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マンデリン
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颯太が奥の座敷に行くと、ポータブルのガスコンロが二台載った座卓を前に、伯父の和明が、〈蕪の千枚漬け〉を肴に、焼酎を湯で割って飲んでいた。
「おう、颯ちゃん、寒かったやろ……。これ、飲むか?」
「伯父さん、小母さんに聞きましたけど、今夜は〈ふぐしゃぶ〉らしいですね、こっちの方が良いと思いますよ。僕からの差し入れです。一緒に飲みたいと思って……」
颯太はポリ袋からウイスキーの箱を取り出すと、畳を滑らせて和明の膝横に差し出した。
和明はウイスキーの箱を手に取るなり言った。
「おいおい、颯ちゃん、これは!……どないしたんや……」
「伯父さん、それ、好きなやつでしょ……」
「ああ、そらそうなんやけどな……、何でジョニーウォーカーやて知ってるんや?」
「分かりますよ。小母さんは梅酒を大きなボトルから小分けにして、ボトルに入れておられますし、庭の液体肥料の容器にも使っておられますから……」
「確かに、言われればそうや……」
「小母さん言っておられましたよ、四角いビンだから納め易いって…」
「以前は、よお飲んでたさかいな。でもなあ、寺町のスタンドで18年を飲んだことはあるけど、ブルーラベルなんて見るだけやった……。高かったやろ……。こんな気ぃ遣わんでええのに……。それとも、何かええことでもあったんか?」
絹代が小ぶりの土鍋を二鍋、四角い盆に載せて持って来た。
「お母さん、これ、颯ちゃんから貰ろたで」
「あら!。颯ちゃん、気ぃ遣う事なんかあらへんえ。あんたはお母さんの実家に戻って来てるだけなんやから……」
「そんなに気を遣ってるつもりは無いですけど……。使わせてもらっているマンションは、貸せば収入になる訳ですから、申し訳ないと思っています。でも、これは伯父さんが言われたように、ちょっと良いことがあったので、一緒に喜んでもらいたくて……」
「あら、何かあったん?、後で聞かせてくれはるんやろ?。お父さん、コンロ、点けてくれはる?」
「よし。お母さんのは?」
「わたしは後で頂きますよって。ゆっくり食べて、貰いはったんを飲まはったらええ……。久しぶりですやろ?」
「久しぶり言うてもなあ、こんな上等なやつ、飲んだことあれへんがな……。喉が嫌がるかも知れへん……」
絹代が、錦市場の馴染みの魚屋に頼んで準備した河豚の切り身は、皿の上に綺麗に並んでいた。
もうひと皿には、ささがき牛蒡、白菜、人参、春菊、ぶなしめじ、椎茸などが盛られており、薬味の〈きざみねぎ〉と〈もみじおろし〉も並んでいる。
和明と颯太は、絹代に勧められるまゝ、箸を伸ばして河豚しゃぶの味覚を堪能していた。
和明はジョニーウォーカー.ブルーラベルを注いだ重厚なカットグラスを、大事そうに手にすると、芳醇な香りを楽しみ、琥珀色を愛おしむように眺めては、口に含み喉に落とす、そしてチェイサーのミネラルウォーターを飲んでは目を閉じる……。グラスを飲み干すまで、これを繰り返していた。
颯太は絹代に促されて、父の転勤で岡山で知り合い、その後、別れることになった美紗子との関りを話した。
話しを聴きながら、絹代は颯太が美紗子のことを意識していると感じ取っていた。
「十七年も離れてはったんやろ、お互いの心の内にある思いは解ってんの?」
「それは……、昨日のことですから、彼女もですが、ぼく自身も、この思いが何なのか解らないんです、一方的に考えていることはあるんですけど……」
「これから、どないしよう思ってはんの?」
「僕は四か月後には東京の本社に戻りますから、近いうちに話してみたいと思っているんです」
「颯ちゃんは、ずっと美紗子さんのことを、思い続けてはった云うことなん?」
「ずっととは言えませんが……。高校生くらいの頃から、結婚相手の理想の女性は、夫の転勤には何処にでも付いて行く。そんな女性がいいと思っているんです、家の母の様に……」
「そないなこと云うてたら、颯ちゃんの結婚相手になる女性は、あんまり居てへんような気ぃがするんやけど……どうなんやろなあ?」
「そうなんですよね、もし居たとしても、簡単に好きとは言えないんです。好きになって告白して、付き合うようになってから、結婚したら転勤は嫌と云うことになると、どちらも辛いでしょ……」
「そんなん言うてたら、なかなか結婚なんてでけしまへんえ?」
「そうなんです。だから、僕は転勤の無い職場をと思って、今の会社の設計部門を選んだんです……。今回、広島と大阪に駐在する事になったのは、特別の事情があってのことなんです。厳密には転勤では無いんですよね……」
和明が納得するように言う。
「そうや……。思い出したわ、沙奈絵は昭太郎さんと愛し合うようになった最初の頃から、『うちは昭太郎さんに付いて何処へでも行く、京都にしがみ付く気ぃは無い』云うとった、ほいで、東京に行かせとうなかった両親を説得したんや……」
「へぇ、母がそんなことを……。美紗子ちゃんの家族も、ぼく達と同じように家族揃って転勤してたから、共感してくれる部分はあると思っているんですけど……」
絹代が言う。
「そうやね、颯ちゃんが、そないに思ってたんやったら、向こうさんも、おんなし様に思ってはることもあるかも知れへんな……」
「でもなあ颯ちゃん、高校卒業してから十年以上、いや二十年が近いんや、そない経ってるんやで、人は生活環境や経験を通して、考え方も変わることがあるさかいな……。その美紗子さんが、以前とおんなし考え方で居てはるかどうかは分からへんけど、電話の話しを聞くと、感触は悪いことなかったんやろ?。そやったら、あんまり慎重にならんと、今の颯ちゃんの思いを伝えたらええんと違うかな……。どないな返事が聞けるか分からへんけど、四か月もあれば何とかなるやろ?」
「そうですね。昨日の今日ですけど、伯父さんが言われるように、近いうちに思い切って話してみようとは思っているんです」
「まあ、焦ることはあれへんけどな。話す機会を重ねて行けば、それとのう分かって来ることもあるやろ。そないにきばる(頑張る)こともないやろし、そおろと進めたらええんと違うかな……」
「そうですね。ちょっと意外な再会でしたから、浮ついているかも知れません。お互いに、高校卒業の頃と同じ考えでいるとは限りませんよね……」
「そないにネガティブに考えることはあれへんがな、今から始まったと思えばええんやから……。これからデートを重ねることにしたんやろ?、それでええんや……」
「そうえ。颯ちゃん。おばさんは、あんじょう行くような気ぃがしますえ。心配いらへん。会うたことはないけど、話しを聞いただけでも、ええ娘さんのように思えます……」
「そうですか、一度会ってもらおうとは思っていますから、その時は宜しくお願いします」
「あら、智奈津ちゃんの時とおんなしやなぁ……。お父さん、責任ありますえ」
「そうやな、智奈津ちゃんの時も、そないな感じやったなあ……。両親の代わりに会って下さい云うて、あんときは有希世のときより緊張したなあ……」
翌日、絹代が準備してくれた朝食を三人で済ませると、昆布店に出かける和明と共に錦市場に近い麩屋町の楠城屋に向かった。
店に着くと、娘婿の梶谷裕也は既に出社していた。
颯太は裕也に挨拶を済ませると、和明に、昨夜、話を聴いて貰ったお礼を言って店を出た。
向かいの珈琲店に寄って、この日お勧めのマンデリンコーヒーをLサイズの保温カップでテイクアウトすると、楠城屋の階上に在るマンションに戻った。
着替えを済ますとヘンリー.パーセルの『室内楽全曲集』をCDラジカセに入れてスタートさせ、キッチンテーブルの前の椅子に腰かけると、熱いマンデリンを啜る様にして飲んだ。
先週の日曜日、早々とクリスマス関連の楽曲が商店街に流れる中、颯太が三条通に在るJEUGIA楽器店で購入した輸入盤は、バロックでは初めて購入するヘンリー.パーセルのCD.BOXだった。
大阪に転勤して京都に住む生活をするようになり、何故か、今まで好んで聞いていた作曲家の協奏曲とは違う作曲家の、違う楽曲を聞いてみたいと思う心境になっていた。
部屋にあるCDは、横浜から持参した物に広島で購入した数枚を加えると、50枚ほどしかなかった。
横浜にはバロックの協奏曲を多数置いているが、少し静かな三声、四声ソナタのCDは持っていなかった。
バロック音楽の、どんな作曲家の楽曲を購入するか調べた。その過程でイギリスの作曲家ヘンリー.パーセルが、自分と同年齢の三十六歳で世を去ったことを知り、それが購入するきっかけとなった。
楽器店のバロックCD陳列棚で、ケース幅が目立っていたのがパーセルのCD.BOX
〈COMPLETE CHAMBER MUSIC〉室内楽全集だった。
当日お勧めのマンデリンコーヒーはLサイズを頼んだこともあり、何時もより50円高かったが、独特の風味と穏やかな舌触りのは格別だった。口に含むコクのある苦みが記憶を覚醒させた。
颯太は、金曜日の夜に美紗子と電話で話した時のことを思い返していた。
前夜、「颯ちゃんは、ずっと美紗子さんのことを思い続けていた云うことなん?」と、伯父夫婦との会話の中で絹代から問われた。
その時に颯太は、岡山で別れた十七年前の美紗子が、当時と同じ思いでいるものだと思い込んでいたことに気付いた。
同時に紺野理奈と過ごした日々のことが頭を過ぎった。戸惑いを覚えた颯太は、ベッドに入っても直ぐには寝付けなかったのだ。
静かに流れるパーセルの奏鳴曲が、颯太の記憶を緩やかに甦らせていく。
マンデリンコーヒーの心地よい苦みが、颯太の記憶を鮮明にさせようと刺激しているようだった。
飲み干したコーヒーカップをキッチンのシンクの横に置くと、奥の部屋のパソコンデスクの前の椅子に場所を変えた。
暫くは、三声ソナタの緩やかで哀愁さえ感じられる弦楽器の調べに耳を傾けていた。
「おう、颯ちゃん、寒かったやろ……。これ、飲むか?」
「伯父さん、小母さんに聞きましたけど、今夜は〈ふぐしゃぶ〉らしいですね、こっちの方が良いと思いますよ。僕からの差し入れです。一緒に飲みたいと思って……」
颯太はポリ袋からウイスキーの箱を取り出すと、畳を滑らせて和明の膝横に差し出した。
和明はウイスキーの箱を手に取るなり言った。
「おいおい、颯ちゃん、これは!……どないしたんや……」
「伯父さん、それ、好きなやつでしょ……」
「ああ、そらそうなんやけどな……、何でジョニーウォーカーやて知ってるんや?」
「分かりますよ。小母さんは梅酒を大きなボトルから小分けにして、ボトルに入れておられますし、庭の液体肥料の容器にも使っておられますから……」
「確かに、言われればそうや……」
「小母さん言っておられましたよ、四角いビンだから納め易いって…」
「以前は、よお飲んでたさかいな。でもなあ、寺町のスタンドで18年を飲んだことはあるけど、ブルーラベルなんて見るだけやった……。高かったやろ……。こんな気ぃ遣わんでええのに……。それとも、何かええことでもあったんか?」
絹代が小ぶりの土鍋を二鍋、四角い盆に載せて持って来た。
「お母さん、これ、颯ちゃんから貰ろたで」
「あら!。颯ちゃん、気ぃ遣う事なんかあらへんえ。あんたはお母さんの実家に戻って来てるだけなんやから……」
「そんなに気を遣ってるつもりは無いですけど……。使わせてもらっているマンションは、貸せば収入になる訳ですから、申し訳ないと思っています。でも、これは伯父さんが言われたように、ちょっと良いことがあったので、一緒に喜んでもらいたくて……」
「あら、何かあったん?、後で聞かせてくれはるんやろ?。お父さん、コンロ、点けてくれはる?」
「よし。お母さんのは?」
「わたしは後で頂きますよって。ゆっくり食べて、貰いはったんを飲まはったらええ……。久しぶりですやろ?」
「久しぶり言うてもなあ、こんな上等なやつ、飲んだことあれへんがな……。喉が嫌がるかも知れへん……」
絹代が、錦市場の馴染みの魚屋に頼んで準備した河豚の切り身は、皿の上に綺麗に並んでいた。
もうひと皿には、ささがき牛蒡、白菜、人参、春菊、ぶなしめじ、椎茸などが盛られており、薬味の〈きざみねぎ〉と〈もみじおろし〉も並んでいる。
和明と颯太は、絹代に勧められるまゝ、箸を伸ばして河豚しゃぶの味覚を堪能していた。
和明はジョニーウォーカー.ブルーラベルを注いだ重厚なカットグラスを、大事そうに手にすると、芳醇な香りを楽しみ、琥珀色を愛おしむように眺めては、口に含み喉に落とす、そしてチェイサーのミネラルウォーターを飲んでは目を閉じる……。グラスを飲み干すまで、これを繰り返していた。
颯太は絹代に促されて、父の転勤で岡山で知り合い、その後、別れることになった美紗子との関りを話した。
話しを聴きながら、絹代は颯太が美紗子のことを意識していると感じ取っていた。
「十七年も離れてはったんやろ、お互いの心の内にある思いは解ってんの?」
「それは……、昨日のことですから、彼女もですが、ぼく自身も、この思いが何なのか解らないんです、一方的に考えていることはあるんですけど……」
「これから、どないしよう思ってはんの?」
「僕は四か月後には東京の本社に戻りますから、近いうちに話してみたいと思っているんです」
「颯ちゃんは、ずっと美紗子さんのことを、思い続けてはった云うことなん?」
「ずっととは言えませんが……。高校生くらいの頃から、結婚相手の理想の女性は、夫の転勤には何処にでも付いて行く。そんな女性がいいと思っているんです、家の母の様に……」
「そないなこと云うてたら、颯ちゃんの結婚相手になる女性は、あんまり居てへんような気ぃがするんやけど……どうなんやろなあ?」
「そうなんですよね、もし居たとしても、簡単に好きとは言えないんです。好きになって告白して、付き合うようになってから、結婚したら転勤は嫌と云うことになると、どちらも辛いでしょ……」
「そんなん言うてたら、なかなか結婚なんてでけしまへんえ?」
「そうなんです。だから、僕は転勤の無い職場をと思って、今の会社の設計部門を選んだんです……。今回、広島と大阪に駐在する事になったのは、特別の事情があってのことなんです。厳密には転勤では無いんですよね……」
和明が納得するように言う。
「そうや……。思い出したわ、沙奈絵は昭太郎さんと愛し合うようになった最初の頃から、『うちは昭太郎さんに付いて何処へでも行く、京都にしがみ付く気ぃは無い』云うとった、ほいで、東京に行かせとうなかった両親を説得したんや……」
「へぇ、母がそんなことを……。美紗子ちゃんの家族も、ぼく達と同じように家族揃って転勤してたから、共感してくれる部分はあると思っているんですけど……」
絹代が言う。
「そうやね、颯ちゃんが、そないに思ってたんやったら、向こうさんも、おんなし様に思ってはることもあるかも知れへんな……」
「でもなあ颯ちゃん、高校卒業してから十年以上、いや二十年が近いんや、そない経ってるんやで、人は生活環境や経験を通して、考え方も変わることがあるさかいな……。その美紗子さんが、以前とおんなし考え方で居てはるかどうかは分からへんけど、電話の話しを聞くと、感触は悪いことなかったんやろ?。そやったら、あんまり慎重にならんと、今の颯ちゃんの思いを伝えたらええんと違うかな……。どないな返事が聞けるか分からへんけど、四か月もあれば何とかなるやろ?」
「そうですね。昨日の今日ですけど、伯父さんが言われるように、近いうちに思い切って話してみようとは思っているんです」
「まあ、焦ることはあれへんけどな。話す機会を重ねて行けば、それとのう分かって来ることもあるやろ。そないにきばる(頑張る)こともないやろし、そおろと進めたらええんと違うかな……」
「そうですね。ちょっと意外な再会でしたから、浮ついているかも知れません。お互いに、高校卒業の頃と同じ考えでいるとは限りませんよね……」
「そないにネガティブに考えることはあれへんがな、今から始まったと思えばええんやから……。これからデートを重ねることにしたんやろ?、それでええんや……」
「そうえ。颯ちゃん。おばさんは、あんじょう行くような気ぃがしますえ。心配いらへん。会うたことはないけど、話しを聞いただけでも、ええ娘さんのように思えます……」
「そうですか、一度会ってもらおうとは思っていますから、その時は宜しくお願いします」
「あら、智奈津ちゃんの時とおんなしやなぁ……。お父さん、責任ありますえ」
「そうやな、智奈津ちゃんの時も、そないな感じやったなあ……。両親の代わりに会って下さい云うて、あんときは有希世のときより緊張したなあ……」
翌日、絹代が準備してくれた朝食を三人で済ませると、昆布店に出かける和明と共に錦市場に近い麩屋町の楠城屋に向かった。
店に着くと、娘婿の梶谷裕也は既に出社していた。
颯太は裕也に挨拶を済ませると、和明に、昨夜、話を聴いて貰ったお礼を言って店を出た。
向かいの珈琲店に寄って、この日お勧めのマンデリンコーヒーをLサイズの保温カップでテイクアウトすると、楠城屋の階上に在るマンションに戻った。
着替えを済ますとヘンリー.パーセルの『室内楽全曲集』をCDラジカセに入れてスタートさせ、キッチンテーブルの前の椅子に腰かけると、熱いマンデリンを啜る様にして飲んだ。
先週の日曜日、早々とクリスマス関連の楽曲が商店街に流れる中、颯太が三条通に在るJEUGIA楽器店で購入した輸入盤は、バロックでは初めて購入するヘンリー.パーセルのCD.BOXだった。
大阪に転勤して京都に住む生活をするようになり、何故か、今まで好んで聞いていた作曲家の協奏曲とは違う作曲家の、違う楽曲を聞いてみたいと思う心境になっていた。
部屋にあるCDは、横浜から持参した物に広島で購入した数枚を加えると、50枚ほどしかなかった。
横浜にはバロックの協奏曲を多数置いているが、少し静かな三声、四声ソナタのCDは持っていなかった。
バロック音楽の、どんな作曲家の楽曲を購入するか調べた。その過程でイギリスの作曲家ヘンリー.パーセルが、自分と同年齢の三十六歳で世を去ったことを知り、それが購入するきっかけとなった。
楽器店のバロックCD陳列棚で、ケース幅が目立っていたのがパーセルのCD.BOX
〈COMPLETE CHAMBER MUSIC〉室内楽全集だった。
当日お勧めのマンデリンコーヒーはLサイズを頼んだこともあり、何時もより50円高かったが、独特の風味と穏やかな舌触りのは格別だった。口に含むコクのある苦みが記憶を覚醒させた。
颯太は、金曜日の夜に美紗子と電話で話した時のことを思い返していた。
前夜、「颯ちゃんは、ずっと美紗子さんのことを思い続けていた云うことなん?」と、伯父夫婦との会話の中で絹代から問われた。
その時に颯太は、岡山で別れた十七年前の美紗子が、当時と同じ思いでいるものだと思い込んでいたことに気付いた。
同時に紺野理奈と過ごした日々のことが頭を過ぎった。戸惑いを覚えた颯太は、ベッドに入っても直ぐには寝付けなかったのだ。
静かに流れるパーセルの奏鳴曲が、颯太の記憶を緩やかに甦らせていく。
マンデリンコーヒーの心地よい苦みが、颯太の記憶を鮮明にさせようと刺激しているようだった。
飲み干したコーヒーカップをキッチンのシンクの横に置くと、奥の部屋のパソコンデスクの前の椅子に場所を変えた。
暫くは、三声ソナタの緩やかで哀愁さえ感じられる弦楽器の調べに耳を傾けていた。
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