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思い出の地
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颯太と美紗子が、婚姻届けの証人として署名してもらうために楠城家を訪れた日、伯父の和明と絹代夫婦は、昼食に祝いの膳を用意してくれていた。
事前に訪問を伝えていたこともあり、楠城家の長女有希世と娘婿の梶谷裕也も子供を連れて来ていた。
有希世は颯太が幼い頃、母の沙奈絵と里帰りで京都に来ると、仲良く遊んでいたこともあり、颯太の結婚を心から喜んでくれた。
美紗子には、楠城夫婦が、まるで颯太の両親の様に思えた。梶谷夫婦が同席してくれていることも、皆部家の身内に加われた気がして嬉しかった。
会食中、和明が、嬉しそうに颯太と美紗子をみつめていた。
「颯ちゃんと美紗子さんが京都で婚姻届を出すと云うことは、京都が夫婦の原点の地云うことになる訳や……。横浜に行ったら此処の家を郷や思て、何時でも戻って来てええんやで、黒谷さんには、お祖父さんとお祖母さんの墓も在る、颯ちゃんの親の実家なんやからな……。美紗子さんも、高槻に里帰りしはった時には、楠城屋の店の方にでも、顔をみせてくれたら嬉しいな……」
颯太は関西の地で美紗子と出逢えたことは幸運だったと思っていた。
「ありがとうございます、今回のことでは伯父さんと小母さんに随分助けられました。楠城屋のマンションに住まわせてもらって良かったと思っています。
結婚はふたりだけでと思っていましたけど、伯父さんや小母さん、有希世さん裕也さん夫婦に、こんなにして貰って感謝します。
この家も京都も、ぼく達ふたりには忘れられない場所になりました。本当にお世話になりました……」
「わたしも楠城さんや梶谷さんご夫婦にお祝いをして頂いて、とても嬉しいですし、皆さんが、颯太さんのご両親とご家族じゃないかしらと、勘違いしそうで途惑ってもいます。
わたし達はこれから婚姻届けを出しに行きます。結婚式はしませんが、二組のご夫婦だけが、わたし達の結婚記念日の立会人と云うことになりますから、御礼と感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。これからも宜しくお願いします。この席を設けて頂いたことで、皆さんのことや京都の町が、結婚当日の記憶として残ることになると思います。本当にありがとうございました……」
この日の三時過ぎ、颯太と美紗子は、揃って婚姻届けを出したのだ。
市役所からの帰り、寺町通りの老舗.鳩居堂の前に差し掛かった。
美紗子は京都に来た記念に、江戸時代から続く、老舗の鳩居堂で書画用品を買いたいと颯太に言った。
美紗子は特上の油煙を使った墨を選んだ。颯太は美紗子に陶器製の筆架と墨床を選ぶように言い、美紗子が購入するする墨と一緒にプレゼントした。
ふたりは店舗を後にすると、近くの喫茶店に入った。
美紗子が茨木に帰るには、地下鉄を利用すれば阪急電車.四条烏丸駅迄は遠くは無い。
喫茶店は暖かく、二人はコートを脱ぐと、椅子に背を任せてホッと溜息をついた。
コーヒーに口を付けてカップを戻した美紗子は、颯太を見詰めた。
「ごめんね、無理をさせてしまって……。颯ちゃんが出してくれるんだったら、あんなに、高い墨を買わなきゃよかった……」
「気にしないでいいよ、今まで何もプレゼントしてなかったし……。でも、習字は、何時も美紗子ちゃんと共にあったんだし……、今じゃ上級者なんだから、良いんじゃないかな」
「そうでもないと思うけど、長く続けて来たのは、それしかすることが無かったからかも……。ねえ、楠城のおじさんが言われたから思ったんだけど……」
「なに?、なにか気になることでも……」
「颯ちゃんはどうか知れないけど、故郷って何処かなって思ったりして……」
「ああ、そのこと……、美紗ちゃんは何処だと思っているの?」
「分からない……、そもそも故郷って、その土地で生まれ育って、幼友達が居て、自分の実家とか親戚が居る所で、何時でも帰ることが出来る、そんな所でしょ…」
「多分、僕も美紗ちゃんも、そう云う場所は無いよね。幼少期から思春期と云うのかな、僕は小五から高三迄の八年間を過ごした岡山が一番長く過ごした土地になるんだけど、岡山を離れてから友達との交流は途絶えているし、故郷と云う気はしないから、故郷は無いと思っているけどね……」
「やっぱりそうなのね、わたしも同じなの。茨木に家があっても、あそこで育った訳じゃないでしょ。
わたしも岡山の七年間がいちばん愛着はあるの、幼馴染は居るのって訊かれたら、ずっと岡山に住んでいる友達とは馴染めなかったから、颯ちゃんと智奈津ちゃんだけなの、でも岡山が故郷じゃないわ……」
「そうだ……、今年は祭日が月曜日だから三連休になるよね、一緒に旅行できないかな?」
「それは大丈夫だけど、突然、どうして?」
「うん、横浜に行ったら、もう来れないと思うから岡山に行ってみたいと思って……。それと、僕が小四まで居て、去年も赴任していた広島にも行ってみたいから、広島で一泊して、帰りに倉敷に寄って、岡山で一泊して戻るって云うのはどうかなと思って……。帰ってから、月曜日は一日休めるし……。美紗ちゃんは智奈津と倉敷に行ったことがあるだろ、僕は行ったことが無いんだ……」
「いいわ。それで進めましょ、楽しみだわ……。ねえ、今度、わたしが大船に下見に行くとき、颯ちゃんも横浜に戻るのに一緒してくれるんでしょ?」
「うん、そのつもりだけど……」
「じゃあ、その時には、名古屋で一緒に途中下車してもらえるかしら?」
「いいよ……、何かあるの?」
「岡山の次に友達が出来たのは名古屋なの、会いたい人がいるのよ、と云うのか、颯ちゃんにも会わせたいひとなの……。もう会うことも無いような気がするから」
「そうだね、結婚式をしないから、旧知のひと達と会う機会はないし……。そうか、沢木佳那子さんだね、どんなひとなのかな……、楽しみにしとくよ」
「わたしが颯ちゃんのことを話した、たった一人の友達なの……」
「そうなんだ。僕はだれにも話したことは無いんだけど……。じゃ、ホテルとか日程は僕に任せて貰っていいかな?」
「ええ、お願いするわ。じゃあ、予定が決まったら連絡をお願いね?」
三連休の最初の土曜日の朝、美紗子と颯太は、八時半に新幹線新大阪駅で待ち合わせ、九時前の《のぞみ》で広島に向かった。
十時過ぎに広島に着いたふたりは、駅近くのコーヒーショップで休憩する。
前日まで晴れていた天候は、午前中は曇りで午後は晴れ、翌日は雨の予報が出ていた。
前日は最低気温マイナス4.3度、最高気温4.6度だったが、この日は、最低気温マイナス2.5度最高気温9.9度で少しだけ寒さが和らいでいた。
「美紗ちゃん、これから少し歩いて県立美術館と〈縮景園〉に行ってみようと思うんだけど……」
「いいわね、寒いけど風は無いみたいだし、新幹線で身体が固まったみたいだから歩きましょ……」
「その後なんだけど、昼ご飯に、寄りたい店があるんだけど、昼食時間を避けたいんだ。だから縮景園の中の〈泉水亭〉と云う店で、軽く何か食べておいて、電車でこの近くまで戻って少し歩くんだけど、大丈夫かな?」
「いいわよ、颯ちゃんの思い出がある場所なんでしょ、行っておいた方がいいと思う、わたしも興味あるから、喜んでお供するわ……」
「そう、ありがとう、じゃ、その予定で……。それから昼食が済んだら、午後は平和公園と広島城と〈おりづるタワー〉と云う処に行って予定は終わり、それでいい?」
「いいわね、おりづるタワーって云うのは知らなかったわ……」
「うん、僕が去年広島に来る二年くらい前に完成したらしくてね、去年広島では忙しくて何処にも行けなかったから……。でも、本社では経験できない貴重な、時間を過ごすことはできたけどね……」
「颯ちゃんの、この二年間は、お話を聴いただけでも、変化の大きい年だったのね……」
「そうだよね、締めくくりが美紗子ちゃんとの再会、そして結婚なんだから、二年前には考えもしなかった展開だよ……。でも言い換えれば充実した二年間だったとも云えるかな……」
昼前に泉水亭に入り休憩する。颯太は串団子とお茶、美紗子は抹茶と和菓子セットで空腹を抑え、暖をとって時を過ごした。
縮景園を後にした颯太は、白島通りに出ると電車を待つ。
美紗子に、途中で買い物をしたいと話すと、美紗子は素直に聞き入れ、電車に乗ると八丁堀の電停で下車した。
広島に居た時、アシスタントの榎木雅子が買ってきてくれたロールケーキで、仕事が捗ったことを思い出していた。
そのロールケーキを購入しようと、記憶を辿りながら白島通りの電車道を北に戻り、左右を見ながら歩いた。
ケーキショップは直ぐに分かった。ショップの前にはひとの列ができていた。
ロールケーキしか販売していないショップの店員は、手際よく包装して客を捌いていた。待ち時間は僅かだった。
列の後ろで待っていた颯太は、ここのロールケーキは特別で、とても人気があるのだと話した。美紗子は不思議そうな顔で颯太を見た。
「誰かに届けるの?」
「ここのロールケーキのお陰で、仕事が上手く運んだことがあってね。もう広島に来ることは無いと思っていたけど、その時お世話になったお礼をするにはいい機会だと思ってね……」
ロールケーキを入れた紙袋を手にした颯太は、路面電車の八丁堀駅まで戻り、広島駅方面の電車で的場町駅に向かった。
駅を降りて、五分ほど歩いた。
「此処を真直ぐ行くと、住んでいたマンスリーマンションがあるんだけど、これから行くのは、食事を世話になっていた店なんだ。会社でアシスタントに就いてくれていた女性社員の伯父さん夫婦がやっておられて、随分サービスをして貰ったんだ……」
「このケーキは、そのおじさんの好物なの?」
「違うよ。アシスタントだったのは榎本雅子さんと云うんだけどね、よく伯父さんの店に顔を出しているから、渡して貰おうと思ってね……。支店勤めの経験の無い僕にとっては、色々と助けて貰うことが多かったんだ……」
ふたりは午後二時前に店に着いた。
客の多い昼食時間帯は過ぎ、昼の営業時間は終わろうとしていた。
二時を過ぎで客が居なくなれば、夕方六時からの夜の営業時間までは、暖簾を下ろして休憩時間に入るのが、木陰亭の営業パターンである。
事前に訪問を伝えていたこともあり、楠城家の長女有希世と娘婿の梶谷裕也も子供を連れて来ていた。
有希世は颯太が幼い頃、母の沙奈絵と里帰りで京都に来ると、仲良く遊んでいたこともあり、颯太の結婚を心から喜んでくれた。
美紗子には、楠城夫婦が、まるで颯太の両親の様に思えた。梶谷夫婦が同席してくれていることも、皆部家の身内に加われた気がして嬉しかった。
会食中、和明が、嬉しそうに颯太と美紗子をみつめていた。
「颯ちゃんと美紗子さんが京都で婚姻届を出すと云うことは、京都が夫婦の原点の地云うことになる訳や……。横浜に行ったら此処の家を郷や思て、何時でも戻って来てええんやで、黒谷さんには、お祖父さんとお祖母さんの墓も在る、颯ちゃんの親の実家なんやからな……。美紗子さんも、高槻に里帰りしはった時には、楠城屋の店の方にでも、顔をみせてくれたら嬉しいな……」
颯太は関西の地で美紗子と出逢えたことは幸運だったと思っていた。
「ありがとうございます、今回のことでは伯父さんと小母さんに随分助けられました。楠城屋のマンションに住まわせてもらって良かったと思っています。
結婚はふたりだけでと思っていましたけど、伯父さんや小母さん、有希世さん裕也さん夫婦に、こんなにして貰って感謝します。
この家も京都も、ぼく達ふたりには忘れられない場所になりました。本当にお世話になりました……」
「わたしも楠城さんや梶谷さんご夫婦にお祝いをして頂いて、とても嬉しいですし、皆さんが、颯太さんのご両親とご家族じゃないかしらと、勘違いしそうで途惑ってもいます。
わたし達はこれから婚姻届けを出しに行きます。結婚式はしませんが、二組のご夫婦だけが、わたし達の結婚記念日の立会人と云うことになりますから、御礼と感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。これからも宜しくお願いします。この席を設けて頂いたことで、皆さんのことや京都の町が、結婚当日の記憶として残ることになると思います。本当にありがとうございました……」
この日の三時過ぎ、颯太と美紗子は、揃って婚姻届けを出したのだ。
市役所からの帰り、寺町通りの老舗.鳩居堂の前に差し掛かった。
美紗子は京都に来た記念に、江戸時代から続く、老舗の鳩居堂で書画用品を買いたいと颯太に言った。
美紗子は特上の油煙を使った墨を選んだ。颯太は美紗子に陶器製の筆架と墨床を選ぶように言い、美紗子が購入するする墨と一緒にプレゼントした。
ふたりは店舗を後にすると、近くの喫茶店に入った。
美紗子が茨木に帰るには、地下鉄を利用すれば阪急電車.四条烏丸駅迄は遠くは無い。
喫茶店は暖かく、二人はコートを脱ぐと、椅子に背を任せてホッと溜息をついた。
コーヒーに口を付けてカップを戻した美紗子は、颯太を見詰めた。
「ごめんね、無理をさせてしまって……。颯ちゃんが出してくれるんだったら、あんなに、高い墨を買わなきゃよかった……」
「気にしないでいいよ、今まで何もプレゼントしてなかったし……。でも、習字は、何時も美紗子ちゃんと共にあったんだし……、今じゃ上級者なんだから、良いんじゃないかな」
「そうでもないと思うけど、長く続けて来たのは、それしかすることが無かったからかも……。ねえ、楠城のおじさんが言われたから思ったんだけど……」
「なに?、なにか気になることでも……」
「颯ちゃんはどうか知れないけど、故郷って何処かなって思ったりして……」
「ああ、そのこと……、美紗ちゃんは何処だと思っているの?」
「分からない……、そもそも故郷って、その土地で生まれ育って、幼友達が居て、自分の実家とか親戚が居る所で、何時でも帰ることが出来る、そんな所でしょ…」
「多分、僕も美紗ちゃんも、そう云う場所は無いよね。幼少期から思春期と云うのかな、僕は小五から高三迄の八年間を過ごした岡山が一番長く過ごした土地になるんだけど、岡山を離れてから友達との交流は途絶えているし、故郷と云う気はしないから、故郷は無いと思っているけどね……」
「やっぱりそうなのね、わたしも同じなの。茨木に家があっても、あそこで育った訳じゃないでしょ。
わたしも岡山の七年間がいちばん愛着はあるの、幼馴染は居るのって訊かれたら、ずっと岡山に住んでいる友達とは馴染めなかったから、颯ちゃんと智奈津ちゃんだけなの、でも岡山が故郷じゃないわ……」
「そうだ……、今年は祭日が月曜日だから三連休になるよね、一緒に旅行できないかな?」
「それは大丈夫だけど、突然、どうして?」
「うん、横浜に行ったら、もう来れないと思うから岡山に行ってみたいと思って……。それと、僕が小四まで居て、去年も赴任していた広島にも行ってみたいから、広島で一泊して、帰りに倉敷に寄って、岡山で一泊して戻るって云うのはどうかなと思って……。帰ってから、月曜日は一日休めるし……。美紗ちゃんは智奈津と倉敷に行ったことがあるだろ、僕は行ったことが無いんだ……」
「いいわ。それで進めましょ、楽しみだわ……。ねえ、今度、わたしが大船に下見に行くとき、颯ちゃんも横浜に戻るのに一緒してくれるんでしょ?」
「うん、そのつもりだけど……」
「じゃあ、その時には、名古屋で一緒に途中下車してもらえるかしら?」
「いいよ……、何かあるの?」
「岡山の次に友達が出来たのは名古屋なの、会いたい人がいるのよ、と云うのか、颯ちゃんにも会わせたいひとなの……。もう会うことも無いような気がするから」
「そうだね、結婚式をしないから、旧知のひと達と会う機会はないし……。そうか、沢木佳那子さんだね、どんなひとなのかな……、楽しみにしとくよ」
「わたしが颯ちゃんのことを話した、たった一人の友達なの……」
「そうなんだ。僕はだれにも話したことは無いんだけど……。じゃ、ホテルとか日程は僕に任せて貰っていいかな?」
「ええ、お願いするわ。じゃあ、予定が決まったら連絡をお願いね?」
三連休の最初の土曜日の朝、美紗子と颯太は、八時半に新幹線新大阪駅で待ち合わせ、九時前の《のぞみ》で広島に向かった。
十時過ぎに広島に着いたふたりは、駅近くのコーヒーショップで休憩する。
前日まで晴れていた天候は、午前中は曇りで午後は晴れ、翌日は雨の予報が出ていた。
前日は最低気温マイナス4.3度、最高気温4.6度だったが、この日は、最低気温マイナス2.5度最高気温9.9度で少しだけ寒さが和らいでいた。
「美紗ちゃん、これから少し歩いて県立美術館と〈縮景園〉に行ってみようと思うんだけど……」
「いいわね、寒いけど風は無いみたいだし、新幹線で身体が固まったみたいだから歩きましょ……」
「その後なんだけど、昼ご飯に、寄りたい店があるんだけど、昼食時間を避けたいんだ。だから縮景園の中の〈泉水亭〉と云う店で、軽く何か食べておいて、電車でこの近くまで戻って少し歩くんだけど、大丈夫かな?」
「いいわよ、颯ちゃんの思い出がある場所なんでしょ、行っておいた方がいいと思う、わたしも興味あるから、喜んでお供するわ……」
「そう、ありがとう、じゃ、その予定で……。それから昼食が済んだら、午後は平和公園と広島城と〈おりづるタワー〉と云う処に行って予定は終わり、それでいい?」
「いいわね、おりづるタワーって云うのは知らなかったわ……」
「うん、僕が去年広島に来る二年くらい前に完成したらしくてね、去年広島では忙しくて何処にも行けなかったから……。でも、本社では経験できない貴重な、時間を過ごすことはできたけどね……」
「颯ちゃんの、この二年間は、お話を聴いただけでも、変化の大きい年だったのね……」
「そうだよね、締めくくりが美紗子ちゃんとの再会、そして結婚なんだから、二年前には考えもしなかった展開だよ……。でも言い換えれば充実した二年間だったとも云えるかな……」
昼前に泉水亭に入り休憩する。颯太は串団子とお茶、美紗子は抹茶と和菓子セットで空腹を抑え、暖をとって時を過ごした。
縮景園を後にした颯太は、白島通りに出ると電車を待つ。
美紗子に、途中で買い物をしたいと話すと、美紗子は素直に聞き入れ、電車に乗ると八丁堀の電停で下車した。
広島に居た時、アシスタントの榎木雅子が買ってきてくれたロールケーキで、仕事が捗ったことを思い出していた。
そのロールケーキを購入しようと、記憶を辿りながら白島通りの電車道を北に戻り、左右を見ながら歩いた。
ケーキショップは直ぐに分かった。ショップの前にはひとの列ができていた。
ロールケーキしか販売していないショップの店員は、手際よく包装して客を捌いていた。待ち時間は僅かだった。
列の後ろで待っていた颯太は、ここのロールケーキは特別で、とても人気があるのだと話した。美紗子は不思議そうな顔で颯太を見た。
「誰かに届けるの?」
「ここのロールケーキのお陰で、仕事が上手く運んだことがあってね。もう広島に来ることは無いと思っていたけど、その時お世話になったお礼をするにはいい機会だと思ってね……」
ロールケーキを入れた紙袋を手にした颯太は、路面電車の八丁堀駅まで戻り、広島駅方面の電車で的場町駅に向かった。
駅を降りて、五分ほど歩いた。
「此処を真直ぐ行くと、住んでいたマンスリーマンションがあるんだけど、これから行くのは、食事を世話になっていた店なんだ。会社でアシスタントに就いてくれていた女性社員の伯父さん夫婦がやっておられて、随分サービスをして貰ったんだ……」
「このケーキは、そのおじさんの好物なの?」
「違うよ。アシスタントだったのは榎本雅子さんと云うんだけどね、よく伯父さんの店に顔を出しているから、渡して貰おうと思ってね……。支店勤めの経験の無い僕にとっては、色々と助けて貰うことが多かったんだ……」
ふたりは午後二時前に店に着いた。
客の多い昼食時間帯は過ぎ、昼の営業時間は終わろうとしていた。
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