Tragedian ～番を失ったオメガの悲劇的な恋愛劇～

オメガの行方

第98幕

　神崎響が帰宅したのは、その日の夕刻のことであった。全てを捨て去る覚悟があったとしても、築き上げてきた研究成果をこの目で見届けたいという欲求は当然のことであろう。
　顕微鏡を覗き込んで、薬品を調合して、エビデンスを集めて、分析する。一刻一刻を神経を磨り減らしながら、徹夜で作業に没頭し、目処をつけて、大学から出た頃には、空は紅く染まっていた。


　響は疲労感と充足感に満たされながら、玄関の扉を開けた。

　その瞬間、なんとも言えない酷く嫌な感じがした。いつも玄関まで出迎えに来てくれるはずの薫は姿を見せない。
　玄関の飾り棚に手を掛ければ、物の位置が微妙にズレていた。紅い光が差し込んだ室内は、ひんやりとして、人の気配を感じられない。ワックスの利いたフローリングには、薄い土のような汚れが点在していた。しゃがみこんで、よく見てみれば二人分の靴跡であるとこが知れた。

「……薫？」

　響は言い様のない胸騒ぎに、動悸が激しくなる。部屋の中の扉を開けて、薫の姿を探し回る。けれど、かつての番であり、これから番になるはずの恋人の姿は見つからない。
　バスルームの扉の取っ手が無惨に破損していることを目に止めて、響は青ざめる。

　薫に良くないことが起こったことは明白であった。

　神崎響は再び部屋から飛び出していく。この広い世界のどこかに居るはずの、神崎薫を救い出すために。