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秘匿された遊戯室
第21幕
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夜の十時を過ぎるとB棟の学生寮は、自動的に消灯される。学生である彼等に、規則正しい生活を促すための制度であったが、否応なく消えていく部屋の明かりは、どこか牢舎を連想させた。
闇夜の中で、薫はクローゼットを静かに開けて黒のパーカーを取り出し、半袖のシャツの上から羽織った。
隼人は壁に向かい合うように、ベッドに横になりながら、背後で薫の気配に神経を尖らせる。緊張しながらも、逸る気持ちを抑えきれないように身支度を整えていく薫に、隼人は声をかけることができず、ぎゅっとシーツを握り締める。
消灯も過ぎてから、どこに行くつもりなんだ。
そんなことは、聞かなくても分かっている。薫の腕を掴んで、行かないでくれ、と懇願したかった。けれど、隼人は身動きもできずに、じっと堪えるしかない。
薫が窓を開ける。用意してあったシューズを外に投げた。縁に足をかけると、軽く跳ねて、外に飛び出した。しばらくして、カラカラと小さな音を立てて、外側から窓が閉められていく。
薫が、博己に抱かれにいく。
隼人は絶望的な気持ちで、瞼を閉じる。あまりの息苦しさに、胸をかきむしった。それでも、瞼を閉じて、ただ、堪えることしかできなかった。
薫は茂みに隠れるようにして、B棟から離れると、月明かりの中、A棟の裏口に回り込む。A棟の消灯は、廊下や共有スペースに限られているのか、所々部屋の明かりが漏れていた。建物の構造上の差であるのか、アルファとベータの待遇の差であるのかは、定かではない。
名門の学園は、明治時代に建築された歴史のある煉瓦造りの校舎と、木造の学生寮で構成されている。B棟は昭和後期に増築されており、根本的な造りに差があった。
薫はフードを深く被り、マスクを着用して、出来うる限り顔を隠す。スマホを取り出して、改めて博己から送られてきたメッセージを読み返した。
A棟の裏口の扉を、恐る恐る開ける。薄暗い玄関の脇には、管理人室が設けられているらしく、小窓と簡易的な受付が存在していた。薫は躊躇しながらも、A棟に初めて足を踏み入れた。
人の気配を感じたのか、小窓が開き、初老の男が顔を覗かせる。
「何か用ですか」
フードを深く被り、マスク姿の怪しい男の姿に、管理人は眉を寄せて身構えた。
「遊戯室に呼ばれたのですが」
か細い声で、博己の指示通りの言葉を発した。管理人は眉を上げ、薫を下から上まで舐めるような視線を向けた。そうして、黒いフードの奥に、黒い首輪を見つけて、納得したように、下劣な笑みを向ける。
薫はこの学園の生徒であることを悟られまいと緊張に身体を強張らせ、気持ちの悪い視線に堪えながらも、来客用の帳簿に記載しようとペンを取った。
薫の白く瑞々しい手の甲に、男のかさついた手が重なった。薫はびくりと肩を揺らす。
「書かなくていい」
意味あり気に指先を撫でられて、薫は気持ち悪さに手を引っ込めた。管理人は、玄関の右手側の階段を下りるように薫に指差して教えた。
足を震わせながら、薫は階段を下りていく。地下に通されることに対する不安から、頭の中で警告音が煩く鳴り響いている。けれども、頭の中とは裏腹に、心は博己に早く会いたくて、早く声が聞きたくて、薫を急かして、掻き立てた。不安と期待で胸の動悸が激しくなり、薫は手汗を滲ませる。
暇潰しに呼び出されて、蔑まれるだけなのに。
分かっているのに、運命を感じる博己に酷く惹かれてしまう。あまりにも惨めであったけれど、薫はいつもそうしているように「仕方がない」と自分自身を諦めて、ただアルファの命令に従う憐れなオメガであろうとしていた。
階段を下りきると、左右に扉が存在していた。左の方から、カコーンと乾いた音が響いた。
扉にはひし形の小窓が存在し、荒い磨りガラスが嵌め込まれていた。音の正体が気になって、小窓から扉の奥を覗く。広やかなフロアには、ビリヤード台が二つ。手前の台で、三人の男たちが細長い棒を手にしながら、談笑している姿が見えた。
一人がキューを構えて、白いボールを突く。一直線に弾かれたボールは、緑のボールにぶつかってカーンと甲高い音を響かせた。
豪奢な内装のフロアには、他にもダーツやルーレット、ポーカー台など、アンティークの古めかしい遊具が設置されているようだった。
薫は『遊戯室』という言葉の意味を理解する。深い森に囲まれ閉鎖された空間で、娯楽がない生徒たちへの慰めとして、建設当時から用意されていた地下の遊び場は、電子機器の発達のためか、外出の許可が緩くなったからか、時代と共に廃れ、今では気紛れな連中が、たまに訪れる程度の施設であった。
薫は扉から離れた。それから、反対側のドアを、そっと開く。扉の先には短い廊下があるばかりで、すぐに行き止まりになっていた。脇には三つの窓のついていない重苦しい扉が存在している。
薫は、少し躊躇しながらも震える手で、一番手前のドアをノックした。少しの間があり、ドアが開く。現れた男の顔に、薫はふっと溜め息を吐いた。上手く辿り着けた安堵と、心を奪った男に会えた高揚感から、涙が溢れそうになる。
「遅かったな、」
博己は不満そうに口を開いた。命令されたからとはいえ、薫が規則を破ってB棟から抜け出し、アルファの巣であるA棟に足を踏み入れる、という危険を犯してまで博己に会いに来たことを、労うつもりなどはないようだった。
博己の不機嫌さを感じ取り、薫は、声を震わせながら、ごめんなさい、と謝罪の言葉を口にした。博己は、溜め息を吐いて、扉を少し大きく開き、愚図で卑しいオメガを部屋の中に招き入れたのだった。
闇夜の中で、薫はクローゼットを静かに開けて黒のパーカーを取り出し、半袖のシャツの上から羽織った。
隼人は壁に向かい合うように、ベッドに横になりながら、背後で薫の気配に神経を尖らせる。緊張しながらも、逸る気持ちを抑えきれないように身支度を整えていく薫に、隼人は声をかけることができず、ぎゅっとシーツを握り締める。
消灯も過ぎてから、どこに行くつもりなんだ。
そんなことは、聞かなくても分かっている。薫の腕を掴んで、行かないでくれ、と懇願したかった。けれど、隼人は身動きもできずに、じっと堪えるしかない。
薫が窓を開ける。用意してあったシューズを外に投げた。縁に足をかけると、軽く跳ねて、外に飛び出した。しばらくして、カラカラと小さな音を立てて、外側から窓が閉められていく。
薫が、博己に抱かれにいく。
隼人は絶望的な気持ちで、瞼を閉じる。あまりの息苦しさに、胸をかきむしった。それでも、瞼を閉じて、ただ、堪えることしかできなかった。
薫は茂みに隠れるようにして、B棟から離れると、月明かりの中、A棟の裏口に回り込む。A棟の消灯は、廊下や共有スペースに限られているのか、所々部屋の明かりが漏れていた。建物の構造上の差であるのか、アルファとベータの待遇の差であるのかは、定かではない。
名門の学園は、明治時代に建築された歴史のある煉瓦造りの校舎と、木造の学生寮で構成されている。B棟は昭和後期に増築されており、根本的な造りに差があった。
薫はフードを深く被り、マスクを着用して、出来うる限り顔を隠す。スマホを取り出して、改めて博己から送られてきたメッセージを読み返した。
A棟の裏口の扉を、恐る恐る開ける。薄暗い玄関の脇には、管理人室が設けられているらしく、小窓と簡易的な受付が存在していた。薫は躊躇しながらも、A棟に初めて足を踏み入れた。
人の気配を感じたのか、小窓が開き、初老の男が顔を覗かせる。
「何か用ですか」
フードを深く被り、マスク姿の怪しい男の姿に、管理人は眉を寄せて身構えた。
「遊戯室に呼ばれたのですが」
か細い声で、博己の指示通りの言葉を発した。管理人は眉を上げ、薫を下から上まで舐めるような視線を向けた。そうして、黒いフードの奥に、黒い首輪を見つけて、納得したように、下劣な笑みを向ける。
薫はこの学園の生徒であることを悟られまいと緊張に身体を強張らせ、気持ちの悪い視線に堪えながらも、来客用の帳簿に記載しようとペンを取った。
薫の白く瑞々しい手の甲に、男のかさついた手が重なった。薫はびくりと肩を揺らす。
「書かなくていい」
意味あり気に指先を撫でられて、薫は気持ち悪さに手を引っ込めた。管理人は、玄関の右手側の階段を下りるように薫に指差して教えた。
足を震わせながら、薫は階段を下りていく。地下に通されることに対する不安から、頭の中で警告音が煩く鳴り響いている。けれども、頭の中とは裏腹に、心は博己に早く会いたくて、早く声が聞きたくて、薫を急かして、掻き立てた。不安と期待で胸の動悸が激しくなり、薫は手汗を滲ませる。
暇潰しに呼び出されて、蔑まれるだけなのに。
分かっているのに、運命を感じる博己に酷く惹かれてしまう。あまりにも惨めであったけれど、薫はいつもそうしているように「仕方がない」と自分自身を諦めて、ただアルファの命令に従う憐れなオメガであろうとしていた。
階段を下りきると、左右に扉が存在していた。左の方から、カコーンと乾いた音が響いた。
扉にはひし形の小窓が存在し、荒い磨りガラスが嵌め込まれていた。音の正体が気になって、小窓から扉の奥を覗く。広やかなフロアには、ビリヤード台が二つ。手前の台で、三人の男たちが細長い棒を手にしながら、談笑している姿が見えた。
一人がキューを構えて、白いボールを突く。一直線に弾かれたボールは、緑のボールにぶつかってカーンと甲高い音を響かせた。
豪奢な内装のフロアには、他にもダーツやルーレット、ポーカー台など、アンティークの古めかしい遊具が設置されているようだった。
薫は『遊戯室』という言葉の意味を理解する。深い森に囲まれ閉鎖された空間で、娯楽がない生徒たちへの慰めとして、建設当時から用意されていた地下の遊び場は、電子機器の発達のためか、外出の許可が緩くなったからか、時代と共に廃れ、今では気紛れな連中が、たまに訪れる程度の施設であった。
薫は扉から離れた。それから、反対側のドアを、そっと開く。扉の先には短い廊下があるばかりで、すぐに行き止まりになっていた。脇には三つの窓のついていない重苦しい扉が存在している。
薫は、少し躊躇しながらも震える手で、一番手前のドアをノックした。少しの間があり、ドアが開く。現れた男の顔に、薫はふっと溜め息を吐いた。上手く辿り着けた安堵と、心を奪った男に会えた高揚感から、涙が溢れそうになる。
「遅かったな、」
博己は不満そうに口を開いた。命令されたからとはいえ、薫が規則を破ってB棟から抜け出し、アルファの巣であるA棟に足を踏み入れる、という危険を犯してまで博己に会いに来たことを、労うつもりなどはないようだった。
博己の不機嫌さを感じ取り、薫は、声を震わせながら、ごめんなさい、と謝罪の言葉を口にした。博己は、溜め息を吐いて、扉を少し大きく開き、愚図で卑しいオメガを部屋の中に招き入れたのだった。
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