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出会って三日で契約結婚 4

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 今年度分の帳簿には目を通し、そっと机の上に重ねる。
 屋敷内の調度品一つ一つは高級な物にも関わらず、やはり共有スペースだけが不自然なほどに未完成だ。

「予算は十分割り振られているのに。本気で私が決めて良いとでも思っているのかしら」

 確かに屋敷内の内装は女主人が決めるものなのかもしれない。
 だが、アリアーナはあくまで契約上の仮初めの妻なのだ。

(ルドルフ様がいつか愛する人を迎えるときに、私が決めた内装というのも……)

「奥様」
「きゃっ!? ……あ、ベルマン。どうしたの」
「旦那様がお帰りになりました」
「旦那様が……?」

 結婚当日から早二週間が経過した。その間、ルドルフは一度も屋敷に帰ってこなかった。
 慌てて身支度を調えて玄関まで出迎えに向かう。
 帰ってきたルドルフは、やはり完璧に整った姿でほんの少しの隙もない。

「お帰りなさいませ」
「……ああ」

 その声にほんの少しだけ疲れがにじんでいる気がしたのは、アリアーナの気のせいなのだろうか。
 現に使用人たちはとくにルドルフに言葉をかけることもなく、淡々と働いている。
 そのとき聞こえた微かなため息。

(間違いない、ルドルフ様はとてもお疲れみたい。愛人と過ごしているからこの家に来ないのかしら、と思っていたけど、本当に仕事が忙しかったのね、きっと……)

 そんなことを思いながら見つめていると、ルドルフは表情を変えずにアリアーナとの距離を詰め、口を開いた。

「――アリアーナ。この二週間、とくに変わりなかったか? 困ったことは? 不足している物はベルマンに伝えて用立てさせたか?」

 質問は矢継ぎ早で事務的だが、どれもアリアーナのことを気遣っているような内容ばかりだ。アリアーナは、余計なことをと思われることを覚悟で、感じたことを口にしてみることに決めた。

「何一つ不自由していません。ところで……」
「どうした」
「とてもお疲れのようです。良かったら食事の前にリラックスできるハーブティーを淹れましょうか?」

 なぜかルドルフが目を見開いて、驚きが隠せないとでも言うようにアリアーナのことを見つめた。
 それはほんの一瞬のことだったが、今までルドルフの表情が変化したのを見たことがなかったアリアーナには衝撃だった。

「……ハーブティー」
「はい、とても香りが良くて……。このお屋敷に来てから気に入ってよく飲んでいるんです」

(もしかしたら、余計なお世話だったかしら!? でも、料理長に教えてもらったハーブティーのレシピは、本当に良い香りでリラックスできるんだけど……)

 沈黙に耐えきれなくなり、アリアーナが先ほどの言葉を撤回しようとした瞬間、ほんの少しだけルドルフの口元が緩んだように見えた。

(こんな顔もできるのね……)

 それだけのことなのに、アリアーナはルドルフとの距離がほんの少し近くなったように思えた。

「どちらにお持ちしますか?」
「そうだな、では執務室に頼む」
「かしこまりました」

 慌ただしく準備をして食堂へと向かったアリアーナ。
 すでにルドルフは着替えを済ませて、ソファーに座り足を組んでいた。
 何かを考え込んでいるような姿すらあまりに麗しく、美しい一枚の絵画のようだ。

(どうして、こんなに素敵な人が私なんかを妻に迎えたのかしら……)

アリアーナは知らず頬が熱くなるのを感じた。

「どうぞ……」
「君も隣に座れ。話があるんだ」
「は、はい……」

 緊張は高まるばかり。それでも、もしかしたらこれで少しだけルドルフとの距離が近くなるかもしれない、そう思ったのも束の間。

「――早速、妻としての役目を果たしてほしい」
「――え?」

 目の前に差し出されたのは、一通の招待状だ。
 それは近く開催される王家主催の夜会の招待状だった。

「どうして私たちに王家主催の夜会の招待状が……!?」

 王家主催の夜会に参加するのは、高位貴族ばかり。没落伯爵家出身で悪女と噂される妻と成金だと言われている平民の夫婦が招待されるはずがない。
 けれど確かに封蝋には、王家の紋章が描かれている。
 ルドルフが口元を歪めた。しかし、その夜空のように深い青色の瞳は全く笑っていない。

「魔道具関連で宰相閣下に少々貸しがあってな……。それに、必要なことへの手段は選ばないし、金も惜しまない」
「……宰相閣下へ貸しって一体!?」
「極秘に魔道具を融通したことがある……。ところで、この国の貴族の家名と特徴は全て頭に入っているか?」
「家名はともかく、特徴まで完全には……」
「家名は全て頭に入っていると?」
「ええ……」
「悪くない」

 アリアーナは幼いころの父母からの貴族教育とメイディン伯爵家の家事で主要な貴族の名前はすべて覚えた。
 しかし今まで社交界から遠ざかっていたのだ。特徴まで知っているかと言えば答えは否だ。

「だが、それでは不十分だ。取引相手のことは頭の先からつま先まで全て知り尽くしておくのが基本だ」
「取引相手」

 アリアーナとルドルフが参加するのは、商談ではなく夜会だったはずだ
 ルドルフがハーブティーを飲み干し、妖艶に微笑んで立ち上がる。
 神か精霊が作り上げた奇跡のように麗しい姿に思わず見惚れるアリアーナだが、やはりルドルフの瞳は全く笑っていない。

「さて、これが招待客のリストだ」
「……こ、こんなにたくさん」
「何を言っている。これでも厳選して三分の一に減らしたし、肖像画も入っているからそれほど文字数は多くない。これくらい全て頭に入れてもらわなくては困る」
「……全部?」
「これは今後、君にとって役立つことだと思うが?」

 あまりの量に涙目になりかけたアリアーナ。
 招待状に書かれた夜会の開催日までは、あとたった一週間しかない。

(……ルドルフ様はやっぱり私を利用することしか考えていない。でも考え方を変えれば、これは契約結婚が終わってから一人で生きていくための繋がりを作るチャンスなのかも)

「やるのか、やらないのか、はっきりしてくれ」
「――やります! 一週間以内にここに書かれている情報は全て覚えます!」

 アリアーナは書類を抱えて勢いよく立ち上がった。早くも資料に目を通し始めたアリアーナは、ルドルフがどこか楽しそうに微笑んだことに気がつくことはない。

「ああ、そうそう。参加するのなら、当日君には誰よりも美しく着飾ってもらう」

 アリアーナは資料から目を離してルドルフに顔を向けた。
 そして自信なげに眉根を寄せる。

(……地味な私が美しく着飾ったところで、あまり意味がないし似合わないと思うわ)

「……それは難しいかと」
「一つ、アリアーナは必要な社交にはルドルフとともに参加する」
「うっ、それは……!?」

 それはルドルフとアリアーナの結婚契約書に記載された内容の一つだ。

「そして社交に参加する際の装飾品や服については全て俺が用意する。君はそれを享受するだけだ。君ならできるだろう……?」

 ルドルフの笑顔は本心がわかりにくく、少々意地悪げだ。
 そんなことを思いながら、一瞬だけその笑顔に見惚れたあと、アリアーナは我に返った。

(ルドルフ様は私をとことん利用するつもりだわ……!?)

 もちろん夜会に参加するためには、情報を覚えるだけですむはずない。
 ルドルフが求める水準はあまりに高く、その日からアリアーナは寝る間もないほど忙しく過ごすことになるのだった。
 
 ***

 アリアーナは寝る間も惜しんで努力した。
 そしてその日は、図書室で資料に目を通しながら、お気に入りのスペースにあるピンクの猫脚のソファーにもたれて少しだけうたた寝をしていた。

「……え、その契約はちょっと」

 そこに珍しく所用で屋敷に戻ってきていたルドルフが現れ、そっとアリアーナの顔をのぞき込む。

「……寝言、か。ふ、どんな夢を見ているんだ」

 ルドルフは小さく口元を緩める。そのときだけ、いつも冷たく見えるその顔が優しげになる。そのままアリアーナを起こさないように細心の注意をしてルドルフは図書室を去る。
 執務室に向かうと、そこに執事長ベルマンが現れた。

「準備は滞りなく進んでいるか?」
「はい。仰せの通り、奥様の義妹の婚約者、バラード・レイドル子爵令息も招待されるように手はずを整えております」
「ふん……。それから、各貴族家に手は回したか? 当日は絶対に失敗できないからな」
「もちろんです、旦那様。しかし奥様に何も言わないおつもりですか?」

 あいかわらず無表情のまま、ルドルフは書類を手にして口を開く。

「必要ない。彼女にとって俺は、ただ契約で縛られただけの相手でしかない」
「私はそうは思いませんが」
「……余計なことを言うな」
「――出過ぎたことを申しました」

 あいかわらずルドルフは無表情だが、ベルマンがルドルフに向ける視線からは、なぜか親が子どもを見るような温かさが感じられる。

「用があれば呼ぶ」
「……かしこまりました」

 頭を下げたベルマンは静かに退室していった。
ルドルフの目の前には、大量の書類が積み上げられている。
 軽く眉間を指先で押さえると、ルドルフは書類の一つ一つを読み、サインをしていくのだった。
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