72 / 168
スマートフォン
第72幕
しおりを挟む
梅雨が明けた七月初旬のことある。
小暑の候というには、やたら強い日差しが都会のアスファルトを照りつけていたが、エアコンの利いた上空の部屋の中では、夏めいた暑さは微塵も感じらずにいた。
薫は日中に何度もスマホの画面に目を落とす。けれど、博己からの連絡は一つもなかった。
やはり、あの夜に、自分は捨てられてしまったのだろうか。
メッセージを書きかけては消して、電話をしようとして指が止まって、そんなことを繰り返しながら、薫は鬱々とスマホを弄くり回した。響の部屋に囚われてから、瞬く間に三週間が過ぎようとしていた。
薫はスマホを脇に置くと、シャープペンシルをくるくると回して、問題集に向き直る。薫は勉学が得意ではない。兄から出された厳しい課題の山を少しずつ切り崩して、泥にまみれながらも、食らいつくのがやっとであった。苦手な数学や物理は、ほとんど毎晩、家庭教師のように付き添って兄が教えてくれた。
そんな教師が走り書きにした方程式や図解のメモを何度も確認し、頭を悩ませながら、どうにか及第点に達することができた。
早く外に出たい。
薫は、三日後の地区予選を心待ちにしていた。隼人を応援したい気持ちは強い。けれど、それ以上に、束の間であっても、この部屋から外に出ることができる貴重な機会を逃したくはなかった。
響の部屋は必要最低限のものしかなく、あまりにも退屈であった。
兄は、いつになったら、解放してくれるのだろうか。
薫は、そんな当たり前の疑問を口にすることもできないでいる。
兄の機嫌を損ねれば、地区予選に連れて行ってくれるという約束も反故にされてしまうかもしれない。それまでは、大人しく響の出した課題に取り組むことしか、薫には思い付かなかった。
神崎響は、実弟を狼の蔓延る学園に戻す気などない。けれど、いつまでも薫を、マンションの一室に閉じ込めておくことはできないことも理解していた。薫を誤魔化すのも、学園を誤魔化すのも、両親を誤魔化すのも、どんなに上手くやっても、夏休みが終わる頃が限度であろう。
時間は有限ある。
神崎響は、些か焦り始めていた。薫に暴行を加えたアルファのことも、未だに特定することができずにいる。薫から直接、加害者の名前を挙げさせるのが一番手っ取り早かったが、薫を問いただそうとした時の、あの取り乱した様子を思い出すと、悪戯にトラウマを刺激することは避けたかった。
だから、響は薫のスマホに目をつけた。他者のプライバシーを侵害することは、誉められたことではない。けれど、響は薫の実兄であり、未成年の少年を保護している立場であることを言い訳にした。
響にとって、実弟のスマホの中身を覗き見ることは、取り立てて難しいことではない。警戒心の強い薫は、スマホに堅牢なロックをかけていた。解除キーは、スマホの所有者の指紋であり、薫以外はロックを解除することは敵わないはずである。
だが、そんな堅牢なセキュリティにも一つだけ弱点がある。それは、薫の指紋さえあれば、誰にでも簡単にロックを解除できることである。
薫にスマホを渡してから、数日後の夜のことであった。
響は深夜に静かに目を覚まし、隣で丸まって眠っている薫の肩を軽く揺する。弟が安らかな寝息を立てていることを確認すると、そっと薫の手を取って、スマホの画面に細い指先を滑らせた。
後は簡単な話である。スマホの設定画面から、響の指紋を解除キーに追加で登録しておけば、薫の隙を見て、スマホの中を確認することは容易いことであった。
そんな単純な話のはずであったが、薫に向けてメッセージを送信してくる人物を一人一人特定する作業は、想定以上に時間がかかることであった。たくさんのメッセージを過去まで遡って流し読み、送信者のプロフィールを確認する。そこからキーワードを引き当てながら、ネットワーク上で検索をかけて、人物像を探っていく。
一週間かけて探り当てた人物は五名で、全て空振りであった。当然と言えば当然であったが、薫に対して、比較的多くのメッセージを送信してくる人物は、薫のクラスのベータの少年たちであった。
小暑の候というには、やたら強い日差しが都会のアスファルトを照りつけていたが、エアコンの利いた上空の部屋の中では、夏めいた暑さは微塵も感じらずにいた。
薫は日中に何度もスマホの画面に目を落とす。けれど、博己からの連絡は一つもなかった。
やはり、あの夜に、自分は捨てられてしまったのだろうか。
メッセージを書きかけては消して、電話をしようとして指が止まって、そんなことを繰り返しながら、薫は鬱々とスマホを弄くり回した。響の部屋に囚われてから、瞬く間に三週間が過ぎようとしていた。
薫はスマホを脇に置くと、シャープペンシルをくるくると回して、問題集に向き直る。薫は勉学が得意ではない。兄から出された厳しい課題の山を少しずつ切り崩して、泥にまみれながらも、食らいつくのがやっとであった。苦手な数学や物理は、ほとんど毎晩、家庭教師のように付き添って兄が教えてくれた。
そんな教師が走り書きにした方程式や図解のメモを何度も確認し、頭を悩ませながら、どうにか及第点に達することができた。
早く外に出たい。
薫は、三日後の地区予選を心待ちにしていた。隼人を応援したい気持ちは強い。けれど、それ以上に、束の間であっても、この部屋から外に出ることができる貴重な機会を逃したくはなかった。
響の部屋は必要最低限のものしかなく、あまりにも退屈であった。
兄は、いつになったら、解放してくれるのだろうか。
薫は、そんな当たり前の疑問を口にすることもできないでいる。
兄の機嫌を損ねれば、地区予選に連れて行ってくれるという約束も反故にされてしまうかもしれない。それまでは、大人しく響の出した課題に取り組むことしか、薫には思い付かなかった。
神崎響は、実弟を狼の蔓延る学園に戻す気などない。けれど、いつまでも薫を、マンションの一室に閉じ込めておくことはできないことも理解していた。薫を誤魔化すのも、学園を誤魔化すのも、両親を誤魔化すのも、どんなに上手くやっても、夏休みが終わる頃が限度であろう。
時間は有限ある。
神崎響は、些か焦り始めていた。薫に暴行を加えたアルファのことも、未だに特定することができずにいる。薫から直接、加害者の名前を挙げさせるのが一番手っ取り早かったが、薫を問いただそうとした時の、あの取り乱した様子を思い出すと、悪戯にトラウマを刺激することは避けたかった。
だから、響は薫のスマホに目をつけた。他者のプライバシーを侵害することは、誉められたことではない。けれど、響は薫の実兄であり、未成年の少年を保護している立場であることを言い訳にした。
響にとって、実弟のスマホの中身を覗き見ることは、取り立てて難しいことではない。警戒心の強い薫は、スマホに堅牢なロックをかけていた。解除キーは、スマホの所有者の指紋であり、薫以外はロックを解除することは敵わないはずである。
だが、そんな堅牢なセキュリティにも一つだけ弱点がある。それは、薫の指紋さえあれば、誰にでも簡単にロックを解除できることである。
薫にスマホを渡してから、数日後の夜のことであった。
響は深夜に静かに目を覚まし、隣で丸まって眠っている薫の肩を軽く揺する。弟が安らかな寝息を立てていることを確認すると、そっと薫の手を取って、スマホの画面に細い指先を滑らせた。
後は簡単な話である。スマホの設定画面から、響の指紋を解除キーに追加で登録しておけば、薫の隙を見て、スマホの中を確認することは容易いことであった。
そんな単純な話のはずであったが、薫に向けてメッセージを送信してくる人物を一人一人特定する作業は、想定以上に時間がかかることであった。たくさんのメッセージを過去まで遡って流し読み、送信者のプロフィールを確認する。そこからキーワードを引き当てながら、ネットワーク上で検索をかけて、人物像を探っていく。
一週間かけて探り当てた人物は五名で、全て空振りであった。当然と言えば当然であったが、薫に対して、比較的多くのメッセージを送信してくる人物は、薫のクラスのベータの少年たちであった。
10
お気に入りに追加
195
あなたにおすすめの小説
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
幼馴染から離れたい。
June
BL
アルファの朔に俺はとってただの幼馴染であって、それ以上もそれ以下でもない。
だけどベータの俺にとって朔は幼馴染で、それ以上に大切な存在だと、そう気づいてしまったんだ。
βの谷口優希がある日Ωになってしまった。幼馴染でいられないとそう思った優希は幼馴染のα、伊賀崎朔から離れようとする。
誤字脱字あるかも。
最後らへんグダグダ。下手だ。
ちんぷんかんぷんかも。
パッと思いつき設定でさっと書いたから・・・
すいません。
目が覚めたらαのアイドルだった
アシタカ
BL
高校教師だった。
三十路も半ば、彼女はいなかったが平凡で良い人生を送っていた。
ある真夏の日、倒れてから俺の人生は平凡なんかじゃなくなった__
オメガバースの世界?!
俺がアイドル?!
しかもメンバーからめちゃくちゃ構われるんだけど、
俺ら全員αだよな?!
「大好きだよ♡」
「お前のコーディネートは、俺が一生してやるよ。」
「ずっと俺が守ってあげるよ。リーダーだもん。」
____
(※以下の内容は本編に関係あったりなかったり)
____
ドラマCD化もされた今話題のBL漫画!
『トップアイドル目指してます!』
主人公の成宮麟太郎(β)が所属するグループ"SCREAM(スクリーム)"。
そんな俺らの(社長が勝手に決めた)ライバルは、"2人組"のトップアイドルユニット"Opera(オペラ)"。
持ち前のポジティブで乗り切る麟太郎の前に、そんなトップアイドルの1人がレギュラーを務める番組に出させてもらい……?
「面白いね。本当にトップアイドルになれると思ってるの?」
憧れのトップアイドルからの厳しい言葉と現実……
だけどたまに優しくて?
「そんなに危なっかしくて…怪我でもしたらどうする。全く、ほっとけないな…」
先輩、その笑顔を俺に見せていいんですか?!
____
『続!トップアイドル目指してます!』
憧れの人との仲が深まり、最近仕事も増えてきた!
言葉にはしてないけど、俺たち恋人ってことなのかな?
なんて幸せ真っ只中!暗雲が立ち込める?!
「何で何で何で???何でお前らは笑ってられるの?あいつのこと忘れて?過去の話にして終わりってか?ふざけんじゃねぇぞ!!!こんなβなんかとつるんでるから!!」
誰?!え?先輩のグループの元メンバー?
いやいやいや変わり過ぎでしょ!!
ーーーーーーーーーー
亀更新中、頑張ります。
総受けなんか、なりたくない!!
はる
BL
ある日、王道学園に入学することになった柳瀬 晴人(主人公)。
イケメン達のホモ活を見守るべく、目立たないように専念するがー…?
どきどき!ハラハラ!!王道学園のBLが
今ここに!!
欲情貞操教育 〇歳から始める非合意近親生交尾
オロテンH太郎
BL
春になったといっても夜は少し肌寒く、家に帰るとほんのり温かく感じた。
あんな態度をとってしまっていたから素直になれなくて一度も伝えられてないけれど、本当の家族みたいに思ってるって父さんに伝えたい。
幼い頃、叔父に引き取られた樹は、卒業をきっかけに叔父の本性を目の当たりにする……
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる