17 / 18
16.現実
しおりを挟む
各事業所の新年会も終わり、成人式が近づいていた。
連休を前に、秀作は退社時刻になると、早々と会社を出て自宅に向かった。
秀作が帰宅すると、既に桜井雄一と娘の幸乃が来ていた。
玄関に出迎えてくれたのは奈美と幸乃だった、ふたりとも淡いパステルカラーのエプロンをしていた。
「お父さんお帰り」
「小父さん、お疲れ様です、お邪魔しています」
「ああ、いらっしゃい、早いね、お父さんは?」
「奥で、壮太さんと話しています」
「もう始めているの、いい匂いがするな」
「お父さん、いいから早く着替えてきて?」
「分かった、それにしても、みんな早いな、早退したのか?」
洗面を使って奥の座敷に行くと、雄一と壮太が向かい合って話していた。
「おう、ご苦労さん、邪魔しているぞ」
「お帰り」
「ふたりとも早退したのか?、急いで会社を出たんだがな……」
「僕は直帰したんだ、小父さんは休暇なんだって……」
秀作が雄一の顔を見ながら言った。
「年明けから休暇か?、どうしたんだ、デートか?」
「馬鹿を言うな……」
「そうか、忘れていた、一月十五日だったな?」
「ああ、でも成人式の日だと憶えているからな、今日、墓に参ってきたんだよ」
「以前の成人式は十五日だったからな、そうか、何年になるかな?」
「十一年になるよ……」
壮太が言った。
「僕も憶えているよ、幸乃さんと初めて会ったのは、小母さんの葬儀だったから、中学二年になる前だった……」
雄一が言った。
「そうだったね、まだ壮太くんも幸乃も奈美ちゃんも、少年と少女だった。幸乃は、独りっ子だったから、壮太くんと奈美ちゃんが来てくれて助かったのを憶えているよ。奈美ちゃんは、小学校の四年生だったかなぁ?」
秀作が言った。
「そうだよ、早いなぁ、でもまあ三人とも普通に育ってくれたよなぁ……」
そう言って、暫く間をおいた秀作に、雄一が言った。
「どうした、何か、あったのか?」
「ああ、会社で、周りに若い人が多いだろ、プライベートなことには深入りしないようにしているんだが、何故か関わってしまうこともある、気になる娘さんがいるんだ……」
壮太が言った。
「お父さんと同級生だったひとの娘さんのこと?」
雄一も言った。
「友香里さんとも一緒だった、西さんと言うひとの娘さんか?」
「そうだ、泉田祥子というんだが、僕には東京に行くと話していたのに、今は台湾にいるらしいんだよ」
「どうして又、台湾なんだ?」
「父親だ、西さんと離婚してから、台湾に行って事業を始めたんだね、そこで病気になったらしい。娘さんは、母親の西さんより父親の方に行ったんだ」
「その西さんと言うひとが、例の京泉商会の女性社長なんだろ?」
「そうなんだ」
「あのなぁ君原、表面化してはいないが、あの会社については、かなり胡散臭い噂が流れているぞ……」
「そうらしいな、昨日、本社に寄ったときに、部下だった受付の女性から聞いたよ。門脇さんというんだけどな、西さんの娘の大学の一年後輩なんだ、父親が税理士事務所をやっていて、彼女から、京泉商会のことが警察沙汰になりそうだと……」
「門脇税理士事務所なら知っているよ、税務署の退職者も何人か居る事務所だ」
「そうか、それじゃぁ、その線からの情報だと思うよ」
「でも、その泉田さんと父親は、もう会社とは関係していないんだろ?」
「そうだ、それだけが救いといえば救いなんだが、西さん本人のこともなぁ……」
「お父さん、その娘さんの何が心配なの?」
「夢だよ、西さんに似て美人でスタイルもいい、本人が退社する前に、わたしに話してくれたんだ。上京してモデルになる最後の挑戦をしたいと……。本心だと思って聞いたんだけど、実は彼女、同僚にはモデルスクールに通っていると偽って、介護の勉強に通っていたんだよ」
壮太が言った。
「お父さんの会社に勤めているときに?」
「そうだ、だから早退や休暇が多かった。それが、周りには不真面目だと映って、社内の噂になっていたんだ」
雄一が言った。
「可哀想だな、本人は、よくノイローゼにならなかったな?」
「本人も噂のことは分かっていたんだ、それでも、志しの方が勝った。父親の看病は自分がすると決めていたからだよ。だから周りの親しい者には、モデルスクールに通うと言っていたんだ。資格より、実際の介護のノウハウだけでもと考えてのことだ。賢いよ、西さんの若い頃と同じだ」
「そうか、確かに、そう云う意味では普通だとは言えないな?」
「いや、さっき、みんな普通に育ったと言ったが、幸乃さんも普通に育ったというのは違うかもしれないな、苦労している筈だよ。でも、いい娘さんに育ったことは間違いない。君の努力を認めるよ」
「まあな、友香里さんの息子さんも同じだ、ふたりを、これから支えてやろうと話しているんだ」
「おい、今夜は、その話しをしたかったのか?」
「まあな……」
「そうか、友香里さんか……、良かったなぁ」
「ああ、君のお陰だよ、契約している社員の人達も、なんとか行き先の目処が付いたそうだ」
奈美が、すき焼きの準備が出来たと言って、野菜を山盛りにしたボウルを持って来た。
「お兄ちゃん、コンロをお願い?」
「分かった、小父さん、ビールでいいですよね?」
雄一が笑いながら言った。
「壮太くん、伏見の蔵元の友人から正月用に貰ったものだが、限定品だぞ、お母さんに渡してあるから、それもお願いするよ」
秀作が嬉しそうに言った。
「悪いなぁ、いいのか、楽しみに飲もうと思っていたんじゃないのか?」
「いや、いいんだ、君原の小父さんにお礼に行こうって言い出したのは幸乃だ、肉は、あの子が自分で買って来たんだ」
「嬉しいけど、申し分けないな」
「君原、正月に、お互いが子連れで会ったんだ、再婚の方向で子供達に話した。幸乃も喜んでくれているみたいだよ」
「そうか、水沼さんも息子さんも喜んでいるよ。そうだ、黒崎シェフが、中っただろって、自慢していたよ、君らが初対面のときに、一緒になるって明言していたからな、今度は、僕が黒崎シェフの所に君たちを招待するよ」
「あの店は、スペランツァだったな、希望か……、いい店の名前だ、僕の新しい想い出のリストランテと言うことになるなぁ」
進藤里絵の本採用が内定になったのは、西城との結婚式の一週間前だった。
二月中旬の土曜日、高槻のホテルの一室を借りての結婚式は、式と言うより、お披露目の親睦パーティーだった。
参加していた新郎新婦の親族は、両親と兄弟姉妹だけで、あとは同僚が中心だった。
会社の上司は、秀作と西城の所属する開発課の課長の、ふたりだけだった。しかも、会場では部長でも課長でもなく、会社の先輩の一人として招待された、秀作は満足だった。
三時から始まったパーティーが終わったのは五時半過ぎだった。
二次会に参加する者が多かったが、氏家沙智子と門脇朋美、そして立川美南は、秀作と一緒に阪急電車で京都に帰った。
烏丸駅で下車した三人は、秀作に、何処かに連れて行って欲しいと言った。
秀作が電話をして、連れて行ったのは、いつものスタンドバーだった。
土曜日であることと、この店では何時ものことで、夕刻早くからの客は居なかった。
マスターは、コースターを四個並べて待っていてくれた。
「君原さん、今夜は、華やかですね、こんな店に来るファッションじゃない、僕もスーツにバタフライ.ボゥでもした方がよかったですね」
「会社の同僚の結婚披露パーティーの流れでね、もう、飲んでいるから、お嬢さん達には、軽いのを作ってあげてくれますか?」
「かしこまりました、皆さん、任せて頂いて宜しいですか?」
三人は「はい」と言って肯づいた。
「紹介しておくよ、氏家沙智子さん、門脇朋美さん、立川美南さん、わが社の有能な社員だから、宜しくね……」
「わかりました、君原さんの付けで何時でも気が向いたら、いらしてください……」
「なんてことを、それを言うなら、マスターがごちそうしますからの方がいいと思うけどね……」
朋美だけが、明るく、はしゃいでいた。沙智子と美南は、元々静かなタイプだった。
ふたりは微笑みながら朋美の話しを聞いていた。
朋美は、この場で自分だけに恋人がいないことを、冗談めかして面白おかしく話していた。
マスターが言った。
「朋美さん、自分を茶化しては良くないな、間もなくですよ……。そのときは、ここに報告に来なさい、オリジナルカクテルで祝ってあげよう」
不思議な表情でマスターを見詰めた朋美に、秀作が言った。
「よかったね、マスターにそう言われたひとは、必ず好いひとが見つかるジンクスがあるんだよ。特にマスターがオリジナルカクテルを作ってあげようと言ったカップルは、半年以内には、婚約まで行っているんだ……」
「ほんとなんですか?、嬉しいわ、でも、オリジナルカクテルを作って貰えないカップルも居るんですか?、わたしには、何か良くないことみたいな感じがするわ……」
マスターがグラスを拭きながら言った。
「逆ですよ、オリジナルカクテルを考える前に、一緒になってしまうんだから……」
秀作が言った。
「そう、そんなカップルには、後で考えてくれるんだね……。この店のリウォードって、何の意味か知っているかい?、氏家さんは駄目だよ、英文科だから……」
美南が不思議そうに言った。
「英語ですよね、門脇さんのお話しとオリジナルカクテルに関係があるんですか?」
秀作が言った。
「少しはあるかな、立川さん、いい勘をしているよ、考えてご覧?」
美南は真剣に考えていた。
マスターは笑顔で、グラスを拭き続けていた。
秀作が言った。
「時間切れだね、氏家さん、教えて上げてよ」
我慢しきれない美南が、カウンターに乗り出すようにして言う。
「教えて下さい、氏家さん……」
「ご褒美のこと……」
朋美が納得したように言った。
「信じていいのかしら、凄く酔いそうな感じ……、マスターから後光が射しているわ……」
マスターが顔を上げて言った。
「悪い酔い方だなぁ、僕のこの頭をそんな風に言うなんて、君原さん、社員のマナー教育に問題がありそうですね、でも、面白いジョークだ」
マスターはグラスと布をカウンターに置くと、薄くなった頭の後ろで、両方の掌を広げてひらひらと動かした。珍しく、ご機嫌の様子だった。
「そんな意味で言ったんじゃありません、ごめんなさい、すいません……」
みんなが笑った。
三人の女性が、会社では見せない表情を見せていた。秀作は、端の席で微笑ましく見ていた。
次第に緊張が解けて、女性同士の話しが盛り上がっていた。
マスターの小山京一郎が、秀作の傍に寄って来て、抑えた声で言った。
「京泉商会、近々に強制捜査が入りそうですよ。夕べ、小耳に挟みましてね」
「そう……」
「かなり、あくどい契約でやっていたようですよ、又、自殺者が出ているらしいんです、新聞には載っていませんが……」
「ありがとう、気にしてくれていたんだね」
「君原さんが真剣に心配しておられたから、放っておけないじゃないですか……」
朋美が話しを止めて振り返った。
「君原さん、わたしも聞きました、祥子先輩に伝えた方がいいですか?」
秀作は考えた。
「いや、彼女には精神的な負担が大きいから、伝えない方がいいな。台湾じゃ自然に伝わるまでには時間が掛かるだろう……。向うに行って間がないんだからね、お父さんの世話だけでも大変だよ、伝えない方がいい……」
マスターも言った。
「わたしも、そう思うよ、母親から離れて行っただけでも、本人には、他人に言えない辛いものがある筈だから……ねぇ、君原さん」
沙智子が、一番心配そうな表情で聴いていた。
三月に入って直ぐだった。
ローカルニュースで、京泉商会の一斉強制捜査が伝えられた。
その後、社長の西瑞穗と幹部二名、関連の暴力団員数名も逮捕された。
地方新聞に『京泉商会やり手女社長の業状を暴く』というコラムが三回に亘って掲載された。
秀作は信じられなかった。
同じコラムを読んだ水沼友香里は、哀しさに耐えられなかった。
カズホの登記抹消の手続きも済ませ、太秦の桜井の元へ行く準備を始めようとしていた処だった。
友香里は、秀作の職場に電話を入れた。
「お忙しいのに済みません、先ほど、水原部長様に、お世話になったお礼に伺って来たところです。君原部長さまには、進藤、立川のふたりが、本当にお世話になりました。ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ、立川さんと進藤さんの件を、気持ち良く受け入れて頂いて感謝しています、わざわざご丁寧に、お疲れさまでした……」
「あのー、君原さん、今夜、お付き合い願えませんか?」
「ええ、結構ですが……」
「お礼もありますし、西さんのことで、聞いて頂きたいこともありますので……」
「分かりました、どうしましょうか?」
「はい、それでは、おたくの本社ビルの前で、七時ごろでは?」
「結構です、そうしましょう」
秀作は早めに事務処理を済ませると、氏家沙智子に後を任せた。三時過ぎに技術部の門を出て、本社に向かった。
連休を前に、秀作は退社時刻になると、早々と会社を出て自宅に向かった。
秀作が帰宅すると、既に桜井雄一と娘の幸乃が来ていた。
玄関に出迎えてくれたのは奈美と幸乃だった、ふたりとも淡いパステルカラーのエプロンをしていた。
「お父さんお帰り」
「小父さん、お疲れ様です、お邪魔しています」
「ああ、いらっしゃい、早いね、お父さんは?」
「奥で、壮太さんと話しています」
「もう始めているの、いい匂いがするな」
「お父さん、いいから早く着替えてきて?」
「分かった、それにしても、みんな早いな、早退したのか?」
洗面を使って奥の座敷に行くと、雄一と壮太が向かい合って話していた。
「おう、ご苦労さん、邪魔しているぞ」
「お帰り」
「ふたりとも早退したのか?、急いで会社を出たんだがな……」
「僕は直帰したんだ、小父さんは休暇なんだって……」
秀作が雄一の顔を見ながら言った。
「年明けから休暇か?、どうしたんだ、デートか?」
「馬鹿を言うな……」
「そうか、忘れていた、一月十五日だったな?」
「ああ、でも成人式の日だと憶えているからな、今日、墓に参ってきたんだよ」
「以前の成人式は十五日だったからな、そうか、何年になるかな?」
「十一年になるよ……」
壮太が言った。
「僕も憶えているよ、幸乃さんと初めて会ったのは、小母さんの葬儀だったから、中学二年になる前だった……」
雄一が言った。
「そうだったね、まだ壮太くんも幸乃も奈美ちゃんも、少年と少女だった。幸乃は、独りっ子だったから、壮太くんと奈美ちゃんが来てくれて助かったのを憶えているよ。奈美ちゃんは、小学校の四年生だったかなぁ?」
秀作が言った。
「そうだよ、早いなぁ、でもまあ三人とも普通に育ってくれたよなぁ……」
そう言って、暫く間をおいた秀作に、雄一が言った。
「どうした、何か、あったのか?」
「ああ、会社で、周りに若い人が多いだろ、プライベートなことには深入りしないようにしているんだが、何故か関わってしまうこともある、気になる娘さんがいるんだ……」
壮太が言った。
「お父さんと同級生だったひとの娘さんのこと?」
雄一も言った。
「友香里さんとも一緒だった、西さんと言うひとの娘さんか?」
「そうだ、泉田祥子というんだが、僕には東京に行くと話していたのに、今は台湾にいるらしいんだよ」
「どうして又、台湾なんだ?」
「父親だ、西さんと離婚してから、台湾に行って事業を始めたんだね、そこで病気になったらしい。娘さんは、母親の西さんより父親の方に行ったんだ」
「その西さんと言うひとが、例の京泉商会の女性社長なんだろ?」
「そうなんだ」
「あのなぁ君原、表面化してはいないが、あの会社については、かなり胡散臭い噂が流れているぞ……」
「そうらしいな、昨日、本社に寄ったときに、部下だった受付の女性から聞いたよ。門脇さんというんだけどな、西さんの娘の大学の一年後輩なんだ、父親が税理士事務所をやっていて、彼女から、京泉商会のことが警察沙汰になりそうだと……」
「門脇税理士事務所なら知っているよ、税務署の退職者も何人か居る事務所だ」
「そうか、それじゃぁ、その線からの情報だと思うよ」
「でも、その泉田さんと父親は、もう会社とは関係していないんだろ?」
「そうだ、それだけが救いといえば救いなんだが、西さん本人のこともなぁ……」
「お父さん、その娘さんの何が心配なの?」
「夢だよ、西さんに似て美人でスタイルもいい、本人が退社する前に、わたしに話してくれたんだ。上京してモデルになる最後の挑戦をしたいと……。本心だと思って聞いたんだけど、実は彼女、同僚にはモデルスクールに通っていると偽って、介護の勉強に通っていたんだよ」
壮太が言った。
「お父さんの会社に勤めているときに?」
「そうだ、だから早退や休暇が多かった。それが、周りには不真面目だと映って、社内の噂になっていたんだ」
雄一が言った。
「可哀想だな、本人は、よくノイローゼにならなかったな?」
「本人も噂のことは分かっていたんだ、それでも、志しの方が勝った。父親の看病は自分がすると決めていたからだよ。だから周りの親しい者には、モデルスクールに通うと言っていたんだ。資格より、実際の介護のノウハウだけでもと考えてのことだ。賢いよ、西さんの若い頃と同じだ」
「そうか、確かに、そう云う意味では普通だとは言えないな?」
「いや、さっき、みんな普通に育ったと言ったが、幸乃さんも普通に育ったというのは違うかもしれないな、苦労している筈だよ。でも、いい娘さんに育ったことは間違いない。君の努力を認めるよ」
「まあな、友香里さんの息子さんも同じだ、ふたりを、これから支えてやろうと話しているんだ」
「おい、今夜は、その話しをしたかったのか?」
「まあな……」
「そうか、友香里さんか……、良かったなぁ」
「ああ、君のお陰だよ、契約している社員の人達も、なんとか行き先の目処が付いたそうだ」
奈美が、すき焼きの準備が出来たと言って、野菜を山盛りにしたボウルを持って来た。
「お兄ちゃん、コンロをお願い?」
「分かった、小父さん、ビールでいいですよね?」
雄一が笑いながら言った。
「壮太くん、伏見の蔵元の友人から正月用に貰ったものだが、限定品だぞ、お母さんに渡してあるから、それもお願いするよ」
秀作が嬉しそうに言った。
「悪いなぁ、いいのか、楽しみに飲もうと思っていたんじゃないのか?」
「いや、いいんだ、君原の小父さんにお礼に行こうって言い出したのは幸乃だ、肉は、あの子が自分で買って来たんだ」
「嬉しいけど、申し分けないな」
「君原、正月に、お互いが子連れで会ったんだ、再婚の方向で子供達に話した。幸乃も喜んでくれているみたいだよ」
「そうか、水沼さんも息子さんも喜んでいるよ。そうだ、黒崎シェフが、中っただろって、自慢していたよ、君らが初対面のときに、一緒になるって明言していたからな、今度は、僕が黒崎シェフの所に君たちを招待するよ」
「あの店は、スペランツァだったな、希望か……、いい店の名前だ、僕の新しい想い出のリストランテと言うことになるなぁ」
進藤里絵の本採用が内定になったのは、西城との結婚式の一週間前だった。
二月中旬の土曜日、高槻のホテルの一室を借りての結婚式は、式と言うより、お披露目の親睦パーティーだった。
参加していた新郎新婦の親族は、両親と兄弟姉妹だけで、あとは同僚が中心だった。
会社の上司は、秀作と西城の所属する開発課の課長の、ふたりだけだった。しかも、会場では部長でも課長でもなく、会社の先輩の一人として招待された、秀作は満足だった。
三時から始まったパーティーが終わったのは五時半過ぎだった。
二次会に参加する者が多かったが、氏家沙智子と門脇朋美、そして立川美南は、秀作と一緒に阪急電車で京都に帰った。
烏丸駅で下車した三人は、秀作に、何処かに連れて行って欲しいと言った。
秀作が電話をして、連れて行ったのは、いつものスタンドバーだった。
土曜日であることと、この店では何時ものことで、夕刻早くからの客は居なかった。
マスターは、コースターを四個並べて待っていてくれた。
「君原さん、今夜は、華やかですね、こんな店に来るファッションじゃない、僕もスーツにバタフライ.ボゥでもした方がよかったですね」
「会社の同僚の結婚披露パーティーの流れでね、もう、飲んでいるから、お嬢さん達には、軽いのを作ってあげてくれますか?」
「かしこまりました、皆さん、任せて頂いて宜しいですか?」
三人は「はい」と言って肯づいた。
「紹介しておくよ、氏家沙智子さん、門脇朋美さん、立川美南さん、わが社の有能な社員だから、宜しくね……」
「わかりました、君原さんの付けで何時でも気が向いたら、いらしてください……」
「なんてことを、それを言うなら、マスターがごちそうしますからの方がいいと思うけどね……」
朋美だけが、明るく、はしゃいでいた。沙智子と美南は、元々静かなタイプだった。
ふたりは微笑みながら朋美の話しを聞いていた。
朋美は、この場で自分だけに恋人がいないことを、冗談めかして面白おかしく話していた。
マスターが言った。
「朋美さん、自分を茶化しては良くないな、間もなくですよ……。そのときは、ここに報告に来なさい、オリジナルカクテルで祝ってあげよう」
不思議な表情でマスターを見詰めた朋美に、秀作が言った。
「よかったね、マスターにそう言われたひとは、必ず好いひとが見つかるジンクスがあるんだよ。特にマスターがオリジナルカクテルを作ってあげようと言ったカップルは、半年以内には、婚約まで行っているんだ……」
「ほんとなんですか?、嬉しいわ、でも、オリジナルカクテルを作って貰えないカップルも居るんですか?、わたしには、何か良くないことみたいな感じがするわ……」
マスターがグラスを拭きながら言った。
「逆ですよ、オリジナルカクテルを考える前に、一緒になってしまうんだから……」
秀作が言った。
「そう、そんなカップルには、後で考えてくれるんだね……。この店のリウォードって、何の意味か知っているかい?、氏家さんは駄目だよ、英文科だから……」
美南が不思議そうに言った。
「英語ですよね、門脇さんのお話しとオリジナルカクテルに関係があるんですか?」
秀作が言った。
「少しはあるかな、立川さん、いい勘をしているよ、考えてご覧?」
美南は真剣に考えていた。
マスターは笑顔で、グラスを拭き続けていた。
秀作が言った。
「時間切れだね、氏家さん、教えて上げてよ」
我慢しきれない美南が、カウンターに乗り出すようにして言う。
「教えて下さい、氏家さん……」
「ご褒美のこと……」
朋美が納得したように言った。
「信じていいのかしら、凄く酔いそうな感じ……、マスターから後光が射しているわ……」
マスターが顔を上げて言った。
「悪い酔い方だなぁ、僕のこの頭をそんな風に言うなんて、君原さん、社員のマナー教育に問題がありそうですね、でも、面白いジョークだ」
マスターはグラスと布をカウンターに置くと、薄くなった頭の後ろで、両方の掌を広げてひらひらと動かした。珍しく、ご機嫌の様子だった。
「そんな意味で言ったんじゃありません、ごめんなさい、すいません……」
みんなが笑った。
三人の女性が、会社では見せない表情を見せていた。秀作は、端の席で微笑ましく見ていた。
次第に緊張が解けて、女性同士の話しが盛り上がっていた。
マスターの小山京一郎が、秀作の傍に寄って来て、抑えた声で言った。
「京泉商会、近々に強制捜査が入りそうですよ。夕べ、小耳に挟みましてね」
「そう……」
「かなり、あくどい契約でやっていたようですよ、又、自殺者が出ているらしいんです、新聞には載っていませんが……」
「ありがとう、気にしてくれていたんだね」
「君原さんが真剣に心配しておられたから、放っておけないじゃないですか……」
朋美が話しを止めて振り返った。
「君原さん、わたしも聞きました、祥子先輩に伝えた方がいいですか?」
秀作は考えた。
「いや、彼女には精神的な負担が大きいから、伝えない方がいいな。台湾じゃ自然に伝わるまでには時間が掛かるだろう……。向うに行って間がないんだからね、お父さんの世話だけでも大変だよ、伝えない方がいい……」
マスターも言った。
「わたしも、そう思うよ、母親から離れて行っただけでも、本人には、他人に言えない辛いものがある筈だから……ねぇ、君原さん」
沙智子が、一番心配そうな表情で聴いていた。
三月に入って直ぐだった。
ローカルニュースで、京泉商会の一斉強制捜査が伝えられた。
その後、社長の西瑞穗と幹部二名、関連の暴力団員数名も逮捕された。
地方新聞に『京泉商会やり手女社長の業状を暴く』というコラムが三回に亘って掲載された。
秀作は信じられなかった。
同じコラムを読んだ水沼友香里は、哀しさに耐えられなかった。
カズホの登記抹消の手続きも済ませ、太秦の桜井の元へ行く準備を始めようとしていた処だった。
友香里は、秀作の職場に電話を入れた。
「お忙しいのに済みません、先ほど、水原部長様に、お世話になったお礼に伺って来たところです。君原部長さまには、進藤、立川のふたりが、本当にお世話になりました。ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ、立川さんと進藤さんの件を、気持ち良く受け入れて頂いて感謝しています、わざわざご丁寧に、お疲れさまでした……」
「あのー、君原さん、今夜、お付き合い願えませんか?」
「ええ、結構ですが……」
「お礼もありますし、西さんのことで、聞いて頂きたいこともありますので……」
「分かりました、どうしましょうか?」
「はい、それでは、おたくの本社ビルの前で、七時ごろでは?」
「結構です、そうしましょう」
秀作は早めに事務処理を済ませると、氏家沙智子に後を任せた。三時過ぎに技術部の門を出て、本社に向かった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
妻がエロくて死にそうです
菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。
美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。
こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。
それは……
限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
お兄ちゃんはお医者さん!?
すず。
恋愛
持病持ちの高校1年生の女の子。
如月 陽菜(きさらぎ ひな)
病院が苦手。
如月 陽菜の主治医。25歳。
高橋 翔平(たかはし しょうへい)
内科医の医師。
※このお話に出てくるものは
現実とは何の関係もございません。
※治療法、病名など
ほぼ知識なしで書かせて頂きました。
お楽しみください♪♪
[恥辱]りみの強制おむつ生活
rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。
保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる