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茶事

第144幕

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 柳瀬優人は、生徒会の役員を務めるような品行方正の優等生である。学業においても、特進クラスの中では上位であり、志望する一流大学の合格も難しくはないだろう。けれど、彼の気質は控え目で大人しく、アルファ性のヒエラルキーでは、中位に甘んじている。それは、彼の外見的な特徴も影響しているのかもしれない。彼は、アルファ性にしては小柄な体型であり、大きな瞳は幼い雰囲気を漂わせている。そのような外見から、柳瀬優人は周囲の狼たちから侮られ易い側面を持っていた。

 そんな彼が羨望の眼差し向けるのは、アルファ性らしい凛々しい強さと、他者を魅了するようなカリスマ性のある狼である。ヒトは、自身の持ち合わせていないものに憧れる生き物であるのだから。


 茶室から退出した優人は、母屋には戻らずに茶庭を散策していた。半東の務めを解任された彼の足は、自然と離れ座敷に向かってしまう。今の彼にとって、最も気にかかるのは、実妹と神崎響の見合いの行く末である。
 番を持たないアルファ性は、離れ座敷に足を踏み入れることを禁じられてはいたが、遠目からでも二人の様子を窺え知れないだろうかと、浅はかな考えに至るのも無理はないだろう。

「……ぅ……ぅ……」

 優人は足を止めた。不意に獣の唸り声のようなものが聞こえた気がしたのだ。庭に迷い混んだ猫でもいるのだろうかと、些細な興味本位で、唸り声のする方に向かって茂みを掻き分けて行く。そうして開いた茂みの先には、猫にしては大きなモノが居た。それが、こちらに背を向けてうずくまっているヒトであることに気がついて優人は、息を呑んだ。

 湯だったような熱気が背中から立ち上ぼり、男の白いワイシャツは汗ばんで濡れている。優人の足元には、脱ぎ捨てられたジャケットが落ちていた。

「先輩……?」

 うずくまる男は、顔だけ振り返った。
 柳瀬優人は、どきりとした。男の瞳は赤く燃え、頬は火照っていた。額から流れる汗は、首筋を通っていく。

「どうされたんですか、……具合でも……?」
「……くるな、……」

 駆け寄ろうとした優人を制止するように、男は苦し気に言葉を吐き出した。

「俺を、ハメたんだろ……?」

 怒りを露に睨み付けてくる狼は、その唇から鋭利な牙を覗かせた。

 優人は、何を言われているのか理解できなかったが、うずくまる男の股ぐらが露になり、両手でぎこちなく扱いているペニスに気がついて、どくんと心臓が跳ねた。

「ラット……しているんですか……?」

 優人の言葉に、響はびくりと肩を震わせて、顔を背けた。ヒートしたオメガのフェロモンを浴びせられたアルファは、ただの獣に成り果てる。本能のままに、今すぐにでも来た道を駆け戻り、発情したメスの穴に精を吐き出してしまいたい。響は必死に狼の血の衝動に抗いながら、自身のペニスを慰めていた。

 柳瀬優人は、動揺する。そこにいるのは、いつも見上げていた神崎響の姿ではない。足元でうずくまり、浅い息を繰り返す狼は、小刻みに震え、まるで怯えているようでもあった。

 優人は、狼に歩み寄りそっと背中を撫でた。

「俺が、手伝いましょうか」

 優人の手が響の手に重なった。

「触るな……ッ」

 弾かれた手に血が飛んだ。
 神崎響の美しい手には、痛ましい歯形が刻まれ、白濁とした粘液と混ざり合う。威嚇する獣を宥めるように、優人は響の傷ついた手を取り、その傷口に舌を這わせた。

「大丈夫ですよ、」

 優人の瞳に赤みが差す。眼前の狼を救わなければ、などという殊勝な動機だけではない。どれほど、控え目で大人しい気質であっても、柳瀬優人はアルファ性の狼である。

「いい匂いがしますね」

 ラットした神崎響に纏わり付いているオメガのフェロモンが優人の鼻腔をくすぐった。嗅ぎ慣れない甘い香りに、優人は喉を鳴らすと、小さく口角を持ち上げたのだった。


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