。
「おそらく、あと一回しか、使うことが出来ないけど」
エレノアは、煌めく茜色の瞳を隠すように両手で塞ぐ。
エレノアが生まれ持つ、唯一の能力。
それはあまりに、使い勝手が悪いから。
だから、今のところ、全ての対抗策を奪われたエレノアには、自らの立ち位置を声高に訴えるしかない。
「――まったく! これは、王国から魔塔への宣戦布告と捉えていいのかしら」
「こちらです。エレノアお嬢様」
(なんて、強引な。彼女まで、ここに連れてきているなんて)
エレノアの言葉に、砂粒ほどの動揺も見せないで答えたその声に、ため息をつく。
最高峰のもてなし、丁寧にして強引。これは、明らかに、かつての婚約者、レイ・ラプラスの手口だった。
侍女たちにもみくしゃにされているうちに、エレノアの姿はかつての美しさを取り戻していく。
いや、魔法薬で磨かれた肌、少し冷たい印象があっても、誰もが羨む美しさ、その姿は幼さが消えた今、三年前よりも何倍も美しい。
英雄さえも虜にした、伯爵家令嬢エレノア・クレリアンスが、鏡の前にいた。
「お美しいですわ。エレノアお嬢様のお姿を再びこの目に焼き付けることができるなんて」
「リリル……。お世辞はいらないの。会えたのはうれしいけれど。あなた、結婚を機に、侍女は引退したのではないの?」
「エレノアお嬢様にお仕えできるのなら、もちろん戻ってきますとも」
「あなたまで、協力するなんて、今回はいったい何なの」
「英雄が、完全勝利を手にして、凱旋されるのです。お出迎えする必要があるとは思いませんか?」
侍女のリリルが、誇らしげに、仮の姿から、元の美しい姿を取り戻したエレノアを見つめる。
当のエレノアは、自分の美しさには無頓着だ。
それは、決してほとんど視力がないという理由ではない。
とくに視力にハンデがなく、伯爵令嬢、英雄の婚約者として過ごしていた当時から、ドレスや宝石より、魔道具や発明に興味を示す変わり者だったのだから。
「……こんな格好させて。もう関係がない私に何の用が」
最後の抵抗をするエレノアは、忌々し気にそう言うことしかできなかった。
戦地に出立する直前にした婚約解消の届出から、一度だってエレノアに手紙を送ることすらしなかったのに。
その瞬間、扉が開いて冷たい空気が吹き込んできた。それは、魔力を含んだ懐かしい空気。
そして、耳に微かに届く、聴力に秀でたエレノアにしかわからない、ほんの僅かな機械音。そして、複雑に混ざり合った二種類の魔力。
(あなたにだけは、もう会いたくなかった……)
うるんだエレノアの瞳は、前を向いてその姿を見ることを拒み、フワフワの毛足が長い絨毯を見つめた。
顔を上げなくても、その瞳の色は、エレノアの瞳に焼き付いている。
いつか見せてくれると約束した、どこまでも青い、南の海。
その瞳は、見るものが許可なく目を逸らすことを許さない。
「会いたかった。エレノア」
「私は、会いたくなかったわ。元婚約者に、今更、何の用件です? ……ラプラス卿」
「もう、レイと呼んでくれないのか」
「元婚約者を、世間では何というかご存知ないのですか? ――――それは、赤の他人です」
会いたくなかったと言えば、嘘になる。
エレノアは、レイ・ラプラスのことを、嫌っているわけではない。
否、むしろ好きな方に、天秤が傾く。
その傾き具合が、何らかの方法で可視化されるのなら、誰もにエレノアが、レイ・ラプラスを恋い慕っているのが、即座にわかる程度には。
だからこそ、エレノアは、レイのそばを離れた。
レイが英雄として戦地に旅立ったあの日、今までの功績への褒美を盾に取り、レイとの婚約解消を国王陛下に申請し、魔塔に引きこもったのだ。
「私たちの婚約は、解消されたはずです」
「――――もし、あの日解消なんてされていないとしたら?」
「もし、そうだとしても五年間、婚姻が結ばれなかった場合、婚約は自動的に解消……」
その瞬間、蒼白になったエレノアは息をのんだ。
婚約はとうに解消されていたと思っていた。
レイが戦地へ行った日は、ちょうどエレノアとレイが、婚約して二年目のことだった。
だから、五年目を迎えるのは、まさに明日だった。
(もし、婚約が解消されていなかったのだとしたら、あの日の二年前に婚約した、私たちは明日まではまだ……)
そう、明日で五年を迎えるのだとしても、明日まではエレノアとレイは、まだ婚約者であるということになる。
そんな二人が、婚礼をあげることには、誰の許可もいらない。
だって、神と王家に認められた婚約は、まだ解消されていないのだから。
「っ……まさか」
「そう、明日がその最終日だ。明日中に婚礼をあげてしまえば、俺たちは名実ともに夫婦となる」
その言葉を聞いたエレノアは、ようやくその顔を、レイに向ける。
色と輪郭しかはっきりわからないエレノアにも、相変わらず泣きたくなるほど青く美しい、レイ・ラプラスの瞳の色だけは、はっきりと見えた。
「まだ、一日ある。婚礼の準備は整っている」
「うそ……」
世紀を揺るがす、魔塔の長エレノア・クレリアンスと、全戦全勝の英雄レイ・ラプラスの結婚式は、直前に迫っていた。
エレノアの意思を全く考慮することもなく。
12
お気に入りに追加
689
あなたにおすすめの小説
求職令嬢は恋愛禁止な竜騎士団に、子竜守メイドとして採用されました。
待鳥園子
恋愛
グレンジャー伯爵令嬢ウェンディは父が友人に裏切られ、社交界デビューを目前にして無一文になってしまった。
父は異国へと一人出稼ぎに行ってしまい、行く宛てのない姉を心配する弟を安心させるために、以前邸で働いていた竜騎士を頼ることに。
彼が働くアレイスター竜騎士団は『恋愛禁止』という厳格な規則があり、そのため若い女性は働いていない。しかし、ウェンディは竜力を持つ貴族の血を引く女性にしかなれないという『子竜守』として特別に採用されることになり……。
子竜守として働くことになった没落貴族令嬢が、不器用だけどとても優しい団長と恋愛禁止な竜騎士団で働くために秘密の契約結婚をすることなってしまう、ほのぼの子竜育てありな可愛い恋物語。
※完結まで毎日更新です。
外では氷の騎士なんて呼ばれてる旦那様に今日も溺愛されてます
刻芦葉
恋愛
王国に仕える近衛騎士ユリウスは一切笑顔を見せないことから氷の騎士と呼ばれていた。ただそんな氷の騎士様だけど私の前だけは優しい笑顔を見せてくれる。今日も私は不器用だけど格好いい旦那様に溺愛されています。
黒茨城の魔女と虹眼の下僕
灰銀猫
恋愛
孤児ゆえに神官になっても侮られて過重な仕事を押し付けられる主人公。ある日身に覚えのない噂を理由に辺境の砦に異動となるが、道中で護衛の騎士に襲われる。胸を剣で貫かれた衝撃で前世の自分が魔女だったと思い出した主人公は……
※タイトル変えました(旧黒魔女と金の下僕)
書き直して再投稿します。
ふんわり設定のご都合主義の話なので、広いお心でお読みください。
日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話
下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。
そんな彼に見事に捕まる主人公。
そんなお話です。
ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。
ヤンデレお兄様に殺されたくないので、ブラコンやめます!(長編版)
夕立悠理
恋愛
──だって、好きでいてもしかたないもの。
ヴァイオレットは、思い出した。ここは、ロマンス小説の世界で、ヴァイオレットは義兄の恋人をいじめたあげくにヤンデレな義兄に殺される悪役令嬢だと。
って、むりむりむり。死ぬとかむりですから!
せっかく転生したんだし、魔法とか気ままに楽しみたいよね。ということで、ずっと好きだった恋心は封印し、ブラコンをやめることに。
新たな恋のお相手は、公爵令嬢なんだし、王子様とかどうかなー!?なんてうきうきわくわくしていると。
なんだかお兄様の様子がおかしい……?
※小説になろうさまでも掲載しています
※以前連載していたやつの長編版です
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
交換された花嫁
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」
お姉さんなんだから…お姉さんなんだから…
我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。
「お姉様の婚約者頂戴」
妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。
「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」
流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。
結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。
そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる