途切れた相思の仲

稲葉真乎人

文字の大きさ
上 下
2 / 20

独りだけの生活

しおりを挟む
坂崎優士は、中学と高校でバスケットボール部に所属していた。
中学入学と同時に、既に志望大学を決めていた優士は、バスケットボールは高校までと決めていた。
高校に進学するとき、中学時代の優士の俊敏な動きと持久力に加え、並外れた跳躍力を知った、幾つかの高校の陸上部顧問から誘いを受けていた。
高校時代は、特別に進学勉強をする訳でもなかったが、クラブ活動と勉強の切替は徹底し、どちらにも集中する姿勢は半端ではなく、クラブの仲間内でも評判だった。
現役で国立大学に合格した時も、両親もそうだったが、特別な感慨はなかった。
大学時代は単位を着実に取得し、運動部には所属しなかった。

アメリカ留学から帰った工学部の教授が、留学先から持ち帰った1986製トライアンフ.ボンネビルの中古車を暫く乗った後、駐車場で眺めていた優士に、格安で譲ってもいいと言われた時、許しを得てバイクに跨った長身の優士は、直ぐに気に入った。
そのとき、教授に「二年、待ってもらえませんか」と言って、譲り受ける約束をした。
それ以来、優士は学業の合間を、学生課から紹介される家庭教師のアルバイトを、可能な限り引き受けて、バイク購入資金を貯めることに費やした。
卒論に着手する頃、普通自動車免許を既に持っていた優士は、大型二輪の実技試験に要した費用を引いて、約50万円の貯金残高を持っていた。
教授は20万円で譲ってくれたが、卒業した年の初冬に故障した。
当時は、トライアンフの部品調達と修理をしてくれるバイク屋が見つからず、鉄屑並みの値段で手放した。数年は仕事に没頭していて、バイクどころではなかった。
インド駐在が終わってから、同居する伴侶も居なくなった優士の気分転換は、独りでNBAのゲームをテレビで観戦するくらいしかなかった。
思い立って、ハーレーダビッドソンのソフテイルローライダーの中古車を、180万円で購入した。
それまで休日に出かけるとすれば、家を出て、裁判所前の交差点を渡り、目の前に在る京都御苑の中を、バードウォッチングをしながら散策するか、東に向かって鴨川土手に出て、ジョギングするくらいだった。
バイクを購入してからは、北は琵琶湖方面、南は和歌山方面にツーリングに出かけ、広い琵琶湖の風景や大阪湾の海原を眺めて過ごすのが、ストレス解消を兼ねた余暇の過ごし方だった。
自家用車を購入しなかったのは、離婚後に購入した中古物件の構造にある。
住居の一階の、道路に面した部分が駐車スペースなのだが、前の所有者が自家用車を置くスペースを、プライベートブランドの婦人服を扱う店舗にして、場所を無くしていたからだった。
築後十二年で、まだ新しい感じのする住宅でもあり、独り住まいの生活では、改装にも気力が沸かず、六畳あまりの店舗だった部屋は、ウッド.フローリングのまゝにしてある。ハーレーダビッドソンは、そこに鎮座している。
優士は他人と接する場では、何ごとが起きようと、平静を失って激昂すると云うことは元より、感情を露わにすることなどは全く無い。
常に平穏な精神状態を維持しているが、最近、休日に独りで居ると、何となく虚しさに襲われ、寂しさを感じる瞬間が多くなっていることに気付いている。

四十歳独身。まったく孤独というのではない。
会社の仕事仲間とは十分に付き合いはしているし、グループのメンバーとは楽しく付き合いながら、彼らの成長を妨げることの無いようにして見守っている。
プライベートでは、共に学生時代を過ごした仲間で、特に親しく現在まで付き合っている友人が五人居る。
大阪の大学医学部を出て、救命救急センターに勤める脳外科医の大沢和夫は、同じ中学と高校でバスケットボール部だった。
高校に入学して、他中学から入学して来た高木康介は、バスケット部で知り合った。神戸の大学医学部に進み、医師になり、大学附属病院勤務を経て、現在は高槻の医療法人病院で内科医をしている。
中学も高校も同じだった佐山晋作は、同じ国立大学に進学し、学部も同じ工学部で過ごした。若くして工学博士となり、今は滋賀県大津市に在る機械メーカーで、研究室長として細密駆動機能の研究をしている。
森永喬子は、中学校は優士と同じで、同じ時に女子バスケット部に居た。私立女子高に進学した後、神戸の女子医大に進み、卒業後は京都に戻って組織団体の共済病院で看護主任をしている。お互いの実家同志が近いこともあり、付き合いが続いている。
もう一人の女性は井川敦子。喬子と同様、優士と同じ中学校でバスケット部だった。高校も優士と同じ高校に進み、バスケットボールは続けていた。
旧姓は山岡敦子と云い、彼女の実家は優士の近所にある。母親同士が同じ女子大の出身だということもあり、子供の頃から家族ぐるみで付き合っている。
井川敦子は京都の私立大学の生命医科学部を出て、今は化粧品会社の部長として京都から大阪に通っている。
敦子は優士の妻だった坂崎英恵、旧姓奥田英恵と同じ大学だが、文学部だった英恵とは学ぶキャンパスが違った。
大学の茶道部の活動で、敦子が四回生の時の一年間だけ、一回生の英恵と一緒だった。
この五人とは、全員の時もあれば幾人かの時もあるが、何か理由があれば、大阪や京都で会食をする機会を持っていた。

北大路の小山に在る優士の実家には、両親が健在で夫婦ふたりだけが住んでいる。
優士には妹がひとりいるが、今は結婚して、京大グラウンド近くの北白川に住んでいるため、広い家に両親だけと云う状況になっている。
父親の坂崎謙作は六十九歳の現役で、百五十余名の社員を抱える坂崎商会の社長である。坂崎商会は、計量計測器の販売商社として、海外にも販路を持っている。
英文科卒の母、三枝は英語ノベルや英文雑誌を読み、若い頃からのテニスパートナーとテニスを楽しむ健康な日々を送っている。

優士は、起床の遅かった土曜日の朝、歩いて烏丸丸太町のマクドナルドに行き、シンプルなセットの朝食を済ませると、そのまま家に戻った。
コーヒーは飲んで来たにも関わらず、少し気怠いのでコーヒー豆は挽かず、インスタントコーヒーを濃くしてマグカップに目いっぱい注いだ。
マグカップと新聞を手にすると、最近購入した、部厚いクッションのレザー張りリクライニングチェアに身を沈めた。
新聞を読み終えると、暫く瞑目していた。目を開けると、昼12時を過ぎていた。
立ち上がると、今度はコーヒー豆を挽いて、朝から3杯目のコーヒーを淹れる。
二階に上がり、裏庭が見下ろせる書斎に移動して、ハイバックのパソコン用チェアに腰を下ろすと、買い置きの経済雑誌や、海外事業部の蔵書から借り出して来たドイツの科学技術関連の書籍数冊に目を通した。
午後2時、昼食は茹でて冷蔵庫に入れてあったブロッコリーと、冷凍のミート.スパゲッティにパウダーチーズをたっぷり振りかけて食べた。
メニューに、バナナとボトルの無塩トマトジュースを加えたのは、食事に細かい妹の指摘を思い出して、優士なりに健康に配慮したものだ。

午後3時過ぎに、自動車の止まる音がして優士が二階の窓から覗くと、妹夫婦の自家用車アウディが止まっていた。
後部ドアから、妹の吉住小夜子が、二歳になる姪の瑠璃を抱いて降りた。
優士は二階の窓を開けて、声を掛ける。
「よお、どうした、何かあったのか?」
「買い物帰りなの……。お兄ちゃん、食べる物、無いでしょ?。差し入れしてあげる、
業務スーパーに行って来たから」
「そうか、ドア、開いてるから」
「駐車禁止でしょ、直ぐに帰るから玄関に置いとこうか?、ああ、駄目だわ、冷凍食
品があるから、取りに下りてよ……」
優士が階下に下りると、小夜子と一緒に、義弟になる吉住真一郎が、両手に大きなビニール袋を下げて玄関に立っていた。
「お義兄さん、冷凍庫にスペースがありますか?」
「ああ、ありがとう。なんだいそれ?、そんなに食えないよ」
「大きいですけど、ステーキ用にスライスしてある冷凍牛肉です。それと冷凍ベジタブルも、小夜子が選んだんですよ。僕も、冷凍庫に入らないんじゃないかって言ったんですけど、大丈夫ですか?」
「小夜子、ライオンの餌みたいだな、どうして溶かすんだよ?」
「又、連絡するから、メールでもいいから、食べる日に訊いてよ?。それより、小山の家に行くんだけど、お兄ちゃん、行かない?」
「うーん、ちょっとなぁ……」
「そうね、夕べは遅かったんでしょ?。十一時頃に電話入れたけど、居なかったもんね」
「ああ。でも、何で夜中に電話を?」
「だって何時も帰り遅いでしょ。良く聞いてないんだけど、お父さんが優士にも相談するか、なんて言ってたからね……。お父さんから電話あった?」
「いや……。おーっ、瑠璃ちゃん、可愛くなったなぁ、伯父さんだぞ……。真一郎くん似か、瞳が大きいし、小鼻もスマートだ……」
「ちょっと、わたしだって小鼻は大きくないわよ。それより、どう、行かない?」
「今日は止めとくよ。伝えといてくれるか、二、三日後に、晩ごはん食べに行くって」
「そんな、いい加減なんだから。突然行ったらお母さん困るわよ。何時にするの?」
「じゃあ……火曜日。そう伝えてといてくれ」
「うん、じゃあ、伝えとく。お兄ちゃん、食事のこと、考えて食べてるの?」
「まあな、死なない程度には。インドで胃袋鍛えてきたから大丈夫だ。これありがとう。また、何か返すよ。真一郎くん、悪いな、ありがとう」
女子大の食物栄養科で学んだ小夜子は、結構、食に関してはうるさい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の幼馴染が毎晩のように遊びにくる

ヘロディア
恋愛
数年前、主人公は結婚した。夫とは大学時代から知り合いで、五年ほど付き合った後に結婚を決めた。 正直結構ラブラブな方だと思っている。喧嘩の一つや二つはあるけれど、仲直りも早いし、お互いの嫌なところも受け入れられるくらいには愛しているつもりだ。 そう、あの女が私の前に立ちはだかるまでは…

ニューハーフな生活

フロイライン
恋愛
東京で浪人生活を送るユキこと西村幸洋は、ニューハーフの店でアルバイトを始めるが

お兄ちゃんはお医者さん!?

すず。
恋愛
持病持ちの高校1年生の女の子。 如月 陽菜(きさらぎ ひな) 病院が苦手。 如月 陽菜の主治医。25歳。 高橋 翔平(たかはし しょうへい) 内科医の医師。 ※このお話に出てくるものは 現実とは何の関係もございません。 ※治療法、病名など ほぼ知識なしで書かせて頂きました。 お楽しみください♪♪

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

両隣から喘ぎ声が聞こえてくるので僕らもヤろうということになった

ヘロディア
恋愛
妻と一緒に寝る主人公だったが、変な声を耳にして、目が覚めてしまう。 その声は、隣の家から薄い壁を伝って聞こえてくる喘ぎ声だった。 欲情が刺激された主人公は…

旦那様に離婚を突きつけられて身を引きましたが妊娠していました。

ゆらゆらぎ
恋愛
ある日、平民出身である侯爵夫人カトリーナは辺境へ行って二ヶ月間会っていない夫、ランドロフから執事を通して離縁届を突きつけられる。元の身分の差を考え気持ちを残しながらも大人しく身を引いたカトリーナ。 実家に戻り、兄の隣国行きについていくことになったが隣国アスファルタ王国に向かう旅の途中、急激に体調を崩したカトリーナは医師の診察を受けることに。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

処理中です...