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第74幕

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 同じ空間を共有する中で、神崎兄弟の間には、と生活のリズムのようなものが構築されつつあった。

 例えば、薫が夕食の支度をして、響の帰りを待った。響が帰宅すれば、薫は玄関で出迎え、二人で食卓を囲んだ。食べ終わると少しだけ談笑をして、薫が先に風呂に入り、その間に、響は食器を片付ける。薫が風呂から上がり、響と交代すれば、薫はダイニングで残っている課題を取りかかった。そうして、響がバスルームから出てくれば、薫の勉強を見てやるのが、彼等の夜の過ごし方であった。


 今夜も同じ夜のはずであった。
 響がシャワーを浴びてリビングに戻ると、薫はソファに膝を抱えて座り込んでいた。
 首にタオルをかけて、乾ききっていない濡れた髪と半袖やハーフパンツから覗く手足が少し上気しており、薫も風呂上がりであることが窺い知れる。

 ダイニングテーブルには、数学の問題集と参考書が開かれて、準備が整っているように見えた。
 響は、薫に声をかけようと口を開く。

「隼人、調子はどう?」

 響は開きかけた唇を閉じた。
 よく見れば、薫はスマホを耳に押し当てている。

「なんとか外出許可がもらえそうだから、明後日の予選の応援、行けると思う。遠くから眺めるだけになるかもしれないけど、」

 喜びを噛み締めるように微笑みながら、薫は裸足の親指同士を擦り合わせる。
 薫の甘えるような口振りに、響は口の中に苦味が広がるようだった。
 ソファに近寄っていけば、薫の頭上に影が差し、スマホを耳に当てたまま薫は驚いたように顔をあげる。

「……ぁ、」

 どこか咎めるような響の視線に、薫は一瞬固まった。

『薫?』
「……なんでもないよ、看護師さんが来たから、また、明日、」
『……わかった、おやすみ、』
「うん、おやすみ、……」

 薫が通話を切る頃には、響は薫の隣に腰を下ろしていた。

「兄さん、ごめん、」
「何が?」

 気まずそうに苦笑いする薫に、響は小首を傾げた。薫はソファの上に抱えていた両足を下ろして、立ち上がる。

「すぐ、始められるから、」
「いいよ。思ったより課題も進んでるし、」

 目前を横切ろうとした薫の腕は、響に掴まれる。響の視線に促されるままに、薫は先程まで座っていた位置に腰を下ろし直した。
 僅かな沈黙が流れ、薫は窺うように響の整った横顔を盗み見る。

「明後日、少し早く出て外で食べるか?」
「……うん、」

 響は、小さく息を吐くと優しげに薫に微笑んだ。兄から漂う僅かな威圧感が溶けた。薫は安堵して、目を細めて頷いた。

「何か食べたいものはあるか?」

 響は「ちゃんと勉強しているご褒美」というニュアンスで、薫に問いかける。薫は、俯いて少し悩んだ後に、いいことを思い付いたように顔を上げた。

「ラーメンかな、魚介系のやつ」

 薫の瞳がキラキラと輝いて、響は呆気に取られた。

「そんなのでいいのか?」 
「そんなの、じゃないよ。家じゃ本格的なラーメン食べられないし」
「そうか、」

 響は軽く薫の頭を撫でた。
 寿司とかフレンチとか鉄板焼だとかを想定していた響は、薫が遠慮しているのではと思ったが、リクエストしたご馳走を「そんなの」呼ばわりされて、ムッとした表情に変わる顔に、本心であろうことが窺い知れた。
 四年ぶりに再会した薫は、頑なに心を閉ざしているように見えたが、少しずつ表情が柔らかく、感情が露になりつつあった。
 薫の湿った髪を撫でていた指先が、耳元に移動する。薫はくすぐったそうに、肩を震わせた。

「兄さん、」

 見上げた兄の瞳の奥に、情欲の色が見えた気がして、薫は唇を震わせる。響の顔が近付き、薫は反射的に顔を逸らした。それでも、後頭部を押さえられ、些か強引に唇を重ねられれば、薫は身体を硬直させるしかない。

「や、やめて、……ん、」

 拒む言葉を吐き出した唇に、割り込むように舌を差し込まれ、口内を探られれば、薫はぞくぞくと首筋が甘く痺れた。何度も角度を変えて唇を重ねられて、響の空いた手が薫の太腿を撫で、薫はやめさせようと兄の手に手を重ねる。それでも、薫の僅かな戸惑いに漬け込むように、響はハーフパンツの隙間から悪戯な手を潜り込ませていく。

「……ん、……ぁ、」

 薫は、一刻も早く、兄の身体を、押し退けなければならないはずであった。

 薫には魂の番がいる。
 響は血の繋がった兄である。

 それでも、快楽に従順なオメガの身体は、番の匂いを感じて、簡単に火照り始める。

「甘い匂いがする、」

 キスの合間に、響が独り言のように呟いた。
 薫はカァと頬を紅潮させる。
 響は小さく笑うと薫の仄かに紅い頬を撫で、もう一度優しく唇を重ねた。

 かつての番と重ねる唇は、酔うほどに甘く、罪深い味がした。



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