爽やかな出逢いの連鎖

稲葉真乎人

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貴船の三人

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川床には、他にも数組の客が膳を挟んで楽しげに食事をしていた。
京の夏野菜や鮎、鱧を使った懐石料理は、全品が小ぶりの器に盛り付けてあり、若くない三人には丁度いい品数と量だった。
紳策は運転をする山崎に配慮して、仲居さんが勧めてくれるビールも酒も断る。
山崎が申し訳なさそうに言った。
「榎木さん、飲んで頂いて結構ですよ、平気ですから」
「だめだよ、こっちだって美味しくないよ、いいじゃないか、別に気を遣って我慢している訳じゃないから」
「ほんとに変わりませんね、頭が下がりますよ、会長と呼べば叱られますしね」
「当然でしょ、山崎さんはタクシーの運転手じゃないんだからね、一緒にやって来た仲間なんだから、いいんだよ、それに、会長だの顧問だのと言われても、私は、もう何もしていないしね、とっくに前線は離れているんだ」
「それはそうですが・・・、長くお付き合いをしていて分かってはいるんですが・・・。こんな方は多くはいらっしゃらないですからね、待村さん」
「そうですね、お会いしてから、ずっと伺っているんですが、気持がいいものですね、ひとが互いに気遣い合うというのは、それも欲得ではないのですから、羨ましいですわ」
久美子はせせらぎに耳を傾ける。
水音を聞きながら、紳策の亡くなった妻のことを想う。
どのような女性だったのか、どのような妻だったのだろうかと・・・、そう思わずにはいられなくなっている自分を知る。
食事が済むと、三人は揃って貴船神社の本宮に参った。
久美子と紳策だけは、同行を固辞する山崎を残して奥宮まで歩いて行く。
市内より十度は温度が低いといわれている貴船だった。
久美子は丁度いい着物を選んでいた。
紳策が言った。
「着物、よくお似合いですね」
「ありがとうございます、いいものではありません」
「夏塩沢ですね、着るひとで、どのようにも見えます、お気になさることはありません、お似合いですし、お綺麗ですよ、一緒に歩くのが楽しいですよ・・・」
「そうおっしゃって頂くと嬉しいですわ、母からのお下がりなんですよ」
「いいですね、お人柄が分かりますよ、貴女もお母様も・・・。久しぶりに真剣にお参りをしました、ここは水の神様ですから、うちの仕事にとって水は大切ですからね」
「それだけですか?、他にもご利益はありますよ・・・」
「いや、言いませんよ。そうですね・・・、願うことなら、貴女にも同じお願いをして頂いていたらと思いますが・・・、そこまでにしておきましょう、今日は急に無理を言ってすみませんでしたね、お蔭で、いい暑気払いができましたよ」
「わたしも、長く連絡もしないで気になっておりましたから、お電話を頂いて、とても嬉しく思っていました。わたしも、榎木さんが同じお祈りをして頂いていればと思っています」
「そうですか、またお誘いをしても宜しいですか?」
「ええ、特別にやらなければならないことは何もありませんから、お声をかけて頂ければ、お伴させて頂けると思います」
「それは嬉しい、わたしなりに考える楽しみができました」
幸せそうな初老のカップルだった。
すれ違う人たちの視線を感じ、二人はその視線の意味を考えながら駐車場に戻ると、先に戻っていた山崎が二人に気付いた。車外に出ると、後部ドアを開けて迎える。
「山崎さん、お待たせしてしまったね、一緒に来れば良かったのに?」
「いえいえ、ゆっくりさせて頂きました、流れの音も風も、やはり京の奥座敷と言われるだけのことはありますね」
三人の乗った乗用車は、三人三様に満ち足りた思いを乗せて洛中へと下って行った。
山を下り、柊野別れの交叉点にさしかかった辺りで、紳策が山崎に語りかける。
「山崎さん、久しぶりに、あの店に寄ってみてくれますか?」
「そうですね、懐かしいですね、そうしましょう」
「待村さん、お茶にしましょう、四時までには、まだ時間がありますから」
「行く先は秘密なんですか?」
「いいえ、ハックベリーはご存知ですか?」
「はい、富さんに聞きました、榎木さんがお帰りになった日に・・・」
「待村さん、これから向うハックベリー北山店が、最初に開店したティーラウンジなんですよ。北山には、当時、榎木さんを乗せて何度来たか分かりません・・・」
「そのお店にですか?」
「いいえ、植物園ですよ、そこにハーブに詳しい方がおられましてね、榎木さんは根気よくお訪ねになっていたんです、ハーブ園が軌道に乗って、新しくティーラウンジの事業を始めるとき、感謝の意味もありましてね、最初に植物園に近い北山に出したんですよ、今では、いちばん座席の少ないラウンジですけどね」
「山崎さん、あの頃は社員も少なかったけど、茶畑だけでは、みんなが食べていけなくなるのではないかと、よく話しましたね・・・、もう、山崎さんくらいしか、あの頃の苦労を知るひとは居ませんね・・・」
「榎木さんのお蔭で息子たちを大学までやることができましたよ、社員はみんな感謝しています、お茶やハーブを作って、あの辺りではいい給料を頂きましたから・・・、ハックベリーの従業員や茶園やハーブ園のみんなが揃ってやる新年会が、いちばんの楽しみで、待ち遠しかったですね、いい人ばかりが集まっていた・・・、榎木さんの人柄ですよ」
「いやいや、みんなが一生懸命やったからですよ、こうして、ゆっくりできるのも、皆さんのお陰だと感謝しています」
「本当に、お変わりになりませんねえ、もっと威張っておられても宜しいのに・・・」
久美子が言った。
「いいですね、わたしも山崎さんのように、もっと早く榎木さんにお会いしたかったですわ」
紳策が言った。
「いいじゃないですか、人生はまだ長いと言えば長いですよ、山崎さんだって、まだまだお元気だ」
「待村さん、わたし五年前に後妻を迎えたんですよ。榎木さんの奥様が亡くなられて三年ほど後でしたが、わたしも茶園で働いていた家内を癌で亡くしましてね・・・、榎木さんの紹介で、又、いいひとに巡り会えたんですよ、今の家内も再婚ですがね、上手くやっていますよ」
「山崎さんは昔も今も、とても愛妻家なんですよ、お子さんたちも、今の奥さんを大切にしてらっしゃる、羨ましいですよ」
「榎木さんが社長を辞められると聞いた時に、わたしも一緒に辞めると言ったんです、榎木さんや今の社長から、どんな仕事でもいいから残ってくれと言われましてね、それじゃあ運転手でと、お願いしたんですよ」
「待村さん、山崎さんはね、バリバリの営業本部長で取締役だったのですよ、変ったひとでしょ?」
「そんな!、何という方たちなのでしょう・・・、今日は驚くことばかりですわ、物語の中にいるようです」
「待村さん、あるがままに、その時その時を享受しましょう・・・、精一杯生きていれば、あり得ないようなことも起きますから・・・」
山崎は、久美子の想いも紳策の心情も察して話しているようだった。
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