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第2章

婚約から、逃げて良いですか 2

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 転移魔法は、今までに何度か経験したけれど、相変わらず体が一度、小さな粒子に分解されて、再構築される感覚は、気持ちが悪い。

 転移酔い、とでもいうのだろうか。
 転移した後の気分の悪さに、すでに逃げてきたことを後悔しつつある。

「……おや、大丈夫かい?」

 ハンカチで口を押さえつつ、顔を上げれば、目の前には、いかにも人の良さそうな老婦人がいた。

『あっ』

 なぜかシストが、間の抜けたような声を漏らす。

「気分が悪そうだね。そうだ、うちで休んでいくと良い」

 その提案を受け入れて良いものかと、シストにチラリと視線を送る。

『…………この人からは、悪意が感じられないから、平気だと思うよ』
「……あの」
「ふふっ。私、猫は好きなの。寄って行きなさい」

 この世界に来てからというもの、人間の悪意に慣れすぎていたのかもしれない。優しくされると、臆病にも逃げたくなってしまう。

 それでも、いつも優しい仲間たち。
 ……いつも優しいレナルド様。

「――――よろしくお願いします」
「あなた、お名前は?」
「理沙です」
「そう、リサさんというのね……。私は、ナオというの。よろしくね? そちらの猫ちゃんは」
「あ、シストといいます」
「そう、シスト、よろしく」
「にゃ」

 シストは、猫のふりして小首をかしげる。
 この日から、しばらくの間、私にとって久しぶりに穏やかな時間が訪れ始める。
 この時の私は、すべてのことから目を逸らしていたのだろう。
 魔人が言っていた、目的の半分を果たしたという言葉の意味すら、考えることなしに。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 辺境の村は、とても穏やかな場所だった。
 シストが言うには、王国に複数存在する、聖地でも一番最奥の場所らしい。
 どの人も穏やかで、すぐに私は、村人たちに受け入れられた。

 でも、この状況はいったい……。

「聖女様! 実は、狩りの帰りに枝で手を傷つけてしまって」
「はい。……治りましたよ?」

「聖女様! 子どもが熱を出して」
「すぐ行きますね?」

 初級とはいっても、回復魔法はどこでも重宝される。
 簡単なケガや病気であれば、すぐに治癒することができるから、それは当然だろう。

 でも、困ったことに、村人たちは、私がいくら名前を名乗っても、なぜか理解できないようで、私のことをいつの間にか、聖女様と呼ぶようになっていた。

「あの……。理沙という名前があるのですが」
「――――? 聖女様は、聖女様でしょう? 魔女様と同じで」

 不思議そうに、村人たちが首をかしげる。
 これでは、私のほうが、おかしなことを言っているみたいだ……。
 横で聞いていた、子どもにまで「おかしな聖女様!」と無邪気に笑われる。

「ナオさん……。ナオさんは、私のことを名前で呼ぶのに、どうして皆さん私のことを聖女様なんて、呼ぶのでしょうか。……そういえば、ナオさんも、名前ではなくて、魔女様と呼ばれていますよね?」

 しかも、よりによって聖女様。
 聖女の称号を失った私への、運命の皮肉なのだろうか。
 
 残念ながら、旅人さんとか、治癒師様とか、ほかの呼び名も提案してみたのに、受け入れられなかった……。

 それから、なぜか魔女様と呼ばれるナオさん。
 魔女という存在が、この世界にいるということは理解していた。
 でも、魔女って一般的には、悪い存在という印象があった。本にも書いてあったし、聖女としての教育でも、魔女は駆逐すべき悪しき存在だと習った。

 でも、聖女を召喚しては、中継ぎだとぞんざいに扱う国だもの、教育内容だって、歪んでいたのかもしれない。
 私は、この優しい辺境の村の中で、今まで疑問を持たずにいた中継ぎ聖女という概念、そして受けてきた教育内容に疑問を持つようになっていた。

「――――私たちの名前を呼ぶことは、普通はできないの」
「え?」

 親切な村人が、狩りの時に受けた傷を治してくれたお礼にと、作ってくれた猫専用の小さなベッド。
 王都の職人にも、引けを取らないような美しい作品だ。
 そういえば、その職人さんだけは、ナオさんのことを名前で呼ぶ。

 そのベッドの中で、おなかを出して寝ているシストは、もう封印の箱だったころの面影もない。
 微かにあるとすれば、緊張感のない言葉だけだ。

 シルバーグレイの髪の毛に、黒に近い茶色の瞳をしたナオさんは、その言葉を紡ぐと、にこりと笑う。

「お肉を食べましょう」
「――――魔獣の肉は、ダメですよ」

 レナルド様が、口に入れてくれた魔獣のお肉は、とても美味しかったけれど、聖女の力を弱めてしまうと言っていた。
 聖女ではなくなったけれど、もしも回復の力まで弱ってしまったら大変だ。

「ふふ。普通のお肉だわ。変なことを心配するのね」
「……いただきます」

 そのお肉も、とっても美味しかった。
 焼き加減といい、かかっているほんの少し甘酸っぱいソースといい、王宮にいた時の野菜ばかりの生活とは、大違いだ。

 そういえば、飽きることがないほど、レナルド様が持ってきてくれていた卵料理には、たくさんの種類があった……。

 困ったことに、離れてしまったあの日から、逆に毎日レナルド様のことばかり考えてしまう。
 尊敬しているし、信頼しているし、誰よりも迷惑をかけたくない。本当にいつも私のことを大事にしてくれたレナルド様。

 この気持ちに、私はまだ名前を付けることができずにいた。
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