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暗闇

第二十五話

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「あらまぁ……」

 案内してくれた瀧さんのほうが目をまんまるにして驚いている。俺は部屋に入り膝を曲げ一冊の教科書を手に取った。まだ湿ってはいるが、だいぶ軽くなっている。

「大切なものだから若旦那様ご自身でやるとおっしゃってましたけど……全部おひとりでやっておしまいになるとは」

 感心しきりの様子の瀧さんも俺の横に屈んだ。

 須賀がこれを昨夜ひとりで干したということだ。

「ご迷惑おかけしてしまって……どうしよう……怒らせていないでしょうか」
「いいえぇ! とんでもない、好きでおやりになったんですから怒ってなどいませんよ、安心してくださいな」
「そうですか……?」
「大丈夫、大丈夫!」

 瀧さんは笑顔で俺の背中をぽんと押してくれた。




 瀧さんが支度してくれた風呂に浸かる。

 瀧さんの笑顔を見てホテルの警備室のおじさんを思い出していた。俺に親切にしてくれた人。俺はなにも返せないまま去ってしまった。
 あの本も……あれからひとりでこの量の本を干してくれて俺より早く起きてた。もしかしたら寝てないのかもしれない。

 ……なんで、みんなこんなに優しいのだろう。





 瀧さんに断りを入れて洗濯機を回す。俺の安い服を洗濯機にポイポイと放り込みスイッチを押した。残るは須賀から貰った高級な服だ。洗濯機にポイという訳には行かない。洗濯表示は『ドライ』……これはクリーニングに出すしかないだろう。
 ため息をこぼしていると瀧さんがやってきた。

「あら、セーターですか?」
「はい、ドライマークなのでクリーニングに出そうかと」
「クリーニングだなんてもったいない! 洗ってあげますから」
「えっ、大丈夫です」
「おうちでもきれいに洗えるんですよ?」
「そうなんですか?」
「ほらこれで」

 そう言って棚から洗剤のボトルを取り出した。そして洗面台に水を張りその中に洗剤を入れると手でくるくると軽くかき混ぜる。

「セーターを、こう軽く畳んだままで入れてくださいな」
「は、はい」

 言うとおり入れると瀧さんが優しい手つきでニットを押した。

「こうやって優しく押し洗いすれば終わりなんですから、クリーニングなんて要らないんですよ、ふふふ」
「なるほど、俺にも出来ますね」

 そのあと陰干しということも教わって、ドライマークの洗濯方法を俺は習得することが出来た。



 俺は教科書が干されている部屋にふただび来た。胡座をかき側にある教科書に手を伸ばす。どれも一年の教材だから四月になれば本来は用済みとなる。しかし、だからといって終わりではない。何度も見返してこれからも俺を支えてくれるはずの教材。須賀は大切だと思ってくれていた。

 へにょへにょになった頁を試しに一枚めくる。

「……不格好になっちゃったなぁ」

 一生懸命やっても、こうやって災難が降り注ぐ。ネガティブになってるのは分かってる。でも、邪魔されても頑張っても何か得体のしれないものに軌道修正されているような感覚になってしまう。俺には大学生なんて相応しくないんだろうかと。

 どこからか吹く風にハタハタと頁が動く。

 そう思っちゃいけない、そう言ってるのだろうか。

 須賀の横顔がふと浮かんだ。そしてあんな大きな体で本を床に並べてくれていたんだと想像する。少なくとも彼は俺に勉強を続けていいと言ってくれてるんだとしたら……。

 俺は立ち上がり部屋に戻ると途中だったレポートに手を付けた。春休み中に仕上げなければならないものだ。パソコンはまだ起動させてはいない、完全に乾いてからのほうがいいと須賀に止められたから。

 ならば出来る限りの資料を集めて下書きくらいは作成させよう。それくらいならできる。俺は腕まくりをしてペンを握った。





 集中しようとしてここは自分の机じゃないんだと思うと集中が途切れる。ここは古いアパートではない。いや、古いと言えばこの屋敷のほうが古いだろう。けれどまるで武家屋敷のような佇まいの家。
 須賀は個人で所有していると言ったが須賀の趣味なのだろうか。もっと洋風な、例えばタワーマンションとかそういう所に住んでいるような顔をしているのに。

「こんな大きなお屋敷にひとり暮らしか……」

 ペンを置いてふかふかのベッドに突っ伏した。すぐに眠気が襲ってくる悪魔の布団だ。

『我々は恋人だ、君の世話をするのは当たり前のことだよ』

 そう言われたことを思い出す。おじいさんへは恋人と暮らし始めたとでも伝わっているのだろうか。

 俺が契約相手だから保護してくれたんだろう。それなら納得だ。契約するときに勉強を優先して欲しいと頼んだしきっとそれを全うしようとしてくれているのだ。
 契約書もない恋人契約。けれど須賀はそれを全うしてくれている。だから俺も裏切らないよう努めなくては。あんな大金受け取っているのだから。

 次年度の授業料はまだ振り込んでいない。あのお金を使うことにやはり躊躇いがあるんだ。しかし期限は近い。むくりと起き上がりスマホを手に取り銀行のアプリを開く。

「須賀さん、使わせていただきます」

 振込のボタンを押す。

 どうしても大学へ通いたい。それが俺の唯一なんだ。





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