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ひび割れた宝石と初恋 2

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 ***

 そこまで話すと、神妙な表情で聞いていたアリアーナにルドルフは笑いかけた。

「それは、父が……」
「いや、君に救われたんだ。あの日から、無気力だった俺は前を向くことができた」
「ルドルフ様は、努力家です。どこかで必ず前を向いたはず」
「……君らしい意見だ。そして俺がこのブローチと再び出会ったのは六年前だ」
「六年前……?」

 ルドルフは笑い、そして六年前の出来事を語り始めた。

(六年前といえば、お父様が亡くなったころの話だわ……)

 母が亡くなったあとに父が迎えた女性、そしてその連れ子の少女。
 彼女たちは、アリアーナの父が急な病で命を落とすと、アリアーナから全てを奪い取ってしまった。
 母から譲り受けたドレスも、思い出の品も、宝石もすべて。
 その中には、アリアーナが思い出の品として大切にしていたブローチも含まれていた。

(ひび割れていて価値がないからと泣いて頼んだけれど、逆効果だったわ……)

 アリアーナの泣き顔を見た義妹フィアは、金銭的には価値がほとんどないブローチを宝石商に売り払ってしまったのだ。

 ***

 それは、偶然かあるいは必然か。ルドルフはめきめきと頭角を現わし、六年前には店を任されるまでになっていた。すでに独立のための資金も貯まり、フィンガー商会を立ち上げる手はずも整っていた。
 そんなある日、ゴテゴテと飾り立てた貴族夫人と令嬢が店を訪れ、不要な宝石を売りたいと申し出てきた。
 宝石はどれも価値が高く、持ち主のセンスがうかがわれるものばかりだった。
 目の前の派手な衣装や装飾品の二人とは結びつかず、軽い違和感を覚えながらルドルフは宝石を鑑定していった。

「……これは?」
「ああ、これに大した値段はつけられないことはわかっています。でも、不要なので一緒に引き取ってください」
「どちらでこれを?」
「家にあった物です。もう必要ないので」

 見間違えるはずがない。あのときルドルフが壊してしまったブローチは、職人が手がけた高価な一点ものだった。装飾は磨き上げられ、今日この日まで大切にされていたことが一目でわかった。

「お引き取りしましょう。これでいかがですか?」

 他の店に行かれては、手がかりがなくなってしまう。ルドルフが通常よりも色をつけて買い取り価格を伝えると、二人は喜んでこの店で売ることを決めた。

「買い取るため、お名前とご住所をこちらにご記入いただけますか?」

 疑うことなく貴族夫人が記した住所と名字。

(メイディン伯爵家……)

 嫌な予感を振り払うことができず、ルドルフはあのときの少女のことを調べ始めた。

「幸せに暮らしているとばかり……」

 少女はルドルフの夢に何度も出てきて、あのときのように笑いかけた。
 それは間違いなくルドルフの初恋で、彼女と再び出会うことすら叶わないのだとしてもいつだって心の支えだった。
 アリアーナと呼ばれていた少女は裕福な貴族令嬢。しかも両親が彼女を愛していることは一目でわかった。

 いくら若くして店を持つことができるようになったとはいえ、平民のルドルフとは住む世界が違う。彼女は幸せに暮らしているのだろうと想像し、貴族令嬢ならばそろそろ婚約者が決まった年頃だろうと胸を痛めはしたが、ルドルフは彼女のことを調べようとは思っていなかった。

 そう、この出来事がなければ、ルドルフは店を一つ持ち、それで満足して貴族社会と関わろうとすることはなかっただろうし、アリアーナともう一度会おうと、ましてや妻に迎えようなどとは考えもしなかったに違いない。

 ルドルフがアリアーナについて調べたとき、一番始めに耳に入ってきたのは、メイディン伯爵家の長女、アリアーナは義妹をいじめ社交界に参加することを嫌い贅沢ばかりしている『悪女』という噂だった。

「彼女に限って、そんなはずない……」

 しかし、社交界に参加しないアリアーナの本当の生活を知ることなど、一介の平民でしかないルドルフにはできない。
 だが、壊れているにもかかわらず大切に磨かれていたブローチを見るたび、ルドルフは絶対にアリアーナは悪女などではないと思うのだった。

「あの二人……。絶対に裏がある」

 ルドルフはその日から地位と財産を手に入れるためにがむしゃらに努力した。
 その結果、心ない人たちからは『成金』だと蔑まれたが、自分が何か言われることなど気にもならなかった。

 金と人脈を使い、貴族との繋がりを作り、幼いころに屋敷に勤めていた使用人たちを取り戻した。その中には執事長のベルマンもいた。
 途中で両親の死が事故ではなかったことを突き止め敵もとった。ルドルフは十分満足していた。
 あとはアリアーナが結婚をし、どこかの貴族と幸せになるまで陰ながら手を差し伸べられればそれで良い、と思っていた。

 ――彼女がまともな貴族と結婚などできないという事実を知った、あの日までは。

 ***

 ルドルフは冷めてしまった紅茶をしばらく見つめ、そして一息で飲みきった。
 残されたのは、微かなため息だ。

「メイディン伯爵家が辛うじて財産を使い果たしていないのも、君の力だと知っていた」
「買いかぶりすぎです……」
「事実だ。想像以上に君は有能で驚かされたし、今やメイディン伯爵家は風前の灯火なのが何よりの証明だろう」
「ところで、そこからどうして私と結婚しようと思ったのですか?」

 ここまでの話から考えるに、ルドルフは機会があったにもかかわらずアリアーナと接触しようとすらしなかった。
 アリアーナだって、王立学園卒業のための資金提供をしたのがルドルフだと知っていたなら喜んで彼に会っただろう。
 諦めたように笑って、ルドルフは呟いた。

「……バラード・レイドル子爵令息が君のことを愛人にしようとしているという情報を得たから。……しかも彼は裏で手を回し、君が幸せになれるような縁談を次々と潰していた」
「……だから、私に結婚を申し込んだ上に期間が三日しかなかったのですか?」

 ルドルフは軽く苦笑した。

「それももちろんそうだ……。でも、本音を言えば、自分の気持ちに正直になってしまえば、少しでも早く君と一緒にいたくて耐えられなかった」
「その割には朝ご飯、一緒に食べてくれませんでした……」
「そうだな。結婚してもしばらくは忙しすぎて朝食を一緒にできなそうだったから……。あの一文は、いざ朝食を一緒にできる機会を得たとき、君に断られるのではないかと恐れて書いたようなものだ……」
「あの……」

 その質問をするには、かなりの勇気が必要だ。
 アリアーナの心臓は、胸から飛び出てしまいそうになっている。
 頬を赤らめ、瞳を潤ませたまま見上げると、ルドルフが甘く微笑んで質問する前に答えを告げてきた。

「君との出会いは俺の初恋だった……」
「ルドルフ様」

 大切な宝物を守るように、優しく抱きしめられ、額に落ちてきた口づけ。
 そのときアリアーナは大切なことを思い出した。

「あの……。話は変わりますが、社運をかけた重要会議があったのでは」
「はは、そうだな」
「行かないと……!」
「もう終わってしまっただろう」
「……そ、そんな」
「事態を収束しなければな」

 立ち上がったルドルフは、アリアーナの頭をそっと撫でた。
 その行動はまるで心配するなとでも言うようだ。

「明日こそは一緒に朝食をとろうか」
「えっ……」
「不服か?」

 ブンブンと首を振ったアリアーナに微笑みかけ、ルドルフは仕事へと出掛けていった。
 少しの不安を感じながら、アリアーナはその背中を見送ったのだった。
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