上 下
5 / 36

淡い紫色の薔薇

しおりを挟む

 私室の前に行くと、爽やかな甘い香りがした。
 香りは、廊下に飾られた淡い紫色の薔薇から漂っている。

(今日は二本なのね……)

 淡い紫の薔薇の花は二本飾られていた。
 まだ、薔薇の時期には早い……咲き始めたばかりなのだろうか。

(やり直し前、専属侍女のリリアンに聞いてみたけれど、この薔薇を飾っているのは自分ではない、と言っていたわ)

 そのときは、不思議に思っただけでそれ以上詮索することはなかった。
 伯母は花が好きでこのお屋敷はいつも花があふれていたから、きっと偶然この場所に飾られたのだろうと思ったのだ。

(でも……今になって考えれば、嫌っている私の部屋の前にわざわざ花を飾るはずないわ)

 薔薇を手にして香りを吸い込んでみる。
 爽やかな甘い香りは、心を穏やかにしてくれるようだ。

「お嬢様……失礼致します」

 薔薇を花瓶に戻して振り返ると、執事長がリリアンを連れて立っていた。
 やり直し前、リリアンは先ほどの場で専属侍女として紹介された。

(けれど今回は、鍵の一件があったから遅れたのかしら)

 そんなことを思いつつ口を開く。

「どうしたの?」
「先ほど紹介するつもりでしたが、タイミングを逃してしまい……。このような場所で申し訳ありませんが、お嬢様の専属侍女を紹介させていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、構わないわ」
「こちらは、お嬢様の専属侍女のリリアンです。カーラー子爵家の三女で、侍女としてはまだまだ不慣れではありますが、良い話し相手になるかと」
「そう……。リリアン、これからよろしくね」

 微笑んで首をかしげると、リリアンがそばかすのある頬を赤く染めた。

「アイリス様、こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 明るく正義感が強いリリアンは、いつでも私の味方になってくれた。
 けれど私の専属侍女になったせいで、彼女は使用人たちから嫌がらせをされる。
 そのうえ、宝石を盗んだという濡れ衣まで着せられるのだ。

(でも……今回は、そんな目に遭わせないわ)

 密かな決意をしていると、執事長が「では私はこれで」と一礼して去って行った。
 
「アイリス様、湯浴みの用意ができています」
「ありがとう」

 慣れない手つきながら一生懸命手伝ってくれるリリアンを微笑ましく思いつつ磨き上げられる。

 ゆったりとした部屋着に着替えた私は、ようやく部屋で一人きりになった。
 父が亡くなったときに従姉妹に取り上げられた調度品が全て揃っていることで、本当に六年前に戻ってきたのだと改めて思い知らされる。
 
 義兄に殺されたはずの自分が、なぜ六年前に戻っているのか。
 どうして、義兄の態度がやり直し前と大きく違うのか。

(わからないことだらけ……)

 ベッドに倒れ込んだところで、先ほどまでずっと私の手を握っていた義兄の手の温もりを思い出す。
 義兄の手は、想像していたよりもゴツゴツしていた。それはきっと義兄が剣を握るからなのだろう。

(――お義兄様は、魔法も、勉学も、剣も、立ち居振る舞いも何もかも完璧だわ)

 密かに義兄に憧れている令嬢は多く、義兄の婚約者になった後は彼女たちからの嫌がらせも多かった。

(でも私……お義兄様のこと、何も知らない……)

 私が知っていることといえば、義兄が遠縁から父の養子に迎えられたこと、何もかも完璧なこと、私のことをいない者として扱ってきたこと……。

(――今日知ったのは、ダンスのリードがお父様によく似ていること……)

 きっと疲れ切っていたのだろう。
 いつの間にか私は、ベッドに倒れ込み鍵を握りしめたまま、眠りについていた。

 * * *

 胸元に強い衝撃を感じた。あまりの熱さの原因を探して下を向くと、刃のような氷が私の胸を刺し貫いていた。

(お義兄様の魔法だわ……)

 氷から感じるのは、確かに義兄の魔力だった。
 どんどん体から力が抜けていって立っていることができずに膝をついて地面に倒れ込む。
 けれど、誰かに抱き留められ、それ以上の衝撃は訪れなかった。

「アイリス!」

 私を抱き上げた義兄は、血まみれだった。

(お義兄様……)

 ボタボタと私の頬に落ちてきた生温かい液体は、怪我をした義兄の血だろうか……それとも違う何かだろうか。

 視界がぼやけてしまって、義兄の表情を見ることはもうできない。
 今まで私に興味を示してこなかった義兄に、最期に抱き上げられたことにほんの少しの喜びを感じた。
 どうして嬉しく思うのだろう……何もかも諦めていたはずなのに。

 * * *

 その夢は生々しくて、しばらくの間、身動きすら取れなかった。仰向けのまま天井を眺める。

 はっきりと思い出せなかった死の間際の記憶……。背中が冷たい汗で濡れている。

「……お義兄様が、私のことを抱き上げるなんてあるはずないのに」

 出会った当初から、義兄は完全に私を避けていた。
 まるで、私がそこに存在しないとでもいうように……。
 それなのに先ほどの夢の中で義兄は確かに死の間際、私の名を呼び抱き上げた。

(でも……昨日のお義兄様だったらありえるかもしれない)

 単なる夢だったのか、それともやり直す直前に実際に起きたことなのか、判別できないままゆっくりと起き上がる。
 ベルを鳴らすと、リリアンが部屋に入ってきて着替えを手伝ってくれた。
 今日のドレスは、私の瞳の色と同じ淡い紫色だ。
 普段着なのに高価な真珠がふんだんに使われている。

(見たことのないドレスだわ……)

 そのことを不思議に思いつつも、全てが以前と同じということもないのだろう、と無理矢理納得する。

「アイリス様、すでに食堂で旦那様とシルヴィス様がお待ちになっています」
「お義兄様も……?」

 義兄は公式の席以外で、私と食事をしたことはなかった。
 ザワザワと落ち着かない気持ちのまま、私はリリアンとともに食堂へと向かったのだった。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

逃げて、追われて、捕まって

あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。 この世界で王妃として生きてきた記憶。 過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。 人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。 だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。 2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ 2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。 **********お知らせ*********** 2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。 それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。 ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?

秋月一花
恋愛
 本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。  ……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。  彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?  もう我慢の限界というものです。 「離婚してください」 「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」  白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?  あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。 ※カクヨム様にも投稿しています。

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

夏菜しの
恋愛
 幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。  彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。  そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。  彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。  いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。  のらりくらりと躱すがもう限界。  いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。  彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。  これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?  エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~

tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!! 壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは??? 一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

この契約結婚、もうお断りしません~半年限定の結婚生活、嫌われ新妻は呪われ侯爵に溺愛される~

氷雨そら
恋愛
「ルシェ……。申し訳ないが、この結婚は、君から断ってもらえないか」 大好きな人に伝えられたのは、2度目の結婚お断り。この結婚は、資金援助を名目に爵位を持つディル様との結婚をお金で買った契約結婚だ。周囲にはそう思われている。 でも、人生をやり直している私は知っている。 ディル様は、この半年後、呪いで命を失ってしまう。そして私もそのあとすぐに……。 呪いを解除出来ればいい。 出来ないとしても、受けた呪いを私に移す方法を探すのだ。 やり直すことが許されたのなら、全ての時間を大好きなディル様のために使いたい。 この結婚は、半年だけの期間限定なのだから。 小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。

死に戻ったわたくしは、あのひとからお義兄様を奪ってみせます!

秋月真鳥
恋愛
 アデライドはバルテルミー公爵家の養子で、十三歳。  大好きな義兄のマクシミリアンが学園の卒業式のパーティーで婚約者に、婚約破棄を申し入れられてしまう。  公爵家の後継者としての威厳を保つために、婚約者を社交界に出られなくしてしまったマクシミリアンは、そのことで恨まれて暗殺されてしまう。  義兄の死に悲しみ、憤ったアデライドは、復讐を誓うが、その拍子に階段から落ちてしまう。  目覚めたアデライドは五歳に戻っていた。  義兄を死なせないためにも、婚約を白紙にするしかない。  わたくしがお義兄様を幸せにする!  そう誓ったアデライドは十三歳の知識と記憶で婚約者の貴族としてのマナーのなってなさを暴き、平民の特待生に懸想する証拠を手に入れて、婚約を白紙に戻し、自分とマクシミリアンの婚約を結ばせるのだった。

処理中です...