上 下
23 / 45
水無月

第二十三話

しおりを挟む
 遅れてきた梅雨前線は、六日間も長雨を降らせ続けていた。土手には遅咲きの紫陽花が花を咲かせ、気持ちよさそうに雨粒を浴びている。

 蝙蝠傘を差して、並木道を歩いて家路に向かう。雨避けのトレンチコートは濡れ、革靴は泥水で汚れた。ようやく辿り着いた店先で傘を閉じ、暖簾をくぐる。

「いらっしゃい」

 迎え入れたのは、良く通る低い声。

「ただいま」

 大将に返事をするも、俺と目が合うと曖昧に微笑まれて、こちらもぎこちなく笑うしかない。店内は、雨降りにしては盛況のようである。テーブル席は全て埋まり、カウンター席も空席は、二席。

「マコト、久しぶりだな」

 傘立てに濡れた傘を差し込んでいると、野太い声が名を呼んだ。見れば、カウンター席には、赤ら顔のマルさんが座っていた。

「一杯付き合えよ」

 常連客の気軽さで、トントンと隣の空いた席を叩かれる。本当は直ぐにでも風呂に浸かりたかったが、マルさんからの誘いを無下に断ることもできず、コートを脱いで彼の隣に腰掛けた。
 マルさんは、見計らったかのように、カウンターの向こう側の大将に、お猪口を求めた。

「大将も一杯」
「ありがとうございます」

 トクトクと二つのお猪口に日本酒を注ぎ、三人で顔を見合わせて乾杯する。マルさん好みのスッキリとした辛口の日本酒は、空きっ腹には、ややきつい。

「ほら、肉じゃが」
「ありがとう」

 大将は、微笑んで俺の好物を出してくれる。けれど、俺たちとは、二、三言葉を交わすばかりで、大将は直ぐに板場の端で魚を捌き始めた。どうやら、店内の混み具合から、品だしに追われているようである。

「こうやってみると、親父さんにそっくりだな」

 マルさんが大将の包丁捌きを眺めながら、ぽつりと呟いた。

「大将のお父さんですか?」
「ああ、昔はあまり思わなかったが、やっぱり親子なんだろうな。ああやって、板場に立っていると瓜二つだなぁ」

 マルさんは、懐かしそうに優しい笑みを浮かべた。この店は「小料理  だんや」の前は「定食屋  まきはら」であった。定食屋の常連客は、貴俊のことを幼い頃からよく知っている。早くに母親を亡くした彼は、小学生の頃から父親の店をよく手伝っていた。
 だから、マルさんが大将に向ける眼差しは、息子を見守る父親のように、いつでも温かいのだ。

「ところで、大将と何かあったのか?」

 マルさんは、なんでもないことのように呟いた。

「最近ちょっと、大将の調子が悪そうじゃないか?」
「…………そうですか?」

 マルさんの追求に、小首を傾げてみせた。

「マコトさんとケンカしているんじゃないんですか?」

 背後から声をかけられて、顔だけ振り返る。青い甚平姿のハルくんが、コソコソと耳打ちしてきた。

「ケンカなんて、していないよ」

 言われてみれば、貴俊とケンカらしいケンカはしたことがなかった。ハルくんは、俺の答えに不服そうに、更に声を潜めて問いかけてくる。

「大将と、マコトさんって、そういう……ですよね?」

 含みのある物言いに、大将とマコトの関係は、ハルくんに気づかれてしまったのだと悟った。

「………うん、ごめんね」
「どうして謝るんですか?」

 隠していた訳ではないが、積極的に暴露するつもりもなかった。もし、俺たちの関係を知っていたら、ハルくんは「だんや」をバイト先に選んでいただろうか。

「ハル」

 マルさんが、咎めるようにハルくんの腕を軽く小突いた。

「店員さぁん、」

 唐突に背後から女の甘ったるい声が響いた。

「はい、ただいまー」

 ハルくんは呼ばれた方に振り返る。テーブル席には、可愛らしい二十歳前後の少女たちが陣取り、きゃあきゃあと声をあげている。ハルくんは少し困ったように頭を掻きながら、注文を受けている。
 手前の女の子が、こちらの視線に気づいて、小さく会釈した。釣られるように、こちらも微笑み返して会釈すれば、彼女たちは、チラチラとこちらを見ながら楽しそうに何か囁きあっている。

「なんだか、華やかですね」
「ああいうのは『かしましい』だろ? 奥の席の子がハルの『コレ』らしいな」

 マルさんは苦笑いを浮かべながら、小指を立てた。あの女子会は、どうやら彼氏のバイト先を覗きに来た彼女と、その友人たちであるらしい。
 大学の講義を受けながら、バイトを掛け持ちして、彼女までいるのか。ハルくんは、要領の良いタフな青年らしい。奥の席に座っている彼女は、大人びた利発な顔立ちをしていた。なんとなく、ハルくんを尻に敷いていそうだと邪推して、小さく笑いが込み上げる。

「それで、大将のことだけどな」

 マルさんは、話題を引き戻す。

「ああ見えて不器用な男だろ?……だから、しっかり者のマコトがついてやってくれないとな」

 説教じみた口調に、そっと目を伏せる。

「俺で、いいんですかねぇ」
「マコトしかいないだろ?」
「…………ですね」

 上手く笑えず、お猪口に口をつけて誤魔化した。彼等のような常連客が大切にしているのは、「だんや」の暖簾と「大将」である。元バイトの「マコト」は、それらの付属品でしかない。

「頼りにしているからな」

 ポンポンと強い力で肩を叩かれる。店内には、きゃあきゃあと黄色い声が響いていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

壁穴奴隷No.19 麻袋の男

猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。 麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は? シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。 前編・後編+後日談の全3話 SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。 ※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。 ※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。

僕が玩具になった理由

Me-ya
BL
🈲R指定🈯 「俺のペットにしてやるよ」 眞司は僕を見下ろしながらそう言った。 🈲R指定🔞 ※この作品はフィクションです。 実在の人物、団体等とは一切関係ありません。 ※この小説は他の場所で書いていましたが、携帯が壊れてスマホに替えた時、小説を書いていた場所が分からなくなってしまいました😨 ので、ここで新しく書き直します…。 (他の場所でも、1カ所書いていますが…)

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

とろとろ【R18短編集】

ちまこ。
BL
ねっとり、じっくりと。 とろとろにされてます。 喘ぎ声は可愛いめ。 乳首責め多めの作品集です。

僕は性奴隷だけど、御主人様が好き

泡沫の泡
BL
鬼畜ヤンデレ美青年×奴隷色黒美少年。 BL×ファンタジー。 鬼畜、SM表現等のエロスあり。 奴隷として引き取られた少年は、宰相のひとり息子である美青年、ノアにペットとして飼われることとなった。 ひょんなことからノアを愛してしまう少年。 どんな辱めを受けても健気に尽くす少年は、ノアの心を開くことができるのか……

次男は愛される

那野ユーリ
BL
ゴージャス美形の長男×自称平凡な次男 佐奈が小学三年の時に父親の再婚で出来た二人の兄弟。美しすぎる兄弟に挟まれながらも、佐奈は家族に愛され育つ。そんな佐奈が禁断の恋に悩む。 素敵すぎる表紙は〝fum☆様〟から頂きました♡ 無断転載は厳禁です。 【タイトル横の※印は性描写が入ります。18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。】

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...