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第59話
しおりを挟む「どういうことだ?」
「エレナ?」
「……カナちゃん、やってくれたわね」
「先生?」
カナと俺は、エレナ先生の説明を待つ。
「ふー、仕方ないわね。私だって人間なのよ。伊月と同じで聖人でも何でもない。我慢できないことだってあるわ」
「それってどういう意味ですか?」
「……エレナの嘘って、カナの体を完全に処分していないってこと?」
「知ってたの?」
「もちろん、妹だからね。カナの体は技術の結晶。そう言ったのはエレナでしょ? あの時のエレナは、いつもと目の色が違っていたから」
「先生、埋葬したってのは噓だったんですか?」
「……嘘じゃないわよ。カナの体の99.9%は埋めたわ。ただ、ちょっとだけ、興味のあるパーツを……」
「そうですか。それくらいなら、」
「よくないわよ、伊月。エレナ、そのパーツを今ここで壊して」
「そこまでやらなくていいだろ。先生は技術者なんだし、カナの体に興味があるのも理解できるし」
「ううん。ダメ」
「なんでだよ」
カナは手に持っていた手紙を俺の顔に突きつける。
「この手紙、よく見て」
「『宇佐美エレナは、確実に嘘をつく。エレナを二人で止めてください』。いまカナが読み上げた通りの内容だろ」
「紙の角度を変えてみて。うっすらと何か読めない?」
言われた通りに手紙を読む角度を変えてみると、もうひとつの文章が筆圧として残っていた。
『ただいま、進』
そう読み取れた。
手術から、苦しいリハビリから、帰ってきたことを俺に伝えるためのシンプルな一言。だけど……。
「カナちゃんはその言葉を残すのを諦めて、私たちにエレナを止めるように言ってきたのよ。この意味は重い、と私は思う」
「……そうだな。先生、やっぱりそのパーツ廃棄してください。どれだけあるのかわかりませんけど、ひとつ残らず出してください」
「わかったわよ。せっかく老後の楽しみに取っておいたのに……」
エレナ先生は、机の引き出しからシャーレを3つ出して、机の上に置く。シャーレの中にはそれぞれ1センチもない小さな部品が保存されていた。
「エレナの老後の楽しみは、他に一杯あるでしょ。もうすぐ家族も一時帰国するんだし」
「家族?」
俺は壁に掛かっている写真を見る。
石造りの門の前に、正装をした4人が立っている写真――温かい笑みを浮かべたエレナ先生が、タオルに包まれた赤ん坊を抱いている。
「……先生の家族って亡くなってるんじゃ」
「え? そんなこと言ったっけ? 亡くなったのは、そこに映ってるお爺様だけよ。夫と子どもは生きてるわよ。海外で暮らしてるけど」
「伊月、知らなかったの?」
「知らない。エレナ先生の夫ってことは、先生の家族構成も知ってるわけですよね。カナのこと、大丈夫なんですか」
「うーん。たぶん、大丈夫。そういうことに疎い人だから」
「その話はあとにして、まずはこれを壊しましょ。エレナには悪いけど」
「はいはい。そこの工具箱に金槌が入ってるから」
カナは工具箱から金槌を出して、シャーレの中身に入っている部品を取り出して、ひとつひとつ机の上で粉々にしていく。
「楽しい」
「それ、ひとつ10億くらいの価値があるから」
「平気。興味ない」
砕けた破片を一か所にまとめてハンカチの上に集め、そのまま包み込む。
「これだけ細かくしてもエレナなら情報を取り出すことができるかもしれないし、伊月の家で処分して」
「いいけど……そこまでやるのか」
ハンカチを受け取る。
「やるでしょ、普通は」
「やらないだろ、普通は」
「私からもお願いするわ。伊月の家で処分して頂戴。カナの言う通り、私は天才だから、その程度じゃリペアできるかもしれないし」
「わかりました」
「さて、と。これで終わりかな。カナちゃんの最後のお願いを聞くこともできたし、こうして伊月と話せるようになったし、今日はいい日。エレナの話も終わったのよね? 天気もいいし、花壇で花を摘んで行きましょ」
「花壇?」
「目的を忘れたの? カナちゃんのお墓に行くの」
「俺は行かねーぞ」
「は? なんで!?」
カナが声をあげる。
「先生も墓参りって言ってましたけど、カナは死んでないんですよね。そこに埋まってるのは、手術前のカナの体だけなんですよね?」
「ええ。そうね」
「だったら花を手向けるのはおかしくありませんか?」
「言われてみれば……そうかも」
「俺はアンドロイドのカナと宇佐美カナが別人だと思ってました。でもこうやってカナと話してたら……なんだか同じ気がして。声と言葉遣いが違っていて、もちろん見た目も変わってるんですけど、根っこのところはカナそのものだなーって」
「そうなの!?」
「自分勝手で強引で無茶苦茶なところとか、カナそのものだな」
「似てるのそこなの!」
「だからカナの体が埋まってる場所に行っても、仕方がない気がして」
「……わかったわ。やめましょうか」
「はい。俺は帰りますね。今日は知りたかったことを先生から聞けて、カナとも話すことができて良かったです。明日また学校で」
「ちょっと待って、伊月」
「なんだ?」
「せっかくだから、正門まで送らせて」
「……別にいいけど」
「エレナ、行ってくるわね」
「ええ」
俺とカナは一緒に部屋を出て、並んで廊下を歩き、玄関に向かう。
「額の汗が凄いけど、無理してないか?」
「ううん。伊月と距離が近すぎるから緊張しているだけよ」
「……本当かよ」
玄関で靴を履く。
カナが履く靴には見覚えがあった。
「そうだ。伊月に言いたかったことがあるの。靴のプレゼント、ありがとう。気に入り過ぎて、履き潰れてきちゃった」
照れ笑いを浮かべるカナ。
「気に入ってくれたのなら良かった」
玄関の扉を押し開け、家の外に出る。
「……伊月」
「なんだ?」
「カナちゃんが手紙で伝えられなかった言葉、ここで伝えていいかな」
エレナ先生への警告のために飲み込んだ、手紙に書けなかった言葉。
「……恥ずかしいから嫌だ」
「私だって恥ずかしいんだから、我慢しなさい」
「仕方ないな……」
「じゃあ、そこに立って」
三歩ほど俺から離れ、振り向くカナ。何を言われるのか分かっているのに、緊張する。
「さて、いくわよ」
「ああ」
ふーっ、と、カナは大きく息を吐く。
そして照れ笑いを浮かべながら、
「ただいま、進!」
たぶんこれが、アンドロイドのカナの最後の。
最後の、言葉。
「おかえり、カナ」
気の利いた言葉なんて求められていないはずだ。
俺は素直に返事をする。
「……これでいいのかな。一度見ちゃったから感動半減ね。どうせなら、好きだとか付き合って下さいとか、もっとたくさん書けばよかったのに」
「手術後に記憶が無くなるのが分かってたみたいだから、宇佐美カナの気持ちを考えて、書かなかったんじゃないか。それに、」
「それに?」
「アイツ、俺のこと『進さん』って呼んでたから、呼び捨てにするのも勇気が必要だったんじゃないかな」
「ふうん。なら私もカナちゃんの気持ちを汲んで、呼び捨てで呼ぶわね」
「伊月でいいだろ。クラスに同じ苗字のやついないんだし」
「どうも呼びにくいのよね。進のほうがしっくりくる」
「そうか?」
「うん。進って口に出すだけで前向きな気持ちになるもの。前に進む。先に進む。エレナからショックな話も一杯されたけど……モヤモヤは晴れたし。今日が新しいスタートだから」
「……ああ。そうだな」
「そうだな、じゃないわよ。あなたも一緒に、前に進むの!」
「俺も?」
「もちろん! だって、カナはここにいるんだから! 私はこうして元気に帰って来たんだから、あとは今と未来しかないじゃない」
自分を指差し、胸を張るカナ。
その笑顔は真夏の向日葵のように眩しい。
「凄いな、カナは」
「安心して。進も凄いから」
「どこがだ?」
「さあね」
「なんだよ、それ」
「だって、言っても信用しないでしょ。また否定したり謙遜するだけ」
「……確かに」
「記憶がない、過去を思い出せないっていうのは、なかなか不安なものなのよ。私はエレナがいたから、進がいたから、こうして生きている。でもね、私はもう、生きてるだけじゃ物足りない。だって世界は面白いんだもの!」
「マジでエレナ先生みたいだよな、カナは」
「ねえ、私は進と友達になれたのかな?」
「急になんだよ。話がコロコロ変わり過ぎだ……」
「明日から、お昼ご飯一緒に食べてもいい?」
「多川たちも一緒でいいなら」
「ありがとう! 楽しみ!」
「でもお前、エレナ先生に代わって昼の放送をやるんじゃないのか?」
「うん。でも生放送じゃないから」
「そうなのか?」
「うん。エレナの放送だって毎回は生放送じゃなかったし。私の場合は、全部事前に収録してて、明日から一週間分の収録はもう終わってるの。今後の収録も放課後だし、だから一緒に食べられるよ」
「それなら問題ないな。カナは毎日弁当持ってきてるよな?」
「うん、そう。進たちは?」
「たまに二院は家で弁当を作ってくるけど、俺と多川と白貫は近くの売店に行ったり、校内の購買で買ってるな」
「そうなんだ」
「カナは家で弁当作ってくれるなら、それでいいんじゃないか」
「進のお母さんは作ってくれないの?」
「頼めば作ってくれるけど、」
「けど?」
「俺からやめてもらった。高校に入ってから何か月か教室に居ずらい時期があって……それで売店に行くようになった、ような気がする」
入学当初はハカナのこともあって人を避けていた。昼休みに都合よく教室から抜け出すには、弁当を持ってこない方が良かったから母さんに言って止めてもらった。
「そうなんだ。ぼっちだったのね」
「ぼっち言うな」
「それが今は、たくさんの女の子に囲まれて……そしてまた一人、女の子が……」
「おい」
「あはは。冗談よ」
「白貫とか薙に変なこと吹き込まれてるんじゃないのか」
「それ、ちょっとあるかも。二人ともユニークよね」
二人に負けず劣らず、カナも充分ユニークな存在だと思う。
「あ、」
「どうした?」
「忘れてた! 薙と椎奈に、カナちゃんからの手紙を進の前で読むためのセッティングをしてもらう約束してたんだった。勢いで今日読んじゃったわ」
「ちゃんと読めたんだし、いいんじゃないか」
「明日、謝らないと」
「気にしないと思うけどな」
「ダメよ。二人は花風堂で会って、初めてできた学校の友達なんだから」
「花風堂? ラーメン屋の?」
「うん。前に、エレナが連れて行ってくれたの。その時、薙と椎奈と御堂先生に会って……仲良くなったの。二人からは面白い小説をたくさん教えてもらったわ」
エレナ先生が早く学校に馴染めるように会わせたのだろうか。
「カナって小説読むのか?」
「うん、好きよ。手術直後とかリハビリ中はベッドに居ることが多かったから、暇潰しに読んでいたの。でも常人レベルの読書量だからね」
「薙たちの読書量はヤバいよな」
「そうなのよ! 図書室の本を全部読んでるんじゃないかってくらい、本当に何でも知っていて凄い! それに椎奈も!」
「だよなー。読む本に困ったときは、二人に聞けば無限にタイトルが出てくるし」
「そうそう。進は歴史物が好きなのよね? 特に戦国時代の」
「ああ。よく知ってるな。でも面白ければジャンル問わずに読むよ。昨日は薙先輩に薦められた現代小説を読んでたし」
「そうなんだ。薙とも仲がいいのね」
「1年の頃から、ほぼ毎週、図書室に通ってるからな」
「なるほど。ねえ、聞いていい?」
「なんだ?」
「薙って進のことが好きよね?」
「は?」
「見ていれば分かるもの。薙が進のことを話してる時、いつも幸せそうだし」
「気のせいだろ」
最近、告白して玉砕したばかりだ。
「そうかなぁ」
「先輩ほど恋愛から遠く離れた人間はいない。活字に恋してる感じだし」
「ふふ、そうかも」
話しながら歩いていたら正門を過ぎ、坂下まできていた。枝葉だけになった街路樹が続く道を振り返りながら、
「じゃあな。送ってくれてありがとう」
「ううん。進といっぱい話せて良かったわ。また明日」
「ああ。また明日」
アンドロイドのカナと、宇佐美カナ。
話せば話すほど、二人の姿が重なってくる。同時に、アンドロイドのカナと過ごした日々が、いくつもの表情が思い出される。
家に来た理由を聞いた時に見せた困った顔――
ゲームをしていた時の真剣な顔――
心配した面持ちで手料理を食べる様子を眺める顔――
アイスクリームを舐めて眉間にしわを寄せた時の顔――
キリンのぬいぐるみを抱きしめた時の笑顔――
夕日に染められた寝顔――
そして、自殺を試みた時の泣き顔――。
「ど、どうしたの進!?」
気づくと、体が勝手にカナを抱きしめていた。
右手をカナの後頭部に、左手は背中に回す。カナを、強く、自分の方に引き寄せる。
風で舞い上がったカナの髪が頬に触れる。
「おかえり、カナ」
「……それ、さっき聞いたから。いいわよ。好きなだけ私の胸で泣きなさい。カナちゃんがいなくなって、ずっと寂しかったんでしょ」
カナは俺の頭を下げ、抱きしめ返してくる。今度はこちらが後頭部に手を回されて、しっかりと引き寄せられる。
「よしよし」
「俺は子どもか」
「うん、子どもみたい」
カナの胸に耳をあてると、どくんどくんと、激しい鼓動が伝わってくる。
「心臓のバクバクがヤバいな、お前」
「だから言ったでしょ。ずっとドキドキよ。私はまだ、完全に進に慣れたわけじゃないんだから。それはそうと、どうして進は泣いてるの?」
指摘されて顔をあげると、カナの表情が涙で滲んで見えなかった。
だけど、
「お前だって、泣いてるからな」
カナの右の瞳から、涙が一筋、頬を滑っていく。
「……え。嘘?」
「バカみたいだな、俺たち」
「いいんじゃない、バカで。まだ学生なんだし」
ぎゅっとカナが両腕に力を込めてくる。
それが数秒続いて、
「さて、と。そろそろ時間切れよ」
立ち上がってカナを見ると、少し赤い目をしていて、頬には涙の筋が残っていた。俺も同じくらい酷い顔になっているのかもしれない。
「また頼む」
「嫌よ。私は進の彼女でも何でもないんだし」
そう言って唇を尖らせる。
『次のわたしが、今のわたしなんかよりずっと魅力的で、進さんが一目惚れしてしまうような──無理だなんて言わないでくださいね。そんな期待をしています』
ふと、カナが残した音声メッセージを思い出す。
「……やばいな」
「なにがやばいの? それって私を好きになったってこと!?」
「断じて違う」
「……いいわよ。そうやって捻くれてなさい。ライバルは沢山いるし、みんな可愛くて私も大好きだけど、私だって頑張るから。進がコクらずにはいられない、魅力的な女の子になってみせるから」
「来年の夏、」
「ん?」
「いや、何でもない」
「らいねんのなつ?」
「何でもないって。じゃあ、明日学校で」
「う、うん。また明日」
互いに軽く手を振り、俺とカナは背中合わせに歩き出す。
ひとりになると、それまでまったく意識しなかったポケットの中のハンカチの重さを感じた。
エレナ先生が隠していたパーツは、ひとつ10億の価値があると言っていたけど……細かく裁断した30億円をポケットに入れていると考えると、急に不安な気持ちになった。
来年の夏。高校生活最後の夏。
まだ先のことだけれど、どこか、視界いっぱいに向日葵が広がる場所で、太陽と入道雲の下で、好きなやつらを全員集めて記念写真を撮ろう。
今年の夏に夜の屋上で見た星空にだって負けない、最高の景色がそこにはあるはずだから。
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