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side-C
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彼女と結婚して三年近く経とうとしている。家庭を持てば、毎日が慌ただしく、気がつけば愛娘はもうすぐ二歳になる。
盆には実家に帰省して、両親に孫の姿を見せるように釘を刺されていたが、妻が二人目の妊娠中で、体調が思わしくないと自宅に残ることになった。けれど、父と娘の二人きりで実家に帰省するのも思ったほど悪くはない。
初孫を猫可愛がりする両親に娘を預けて、俺は実家の駐車場で煙草の紫煙をくぐらせた。娘の前では煙草を控えているため、こうして外で吸うようにしている。
なんとはなしに、幼馴染の実家の方を眺めていた。彼とは結婚式の日から会っていなかった。
出産祝いが郵送で贈られてきたり、年賀状のやり取りは続けていたが、俺が結婚してから、地元に帰省して顔を会わせる機会も失ってしまった。
そんなことに思いを馳せていると、彼の家の玄関扉が開いた。彼が頬を手でおさえながら現れる。その後ろには、かつての恋人だった彼が腕を引かれて現れる。
「は?」
俺は思わず煙草を落としそうになる。幼馴染が、俺に気づいて会釈した。
「久しぶりだな」
彼は頬をおえながらも微笑んで、俺の元にやってくる。切れ長の一重の瞳が懐かしい。幼馴染の背中に隠れるように、気まずそうに俯いているのは、元恋人だった。
「どうしたんだよ? なんで、こいつと居るんだ?」
幼馴染は、少し言い淀んで、それから、じっと、俺の目を見据えた。
「俺は、ゲイなんだ」
その告白は、あまりにも唐突だった。
「本当はちゃんと決まってからお前には改めて報告するつもりだったんだ。俺たち、結婚することしたんだ。渋谷区には、パートナーシップ制度っていうのがあって、本当の結婚ではないけど、男同士でも結婚のようなことができるんだ」
彼の左手には結婚指輪が光る。元恋人の彼にも同じものが嵌められている。矢継ぎ早の告白に圧倒されて、理解が追い付かない。
どうして、どうして、この二人なんだ。
「吐き気がする」
口元をおさえて、嘔吐感をやり過ごす。
幼馴染の彼は、目を見開いて、俯いた。こんなに傷ついた顔をした彼を見たのは初めてだった。元恋人の彼は、苦しそうに目を瞑って、俺に視線を合わせようともしない。
「お前に、祝ってもらおうなんて厚かましいよな。父さんに殴られて、母さんにも泣かれて、たった今、勘当されたんだ。だから、もう、地元に戻ってくるつもりもない。お前と顔を会わせることもないから、俺たちのことは忘れてくれ」
力なく笑って立ち去ろうとする幼馴染の肩を掴んだ。
「待てよ。なんで、こいつなんだよ」
びくりと怯えたように元恋人が肩を揺らす。彼を庇うように、幼馴染が立ち塞がる。
「お前の友だちに手を出して悪かったよ」
鋭い眼光で睨まれた。その様は、まるで愛する者を守る騎士のよう。
俺は戦慄いた。俺は彼等の敵なのか。彼等を祝福できない俺は心が狭いとでも言うのだろうか。
きっと、元恋人が幼馴染を、その淫乱な体で誘惑したに違いなかった。
どうして俺の可愛い恋人は、俺の幼馴染を誘惑なんかするんだ。どうして俺の幼馴染は、俺の可愛い恋人に手を出したりするんだ。
幼馴染の彼は、俺の知らない、その身体を彼に晒したのか。元恋人の彼は、俺の知り尽くした、その身体を彼に晒したのか。
キスして、抱き合って、愛してるって囁き合ったのか。俺ができなかったことを全部、全部、全部……
二人が絡み合う淫靡な妄想が頭に流れ込んでくる。幼馴染が、肌を扇情的に上気させて、淫らに乱れて喘ぐ姿。元恋人が、苦痛に涙を流しながら恍惚とした姿。
そんな、倒錯した官能が俺の胸を熱く焦がした。悔しくて、愛しくて、苦しくて、甘美すぎて、嫉妬などという言葉では片付けられない禍々しい憎しみのようなものが沸き上がり、勃起しそうになった。
「お前らの顔は、二度と見たくない」
立ち去る彼等の背中に怒声を浴びせた。彼等は振り返りもせずに、凛として背筋を伸ばして遠退いていく。
しっかりと固く繋いだ手には、確かな愛がある気がした。俺は無力感から、ただ呆然と立ち尽くすしかない。
「パパぁ?」
玄関から不安そうな顔をした愛娘が現れる。俺は苦笑いして、なんでもないよ、と答えた。
愛娘は駆け寄って、満面の笑みで微笑んだ。俺によく似た垂れ目がちな瞳と、妻によく似たぷっくりとした唇。
小さな体が、俺の足に抱きついてくる。温かくて優しくて、確かな愛がここにもある。
俺には家族がある。彼等には到底作れない無償の愛がここにある。
娘の頭を撫でた。幼い子供の髪は細くて柔らかい。彼女は、気持ち良さそうに目を細めた。
俺は、幸せであるはずだ。彼等よりも、ずっと、ずっと、幸せであるはずだ。
盆には実家に帰省して、両親に孫の姿を見せるように釘を刺されていたが、妻が二人目の妊娠中で、体調が思わしくないと自宅に残ることになった。けれど、父と娘の二人きりで実家に帰省するのも思ったほど悪くはない。
初孫を猫可愛がりする両親に娘を預けて、俺は実家の駐車場で煙草の紫煙をくぐらせた。娘の前では煙草を控えているため、こうして外で吸うようにしている。
なんとはなしに、幼馴染の実家の方を眺めていた。彼とは結婚式の日から会っていなかった。
出産祝いが郵送で贈られてきたり、年賀状のやり取りは続けていたが、俺が結婚してから、地元に帰省して顔を会わせる機会も失ってしまった。
そんなことに思いを馳せていると、彼の家の玄関扉が開いた。彼が頬を手でおさえながら現れる。その後ろには、かつての恋人だった彼が腕を引かれて現れる。
「は?」
俺は思わず煙草を落としそうになる。幼馴染が、俺に気づいて会釈した。
「久しぶりだな」
彼は頬をおえながらも微笑んで、俺の元にやってくる。切れ長の一重の瞳が懐かしい。幼馴染の背中に隠れるように、気まずそうに俯いているのは、元恋人だった。
「どうしたんだよ? なんで、こいつと居るんだ?」
幼馴染は、少し言い淀んで、それから、じっと、俺の目を見据えた。
「俺は、ゲイなんだ」
その告白は、あまりにも唐突だった。
「本当はちゃんと決まってからお前には改めて報告するつもりだったんだ。俺たち、結婚することしたんだ。渋谷区には、パートナーシップ制度っていうのがあって、本当の結婚ではないけど、男同士でも結婚のようなことができるんだ」
彼の左手には結婚指輪が光る。元恋人の彼にも同じものが嵌められている。矢継ぎ早の告白に圧倒されて、理解が追い付かない。
どうして、どうして、この二人なんだ。
「吐き気がする」
口元をおさえて、嘔吐感をやり過ごす。
幼馴染の彼は、目を見開いて、俯いた。こんなに傷ついた顔をした彼を見たのは初めてだった。元恋人の彼は、苦しそうに目を瞑って、俺に視線を合わせようともしない。
「お前に、祝ってもらおうなんて厚かましいよな。父さんに殴られて、母さんにも泣かれて、たった今、勘当されたんだ。だから、もう、地元に戻ってくるつもりもない。お前と顔を会わせることもないから、俺たちのことは忘れてくれ」
力なく笑って立ち去ろうとする幼馴染の肩を掴んだ。
「待てよ。なんで、こいつなんだよ」
びくりと怯えたように元恋人が肩を揺らす。彼を庇うように、幼馴染が立ち塞がる。
「お前の友だちに手を出して悪かったよ」
鋭い眼光で睨まれた。その様は、まるで愛する者を守る騎士のよう。
俺は戦慄いた。俺は彼等の敵なのか。彼等を祝福できない俺は心が狭いとでも言うのだろうか。
きっと、元恋人が幼馴染を、その淫乱な体で誘惑したに違いなかった。
どうして俺の可愛い恋人は、俺の幼馴染を誘惑なんかするんだ。どうして俺の幼馴染は、俺の可愛い恋人に手を出したりするんだ。
幼馴染の彼は、俺の知らない、その身体を彼に晒したのか。元恋人の彼は、俺の知り尽くした、その身体を彼に晒したのか。
キスして、抱き合って、愛してるって囁き合ったのか。俺ができなかったことを全部、全部、全部……
二人が絡み合う淫靡な妄想が頭に流れ込んでくる。幼馴染が、肌を扇情的に上気させて、淫らに乱れて喘ぐ姿。元恋人が、苦痛に涙を流しながら恍惚とした姿。
そんな、倒錯した官能が俺の胸を熱く焦がした。悔しくて、愛しくて、苦しくて、甘美すぎて、嫉妬などという言葉では片付けられない禍々しい憎しみのようなものが沸き上がり、勃起しそうになった。
「お前らの顔は、二度と見たくない」
立ち去る彼等の背中に怒声を浴びせた。彼等は振り返りもせずに、凛として背筋を伸ばして遠退いていく。
しっかりと固く繋いだ手には、確かな愛がある気がした。俺は無力感から、ただ呆然と立ち尽くすしかない。
「パパぁ?」
玄関から不安そうな顔をした愛娘が現れる。俺は苦笑いして、なんでもないよ、と答えた。
愛娘は駆け寄って、満面の笑みで微笑んだ。俺によく似た垂れ目がちな瞳と、妻によく似たぷっくりとした唇。
小さな体が、俺の足に抱きついてくる。温かくて優しくて、確かな愛がここにもある。
俺には家族がある。彼等には到底作れない無償の愛がここにある。
娘の頭を撫でた。幼い子供の髪は細くて柔らかい。彼女は、気持ち良さそうに目を細めた。
俺は、幸せであるはずだ。彼等よりも、ずっと、ずっと、幸せであるはずだ。
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夜中に目が覚めて眠れなかったので、イッキ読みさせて頂きました。
名前すら出てこない、三人の男。
それぞれの考えていることが、それぞれに伝わっていたのなら、未来は確実に変わっていたのに……。
そんなやるせなさやキャラの思考がとてもリアルで、人間臭く、不器用で。
けれどもそれぞれが少し歪んだ幸せの着地点を持っていて。
読み終えた時、メリバともなんだか違うし、ハピエンとも少し違う、なんとも言えない不思議な感覚を覚えます。
創作なのに、まるで本当にあった話のようなリアルさでした。
語彙力がなくて上手く言えないのですが、とても深い。
どうしたら、どう行動していたら、彼らは幸せになれたのか。
それを考えさせられる作品でした。
唯月さん、ご感想ありがとうございます。
いろいろ読み取っていただけたようで、作者冥利につきます!
私の作品の中では、比較的ハッピーエンドよりだと思います。
もしかしたら過去を振り返ると、とても後悔していることや未練もあるかもしれませんが、その選択をしなければ今の幸せもないので、最終的に「これでよかったんだ」と自分の人生を肯定できるように生きていけたらいいなぁ思いながら文章を綴らせていただきました。