献身

nao@そのエラー完結

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奥様

十九

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 あれは私が十七歳のことでした。その頃は、夜毎にミシミシと骨が軋み、有無を言わさぬ強引さで、肉体ばかりが大きくなっていくようでした。けれど、見た目ばかりが大人の男に近づいていても、中身は未成熟な子供のままであったのでしょう。その年頃の私には「女」とは未知であったのです。いいえ、未だに「女」という生き物を理解しているとは言い難いのかもしれません。

 幼少の頃に身を置いていた世界では、女というものは、男に媚を売り、男に踏みにじられ、男に苦しめられる生き物でありました。
 私の居た遊郭は、特に格下でありましたから、客もまた醜悪な男ばかりであったのです。卑下な笑みを浮かべ、姉さんたちの肢体をまさぐり、僅かな金と綺麗事を残して去っていくのです。それでも男に縋って生きていくしかない女というものは、なんと憐れで、なんと脆く、なんと健気な生き物であろうかと心を痛めていたのです。

 もしかすると、私の女性像は歪んでいるのかもしれません。だからでしょうか、朝倉夫人は住む世界の違う特別な女性に見えたのです。
 大富豪である旦那様に見初められ、めかけではありましたが、立派な屋敷を与えられ、多額の援助を受けておられる。けれど、それ以上に、凛とした立ち振る舞いと、たおやかな気品が、特別な貴婦人であるのだと私は思っていたのです。


 直之様を学校に送り届け、朝倉邸に戻って参りますと、ようやく一息がつけるというものです。馬車を納屋にしまい、馬小屋でクロを休ませますと、窮屈なネクタイを緩めながら、泥を落として屋敷の玄関に入ります。

「ご苦労様」
「ありがとうございます」

 背中を軽く押されて振り返れば、奥様が微笑んでおられました。
 朝倉夫人は桜色のワンピースに、長い髪をおろしたモダンな格好をされており、まるで若い娘のように見えました。

「あら、ボタンが取れそうね」
「これは、お見苦しいところを、」

 緩めたネクタイの隙間から、ほつれた糸に吊られた小さなボタンが覗いておりました。奥様は、ボタンを指で摘まむと、優しく微笑みました。

「私がつけてあげるわ」
「いえ、奥様のお手を煩わせるわけには」

 私が頭をかきますと、奥様は人差し指を私の唇に押し付けて首を傾げました。

「イヤだわ。遠慮なんてしないで」




 奥様の部屋は、二階の奥の部屋でございます。大きな寝台に大きな洋風箪笥。化粧台に大きな姿見など、華やかで女性らしい調度品が飾られておりました。
 開いた窓からは五月の青い風が吹き込んで、白いカーテンを揺らします。

 私は奥様に言われるまま、シャツを脱いで手渡すと、落ち着かない思いで寝台に腰かけておりました。
 奥様は化粧台の椅子に腰かけて、裁縫道具を広げられます。そうして、長い髪を邪魔そうにかきあげると、シャツのほつれた糸を切りました。新しい糸を咥えて針に通し、布を縫いつけていきました。このような針仕事は女中の仕事でありましたが、奥様は存外に楽しそうに縫い物をされております。

「……ッ」
「大丈夫ですか」

 奥様がびくりと肩を震わせるものですから、私は立ち上がりかけました。

「ええ、そそっかしくて恥ずかしいわ」

 奥様は照れたように微笑まれると、誤って針を刺した人差し指を、口に咥えて止血されました。

「どうかしら?」

 私の方に、ボタンの着いたシャツを広げて見せる奥様は少女のように無邪気に微笑みます。

「ありがとうございます」

 シャツを受け取ろうと腕を伸ばすと奥様は悪戯っぽく肩を竦めました。

「私が着せてあげます」

 奥様は、私の正面に立つと片膝を私の股の間に乗り上げて、ゆっくりとシャツを羽織らせます。薄紅色のスカートが捲れあがり、股の間の太腿は白く肉厚でありました。それに、今日に限って花の甘い香りは強く、私の鼻腔をくすぐるのです。

「このシャツも少し小さくなってしまったわね」

 細い指が、私の肩を優しく撫でたかと思うと、鎖骨にまで指を這わせます。そうして、胸板にまで降りてくると奥様はうっとりと息を溢しました。

「本当に逞しくなったわ」
「奥様」

 私は居たたまれず、奥様の手を掴みます。肩に羽織らせられたシャツが滑り落ちました。私の手の中にある指は、手荒れの一つもない細く綺麗な指でございました。

「あら、緊張しているの?」

 奥様は私の手を払うと、逆手で私の腹を撫で、その下の股にまで這わせます。恥ずかしくも、私の中にある醜悪な男は勃起しておりました。

「可愛らしいこと」

 奥様は自らの唇を舐めながら、濡れた瞳で微笑まれました。それは私の知る「女」でありました。

 私はひどい混乱の中にありました。奥様が下男の私などに媚を売る理由など、一つも思いつきませんでしたから。私にとって、女とは男に奪われるものであったのです。

 動揺している私のことを奥様は「可愛い」と何度も仰って、からかうように私の耳を舐め、首筋に舌を這わせます。熱く濡れた弾力は、ひどく淫らで、私は恐ろしくなり、細い肩を押しのけました。

「坊っちゃんが悲しまれます」
「お前は朝倉の下男でしょう?」

 直之様の名前を口にすれば、奥様は苛立ったように睨み付けてこられます。その切れ長の瞳は、直之様と同じもので、心臓がぎゅうと掴まれて息が苦しくなりました。奥様は、私の首に腕を回して、耳元で甘く囁きました。

「これは二人だけの秘密にしましょう」

 私は、初めて女の中にある愛慾を見たのです。柔らかな胸の弾力に、しっとりと汗ばむ太もも。頬に啄むように口付けられ、私は硬直したまま、奥様のされるままになりました。姉さんたちの顔が脳裏を過り、直之様の冷ややかな視線に心臓が縮みます。それでも唇に柔らかいものが触れれば、私は瞼を閉じました。

 花の匂いと紅の味。
 それは、酷く罪深く、淫靡な味がしたのです。



    
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