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夜会と褒め言葉 3

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 周囲には恥ずかしがっているようにも、奥ゆかしくも見えたかもしれない。
 次の瞬間、アリアーナの腰をルドルフが強く引き寄せた。

「えっ……あの!?」
「――そろそろ帰ろうか」
「そ、そうね!?」

 会場中から小さなため息が漏れた。
 確かにアリアーナは派手な美貌をしていないが、可憐で繊細なドレスに身を包んだ姿はまるで泉に現れた精霊のように可憐な印象でとても可愛らしい。
 そのことにアリアーナ自身は気がついていなくても、会場中の視線の中心は庇護欲をそそるアリアーナと彼女から視線を外すことなく妻を愛していることが誰の目にも明らかなルドルフだった。

「それでは失礼致します」
「――ええ」

 仲睦まじい二人が会場をあとにする。
 そのあとも会場中は、フィンガー夫妻の噂で持ちきりになった。

 ――そして幸せそうに過ごす二人に向けられた鋭い視線。

 それはフィアの婚約者、バラード・レイドル子爵令息だ。
 明らかに敵対感をむき出した視線は、アリアーナと言うよりもむしろルドルフに向けられていた。

「……ルドルフ・フィンガー」

 美しい令嬢たちに囲まれたバラードは、以前なら選ぶことのなかったであろう可憐で斬新なドレスに身を包み、見違えるほど美しくなったアリアーナに視線を向ける。

 その瞬間、チラリとルドルフがバラードに視線を向け、アリアーナの腰を強く引き寄せた。
 歯ぎしりをしたバラードは美女たちの輪を抜け、二人に背中を向けて会場を後にする。
 暗い嫉妬と、いつものように気に入らない相手を追い落とすための陰謀を巡らせながら。

 ***

 ――夜会が終わり、ざわめきがまだ残る会場をルドルフとアリアーナはあとにした。

(もう誰も見ていないのに……)

 あいかわらず密着したまま離れないルドルフ。帰るまでは誰の目があるかわからないと考えているのだろう。完璧主義のルドルフらしい。
 アリアーナはルドルフのエスコートを受けながら馬車に乗り込んだ。
 アリアーナは離れてしまった距離を寂しく思ってルドルフを見つめたが、彼が馬車に乗ってくる様子はない。

 ルドルフが一歩後ろに下がり、馬車の扉に手をかけた。

「それでは、気をつけて帰るように」
「え? ルドルフ様はお帰りにならないのですか?」

 この一週間、ドレスやアクセサリーを用意し、貴族の情報を詰め込んでいたアリアーナと比べても、ルドルフは忙しかった。
 それに加えてアリアーナの書いた案を添削し、さらにドレスの縫製が間に合うように調整してくれたのだ。

「……少し休まないと、お体が心配です」

 思わず呟いてしまったのはアリアーナの本心だった。
 それなのに、その言葉が意外だとでも言うようにルドルフが軽く瞳を見開きまっすぐにアリアーナを見つめてきた。

「……君こそ慣れない生活や付き合わされた社交で疲れているだろう。帰ってゆっくり休むと良い」
「ルドルフ様……」

 それ以上会話が交されることはなく、馬車の扉が閉められる。

(まだ働く気なのね……。心配だわ)

 すでに背を向けてしまったルドルフ。彼が視界から消えてしまうまでアリアーナは気遣わしげに見送ったのだった。

 ***

 アリアーナの視線に気がつくことなく、ルドルフは商会所有の馬車へと戻る。
 馬車の中でルドルフを待っていたらしい男性は、フィンガー商会が開発した最新式魔道具である携帯ランプの明かりを頼りに書類に目を通していた。

「……さて、待たせたな」
「いいえ。社長、今度は何を調べれば良いのですか?」

 現れた男性は、グレーの髪と瞳をしている。
 優しげな瞳と柔和な印象を受ける口元。彼に声を掛けられ微笑みかけられれば大半の人が好意を抱くだろう。女性に好まれる顔でありながら、三つ揃いのスーツをキッチリと着こなした彼からは、誠実な印象を受ける。

「よくわかっているな。カルロス」
「社長との付き合いも長いですからね……」

 カルロスの言葉は、軽いため息と共に発せられる。
 ルドルフの働き方を見ればわかるが、恐らくカルロスも常時、無理難題を押しつけられているのだろう。それでもカルロスがルドルフのそばにいるのは、そのカリスマ性に憧れていることと、家族ぐるみで受けた恩が理由だ。

「妹を助けていただいた恩もありますし……。そんなに真剣な顔をしているところから察して、アリアーナ様に関することですよね」

 カルロスに軽く笑いかけてルドルフが言葉を続ける。

「話が早くて助かる。フェルト侯爵家は確か資金難だという情報があったな」
「ええ、そうですね。確かに噂レベルでは聞いたことがあります」
「情報を集めて弱みを握れ。金が必要なら糸目をつけずに握らせてやれ」
「――かしこまりました。しかし、なぜフェルト侯爵家なのですか?」

 一瞬だけ口をつぐんで何か考えているように口元に手を当てたルドルフ。
 だが、次の瞬間には無表情に戻っていた。

「リリアーヌ・フェルト侯爵令嬢。彼女はアリアーナが社交界で生きていく上で鍵になりそうだ」
「……はあ、わかりました」
「……そうそう、話は変わるが、今朝お前が提出した事業案、初めから練り直しだ」
「……そ、そんなぁ」
「さあ、社に戻り検討するぞ」
「わかりました」

 馬車に乗り込んだルドルフとカルロス。
 彼らはそのままフィンガー商会への本社へと戻り、夜を徹して事業案を検討したのだった。

***

 ――そしてこの夜会からのち、アリアーナの悪女という評価は徐々に下火になる。成金であるルドルフが伯爵令嬢アリアーナを金で買ったという噂も、二人が身分を乗り越えて大恋愛の末に結婚したという物語に書き換えられるのだ。

 香り高いハーブティーを口にして、真っ赤になるほど修正や検討事項が記載された書類に目を向けながらアリアーナはため息をついた。

(ここまで計算していたのね……。さすがルドルフ様)

 もちろん、それは虚構の恋愛ストーリーだ。ルドルフがアリアーナを愛しているなんてあり得ない。最近流れる噂話は、フィンガー商会の出版事業が持つ力が余すところなく発揮された結果であるとアリアーナは信じて疑わないのだった。
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