オメガ

白河マナ

文字の大きさ
上 下
2 / 39
第1章 サタナエルの息吹

1-1

しおりを挟む
 ここは大陸の北東にあるリアという村。
 小さな村だがネールという工芸品で知られている。
 ネールとは村独自の染め物だ。透明感のある美しい瑠璃るり色と肌触りの良さで、アラキア全土で幅広く愛用されている。
 月に一度、村の代表者が荷馬車に乗せて隣の町まで売りにいく。安定して高値で取引されるネールのおかげで、リアは地方の村にしては経済的に豊かだった。

「うむむむーーーっ!」

 村の中央にある井戸の周りに子供たちが集まっていた。
 うなり声の主は、井戸の縁に座っている少女──リットという女の子。今年で十二歳になる。
 この少女を初めて見る人の誰もが、まずその瞳に目を奪われる。わずかに青を帯びた白い瞳。これは病気ではなく生来せいらいのものだ。
 冷たい印象はなく、その瞳は、ただただ神秘的で美しい。

「どうしたんだよー」

 待ちくたびれた誰かが口を開く。

「ちょっと黙ってて。集中できないじゃない」

 束ねて後ろに垂らしているハニーブロンドの髪が左右に大きく揺れ、まるで狐のしっぽのようだ。

「えーっと、ライブラリとは繋がってるはずだから……」

 ピアノを弾くように指先を動かしながら、リットは独り言を呟く。
 魔法書を確認しながら、

「パスワードはこれで間違いないし……」

 手順に誤りがないことを確認し、再び言葉を紡ぎ出す。
 これで三回目。
 だが今度は、二回目までとは違い、ささやくような詠唱とともに、突き出された指先の空間が徐々に歪みはじめた。
 間もなく。
 空間がねじれ、その中心から生暖かい空気が漏れてくる。
 周りの子供たちは、さきほどまでとは違う、ただならぬ雰囲気を感じ取って、皆一様に黙ってしまう。
 リットの右足首についている輪っか状のモジュレータが淡く光りはじめた。
 ごくんっ、と、誰かが固唾を呑む音。
 リットはゆっくりと、魔法書に書かれてある内容を一言一言を丁寧に読み上げていく。そして、最後の一行を叫ぶようにして読み上げる──

 が。





 ぽわっ





「あれ?」

 リットの指先あたりから申し訳ていどに煙が出て、瞬く間に風に溶かされていく。
 歪んだ空間は、何事もなかったように元に戻っていた。
 一同沈黙。

「……お、惜しかったよね?」

 気まずそうなリット。

「つまんねー」

「でも、なんか凄かったよ」

 村の子どもたちは、それぞれに感想を述べる。なにも起こらなかったが、ここに居合わせた全員が、なにも起こらなくて良かったような気がしていた。
 しかし、リットだけがひとり悔しそうだった。
 夕刻を迎え、家々の煙突から煙が上がりはじめている。
 西からの陽光が周囲を茜色に染めていた。もうすぐ日が暮れる。
 この時間になると、女の子たちは夕食の手伝いをするために家に帰る。男の子たちは仕事を終えた父親たちの帰宅を遊びながら待つ、それが日課になっていた。

 本日も例にれず、誰かの言葉を皮切りに、また明日、という言葉が飛び交う。少女たちは一斉にそれぞれの家へと帰っていった。
 井戸の周りに少年たちが集まり、今日の最後の遊びを話し合っていた。


◇ ◆ ◇


「ただいまー」

「おかえりなさい、リット」

 家のドアを開けるなり母親のライズが、微笑みながら娘を出迎える。エプロンを外しつつリットの元にやってきて、

「つかまえたっ」

 まるで子どもが珍しい虫を捕まえたときの調子で、リットのことを抱きしめる。
 何事かと見上げるリットに、

「さっき、すごい魔法を使おうとしたでしょう?」

 腕に力が込められる。ライズは娘に対しては怒るときは、いつも決まって抱きしめるのだ。娘のことを怒鳴りつけたり、手を上げたことはこれまで一度もない。

「あ、あれはね、なんとなく、その……」

 いいわけを必死に見つけようとするリット。
 多少呼吸が苦しくなる程度の強さで、ライズはリットの顔を胸に押しつける。

「ごふぇんらさひ~」

 ごめんなさい、と言いたいらしい。

「今回は特別に許してあげます」

 と言うが、今回も、のほうが正しい。ライズは娘に対して底なしに甘かった。

「それにしても、どうしてあんな魔法を使おうとしたの?」

「だって、私がいま使える魔法は全部見せちゃったもん」

 口を尖らせながら言う。
 ランク持ちとは言え、その最下級のαアルファであるリットは、使用できる魔法が最も少ない。

「それで、サタナエルの息吹いぶき?」

「たまたま開いたページがそれだっただけなの」

 手にしている分厚い魔法書を見せる。

「わぐっ!」

 再びライズの胸に押しつけられるリット。

「とにかく偶然でも発動しなくて良かったわ。σシグマクラスの魔法ならこの村なんて一瞬で灰になっていたでしょうから」

 ライズはリットを解放する。

「……」

(奇跡が起きても成功するわけないもん。私はαアルファなのよ)
 心の中ではそう思いながらも、表情には後悔と反省を浮かべる。リットは、見た目の可愛らしさにそぐわず、なかなか計算高い子だった。

「もういいわ。夕食にしましょう」

「うんっ」

「食事が終わったら、ソークを空にしてモジュレータをしばらく預かります」

「え、あ、」

「わかったわね?」

「……う、うん」

 ライズも口で言ったくらいでは、娘が反省などしないことを承知している。ある程度の罰を与えないと、次はなにをしでかすかわからない。

 娘の魔法に対する楽観的な考え方だけが、ライズの悩みの種だった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

結婚してるのに、屋敷を出たら幸せでした。

恋愛系
恋愛
屋敷が大っ嫌いだったミア。 そして、屋敷から出ると決め 計画を実行したら 皮肉にも失敗しそうになっていた。 そんな時彼に出会い。 王国の陛下を捨てて、村で元気に暮らす! と、そんな時に聖騎士が来た

処理中です...