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幸せな結婚
しおりを挟むそれから数日後、命に別状はなかったもののルドルフは肋骨が数本折れていて、治癒師から安静を言い渡されていた。
「もう少しちゃんと休んだらどうですか……?」
「君の言いつけ通り、ベッドの上にいるじゃないか」
休むつもりがないらしいルドルフは、すでに実用化されていることが先日の事件で表沙汰になってしまった護身用の魔道具についての書類をまとめている。
「どうしてそんなに急いでまとめているんですか」
「宰相閣下が魔道具に興味を示されてね……。部下たち全員に持たせたいそうだ。こちらを優先的に流すのであれば、魔鉱石の採掘権を再考してくれることになった」
「それでは……!」
「まだ油断はできないが、必ず手に入れてみせる」
ルドルフは余裕の表情で口の端を上げた。
アリアーナは、ホッとしてルドルフのそばに寄る。
「ところで、君が手にした食事。……冷めてしまいそうだが」
アリアーナは手にしたトレーに視線を向けた。スープからは湯気が立っているが、このままでは確かに冷めてしまうに違いない。
「あっ、いけない! ルドルフ様、召し上がってください」
「――契約書に、俺が怪我をしたときには君が食事を食べさせると記載しておくべきだったな」
「……冗談ばかり」
「本気だ。それに、双方合意があれば口づけもいつでもしていいと……。君に触れても良いときちんと明記しておくべきだった」
アリアーナはため息をついた。
ルドルフが変わり者の部類に入るのは間違いない。すでにわかっているつもりではあったが、感情を表に出して素直になったルドルフの愛情表現は父母を亡くして一人で成り上がってきた弊害なのか、いつも契約書のようだ。
(……それなら一番始めにもらった結婚契約書。あれはもしかするとルドルフ様にとって最高の愛情表現だったのでは……!?)
――それはきっと事実なのだろう。
愛情はお金に換算することはできないだろうし、契約書のような文面で伝えるものではないに違いない。
それでも、契約書に書かれた内容は、すべてアリアーナのことを思っているとわかる項目ばかりで、彼女を縛るものなど一つもない配慮されつくしたものだった。
(しかも、直筆だったわよね……! もしかしてルドルフ様にとってあれは恋文……恋文だったの!?)
なんてわかりにくい愛情表現だったのか、とアリアーナはため息をつく。
それと同時に、そんな不器用すぎるルドルフのことが可愛く思えてきてしまうのだから、アリアーナの恋も相当重症に違いない。
「……でも、契約書に書く必要なんてありませんよ」
「アリアーナ?」
「私はルドルフ様のことが大好きで、私だってルドルフ様に触れたいし、もっとあなたのことを知りたいと思っているんですから」
そう告げた途端、ルドルフはアリアーナの手を引いて抱き寄せた。
意外に鍛えられている胸元に抱き寄せられて見上げれば、恐らく痛かったのだろうルドルフが軽く眉を寄せていた。
「ほら……。無理はダメですよ」
「……離れないでくれ。これは、お願いだ」
「ルドルフ様?」
ルドルフは黙ったまま、アリアーナに口づけした。
その不意打ちのような口づけをアリアーナは目を見開いたまま受け入れる。
遠慮がちだった先日の口づけと違い、今回は息をするのを忘れそうなほど激しくて甘くて深い。
肩で息をしながら涙目で見上げたアリアーナに、ルドルフはもう一度口づけしてきた。
あまりに苦しくて、思わず胸元を押すと嬉しそうにルドルフは微笑んだ。
(ズルい、そんな顔されたら文句なんて言えなくなってしまう……)
「そうだな……俺の全ては君のものだから、契約なんて必要ないに違いない」
「……ルドルフ様」
「契約書を持ってきてくれないか」
「……はい」
自室に戻り結婚契約書を持ってくると、ルドルフに差し出したアリアーナ。
特別な契約に使われる魔法紙は、どんな大火でも燃えることがなく、決して破り捨てることができない。
――契約者双方に契約破棄の合意がない限り。
「……ルドルフは、この契約を破棄することに合意する」
「ルドルフ様」
「さあ、アリアーナも……」
「……アリアーナは、この契約を破棄することを合意する」
その瞬間、ルドルフの瞳の色のような濃い青色の炎が燃え上がり、契約書は一瞬強い光を放つと灰になって消えてしまった。
「これで君は自由だ……」
清々したとでも言うように笑ったルドルフをアリアーナは見つめた。
そして、ルドルフは胸元から小さな箱を一つ取り出した。
「その上で、これを受け取ってくれないか」
「これは……?」
「開けてみてくれ」
小さな箱の中には、見慣れた色合いの宝石がついた指輪が入っていた。
そっと取り出して光に透かしてみる。
「もしかして、あのブローチの?」
「ああ、大きな欠片が残ったから、急ぎ指輪に仕立て直してもらったんだ」
「……」
アリアーナの緑色の瞳から、宝石に負けないほど輝く大粒の涙がこぼれ落ちた。
一滴、二滴とこぼれ落ちた涙を愛しげに見つめると、ルドルフは箱から指輪を取り出した。
「俺の愛を受け入れてくれるなら、受け取ってくれないか」
「はい……。もちろんです」
指輪をはめた途端、小さな魔法陣が宝石から浮かび上がり、なぜかカチャリと音がした。
「……え?」
「無事、起動したか」
「えっと、どういうことですか……?」
「この指輪は実は……」
ルドルフが差し出したのは、指輪の機能だ。やはり細かい文字でびっしり書かれたそれは、もちろんルドルフの直筆だ。
――この指輪は、フィンガー家の金庫の鍵を兼ねている。
――この指輪を使いアリアーナは金庫の財産を自由に使うことができる。
――この指輪はいざというときにアリアーナを守る魔道具を兼ねている。
――但し、指輪の位置をルドルフは把握することができる。
――この指輪は……
「な、何も変わっていない。というよりも、悪化している!?」
「気に入ってもらえただろうか……」
「気に入るも何も……」
少々気になる文面もあったが、先日の事件を思えば仕方がないのだろう。しかも困ったことに、アリアーナはとくに嫌だと思えないのだ。
理性では、これは嫌がってもおかしくない内容だと理解しているにしても。
「えっと、ルドルフ様の分はあるのですか?」
「ん……? 一応作らせたが、俺の分は特別な機能は」
「……」
アリアーナはにっこりと微笑み、ベッドサイドのベルを少々荒々しく鳴らした。
すぐにベルマンが現れて、恭しく指示を待つ。
「ベルマン、ルドルフ様の指輪にも私と同じ機能をつけて」
「……かしこまりました。そう仰ると思って、すでに準備をすすめておりました」
(さすがベルマン!! でも、やっぱりベルマンがあの物語を書いた疑いが深まるばかりだわ……!?)
最近緊急刊行された物語の最終巻には、ようやく思いを伝え合った二人が指輪を交換する場面がある。その指輪は二人を繋いだネックレスの宝石を使われていたのだ。
やはり恭しく差し出された指輪を手にして、アリアーナがルドルフに向き合う。
ベルマンはいつもの仕事で見せる完璧な表情を崩し、胸元から取り出した白いハンカチで目元を拭うと、美しい礼を披露し退室していった。
「指を出してください」
「アリアーナ」
「……何もかも、これからは二人で決めるんです。嬉しいことだけではなく、苦しいことも、悲しいことも半分こです。これは一方的に提案された契約ではなくて、二人で決める約束です」
「約束……」
「愛しています。ルドルフ様……」
「……俺もだ。アリアーナ」
二人の指に輝く指輪が小さな魔法陣を浮かび上がらせた。
――こうして王都でも有名な二人は、本当の夫婦になった。
「ところでアリアーナ」
「はい、ルドルフ様……」
「もしも君が俺を選んでくれたらと願い準備をすすめていたことがある」
「何ですか……?」
「半年後に歴史上でも類を見ないほど最高に豪華な結婚式を執り行う。ほら、これが企画書だ」
「……な、なな!?」
企画書の文字は、未だかつてないほど熱意にあふれてびっしりと書かれている。
あまりに分厚い企画書を見つめてアリアーナは盛大なため息をついた。
「来賓の範囲は……」
「宰相閣下の強力により隣国にまで魔道具の取引を拡大するめどが立った。隣国の王族や貴族も多数参加するだろう」
「……うう、それでは名前から覚えなくては……。それに、新しいドレス、宝石、招待客の特徴」
こんな出来事がルドルフと結婚した直後にもあった気がする。
けれど、どう考えても今回はその数倍は大変な事態になりそうだ。
「だが、君ならできるだろう?」
「……そういう言い方、ズルいと思います!」
「今回は君がこの企画を確認し、俺に意見をくれないか」
「……え?」
「俺からのお願いだ」
「……そ、そんな」
「君を愛しているし、君に期待している」
「だから、そういう言い方はズルいです!!」
――この半年後に執り行われた結婚式はこの王国の歴史上でも類を見ないほど盛大だったと語り継がれている。
最高の食事に素晴らしいドレス、光り輝く宝石に、会場中の豪奢な飾り付け。
妖精が織り上げたという布を使った花嫁のドレスは誰よりも花嫁を可憐に輝かせ、ドレス史に語り継がれる出来映えだった。
もちろん会場の中心で仲良く寄り添う夫婦が誰よりも幸せそうだったことも言うまでもない……。
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