21 / 25
契約と甘い朝食 1
しおりを挟む(本当に一緒に朝食を!?)
アリアーナの横には、すでに完璧に支度を整えたルドルフが優雅に席に座っている。
結婚してから約二ヶ月。契約書の一番始めに書かれた文面にもかかわらず、二人で朝食をとることは一度たりともなかった。
「あの、ルドルフ様」
「……眠れたか?」
「……ルドルフ様こそ、いつ眠っているのですか?」
結局ルドルフは、あのあとフィンガー商会の本社へ行き、朝まで戻ってこなかった。
朝食を一緒にとるために無理に時間を捻出したのは明らかだろう。
「仮眠した」
「体を壊しますよ?」
ふっ、と唇から空気が漏れる音がした。
(違う、ルドルフ様の笑い声……)
その笑顔は現実的ではないと思えるほど麗しい。
ルドルフは美形で、背が高くスタイルがよい。
だが、無表情であるが故に近づきがたい印象だった。
(この笑顔は……反則だわ!)
もしも夜会でルドルフがこんなふうに笑ったなら、きっと何人もの淑女が興奮のあまり倒れてしまうに違いない。
「心配してくれるのか? うれしいな……」
(そ、その台詞も反則ですっ!!)
動悸が激しくなってしまったアリアーナの上気した顔に気がついていないのだろうか。
美味しそうなスープにサラダ。卵にお肉。今日の朝食もバランスが良く健康に配慮されている。
「ほら」
「……んう!?」
半熟に焼き上げられたオムレツをスプーンにすくい、ルドルフがアリアーナの口に押し込んだ。
「君は華奢すぎるから、ちゃんと食べているか心配になるんだ」
「……あの、自分で食べられますけど」
「そうか、それならさっさと食べると良い。さもなくば、全部俺が……」
「わー!? 食べます!!」
慌てて食べようとしてむせてしまったアリアーナにそっと水が差し出された。
「さて、あとはベルマンに任せて出掛けるとするか」
「……ルドルフ様、まってください。せめてお見送りを!」
「全部食べ終わってないんだ。食べるのに忙しいだろう? 見送りは不要だ」
もう一度、オムレツが口に押し込まれる。
「むぐぐ……」
「可愛いな」
「……!?」
もう一度反則級の笑顔を見せて、ルドルフはアリアーナの口元についてしまったトマトソースを指先で拭った。
食堂にはアリアーナと、何も見ていないという態度をとることにしたらしく笑顔のまま一点を見つめているベルマンだけが残されたのだった。
***
――図書室は静寂に包まれている。
新しいドレスは、コルセットで締め上げられて息苦しい時代遅れのドレスと違って軽やかだ。行儀悪いと理解していながらも、アリアーナは図書室の吹き抜けのらせん階段にチョコンと座った。
(それにしても、ルドルフ様の初恋相手が私だなんて驚いたわ……)
アリアーナは小さくため息をつく。恐らくルドルフがアリアーナと結婚してくれたのは、あのときの恩を返し、初恋相手を助けたかったからなのだ。
(だから、期間を設けるために契約結婚だと宣言したのよね)
そうでなければ、初夜にあんな宣言をすることはないだろう。
「それに、貴族との繋がりが強固になった今、ルドルフ様にとって私は何の役にも立たないし……」
(それより私と一緒にいたら、レイドル様がまた何かしてくるかもしれない……)
この十年で、平民は富を持ち、魔道具を手にしたことで、魔法の力で優位に立っていた貴族との差は曖昧になりつつある。しかしいまだ身分の差は確かにあって、貴族から目をつけられれば社交界から閉め出されてしまうどころか、時に命の危険すらあるのだ。
(でも契約結婚のつもりなら、今朝は何であんな態度)
今まで時々笑顔を見せても基本的には無表情で、アリアーナからわざと距離を取っているような態度だったルドルフ。
けれど、今朝の態度はまるで……。
(新婚夫婦! 物語に登場する新婚夫婦みたいだった!)
顔を真っ赤にしてしまうアリアーナ。拭われた頬は、今日もジンジンと熱を持っている。
だが、今思えば距離を保ちつつも時々ルドルフの態度は不可思議だった。
(そう、あの菓子店に行ったときのように……!)
気持ちを落ち着けようと開いたのは、悲しいときや苦しいとき、いつも読んでいたすり切れるほど読んだ愛読書だ。
その本に描かれているのは、幼いころに両親を亡くした主人公が初恋の貴族令嬢のために成り上がり、苦境に陥っていた彼女を救い出す物語だ。
(……この話のヒロインに私の境遇が似ていたから、思わず自分を重ねて見ていたけど)
ルドルフの話を聞いたあと、この本を読み返してみればあまりに思い当たることが多すぎる。
(この物語の中で壊れたのはペンダントだけれど、この場面なんかそのままじゃないの……!)
まさか多忙なルドルフが書くはずもないだろう。誰が書いたのか、それはルドルフとアリアーナの境遇をよく知っている人物に違いない。
そしてこの図書館にこの本だけが置いてなかったのも、ルドルフがあえて置かなかったに違いない。
「アリアーナ様。昼食の用意ができております」
そのとき、柔和な声で食事の準備ができたと声が掛けられる。
「……ベルマン。ルドルフ様が幼いころにお屋敷で働いていたって事実なの?」
「旦那様からお聞きになったのですか……?」
「ええ……」
ルドルフは、幼いころ彼の屋敷で働いていたベルマンを呼び戻したのだと言っていた。
(ルドルフ様のことを幼いころから知っていたというのなら、全部わかっていたということよね?)
「どうなさいましたか。奥様」
「……ルドルフ様の初恋とこの結婚の理由について全部知っていたんですよね」
「……ええ、存じ上げておりました」
「どうして教えてくれなかったんですか?」
「旦那様に口止めされておりましたので」
もちろん、ベルマンはルドルフに逆らうことはできないだろう。
だからそれについての追求はやめて、アリアーナは別の質問を投げかけることにした。
「この本ですけど」
「こちらの本だけは置かないように旦那様より言い含められておりましたので、奥様がこの本を荷物から取り出されて本棚にしまったときにはとても驚きました」
「書いたのは誰ですか……」
「ほっほっ。名もなき作家でございますよ」
「十中八九、黒……」
「何のことですかな?」
いつも真面目なベルマンだが、片目を瞑ってウインクしてみせたところを見れば案外お茶目なのかもしれない。
(間違いない気がする。この本の作者は……)
けれど、これ以上詮索をするともっと恥ずかしい思いをするのは自分ではないかとアリアーナは思った。
だから曖昧に笑い、そろそろ食事にするという理由をつけて立ち上がる。
(そうね……。ルドルフ様も隠したがっていたみたいだもの)
一時の平和な時間は過ぎていく。それは嵐の前の静けさなのだった。
177
お気に入りに追加
2,738
あなたにおすすめの小説
私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです
風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。
婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。
そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!?
え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!?
※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。
※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。
※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。
【完結】愛してるなんて言うから
空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」
婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。
婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。
――なんだそれ。ふざけてんのか。
わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。
第1部が恋物語。
第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ!
※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。
苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。
【完結】あなたのいない世界、うふふ。
やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。
しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。
とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。
===========
感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。
4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。
【完結】虐げられていた侯爵令嬢が幸せになるお話
彩伊
恋愛
歴史ある侯爵家のアルラーナ家、生まれてくる子供は皆決まって金髪碧眼。
しかし彼女は燃えるような紅眼の持ち主だったために、アルラーナ家の人間とは認められず、疎まれた。
彼女は敷地内の端にある寂れた塔に幽閉され、意地悪な義母そして義妹が幸せに暮らしているのをみているだけ。
............そんな彼女の生活を一変させたのは、王家からの”あるパーティー”への招待状。
招待状の主は義妹が恋い焦がれているこの国の”第3皇子”だった。
送り先を間違えたのだと、彼女はその招待状を義妹に渡してしまうが、実際に第3皇子が彼女を迎えにきて.........。
そして、このパーティーで彼女の紅眼には大きな秘密があることが明らかにされる。
『これは虐げられていた侯爵令嬢が”愛”を知り、幸せになるまでのお話。』
一日一話
14話完結
婚約破棄されて幽閉された毒王子に嫁ぐことになりました。
氷雨そら
恋愛
聖女としての力を王国のために全て捧げたミシェルは、王太子から婚約破棄を言い渡される。
そして、告げられる第一王子との婚約。
いつも祈りを捧げていた祭壇の奥。立ち入りを禁止されていたその場所に、長い階段は存在した。
その奥には、豪華な部屋と生気を感じられない黒い瞳の第一王子。そして、毒の香り。
力のほとんどを失ったお人好しで世間知らずな聖女と、呪われた力のせいで幽閉されている第一王子が出会い、幸せを見つけていく物語。
前半重め。もちろん溺愛。最終的にはハッピーエンドの予定です。
小説家になろう様にも投稿しています。
不遇な王妃は国王の愛を望まない
ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。
※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷
本の虫令嬢ですが「君が番だ! 間違いない」と、竜騎士様が迫ってきます
氷雨そら
恋愛
本の虫として社交界に出ることもなく、婚約者もいないミリア。
「君が番だ! 間違いない」
(番とは……!)
今日も読書にいそしむミリアの前に現れたのは、王都にたった一人の竜騎士様。
本好き令嬢が、強引な竜騎士様に振り回される竜人の番ラブコメ。
小説家になろう様にも投稿しています。
【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~
瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)
ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。
3歳年下のティーノ様だ。
本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。
行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。
なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。
もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。
そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。
全7話の短編です 完結確約です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる