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水無月

第二十二話

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 長く塞き止めていた本音は、一度、口に出してしまえば、濁流のように溢れだす。諦めかけていた期待に、希望を見いだしてしまったのなら、尚のことであった。

 日曜の夜。貴俊にとっては、明日は週に一度の休日である。だから、時間をかけて、ゆっくりと風呂に浸かり、隅々まで念入りに身体を洗う。
 風呂から上がると、髪を乾かして、ワイシャツに袖を通した。藍色のネクタイを締めて、ジャケットを羽織ると出勤前の身嗜みと相違ない。けれど、日曜の夜に向かうのは会社などではなく、二階の寝室であった。

 一呼吸置いて、貴俊の居る部屋の扉を開く。手探りでスイッチを押せば、照明は消え、暖色の小さな常夜灯の光だけが残った。布団を敷いていた男は顔をあげて、ほんの僅かに顔を強張らせた。

「なんで、スーツなんか着てるんだ?」
「前にしたとき、盛り上がったろ?」

 緊張を誤魔化すために、軽くネクタイを緩めた。男は息を呑んで、一歩、後退る。けれど、もう逃げるつもりもなければ、逃がすつもりもない。男の首に腕を回して、黒曜石の瞳をじっと見つめる。

「俺とするの、イヤ?」

 昨夜の台詞を彼に返す。返事は待たずに、そっと唇を触れ合わせる。貴俊は少し戸惑いを見せながらも、俺の後頭部に手をかけて、引き寄せた。

「……ん、」

 鼻から甘い吐息が抜ける。角度を変えて何度も唇を重ねて、舌を絡め合わせた。

 ラフなTシャツに、スウェットのズボンを履いている男と、スーツ姿の自分の格好は、あまりにも不釣り合いであった。それでも、布団に男を押し倒し、ジャケットを脱ぎ捨てる。寝そべる男の首筋にキスして、指先で男の股間に触れれば、布越しでも、確かな固さを感じて、内心、安堵した。
 夜は長い。ゆっくりと時間をかけて、撫でていれば、男の半身は硬度を増していく。
 男の下着を下ろして、露になったペニスを手で扱く。目を瞑り、快楽に身を任せている貴俊の様子を窺いながら、舌を這わせた。

「……はぁ、」

 溜め息のような声が降ってくる。今度は、拒絶されなかった。男の反応を見ながら、舌を絡めて、口内に収めていく。熱く滾るペニスを喉奥で擦れば、応えるように、ぴくりと反応したので、胸が高鳴った。
 不意に、男の指が頬に触れ、乱れた髪を耳にかけてくれた。咥えたまま、男を見上げれば、優しくも悩ましげな眼差しを向けられていた。腹の奥が、堪らなく熱くなり、股間が締め付けられて、窮屈になる。

「ふ、……」

 貴俊が堪らず呻く。喉奥で、熱く溢れる塩気を感じて、吸い上げるようにして、口を離した。濡れた唇を手の甲で拭い、自らのスラックスと下着を脱ぎ捨てれば、ワイシャツと着崩れたネクタイだけとなった。

「来いよ」

 貴俊に腕を引かれる。男の大きな身体がのし掛かり、体勢は呆気なく逆転する。貴俊の手がネクタイを引けば、しゅるしゅると衣擦れの音が室内に響いた。見下ろしてくる男の顔は、上気し、額に汗を滲ませていた。

「真人」

 男の手が頬を撫でるので、もっと欲しくなって擦り寄せた。けれど、その手は首筋をなぞり、鎖骨に触れる。シャツのボタンに手をかけようとしたので、男の手を取って、そっと、内股に導いた。

「……ちゃんと、準備、したよ」

 男は喉を鳴らした。部屋の灯りを消したのは、肌を見られたくなかったから。まるで生娘のような理由であったけれど、中年に差し掛かったこの身体が、貴俊の目にどのように映るのか、知るのが少し怖い。

 内股を撫でていた手が、割れ目を探って、孔を見つけ出す。男の指が、つっぷりと押し入ってくる。

「……ぁ、……」

 言い様のない異物感に、吐息が漏れた。風呂場で仕込んだジェルが溢れだし、ぐちゅりと卑猥な音を立てる。

「気持ちいい?」
「……う、……ん、……そこ、ぁ、」

 長い年月をかけて快楽を覚え込まされた肢体は、呆気なく陥落する。俺の身体を知り尽くした指先は、的確に「いいところ」を見つけ、優しく圧迫し、弄ぶ。

「……ぁ、……ぁ、……ぃ、」

 手の甲で口元を抑えても、甘い嬌声は漏れ出してくる。もどかしいほどに焦らされて、もっと確かな快楽が欲しくて、内股が震えだす。

 ジェルを何度も足しながら、指を増やされる。自然に濡れることのない穴は、本来は性交に使われるべきではない。生物の摂理から逸れた擬似的な生殖行為は、それでも、二人の間では確かな愛の営みであった。

「挿れるよ、」

 熱を持った硬い塊が、挿ってくる。

「…………ん、……ぁ、あ、……」

 引き攣るような痛みに、背中が仰け反った。

「痛い?」
「……だ、……いじょうぶ、」

 けれど、それは最初だけで、待ち焦がれていた熱と快楽に、汗が吹き出し、涙腺が緩む。男は呻きながらも、探るように、じわりじわりと掻き分けるように押し入ってくる。

「動いても、いいよ、」

 肩で息をしている男に、手を伸ばす。男の頬に触れれば、唇が降りてくる。唇を重ねて、舌を擦り合わせる。男がゆるく腰を打ち付けて、痺れるような甘い快楽に溺れていく。

「……ぁ、ぃ、……ん、……」

 朦朧とする意識の中でも、腹の中から抜けた感覚に、ぴくりと腰が揺れた。

「真人」

 なかなか入ってこない焦れったさに、顔をあげた。浅い息を繰り返す貴俊は、血の気の引いた顔で彼自身の股間を見つめていた。男のペニスはスキンを着けたまま、力を失い、垂れ下がっている。

「…………疲れてた、……みたいで、」

 呟いた言葉は、掠れていた。凛々しい眉が歪み、男はこちらを見ようともせずに、背を向ける。思わず、男の背中に抱きついていた。

「そんなことも、あるよ、」

 口にした言葉は、あまりにも陳腐であった。けれど、下手な慰めは、悪戯に互いを傷つけるだろう。
 男の背中に頬を寄せる。そうして、小さな鼓動に耳を澄ませた。泣きたくなるほどに、優しい音がする。

「貴俊、好きだよ、」

 愛の言葉は、誰にも拾われず、薄暗い部屋の中で虚しく消えていった。

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