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上司のような夫と契約妻 1

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 ――夜会の翌日。

 アリアーナは栄養が考慮された、味も香りも素晴らしい料理長渾身の朝食を口にしながら密かに決意していた。

(昨夜だけでもルドルフ様が本当に努力家でかつ有能だということを思い知らされた。貴族社会と確固たる関係を築き上げるまでそれほど時間はかからないに違いないわ)

 思い浮かぶのはどんなに気難しい高位貴族の懐にもサラリと入っていったルドルフの話力とカリスマ性だ。

(それに、結局まだ一度も朝食の時間を一緒に過ごしていない。よほど私には興味がないみたい)

 夜会の最中に強く抱き寄せられ、今までになく近かった距離を思い出したせいで高鳴ってしまった心臓。あれはルドルフの演技なのだと考えて気持ちを落ち着けながらアリアーナは呟く。

「……一人で生きていくために、早々に準備をすすめなくては」

 朝食を終えて、アリアーナはベルを鳴らす。
 ほどなくベルマンが現れた。

「奥様、何をいたしましょうか?」
「ベルマン……。実は事業をしてみたいと思って」
「事業でございますか?」

 アリアーナに与えられた個人予算はなぜか潤沢だ。
 もちろんそれを使って装飾品やドレスを用立てることをルドルフは想定しているのだろうが……。

(与えられた個人予算は、何にでも自由に使って良いと契約書に書いてあったもの)

「事業をするには、まずは何をしたらいいのかしら?」
「……そうですね。今日は珍しく旦那様のお帰りが早いそうです。やはり事業のことであれば旦那様に聞くのが一番かと」
「聞いてくださるかしら……」
「むしろ与えた予算を消費ではなく投資に使おうとしていることをお喜びになると思いますよ?」
「……ルドルフ様は本当に根っからの商人ね。あっ……今のひと言、ルドルフ様には秘密にしてね?」
「かしこまりました。――しかし、旦那様にも困ったものです」
「ベルマン?」
「……失礼しました。私の今の言葉も旦那様に秘密にしていただけますでしょうか」
「ふふ! 秘密の共有ね! そうしましょう」

 恐らくベルマンなりの気遣いに違いない。
 そう思ったアリアーナは、どんな事業を計画すれば良いか思考を巡らせるのだった。

 ――今日は天気が良いため窓から差し込む光だけで図書室は暖かい。

 大きなテーブルの上に参考になりそうな資料を積み上げる。
 今、アリアーナが見ているのはドレスの歴史に関する資料だ。
 古代から現在までのドレスの変化。そして昨日の夜会で身につけた軽やかなドレス。
 それはアリアーナにルドルフの言葉を再度考えさせるのに十分だった。

(コルセットを着けるのが当然だと思っていたけれど、長い歴史の中で考えれば、女性がコルセットを身につけるようになったのはごく最近のことだわ)

 一際古びている本のページを注意深くめくったアリアーナは、一つのドレスに目を留める。

(古代のドレス……。これは当時の神殿で聖女が着ていたものね)

 今は魔道具が発達し動力源になる魔鉱石さえあれば誰でも魔法の恩恵を受けることができる。
 しかし古代は魔法を使える一部の人間は聖女や聖人として神殿に仕えることが多かった。その高貴な血と魔力を受け継いだ存在が貴族だといわれている。
 本の中の美しいドレスは、当時最高の技術と魔法を使って作られたという。

「ルドルフ様は魔道具を広めることで新しい価値観を芽生えさせようとしている」

 本に描かれた絵はすでに色が褪めてしまっている。だが当時は美しい色合いとともに権力と魔法の恩恵を現わす物だったのだろう。

「今見ても斬新で素晴らしいデザインだわ。そう、今の時代に合った姿に変えればきっと受け入れられる……」

 そのページに描かれたドレスを資料にまとめながらアリアーナは呟く。
 出版社も経営しているルドルフのことだ、すでにこの資料にも目を通し先日の発言をしたに違いない。

「……けれどすぐに広めるには下準備が必要ね」

 アリアーナは事業案を書き上げる。
 もちろん誰に習ったわけでもない素人が書いた物だ。
 まとまっているとは言いがたく、それは荒削りだった。
 そのとき、急に資料の上に影が差した。

「……なんだ、それは」

 集中していたアリアーナの頭上から降ってきた言葉は、あいかわらず感情がこもっていない。
 けれど肩越しに身を乗り出して資料と事業案を覗いたルドルフとの距離は近く、アリアーナの心臓はひどく高鳴った。

「……あの、新しいドレスをどうしたら広められるか考えていました」
「……ベルマンから聞いた」
「事業を始めたいのです。指導していただけませんか」

 しばらく押し黙ってしまったルドルフ。アリアーナは断られるのではないかとヒヤヒヤしながら返答を待つ。

「そもそもこれは事業案としての形を成していない。没だ」
「……え?」
「初めてのことを我流でしても上手くいきはしない。独創的な視点は欠くことができないが、読みやすく相手に自分の考えを正確に伝えるためには、型を理解してそれに沿って資料を作成するのが鉄則だ。見本を用意するからそれに沿って書くように」
「ありがとうございます」

 今までになく饒舌になったルドルフに驚きを隠せないアリアーナ。
 しかしルドルフはそんな彼女の様子に気がつくこともなく一旦図書室をあとにした。
 そしてすぐに大量の書類を持ってきてアリアーナが使う机に積み上げた。

「とりあえず今日中に全ての資料に目を通すように。話はそれからだ」
「この量に!?」
「厳選している。これは我が社で現在は主流になっている魔道具の初期案だ」
「それって、機密事項なのでは」
「君は俺の妻であり、当然我が社の所有権を半分持つ。問題ない」
「……持った覚えがないです」
「契約書に書いてある。俺個人の所有物の半分は君の物だと」
「……フィンガー商会がそれに入るなんて想像もしていませんでした」
「それについて質問しなかった君の落ち度だ」

 それを言うなら、そこについて記さなかったルドルフの落ち度ではないか。そんなことを思いながら読み始めた一枚目の資料。その内容は魔鉱石を利用した携帯ランプについての事業案だ。

 現在、フィンガー商会が独占している携帯ランプ。明かりを持ち歩けることは、軍事においても、仕事においても重要な意味を持つ。その情報は秘匿されていて各社が躍起になって製造方法や仕組みの情報を手に入れたがっているだろう。

「まさか一枚目から携帯ランプの資料だなんて、信頼が重いです」
「妻を信じないような夫にはなりたくない」
「……!?」

(普段の行動は、私のことを信頼しているようにはとても見えないのだけど!?)

 けれどそんなアリアーナの心情に気がつく様子はなく、ルドルフはやはり無表情を崩さずに口を開く。

「とりあえず資料全てに目を通したあと、もう一度事業案を練って執務室に持ってくるように」
「――夜遅くなると思います。見てくださるのですか?」
「……今日中に書く気か? 君は見込みがあるな……。君がそこまでの熱意を持っているのなら、真夜中だろうと確認するのは当然だろう」

(当然かしら……。仕事のことになると急に熱心になるのね)

 きっとアリアーナに興味がなくても、事業には興味があるに違いない。
それがフィンガー商会の大躍進の原動力なのだろう。

(失望されたくない……。できれば認められて、もっと褒めてもらいたい)

 そんなことを思いながら、ルドルフが去り一人残された図書室でアリアーナはブンブンと首を横に振った。

(ダメよ、褒めてもらいたいなんて思っては。ルドルフ様とは近いうちに他人になるのだもの。依存してはいけないわ!)

 無表情で妻に興味がなく、初夜に契約結婚を口にしたルドルフ。
 しかしアリアーナは徐々にそんな彼に心惹かれつつある。

「……どちらにしても、一人で生きていくためには必要なことだわ」

 アリアーナは事業案に目を通し始めた。
 その中には明らかに社外不出の極秘資料が多数含まれていた。
 そのことに一回ずつ驚愕しつつも、美しく思えるほど簡潔明瞭にまとめられた資料にアリアーナは目を奪われ、食事も忘れてのめり込んでいくのだった。
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