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第7章 カナシイヒカリ
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お父さんが入院してから一ヶ月が経った頃、ようやくお医者様からお父さんと会って話をすることを許された。
後で看護師さんに聞いた話では、お父さんはお酒の禁断症状が続いて、まともに話ができる状態じゃなかったらしい。
お父さんは痩せて、とても疲れた顔をしていた。
だけど、なんて言えばいいのか……その両目はしっかりと私を捉えていた。お父さんは包帯で巻かれた私の両手を見て、すまないと言った。
お母さんの形見の首飾りを売ろうとしたところまでは覚えている、と弱々しい声で言った。
その日はずいぶん話をした。
私とお父さんの気持ちが通わなくなっていた時間を埋めるには足りなかったけれど、久しぶりにお母さんの話ができたのが嬉しかった。
私たちは、お母さんとの思い出話に微笑み、そして泣いた。
予期せぬ戦争によって指の間から流れ落ちてしまった幸せは、再び私の両手に注ぎ込まれた。
信じて待っていて良かった。私は神様に感謝した。
お父さんの入院費を払うために今まで以上に働かなくてはならなかった。でも仕事がつらいと感じたことはなかった。
大人よりも長く働く私を見て、周りの人たちは同情した。そんなときは必ずお父さんの悪口を言われた。皆オーバーバウデンに来てからのお父さんしか知らないのだから仕方がないけれど、言われるたびに哀しくなった。
お父さんは傷つき、悔やんでいた。
周りの人たちに迷惑をかけ続けたことを。特に私に対して。会うたびにすまなそうな顔をした。そんなこと気にして欲しくなかった。
私たちは家族なのだ。たった二人の。
それに、私のせいだから。
お父さんに大怪我を負わせたのは私なのだから。謝られると胸が痛んだ。言えなかった。このことは誰にも話せなかった。
事故の原因を教えてくれたキリカさんは、私に罪はないと言った。
怪我人が六人出ていると話してくれた衛兵の男の人は、憎々しげに病室の壁を睨んでいた。その時の顔が忘れられなかった。
◇ ◆ ◇
時折、夢を見た。
夢に見る景色は様々だったが、結末はどれも同じだった。
私は見渡す限りの草原にいたり、街で買い物をしていたり、病院でお父さんと話をしていたり。
でも最後には白色の光が視界を覆い、ひんやりとした冷たい空気を肌に感じる。すると次の瞬間、光が全身を通り抜けていく。
何も見えない。しかし次第に視力が戻ってくる。
風景は一変する。
肥沃な緑の草原は枯れた大地となり、活気に満ちた街は廃墟と化し、人々は血を流して倒れ、私だけがその場所に佇んでいる。
絶望とともに目が覚める。そんな夢をよく見た。
首飾りを手にした日から私には夢に見たような惨状を巻き起こす危険があったのだ。そう思うと恐ろしかった。
◇ ◆ ◇
掴みかけた幸せは
またも私の両手からすり抜けていった
よく晴れた日だった
風が気持ちよくて
太陽は眩しくて
私は花売りの仕事をしていた
その頃
お父さんは松葉杖を使えば一人でも歩けるようになっていた
一緒に散歩をすることもできた
オーバーバウデンは有名な温泉街だ
多くの怪我人や病人が毎日のように療養に訪れる
仕事の合間にお父さんを温泉に連れて行くのが日課になっていた
順調に回復しているとお医者様は言った
私にもそう思えた
お父さんは早く働けるようになって
恩返しがしたいと
迷惑かけた分、頑張りたいと気恥ずかしそうに笑っていた
それが
お父さんの最後の言葉になった
どんな悲しみも
いつかは終わりを迎えるものだと思っていた
そして
誰にだって
時間はかかるかもしれないけれど
やがて幸せはやってくるのだと信じていた
お父さんが正気に戻って
ケガが治って歩けるようになって
二人で再び暮らすことができると信じていた
毎日、明日が待ち遠しかった
しかし
終わっていなかったのだ
お父さんは
私の知らないところで
悩み
苦しんでいたのだ
私にそれを見抜くことはできなかった
わかっているつもりでいた
勘違いだと気づかされたときには
何もかも手遅れだった
お父さんは
遺書も残さず
自ら命を絶った
一年が経ち
私は一人の生活に慣れはじめていた
すべてを失った
何も残ってなかった
ただ
あてもなく生きているだけだった
部屋の掃除をしていて一枚の紙を見つけた
それは以前もらった推薦状だった
あの悲しい光を見た日から
二年が経とうとしていた
後で看護師さんに聞いた話では、お父さんはお酒の禁断症状が続いて、まともに話ができる状態じゃなかったらしい。
お父さんは痩せて、とても疲れた顔をしていた。
だけど、なんて言えばいいのか……その両目はしっかりと私を捉えていた。お父さんは包帯で巻かれた私の両手を見て、すまないと言った。
お母さんの形見の首飾りを売ろうとしたところまでは覚えている、と弱々しい声で言った。
その日はずいぶん話をした。
私とお父さんの気持ちが通わなくなっていた時間を埋めるには足りなかったけれど、久しぶりにお母さんの話ができたのが嬉しかった。
私たちは、お母さんとの思い出話に微笑み、そして泣いた。
予期せぬ戦争によって指の間から流れ落ちてしまった幸せは、再び私の両手に注ぎ込まれた。
信じて待っていて良かった。私は神様に感謝した。
お父さんの入院費を払うために今まで以上に働かなくてはならなかった。でも仕事がつらいと感じたことはなかった。
大人よりも長く働く私を見て、周りの人たちは同情した。そんなときは必ずお父さんの悪口を言われた。皆オーバーバウデンに来てからのお父さんしか知らないのだから仕方がないけれど、言われるたびに哀しくなった。
お父さんは傷つき、悔やんでいた。
周りの人たちに迷惑をかけ続けたことを。特に私に対して。会うたびにすまなそうな顔をした。そんなこと気にして欲しくなかった。
私たちは家族なのだ。たった二人の。
それに、私のせいだから。
お父さんに大怪我を負わせたのは私なのだから。謝られると胸が痛んだ。言えなかった。このことは誰にも話せなかった。
事故の原因を教えてくれたキリカさんは、私に罪はないと言った。
怪我人が六人出ていると話してくれた衛兵の男の人は、憎々しげに病室の壁を睨んでいた。その時の顔が忘れられなかった。
◇ ◆ ◇
時折、夢を見た。
夢に見る景色は様々だったが、結末はどれも同じだった。
私は見渡す限りの草原にいたり、街で買い物をしていたり、病院でお父さんと話をしていたり。
でも最後には白色の光が視界を覆い、ひんやりとした冷たい空気を肌に感じる。すると次の瞬間、光が全身を通り抜けていく。
何も見えない。しかし次第に視力が戻ってくる。
風景は一変する。
肥沃な緑の草原は枯れた大地となり、活気に満ちた街は廃墟と化し、人々は血を流して倒れ、私だけがその場所に佇んでいる。
絶望とともに目が覚める。そんな夢をよく見た。
首飾りを手にした日から私には夢に見たような惨状を巻き起こす危険があったのだ。そう思うと恐ろしかった。
◇ ◆ ◇
掴みかけた幸せは
またも私の両手からすり抜けていった
よく晴れた日だった
風が気持ちよくて
太陽は眩しくて
私は花売りの仕事をしていた
その頃
お父さんは松葉杖を使えば一人でも歩けるようになっていた
一緒に散歩をすることもできた
オーバーバウデンは有名な温泉街だ
多くの怪我人や病人が毎日のように療養に訪れる
仕事の合間にお父さんを温泉に連れて行くのが日課になっていた
順調に回復しているとお医者様は言った
私にもそう思えた
お父さんは早く働けるようになって
恩返しがしたいと
迷惑かけた分、頑張りたいと気恥ずかしそうに笑っていた
それが
お父さんの最後の言葉になった
どんな悲しみも
いつかは終わりを迎えるものだと思っていた
そして
誰にだって
時間はかかるかもしれないけれど
やがて幸せはやってくるのだと信じていた
お父さんが正気に戻って
ケガが治って歩けるようになって
二人で再び暮らすことができると信じていた
毎日、明日が待ち遠しかった
しかし
終わっていなかったのだ
お父さんは
私の知らないところで
悩み
苦しんでいたのだ
私にそれを見抜くことはできなかった
わかっているつもりでいた
勘違いだと気づかされたときには
何もかも手遅れだった
お父さんは
遺書も残さず
自ら命を絶った
一年が経ち
私は一人の生活に慣れはじめていた
すべてを失った
何も残ってなかった
ただ
あてもなく生きているだけだった
部屋の掃除をしていて一枚の紙を見つけた
それは以前もらった推薦状だった
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二年が経とうとしていた
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