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オメガの生存本能
第63幕
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2年B-Ⅰ組において、神崎薫は取るに足らない存在である。薫は、無害で、根暗で、存在感が希薄な生徒であった。彼の席が空席であることを気に止めるような者は、河島隼人ぐらいのものである。けれど、クラスの中心である隼人は、神崎薫が姿を消してから、目に見えるほどに不調であった。それは、学友たちを少しばかり動揺させた。
隼人は、眉間に皺を寄せて苛々といることもあれば、ぼんやりと窓の外を眺めていることもあった。友人に話しかけられても適当な相槌を返すばかりで、遂に「隼人って意外と寂しがり屋だったんだな」と友人たちに、からかわれてしまう。けれど、隼人は苦笑いして「そうかもな」なんて返すものだから、友人たちは驚いたように顔を見合わせて、肩をすくめるしかなかった。
部活動の後にシャワーを浴びて、いつものように、寮の食堂で夕飯を済ませた。部活にも身が入らず、隼人は今日の反省をしながら、部屋に戻ろうとしたところであった。
「河島、」
隼人を呼び止めたのは、いつも眠たげな佇まいの寮長であった。振り返った隼人は、寮長の隣に立っている男の姿に息を飲んだ。
「神崎のお兄さんなんだと、」
「初めまして、神崎薫の兄です」
品がよく優しげな微笑みを浮かべている美青年は、モデルのようにすらりとした体型で、目映いオーラを放っている。性別検査を受けなくとも、一目でアルファ性であることがわかった。だらしなくジャージを着崩した寮長と並んでいるためか、この場にいることが、まるで場違いであるような気さえする。
「お前の部屋に入りたいらしいんだけど、」
「薫の荷物を取りに来たんだ」
寮長の説明を遮るように、響は口を開いた。
「河島くん、申し訳ないけど、部屋を見せてもらえるかな?」
断りを入れているようで、拒否など許されない威圧感を放つ薫の兄に、隼人は戸惑いがちに頷いた。
B棟の食堂から部屋に向かう廊下を、響は物珍しそうに見回しながら、二人の寮生に案内されるままに、後ろをついていった。海外旅行でも行くような大きな黒いスーツケースをガラガラと引き摺る音が、寮の廊下に反響する。
「神崎っていいとこのお坊ちゃんだったんだな」
「え、」
寮長が、ひそひそと小声で隼人に話しかける。隼人は目を丸くした。
「ほら、学校の近くにあるバカみたいにでっかい病院があるだろ? あそこの息子なんだってさ、」
「……そう、なんですね、」
隼人は、薫のことを何も知らないのだと、ようやく気がついた。この学園では、一部の例外を除いて、家柄で生徒を区別するようなことはない。あくまでも「性別」で区別する。神崎薫が、裕福な上流階級の大病院の息子であることなど、隼人は全く知らなかった。
隼人は顔だけ振り返り、美貌の男を盗み見る。端正な横顔は、どこか薫に似ているような気がした。響は隼人の視線に気がついて、少し首を傾げて微笑み、隼人は慌てて視線を逸らして、小さく唇を噛んだ。
薫に、アルファ性の兄がいることも知らなかった。
平均的なサラリーマンの家庭で育った河島隼人と、有名な大病院の家系である神崎薫は、住む世界が違うのだと思い知らされる。隼人と薫は、偶然同じ学校で、偶然同じ部屋を宛がわれ、三年間の共同生活を余儀なくされただけのことであった。
控えめで、大人しく、隼人の影に隠れるように背中を追ってくる薫からは想像もできない。隼人は、神崎薫が急に手の届かない遠い存在になってしまったような気がして、大きな喪失感に見舞われたのだった。
隼人は、眉間に皺を寄せて苛々といることもあれば、ぼんやりと窓の外を眺めていることもあった。友人に話しかけられても適当な相槌を返すばかりで、遂に「隼人って意外と寂しがり屋だったんだな」と友人たちに、からかわれてしまう。けれど、隼人は苦笑いして「そうかもな」なんて返すものだから、友人たちは驚いたように顔を見合わせて、肩をすくめるしかなかった。
部活動の後にシャワーを浴びて、いつものように、寮の食堂で夕飯を済ませた。部活にも身が入らず、隼人は今日の反省をしながら、部屋に戻ろうとしたところであった。
「河島、」
隼人を呼び止めたのは、いつも眠たげな佇まいの寮長であった。振り返った隼人は、寮長の隣に立っている男の姿に息を飲んだ。
「神崎のお兄さんなんだと、」
「初めまして、神崎薫の兄です」
品がよく優しげな微笑みを浮かべている美青年は、モデルのようにすらりとした体型で、目映いオーラを放っている。性別検査を受けなくとも、一目でアルファ性であることがわかった。だらしなくジャージを着崩した寮長と並んでいるためか、この場にいることが、まるで場違いであるような気さえする。
「お前の部屋に入りたいらしいんだけど、」
「薫の荷物を取りに来たんだ」
寮長の説明を遮るように、響は口を開いた。
「河島くん、申し訳ないけど、部屋を見せてもらえるかな?」
断りを入れているようで、拒否など許されない威圧感を放つ薫の兄に、隼人は戸惑いがちに頷いた。
B棟の食堂から部屋に向かう廊下を、響は物珍しそうに見回しながら、二人の寮生に案内されるままに、後ろをついていった。海外旅行でも行くような大きな黒いスーツケースをガラガラと引き摺る音が、寮の廊下に反響する。
「神崎っていいとこのお坊ちゃんだったんだな」
「え、」
寮長が、ひそひそと小声で隼人に話しかける。隼人は目を丸くした。
「ほら、学校の近くにあるバカみたいにでっかい病院があるだろ? あそこの息子なんだってさ、」
「……そう、なんですね、」
隼人は、薫のことを何も知らないのだと、ようやく気がついた。この学園では、一部の例外を除いて、家柄で生徒を区別するようなことはない。あくまでも「性別」で区別する。神崎薫が、裕福な上流階級の大病院の息子であることなど、隼人は全く知らなかった。
隼人は顔だけ振り返り、美貌の男を盗み見る。端正な横顔は、どこか薫に似ているような気がした。響は隼人の視線に気がついて、少し首を傾げて微笑み、隼人は慌てて視線を逸らして、小さく唇を噛んだ。
薫に、アルファ性の兄がいることも知らなかった。
平均的なサラリーマンの家庭で育った河島隼人と、有名な大病院の家系である神崎薫は、住む世界が違うのだと思い知らされる。隼人と薫は、偶然同じ学校で、偶然同じ部屋を宛がわれ、三年間の共同生活を余儀なくされただけのことであった。
控えめで、大人しく、隼人の影に隠れるように背中を追ってくる薫からは想像もできない。隼人は、神崎薫が急に手の届かない遠い存在になってしまったような気がして、大きな喪失感に見舞われたのだった。
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