見つめていたい

稲葉真乎人

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07.旧友の近況

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部屋に入った秀一は、健吾に自分のトレーナーの上下を出してやった。
健吾は、口で言うほど酒が強い訳ではない、秀一と久しぶりに二人だけで飲むのが嬉しかった。
「なぁ、英太は一度も県外に出んままで、一生を過ごすことになったけど、秀ちゃんは戻る気はないんか?」
「うん……」
少し間を置いて返事をした秀一の表情を、健吾は覗き込むように見つめた。
「どうしたん?、何か考えとるんか?」
「いや、今はまだはっきりはしていないよ、東京から戻って間もないし、部下にも恵まれとるしなあ」
「そうか、彼女はできたん?」
「そんな気はないし、バツイチだぞ、そう簡単に近づく女性はいないよ」
「そんなに気にするほどのことじゃないで、この頃は、鳥取みたいな田舎町でも、離婚は珍し無いけぇ。バスケ部だった田中と、ダンス部のキャプテンだった吉原さんも別れた、どっちも子供が無いうちだったけ、田中は直ぐに小学校の先生と再婚したし。吉原さんも電機会社の先輩とバツイチ同士の再婚した。どうってことはないで」
「そんなに気にはしてないけどな、社内には、独身の若い男性社員も多い、バツイチはバツイチだ、本人同士なら問題がなくても、親族は気にするひともあるだろ」
「具体的には、あるんか?」
「それはないけど、周りでは耳にするよ」
「そうか、都会でも気にするひとはおるんか?」
「健ちゃんだって、自分の相手がそうなら、ちょっとは気にするだろ?」
「まぁ相手が女性だと、ちょっとはな、でも、女性はそうでもないと思うで?」
「そうかな?」
「ああ、ごっつ好きなら気にはせんと思うで?」
「そんなものかな……」
「そうよ、同じクラスだった富田さんと、先輩の山崎さんがおるだろ?」
「陸上部の国体選手だった、スーパー.ヤマサキの長男だろ?」
「ああ、富田さんと山崎先輩は高校時代に付き合っとって、校内でも評判だっただろ?。富田さんは関西の大学を出てから、戻ってきて中学の先生をしとる、山崎さんは、関西の大学に行っとったときに知り合った西高校の陸上部だった女性と結婚されたけど、離婚しんさんただで……」
「そうか、富田さんとじゃなかったのか?」
「ああ、でもなぁ、離婚して翌年だった、山崎さんがな、独身だった富田さんにプロポーズしただ、富田さんは待っとった云う感じだったらしいで。先生を辞めて、今は幸せそうに、ふたりでスーパーを切り盛りしとんさるだ、山崎さんがバツイチだ言うことを、富田さんは気にはしとらぁせんかったと言うことだろ?」
「そんなものか、僕には、よぉ分からんけど」
「秀ちゃんは、僕から見てもええ男だ、持てるだろうが?」
「部下もおるし、そんなゆとりはないよ、国内の畜産業界は盛んな訳じゃないけぇ、それは健ちゃんも分かるだろ?」
「まぁな、でも、こう、景気が悪うなるとな、地元の工場でもリストラが進んどる、自分家(じぶんげ)が農家や漁師のもん(者)は、親を手伝っとるもんもおる。年寄りばっかりだけ、田畑に手を入れるもんが減っとっただろ?、今まで畑仕事もしたことのないもんでも、改めて、やろうかと思うもんがおる訳だ。規模は小(ち)そうても、牛を飼おうか言うもんもおるけぇ、これからは分からんぞ」
「まぁな、拘って肉牛を育てる酪農家があるのは知っているけど、規模は知れとるからなぁ……」
「秀ちゃん、何か考えとるん?」
「いや、仕事を通して見える物もあるってことだ」
「そうか、帰ってくる気は、ないんか?」
「今すぐにはなぁ、でも考えんでもない」
健吾は身を乗り出した。
「そうか、もし考えとることがあるんだったら教えてくれぇ?」
「うん、今、ペット業界のことを調べているんだ」
「おい、家畜じゃないんか?」
「勿論、家畜は専門だけど、犬や猫のことも勉強を始めているんだ、社内には、ペット業界を担当にしている部門もあるからな」
「待てよ、もしかして獣医に?」
「いや、まだはっきり決めている訳じゃない」
「そうか、でも、会社を辞めるってことか?」
「健ちゃん、えらく突っ込んで訊くなぁ、心配をしてくれるのはありがたいけど……。何とかするよ、決めたら連絡する」
「それはええけど、こっちで結婚する気か?」
「それは分からん、相手がいない今は考えられん」
「会社には、独身女性も多いんだろ?」
「いるけど、さっきも言ったように若い男性も多いんだ、僕なんかは、列の最後だな」
「そうでもないだろ、秀ちゃんは自分では気付いとらんけど、ええ婿になれる、親父やお袋も何時もそう話しとるで」
「まあな、年寄りに持てるタイプかも知れんな」
「それは、親に受け入れられるってことだろ、ええことだろうが?」
「健ちゃん、僕のことより、理恵さんとは順調なんだろ?」
「ああ、結納をする前から、しょっちゅう家に来て、お袋を手伝ったり牧場の手伝いをしたりしてくれとるわいや」
「病院の方は?」
「ああ、結婚しても勤めたいって言っとるけぇ、子供が出来るまでは、好きにすりゃあええって言ってある」
「そうか、小父さんが年をとって動けなくなっても、理恵さんは福祉士で、介護士の資格も持っているんだろ?」
「うん、こっちは期待しとらんけど、本人は気に掛けてくれとるみたいだ。もともと、ひとの世話をするのが好きなんだ、彼女は根が優しいんだけぇ」
「聞かせてくれるなぁ、羨ましいよ、聞いてなかったけど、どうして仲良くなったんだ?」
「最初は昌子さんの紹介だけど、一度、牧場に呼んだときに、ドラムを叩いたら、それが気に入ったらしくて」
「ふーん」
「理恵さんなぁ、あれで結構ロックとかを聴いとるんだで」
「意外だな、そんなタイプに見えないのに」
「だからな、こっちが気付かんだけで、案外、世の中には相性のいい女性が身近に居るっちゅうことだがな……」
「健ちゃんは、上手く行ったから言えるんだよ?」
「いや、僕にとっての理恵さんみたいに、秀ちゃんにも合うひとが居るってことを言いたいんだ……、気付いとらんだけだと違うかな……」
「そうか、期待して待つか?」
「待たんと、じっくり周りを見て、感じ取れってこと?」
「分かったよ、成功者のアドバイスとして聞いておくわ、英太はどうしとるん?」
「ああ、この前、秀ちゃんが戻ってきたときにバーベキューをしただろ、あの頃は看護師のひとと付き合っとったらしいけどな、有希が世話をやいて、秀ちゃんの小母さんに、紹介してあげてって、頼んだらしいんだ」
「有希ちゃんがお袋に?、何でまた、うちのお袋なんだ?」
「小母さんは、有希の店に画材を買いに見えとるらしいで、知らんかったん?」
「えっ、知らないよ、油絵?、そんなの聞いたこともないけどなぁ」
「俳画って言うんか、水彩画らしい……」
「知らなかったな、それで?」
「ああ、小母さんから紹介されたひとと付き合っとるで、薬剤師さんだ」
「あいつ、結局、開業ありきかよ……」
「本人が薬剤師を選んだ訳じゃないで、小母さんが選んだひとだ、それに、英太のお袋さんも薬剤師だろ、すーっと受け入れられたんだと思うで」
「うちのお袋は、英太が医院を継ぐって、その辺の事情を知っていたのかなぁ……」
「その辺のことは智子ちゃんも話しとったらしいよ、それに小母さんは英太のことも良(よ)お知っとるだろ、考えて選びんさったんだと思うで」
「そうかなぁ?」
「とにかく、英太も順調に進めているってことだけえ、秀ちゃんも頑張ってくれぇ?」
「そうだな、歳も歳だしな」
「もう少しなぁ、周りをよお見て、今度は失敗すんなよ。必ず秀ちゃんにぴったりの女性が周りに、おる筈だけぇ……」
「えらく勧めるなぁ、話したけど、バツイチは気にしてないと言うけど、結構、僕自身は気にしているんだ。今度、出逢ったひとに悪い気がして」
「考えすぎだで、秀ちゃんの今を好きになってくれるひとだったら、問題にはせんって、色々なことがあっての今なんだけぇ……」
「それはそうだけど……」
「まあ、あんまり卑下すんな、チャンスがあったら逃すなよ?」
「ああ、ありがとう、英太に負けないように頑張るか……」
「そうだよ、まぁ今回は、ここまでにしとこうか……」
「おい、どうしてそんなに発破をかけるんだよ?」
「秀ちゃんだけが独りもんだったら、これから付き合い難うなるだろうが?」

翌朝、秀一と健吾は、下沢夫妻が準備した朝食を、四人揃って食べていた。
亭主の卓郎が言った。
「岡谷くんの妹さん、有希ちゃん言うたかなぁ、一度、秀一くんを訪ねて、四、五日、此処に泊まって京都見物をして帰らはったやろ。かわいらしい妹さんやった。うちには娘がおらへんから、こんな娘さんやったら欲しいなぁ言うてたのを思いだすわ」
夫人の峰子が言った。
「有希さんは、ええ娘はんにならはったやろなあ?」
「はい、此処にお邪魔したのは、高校入試の合格祝いということでしたから、十年以上も前になります」
「もう、お嫁さんに行かはりましたんか?」
「いえ、まだです、画材店に勤めながら、牛の世話を手伝ってくれて、暇なときには絵を描きょうりますわ」
「かわいらしい娘さんやったから、綺麗になってはるんやろなぁ、ええひとは居てはらへんの?、会いたいわぁ。秀一くんも此処に戻ってきはったんやし、また、京都においでて下さい言うといて?」
「はい、ありがとうございます」
秀一が思い出したように言った。
「そうだったな、あれは……、僕が卒論に手を取られていた頃だったなぁ、あんまりゆっくり案内できなかったから、罪滅ぼしをしなあかんかもな……」
「秀ちゃん、ほんとにいいのか?、あいつ、女将さんから言われたって聞いたら、本気で来るかも分からんで?」
「ええやないの、遠慮せんと来てくれはったら、うちら夫婦で歓待させてもらいますがな」
「ほんとですか?」
「嘘なんか言いますかいな、なぁ、あんた?」
「そうや、若い娘さんやったら大歓迎や、是非、近いうちに出てきはったらええ、どないな娘さんにならはったやろなぁ、楽しみや」
「そうですか、いい土産話ができました。秀ちゃん、そのときは頼むな?」
「いいよ、学生時代じゃないから、僕も財布は厚いからな、そのときは大盤振る舞いをするよ」
「おい、ぼくにもそうして欲しかったな?」
「また今度な……」
和やかな朝餉のときが終わると、秀一は健吾を送って京都駅に向かった。
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