上 下
28 / 44

過去 - Saya Nagamine -

しおりを挟む
 とても騒がしい町に住んでいた。
 私と両親は駅の近くにあるマンションの4階で暮らしていた。窓から外を眺めるといつも誰かが通りを歩き、せわしなく車が走っている、そんな場所。
 駅に行くのとは反対方向に小学校があり、私は引っ越してから間もなくそこに入学した。

 たった半年間だけだったけど、私は小学校に通っていた。
 入学したての私を、お母さんは仕事に行くついでよと言って毎日正門のところまで送ってくれた。

 学校にはたくさんの生徒がいた。
 幼稚園とは比べようのないくらい、たくさんの人。

 入学前は不安だったけど、私はすぐに学校が好きになった。
 友だちができて、一緒に遊んで、一緒に勉強をして、笑って──誰もが経験するごくありふれた学校生活だったと思う。

 そしてそれはこれからも続いていくのだろうと信じていた。

 その年の八月──
 私はお姉さんになることになった。

 お母さんに赤ちゃんができたのだ。あなたはお姉さんになるのよとお母さんは優しい声で教えてくれた。

 お父さんも本当に嬉しそうで、そんな両親を見ると私も嬉しくなった──けれど、それが終焉だった。

 違和感に気づいたのは、夏祭りの日。
 立ち並ぶ露店のひとつで玩具と同じように子犬が売られていた。

 瞳の大きな可愛らしいその子犬は、真夏だというのに体を震わせていた。
 犬は500円という値札を首から下げていて、自分がたった500円で売られていることなんかまるでわかっていない様子で、道ゆく人に弱々しく尻尾を振っていた。

 私が浴衣の袖を引っ張るとお父さんは微笑み、ずっとダメだって言っていた犬を飼うことを許してくれた。
 私たちが住んでいたマンションでは犬を飼うことが禁止されていたのに。

 何か──何かが変だと思った。
 でも犬を飼うことができる嬉しさで、そんな気持ちは一瞬で消えてしまった。

 あの時よりもずっと前から、決まっていたのかもしれない。
 始まったばかりの私の日常の終わり。
 それは、彩の誕生によって、私の知らないところで決定づけられていた。

 私の前に果てしなく広がっていた広大な世界、からの隔離。
 突然の引越し。学校でお別れ会をやってもらうこともなく、私たち家族は町を後にした。

 私に選択の自由はなかった。
 気がつくと、目に映る景色ががらりと変わっていた。

 四方に聳える山々。
 高い空。
 なにもない村。
 友だちもいない。
 信じられないくらいの無数の星々。
 古ぼけた、新居。

 悲しくなるほど静かで、変化のない──隔離された土地。
 それでも私は次第に村での生活に慣れていった。

 私には大好きなお父さんとお母さんがいたし、なにより彩が生まれるという明るい希望があったから。
 それにあの時はまだ町に帰ることができると信じていた。

 でも。
 彩が生まれ、彩がお母さんと同じように──だったために、私たち家族は村に住み続けることになった。

 お父さんは会社を辞めていた。
 毎日お父さんは村の畑の手伝いをして、野菜やお米や果物をもらって帰ってきた。日が暮れると仕事が終わるので、私は今までよりお父さんとたくさん遊ぶことができた。

 学校に通うことはできなくなったけれど、それなりに楽しい日々──
 生まれたばかりの彩を中心にして、私たちは平穏な生活を過ごしていた。

 しかし、そんなささやかな日々ですら長くは続かなかった。

 ある日──幼い彩と私、彩を産んでから体調を崩しがちになってしまったお母さんを残して、お父さんは突然いなくなってしまった。

 翌日もお父さんは帰ってこなかった。
 その次の日、次の次の日も……。

 村の人たちは、お父さんが村の生活に耐えられなくなって逃げ出したのだと噂していた。私には信じられなかった。
 いなくなってしまった前の日の夜も、いつもと変わらずお父さんは私と遊んでくれていたから。

 いつもと変わらない表情で、温かく大きな手のひらで、私の頭を撫でてくれた。
 お母さんは、村の人たちの声には耳を傾けず、落ち着いた口調で気にすることはないわと言った。

 私は心配だったけれど、お母さんの言うことを信じることにした。

 一週間後──

 御神木の近くの川岸で、お父さんは冷たくなった体で見つかった。村の人たちは、村を逃げ出した罰があたったのだと口々に話していた。

 空は灰色で。
 湿った肌寒い風が吹く日のことだった。

 帰ってきたお父さんを前にして、私たちは涙を流した。お父さんの手のひらは大きいままだったけれど、そこに温もりは存在しなかった。

 私はその時はじめてお母さんが泣くのを見た気がする。
 お母さんは、決して目覚めることのないお父さんの頬にそっと唇をつけた。幼すぎてまだ何も理解できないはずの彩が、私たちの悲しみを感じ取ったのか、大声で泣き出したことを覚えている。
 その大きな泣き声が、落ち着きはじめていた心を叩き、私の瞳から再び涙が流れはじめた。

 私はお母さんに──温もりにしがみつき、顔を押しつけて泣いた。

 お母さんは彩を泣き止ませると、私が泣き疲れて眠ってしまうまで、お父さんのように優しく頭を撫で続けてくれた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

怪盗&

まめ
キャラ文芸
共にいながらも、どこかすれ違う彼らが「真の相棒になる」物語。 怪盗&(アンド)は成人男性の姿でありながら、精神の幼いアンドロイドである。彼は世界平和のために、兵器の記憶(データ)を盗む。 相棒のフィクサーは人を信頼できない傲岸不遜な技術者だ。世界平和に興味のない彼は目的を語らない。 歪んだ孤独な技術者が幸せを願うまで。 無垢な怪盗アンドロイドが運命に抗うまで。 NYを舞台にした情報化社会のヒーローと相方の技術者の活躍劇(現代×SF×バディ) 表紙イラスト:Ryo

処理中です...