上 下
10 / 25

夜会と褒め言葉 3

しおりを挟む

 周囲には恥ずかしがっているようにも、奥ゆかしくも見えたかもしれない。
 次の瞬間、アリアーナの腰をルドルフが強く引き寄せた。

「えっ……あの!?」
「――そろそろ帰ろうか」
「そ、そうね!?」

 会場中から小さなため息が漏れた。
 確かにアリアーナは派手な美貌をしていないが、可憐で繊細なドレスに身を包んだ姿はまるで泉に現れた精霊のように可憐な印象でとても可愛らしい。
 そのことにアリアーナ自身は気がついていなくても、会場中の視線の中心は庇護欲をそそるアリアーナと彼女から視線を外すことなく妻を愛していることが誰の目にも明らかなルドルフだった。

「それでは失礼致します」
「――ええ」

 仲睦まじい二人が会場をあとにする。
 そのあとも会場中は、フィンガー夫妻の噂で持ちきりになった。

 ――そして幸せそうに過ごす二人に向けられた鋭い視線。

 それはフィアの婚約者、バラード・レイドル子爵令息だ。
 明らかに敵対感をむき出した視線は、アリアーナと言うよりもむしろルドルフに向けられていた。

「……ルドルフ・フィンガー」

 美しい令嬢たちに囲まれたバラードは、以前なら選ぶことのなかったであろう可憐で斬新なドレスに身を包み、見違えるほど美しくなったアリアーナに視線を向ける。

 その瞬間、チラリとルドルフがバラードに視線を向け、アリアーナの腰を強く引き寄せた。
 歯ぎしりをしたバラードは美女たちの輪を抜け、二人に背中を向けて会場を後にする。
 暗い嫉妬と、いつものように気に入らない相手を追い落とすための陰謀を巡らせながら。

 ***

 ――夜会が終わり、ざわめきがまだ残る会場をルドルフとアリアーナはあとにした。

(もう誰も見ていないのに……)

 あいかわらず密着したまま離れないルドルフ。帰るまでは誰の目があるかわからないと考えているのだろう。完璧主義のルドルフらしい。
 アリアーナはルドルフのエスコートを受けながら馬車に乗り込んだ。
 アリアーナは離れてしまった距離を寂しく思ってルドルフを見つめたが、彼が馬車に乗ってくる様子はない。

 ルドルフが一歩後ろに下がり、馬車の扉に手をかけた。

「それでは、気をつけて帰るように」
「え? ルドルフ様はお帰りにならないのですか?」

 この一週間、ドレスやアクセサリーを用意し、貴族の情報を詰め込んでいたアリアーナと比べても、ルドルフは忙しかった。
 それに加えてアリアーナの書いた案を添削し、さらにドレスの縫製が間に合うように調整してくれたのだ。

「……少し休まないと、お体が心配です」

 思わず呟いてしまったのはアリアーナの本心だった。
 それなのに、その言葉が意外だとでも言うようにルドルフが軽く瞳を見開きまっすぐにアリアーナを見つめてきた。

「……君こそ慣れない生活や付き合わされた社交で疲れているだろう。帰ってゆっくり休むと良い」
「ルドルフ様……」

 それ以上会話が交されることはなく、馬車の扉が閉められる。

(まだ働く気なのね……。心配だわ)

 すでに背を向けてしまったルドルフ。彼が視界から消えてしまうまでアリアーナは気遣わしげに見送ったのだった。

 ***

 アリアーナの視線に気がつくことなく、ルドルフは商会所有の馬車へと戻る。
 馬車の中でルドルフを待っていたらしい男性は、フィンガー商会が開発した最新式魔道具である携帯ランプの明かりを頼りに書類に目を通していた。

「……さて、待たせたな」
「いいえ。社長、今度は何を調べれば良いのですか?」

 現れた男性は、グレーの髪と瞳をしている。
 優しげな瞳と柔和な印象を受ける口元。彼に声を掛けられ微笑みかけられれば大半の人が好意を抱くだろう。女性に好まれる顔でありながら、三つ揃いのスーツをキッチリと着こなした彼からは、誠実な印象を受ける。

「よくわかっているな。カルロス」
「社長との付き合いも長いですからね……」

 カルロスの言葉は、軽いため息と共に発せられる。
 ルドルフの働き方を見ればわかるが、恐らくカルロスも常時、無理難題を押しつけられているのだろう。それでもカルロスがルドルフのそばにいるのは、そのカリスマ性に憧れていることと、家族ぐるみで受けた恩が理由だ。

「妹を助けていただいた恩もありますし……。そんなに真剣な顔をしているところから察して、アリアーナ様に関することですよね」

 カルロスに軽く笑いかけてルドルフが言葉を続ける。

「話が早くて助かる。フェルト侯爵家は確か資金難だという情報があったな」
「ええ、そうですね。確かに噂レベルでは聞いたことがあります」
「情報を集めて弱みを握れ。金が必要なら糸目をつけずに握らせてやれ」
「――かしこまりました。しかし、なぜフェルト侯爵家なのですか?」

 一瞬だけ口をつぐんで何か考えているように口元に手を当てたルドルフ。
 だが、次の瞬間には無表情に戻っていた。

「リリアーヌ・フェルト侯爵令嬢。彼女はアリアーナが社交界で生きていく上で鍵になりそうだ」
「……はあ、わかりました」
「……そうそう、話は変わるが、今朝お前が提出した事業案、初めから練り直しだ」
「……そ、そんなぁ」
「さあ、社に戻り検討するぞ」
「わかりました」

 馬車に乗り込んだルドルフとカルロス。
 彼らはそのままフィンガー商会への本社へと戻り、夜を徹して事業案を検討したのだった。

***

 ――そしてこの夜会からのち、アリアーナの悪女という評価は徐々に下火になる。成金であるルドルフが伯爵令嬢アリアーナを金で買ったという噂も、二人が身分を乗り越えて大恋愛の末に結婚したという物語に書き換えられるのだ。

 香り高いハーブティーを口にして、真っ赤になるほど修正や検討事項が記載された書類に目を向けながらアリアーナはため息をついた。

(ここまで計算していたのね……。さすがルドルフ様)

 もちろん、それは虚構の恋愛ストーリーだ。ルドルフがアリアーナを愛しているなんてあり得ない。最近流れる噂話は、フィンガー商会の出版事業が持つ力が余すところなく発揮された結果であるとアリアーナは信じて疑わないのだった。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

人質王女の婚約者生活(仮)〜「君を愛することはない」と言われたのでひとときの自由を満喫していたら、皇太子殿下との秘密ができました〜

清川和泉
恋愛
幼い頃に半ば騙し討ちの形で人質としてブラウ帝国に連れて来られた、隣国ユーリ王国の王女クレア。 クレアは皇女宮で毎日皇女らに下女として過ごすように強要されていたが、ある日属国で暮らしていた皇太子であるアーサーから「彼から愛されないこと」を条件に婚約を申し込まれる。 (過去に、婚約するはずの女性がいたと聞いたことはあるけれど…) そう考えたクレアは、彼らの仲が公になるまでの繋ぎの婚約者を演じることにした。 移住先では夢のような好待遇、自由な時間をもつことができ、仮初めの婚約者生活を満喫する。 また、ある出来事がきっかけでクレア自身に秘められた力が解放され、それはアーサーとクレアの二人だけの秘密に。行動を共にすることも増え徐々にアーサーとの距離も縮まっていく。 「俺は君を愛する資格を得たい」 (皇太子殿下には想い人がいたのでは。もしかして、私を愛せないのは別のことが理由だった…?) これは、不遇な人質王女のクレアが不思議な力で周囲の人々を幸せにし、クレア自身も幸せになっていく物語。

婚約破棄でみんな幸せ!~嫌われ令嬢の円満婚約解消術~

春野こもも
恋愛
わたくしの名前はエルザ=フォーゲル、16才でございます。 6才の時に初めて顔をあわせた婚約者のレオンハルト殿下に「こんな醜女と結婚するなんて嫌だ! 僕は大きくなったら好きな人と結婚したい!」と言われてしまいました。そんな殿下に憤慨する家族と使用人。 14歳の春、学園に転入してきた男爵令嬢と2人で、人目もはばからず仲良く歩くレオンハルト殿下。再び憤慨するわたくしの愛する家族や使用人の心の安寧のために、エルザは円満な婚約解消を目指します。そのために作成したのは「婚約破棄承諾書」。殿下と男爵令嬢、お二人に愛を育んでいただくためにも、後はレオンハルト殿下の署名さえいただければみんな幸せ婚約破棄が成立します! 前編・後編の全2話です。残酷描写は保険です。 【小説家になろうデイリーランキング1位いただきました――2019/6/17】

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

夏菜しの
恋愛
 幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。  彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。  そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。  彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。  いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。  のらりくらりと躱すがもう限界。  いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。  彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。  これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?  エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

前世の旦那様、貴方とだけは結婚しません。

真咲
恋愛
全21話。他サイトでも掲載しています。 一度目の人生、愛した夫には他に想い人がいた。 侯爵令嬢リリア・エンダロインは幼い頃両親同士の取り決めで、幼馴染の公爵家の嫡男であるエスター・カンザスと婚約した。彼は学園時代のクラスメイトに恋をしていたけれど、リリアを優先し、リリアだけを大切にしてくれた。 二度目の人生。 リリアは、再びリリア・エンダロインとして生まれ変わっていた。 「次は、私がエスターを幸せにする」 自分が彼に幸せにしてもらったように。そのために、何がなんでも、エスターとだけは結婚しないと決めた。

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

処理中です...